薫の日記
薫の日記は毎日書かれていたが、綺羅々には、特に黄色いラインが引いてある部分が目に留まった。譲治にまつわることが書かれていたからだ。
≪1998年≫
二月十一日
今日もまた、あのお客様が来てくれた。言葉数は少ないけれど、私の料理を美味しい、と言って食べてくれる。いつもカウンターの壁際に一人佇んで、日本酒と何品かつまみを食べて帰って行く。今週は三回も顔を出してくれた。決して、自分からは話しかけてこようとはしない。名前を聞いても良いのかしら。
二月二十一日
(中略)あのお客様は、私が何度か話しかけると、少しずつだけど話してくれるようになって、名前を佐々木譲治と名乗った。
三月二十日
譲治さんは数少ない私の料理屋の、店の常連になってくれた。普段あまり笑わないのに、お酒が少し入ると、時折楽しそうに口許を緩める時があって、そんな譲治さんが、素敵だな、心惹かれてしまう自分が居る。でも、譲治さんの左手には薬指がある。この気持ちは、あまり膨らませないようにしなければ。
四月二十日
譲治さんが来る度に、私は嬉しくなる。ただ、居るだけで、一日がとても充実した気持ちになる。
五月一日
あまり考えたくないことが、現実になろうとしている。私の店は、もうこれ以上やっていくのは難しそうだ。お客様に、なんて言おう。せっかく常連になってくれた譲治さんにも、言わなければならない。もう少し前に来てくれたら、もっと長く一緒に居られたのに。
五月六日
譲治さんに、来月に店が閉まる旨を告げる。すると、譲治さんは店を閉めないで欲しいと言った。私はこれほど自分の店や自分が誰かに必要とされたことが嬉しくて、それでも、自分の気持ちを何とか堪えながら、すみません、と告げるので精一杯だった。
五月二十日
(中略)あれから毎日譲治さんが来る。毎晩、店が閉まるまでずっと居て、そして「閉めないで欲しい」と私に告げる。とても辛い。前は来てくれる度に嬉しかったのに、今では辛い気持ちで一杯だ。
六月一日
譲治さんが、自分の素性を打ち明け、私の店に援助したいと申し出てくれた。嬉しい申し出である反面、親族でも知り合いでもない私が図々しくはい、なんて言えるわけがない。私は断った。
六月十三日
苦しくてたまらない。お店のことも、あの人への想いも。たった数時間でも、二人で過ごす濃密な時間が私を麻痺させていく。どうすれば良いのか、分からない。
七月一日
昨日ほど幸せで、そして不幸だった日があるだろうか。
私は、昨日起こった出来事を、その罪を、一生背負って生きていかなければならない。それでも、必要としてくれている人が居る事実が、たった一人の私の人生の大きな支えになっている。
それに、毎日続けてきたこの日記は、今日で最後にする。もう、今日から私のお店は私のものではなくなったのだから。
≪2000年≫
一月十七日
愛する人との間に子どもが出来たことが分かり、想いを吐き出すために、また日記を書き始めてしまった。正直、どうすれば良いのか迷っている。私は、この子を産むべきなのか、それとも、堕ろすべきなのか。考えれば考えるほど泥沼にはまっていく。
二月一日
私はふと不安になって、今自分の身に起こっていることを、譲治さんに告げてしまった。譲治さんは喜んでくれたが、私は産みたいとも堕ろしたい、とも言えなかった。本当に弱い人間で、そんな自分が嫌になる。
三月十九日
この二ヶ月、私は悩みに悩んで子どもを産むことに決めた。そして、一人で育てていくことも。譲治さんに告げたら、自分が面倒を見ると言ってくれた。でも、そんなこと、お願い出来るわけがない。それでも、あの人は、一度「こう」と決めたら、くつがえせない頑固な人だということも知っている。
四月三十日
せめて一人で育てていくという私に対して、譲治さんはとうとうお店の話を持ち出した。とてもずるいやり方だ。でも、あの時、譲治さんに甘えた時点で、私はどうすることもできない運命になったのだ。愛とは重くてどうしようもない代物。理屈で分かっていても、一度目覚めてしまえば、引き返すことの出来ないもの。
五月十二日
膨らんでいくお腹に、子どもへの想いが募る。親となる者の事情がどうであれ、私はこの子を産んで育てていきたい。譲治さんにいつか捨てられたとしても、私は何をしてでもこの子を育てたい。
六月五日
性別は女の子だと分かる。名前は前から考えていた「綺羅々」に決めた。名前の響き、美しさ、上質な絹糸で作った和服が似合う子どもになってくれたら良いな、と思っている。
八月十七日
店に毎日立つのは難しくなってきた。新しい人を雇い、私は出られる日に出ることにした。譲治さんは時折私の様子を見に来てくれる。不安な気持ちになる時に限って、あの人は来てくれるのだ。
十月八日
いつ産まれてもおかしくない状態だと医師に告げられる。早く、あの子に会いたい。
日付無し(殴り書き)
綺羅々、産まれてきてくれてありがとう。
綺羅々は、そこから先は涙でかすんで読めなかった。ページをめくる度に、胸が苦しくなり、嗚咽が止まらない。2001年からは、自分の成長記録になっていた。ありとあらゆることが、細かく書かれており、沢山の写真が挟まれている。
もう読まなくても、ページをめくるだけで、母の愛が伝わってきた。
しかし、綺羅々が7歳になる頃から、日記は途絶えてしまった、その年は、薫にガンが発覚した時だった。