告げられた父の想い
綺羅々と慎は、智に連れられて、譲治が入院する病院に来ていた。部屋はVIPが泊まる大きな個室で、基本的に面会は厳禁となっていたが、綺羅々と慎だけは特別に面会が許された。
「俺は、ロビーで待ってるから。三人で話をしてきなよ」
智はそう言って、病室の前まで案内した後、踵を翻して戻って行ってしまった。
「……入りましょう」
慎がノックを二回ほどして、自分の名前を名乗ると、中から「どうぞ」という声が聞こえてきた。慎と綺羅々は互いに見つめ合って頷き、そして部屋の中へと足を踏み入れた。
「綺羅々と慎か」
開放的な窓から射し込む太陽に譲治は照らされ、上体を起こした状態でベッドに身体を横たえていた。まだ病気が発覚したばかりということもあり、急激な変化は見られないが、確かに身体はやせ、やつれてきている印象を受けた。表情にも威厳はない。
「お父様……」
綺羅々は弱っている父親に何と言葉を掛けたら良いか分からず、譲治の姿を見て黙り込んでしまった。むしろ、積極的に話しかけたのは普段寡黙な譲治の方だった。
「綺羅々、……綺麗に、なったな」
「!」
「薫に、似てきた」
譲治が手招きをして、綺羅々を呼んだ。綺羅々は、一歩一歩譲治に近づき、ベッドサイドまで歩いて行くと、譲治は綺羅々の頬にそっと手を伸ばした。
「元気そうだ」
「慎のおかげで、元気にやれています」
「そうか……。ありがとうな、慎」
譲治はまだ入り口付近に立つ慎に視線を向け、目で感謝の意を送った。慎は深々と頭を下げた。
「病気のことは聞いているな?」
「はい」
「私はもうそう長くはない。ただ、今までの自分の行いを考えると、十分生きた位だと思う」
「そんな……」
「今日は、二人に伝えたいことがあって呼んだ。慎も、こっちへ来てくれ」
呼ばれた慎もベッドサイドへと赴くと、譲治はテレビ横の引き出しの中から、白い封筒を取り出し、そして慎に差し出した。
「慎。お前はもう気付いているだろうが、お前の父さんが死んだ時に遺産が発生している。相続税の支払いも含めて残った額をお前に返したいと思う」
「……」
慎は、その封筒を受け取ったが、中身は見なかった。おそらく通帳や印鑑類が入っているのだろう。
「幼いお前をだまして、本当にすまない」
「……もう、過ぎたことですので」
慎は睫を伏せ、僅かに首を左右に振った。
「あと、綺羅々、お前にも沢山辛い思いをさせた。本当にすまない」
「お父様、もう死ぬみたいではないですか。そんなこと言わないでください」
綺羅々は動揺して、頬に触れている譲治の手を取った。しかし、譲治はしっかりとした口調で、こう言った。
「もう、誰にも会わないことにしたんだ。智とは必要なやりとりがあるから、何回か合うが、それ以外の者については、挨拶だけ済ませたら、死ぬまでひっそりとここで生きていく。私は孤独に死にたい。だから、お前達に会うのも今日で最後だ」
さすがにこの言葉には慎も綺羅々も驚いた。
「譲治様は相変わらず自分勝手ですね」
慎が皮肉を込めてそう言うと、譲治は自嘲気味に笑った。
「そうだな。自分勝手ついでにもう一つ告げておく。お前達も、もう自由に生きなさい。私は近いうちに死ぬ。そうすれば、もうあの屋敷に縛られる必要も無い。綺羅々、お前が生きていく過程で、出生の事実が明るみに出れば、新しい苦労をさせるかもしれないが、慎が傍に居れば大丈夫だろう。あの屋敷に住み続けるのも、出て行くのも、自由だ」
「でも、私の出生の事実が明らかになれば、お母様や那智様や智様にご迷惑がかかるのでは、ないですか」
「私が死んでしまえば、たいした問題では無い。あったとしても、全ては一時的なもので、それが結城家に永久に打撃を与えることもない。那智は家を離れているし、相手も那智を大事に思っている。私の不貞くらいで離縁するようなこともないだろう。紘子や智には多少迷惑をかけるだろうが、それでも私が居なければ、もう全ては一過性のものになる」
「……」
譲治は、引き出しの中から、日記のようなものを二冊取り出した。
「一冊は、綺羅々の写真が挟んである、薫の日記だ。もう一冊は、私のことを記した小説のようなものだ。これを持って行きなさい。帰ってから見るんだ。小説については、読み終わった後、智に見せても構わない。そこに私の思いが全て綴ってある」
慎が譲治からその二冊を受け取ると、譲治は綺羅々と慎にそれぞれ手を差し出した。綺羅々がまず譲治の手を取ると、その手を離せばもう、永久の別れだということを実感した。寡黙故に、今まで父親だという実感が殆ど無かった譲治に対して、急にこみ上げるものを感じ、瞳からは自然と涙がこぼれ落ちていた。
慎は、譲治の手を握りながら、複雑な思いを抱いていた。決して本当の父親では無かったし、自分をだまして、綺羅々を傷付けて、問題からは逃げた。それでも、いざ譲治が死ぬとなっても、慎は「せいせいした」「死ねば良い」という憎しみの気持ちは自然とわかなかった。その意味を、慎は考えていた。慎にとって譲治の存在というのは、言葉には言い表しがたい、不思議な存在だった。
やがて看護師がやって来て、診察のため、面会終了の旨を告げられた。譲治は慎から手を離し、そして最後に僅かに微笑むと、窓の外に視線を戻して、二人を二度と見なかった。




