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第六話

翌朝から、本格的な訓練が始まった。


第三隊の訓練場は、城砦の東側にある。夜明け前から点呼があって、そのまま型の稽古に入る。陰嶺の朝は冷たかった。五月だというのに息が白くなって、新入りたちが震えている横で、白霜は別のことに頭を使っていた。


槍の、加減が難しい。


強すぎてもいけない。弱すぎると不自然だ。組み手の相手を倒したら、その次はわざと一度負ける。するとまた別の者が挑んでくる。その繰り返しだ。


「また手加減したろ」


訓練後、水を飲みながら阿寛が言った。


「してない」

「じゃあなんで昨日負けたんだよ。どう見てもお前より弱かったぞ、あいつ」

「調子が悪かった」

「都合よく調子が悪くなるんだな」


じとっとした視線を向けてくる阿寛を無視して、白霜は黙って水を飲んだ。


「そういえば昨日の夜、どこ行ってたんだ。抜け出してたろ?」

「城壁の上」

「なんで」

「景色が見たかった」

「…お前、変だよな。「陰嶺の景色なんて見ても面白くねーだろ」

「そう?綺麗だったよ。阿寛も今度行ってみれば」


城壁の上から見た陰嶺の夜は、思ったより綺麗だった。山脈が月明かりに白く光って、遠くに街の灯りが瞬いていた。鉄嶺荘の山とは違う景色だったけれど、高いところから見る夜は、どこも少し似ている。


沈燼は夜景が好きだった。私たちは、何度も山の上に登って、遠くの明かりを眺めては、未来を語り合った。


そして——。


考えるのをやめる。


(今は、だめだ。)


「阿寛!」

「なんだよ急に」

「蜜餅まだある?」


「昨日で終わった。でも——」と阿寛は少し勿体ぶってから続けた。


「明日、街に買い出しに行くから買ってきてやる。そのかわり——」

「わかった。兄!」

「早!現金なやつめ」

「蜜餅がかかってるから」

「ったく、お前は本当に…」


わざとらしく頭を抱える阿寛の横で、白霜は少し笑った。



昼飯の時間になると、同期たちが自然に同じ卓に集まるようになっていた。阿寛、李従(りじゅう)孫堅(そんけん)、そして白霜の四人だ。


李従は白霜と同じ日に入隊した新兵で、年は二十代半ば。どこにでもいそうな、印象の薄い顔をしている。でも話してみると意外と口数が多くて、場の話題をうまく拾う。目立たないのに、なぜか輪の中心にいることが多かった。孫堅はど真面目な男だった。訓練中は常に歯を食いしばっていて、休憩中も型の確認をしている。腕前は正直なところ新入りの中でも下の方だったが、誰よりも諦めない。阿寛には「また居残りか」とよくからかわれていた。


その日の昼飯時も、阿寛がやかましく喋り続けていた。


「いやー訓練きついな。腕がもげるかと思った」

「そんな簡単にもげない」


白霜が言うと、阿寛が白霜の頬をグリグリと押してくる。


「もげそうだったんだよ!坊主はなんで平気なんだ。体小さいのに」

「小さいって言うな」

「チービチービ。ってか李従、今日褒められてたよな」


李従は粥を口に運びながら「まあな」と続けた。


「昨日より動けた気がする。孫堅はどうだった、今日の組み手」

「…負けた」


箸を置いて、孫堅がきっぱり答えた。


「でも明日は勝つ。重心が後ろに逃げていたから、夜に修正する」

「夜も練習するのか」


阿寛と李従は呆れ顔だ。


「真面目すぎだろ」

「同感」


そんな二人に対しても、孫堅は表情ひとつ変えない。


「真面目の何が悪い」

「悪くはないけど、もう少し力抜けよ」

「訓練に手を抜く理由がない」


阿寛がため息をつき、李従は肩をすくめる。その横で、白霜は黙って粥を飲んだ。

孫堅の真面目さは、二師兄の李巍に少し似ている気がした。



問題が起きたのは、その翌日の昼飯の時だった。


その日の飯は、羊肉と根菜の煮込みだった。いい匂いがして、肉も大きい。久しぶりにちゃんとした肉だ、と思いながら席に座った瞬間、隣に来たのは王鉄だ。三年目の古参兵で、体格は白霜の倍近くある。目つきが悪くて、新入りに絡むのが好きらしいと、阿寛から聞いていた。


その王鉄が、白霜の盆から肉を一切れ、無言で取った。


「…返してください」

「お前みたいなひょろひょろに、こんな大きい肉は必要ないだろ。俺によこせ」

「返してください」

「うるさい。ガキは飯半分でも十分だ」


王鉄はそのまま肉を口に入れた。周りの兵士たちがちらちらとこちらを見ていたが、誰も何も言わない。隣で阿寛が腰を浮かせかけた。それを、白霜は小さく首を振って制す。


今ここで揉めても、得にならない。そう判断して、黙って飯を食い続けた。

でも——腹の底に、じわりと火が点いた。



その夜、白霜は一人で弓の練習場にいた。


弓は得意ではないが、苦手でもない。鉄嶺荘では一通り習っていた。槍を使い続けている今、せめて他の武器で手を動かしておきたかった。矢を番えて、的に向かって放つ。中央からわずかに外れた場所に刺さった。悪くない、と思ったところで、背後に気配がした。


「型が整っているな」


振り返ると、知らない男が立っている。二十代半ばで、すらりと背が高い。顔立ちは穏やかで、優しげだ。腰には剣ではなく、弓を携えていた。


「陸青嵐だ。玄鷹将軍の副官を務めている」


思わず背筋が伸びた。まさか副官とは。武人というより、どこかの書生に見える。


「誰に習ったんだ?」

「旅の師のもとで」

「そうか」


青嵐は白霜の手から弓を受け取って、的に向かった。矢が放たれた瞬間、吸い込まれるように中心を貫く。


「少し引き方を変えてみろ。肘の角度だ」


言われた通りに構え直して、矢を放った。今度はど真ん中に刺さった。


「うまいじゃないか。本当に新兵か?」


にこりと笑う表情は、真意が読めない。


「う、運が良かっただけです」

「…腕のいい師匠だったんだな」


青嵐はそれ以上追及しなかった。ただ、少し間を置いてから穏やかに言った。


「このまま、励め」


そして、踵を返した。


一体、何をしに来たのだろう。

背中を見送りながら、白霜は考えていた。


整った顔立ちで、穏やかな目をしている。笑うと少し柔らかくなる。どこかで見たような——そう気づいた瞬間、少し嫌な感じがした。


(沈燼に、似ている)


笑い方が、ではない。人との距離の取り方が、だ。

踏み込みすぎない。でも、突き放しもしない。あの柔らかさが。


白霜は次の矢を番える。的を見据えながら、頭の中から沈燼を追い出そうとした。

けれど、結局うまくいかなかった。


深夜、玄鷹は陸青嵐から報告を受けた。


「弓の練習場で、凌博という新入りと話しました」

「どうだった」

「普通の弓兵に引けを取らない腕でした」

「…弓も上手いのか」

「一年や二年で身につく動きじゃありません」

「そうか。わかった。下がっていい」

「はい。失礼いたします」


扉へ向かいかけた青嵐が、一度足を止めた。


「将軍。あの新入り、何者だと思いますか」

「さあな」


短く答えて、玄鷹は書類に視線を戻した。


あの新兵が何を抱えているのか、まだわからない。だが——しばらく、泳がせる。それだけだ。


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