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愛を教えて ――包帯の姫君と執事  作者: 歌田うた
第三部:それぞれの結末
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本当の親子になるために

 数日後、智が別邸を訪れた。いつものように慎が綺羅々の部屋に通すと、開口一番に智は、

「やあ、綺羅々。調子はどうだ」

 と窓辺の椅子に座る綺羅々を見て微笑んだ。綺羅々が智の気持ちを断った直後の気まずさはもうは無く、智が来ると知って緊張していた綺羅々は驚いた。

「え、ええお兄様。何とか変わりなく過ごせています」

「そうか、それなら良かった。前に座っても?」

「もちろんです」

 綺羅々がそう言うと慎の後ろに控えていた慎は綺羅々の向かいにある椅子を引き、智が座れるように整えた。

「ありがとう」


 慎は頭を下げ、部屋の中でコーヒーを挽き始めた。一方で席についた智は、鞄の中から譲治の小説を綺羅々の前に差し出し、頭の後ろを掻いた。その表情は何かを悟ったような、諦めたような、いつもとは違う表情だったが、怒りや悲しみは含まれていなかった。

「これ、先に読ませてもらったよ。ありがとう。あと、父さんにもまた会いに行ってきた」

「そう、ですか」

「参ったよ。この小説。結城譲治の一生、と言うべきか、自叙伝だな。父さんの幼少期から最近のことまで事細かく書いてあるんだよ。文体も硬くてね。結城家の当主は自叙伝を残すしきたりが残っていて、形式上はそれに倣ったんじゃ無いかと思う」

 綺羅々が本を手に取ると、別の紙が挟んであることに気付いた。

「これは……」


「それこそが、本当の父さんの気持ちなんだ。小説には書けなかった真実、ってやつだ」

 その紙に目を通すと、自分が望まないお見合い結婚をさせられたこと、当主になったこと、そして愛人を愛して子どもを作り、兄の息子を引き取ったことが赤裸々に綴られていた。

「こんなの表に出せる訳無いよな。でも、書かずにはいられなかったんだろ」

「……」


「それで、父さんに会いに行って、気持ちをぶつけてきたよ。散々自分勝手なことをして今更なんだ、ってね」

 智の話を聞いていた慎は、入れ立てのコーヒーを二人の前に差し出すと同時に、その紙に強い関心を示した。

「私も一読させていただいてもよろしいですか?」

「……ああ、もちろんだ」


 慎は綺羅々が読み終わった紙を手に取り、立ったまま読み始めた。自分のことも、自分と綺羅々のことも、そこには偽り無い感情が書かれていた。

『慎の自由を奪った代わりに、綺羅々と恋愛関係になることを許した』

『二人が望めば、いつでも二人を自由にし、譲一の遺産も慎に渡すつもりだ』


 譲治からは既に通帳を受け取っていた。譲治は面会前にこれを書いたのだから、これを書いた後に「智以外誰にも会わない」と心境の変化があったに違いない。


「それで、今日は二人に二つほど用があって来たんだ。一つ目はこれからのこと。二つ目は出生届のこと。単刀直入に聞くけど、……二人はこれからどうするつもりだ?」

 穏やかだった智の目つきが真剣な眼差しに変わった。綺羅々と慎を交互に見つめ、最後にもう一度綺羅々の瞳をしっかりと捉えた。


 ――二人はこれからどうするつもりだ?


 智の言葉が綺羅々の心の中で反芻される。もう、気持ちは固まっていた。


「私は、私は……家を出て行くつもりで居ます」

 静かに、そしてはっきりと言葉を紡いで、綺羅々は智の瞳を見つめかえした。


「慎は?」

「私は綺羅々様についていきます」

 智は、二人の気持ちを確かめるために、無言で二人のことを何度か見やったが、綺羅々も、慎も、智の瞳を真っ直ぐに捉えていた。


「……ここに居ても別に生活は不自由しないのに、敢えて難しい方の道を選ぼう、ということなんだな」


「お兄様に迷惑は掛けられません」

 綺羅々の一言に、智はぴくりと眉を動かした。

「俺のことは俺が決める。そういうつもりなら別に屋敷に居ても構わない」


「いえ、それだけじゃありません。私は、私として生きてみたいのです。外の世界も分からないまま十八年生きてきて、一人じゃ何も出来なかった。仮初めの自由ではなく、本当の自由を手に入れて、自分の人生を歩みたいのです」



 少しの沈黙の後、智は少し寂しそうに目を細めて、睫を伏せた。そして小さく息を吐くと、ジャケットの内ポケットから、出生届と母子手帳を出した。

「これは……」


「父さんから預かった出生届と母子手帳だ。綺羅々の存在は長らく隠されてきた。薫さんは当初、父親不在のままで出生届を出そうとしたそうだが、綺羅々の戸籍が作られると小学校の通知も来ることになる。綺羅々が外の世界に触れることで自分の出生の秘密について疑問を持たないように、出生届は出さないことにしたそうだ。でも、今ここには父さんの名前も書かれている。この紙に書かれている薫さんの字は本物で、薫さんから預かった出生届を父さんがずっと持っていたそうだ。これを出して、綺羅々はやっと世の中にその存在が認められることになる」



 智は綺羅々に出生届を差し出し、綺羅々はそれを両手で受け取った。しかし、慎はその出生届を複雑な思いで見つめていた。


 ――薫はどんな想いで出生届を出すことを止めたのだろう。自分一人で育てていくという選択肢を持つことは出来なかったのだろうか。あの日記を見る限り、綺羅々が産まれてからは自分の心情を綴ったページは無かったが、綺羅々に人と違う暮らしを歩ませることについて思うことは無かったのだろうか。


「この出生届、所々滲んでる」

 綺羅々がぽつりと呟いた。確かに、滴が落ちたように所々僅かにくぼんで字がかすんでいる。そしてそれは、新しく出来たものではなく、古い染みのようになっていた。慎には、どうしてもその滴が薫の涙のように思えた。


「薫様は、本当はあなたを普通の子として育てたかったのではないでしょうか」

「慎も、これが綺羅々のお母さんの涙だと思うか?」

「憶測ですが、そんな気がします」


「実は出生届をもらったとき、俺も気になって父さんに聞いてみたんだ。何故、薫さんは自分の子どもを無戸籍にしたのかと。そしたら、元々薫さんは身寄りが無くて、頼れる人が居なかったらしい。それでも、薫さんは綺羅々がお腹の中に居る途中まで割烹料理屋とは別の仕事を探していたが、薫さんだけならともかく、お腹の中に居る子まで面倒を見てくれる人は居なかったと。結局、自宅で出産して、助産師から出生証明書は書いてもらえたが、生きていく上で頼れる人は誰も居なくて、綺羅々を育てるためにひとまずは父さんの言うとおりにした、ということらしい」


 部屋の中に何とも言えない、重苦しい空気が流れた。

 智はぬるくなりかけたコーヒーを一口だけ飲むと、席を立ち、椅子を元の位置に戻した。そして、二人にこう問いかけた。


「……男と女が愛し合うと、こういうことが起きる訳だ。恋や愛なんて、きれい事じゃ済まされない。ただ、綺羅々の出自はともかくとして、これを出せば綺羅々は存在がきちんと公にも認められる。出生届は普通、母親か父親が出さなければならないそうだ。綺羅々が望むのなら、父さんが自分で出しに行く、と言ってる。どうする?」


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