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愛を教えて ――包帯の姫君と執事  作者: 歌田うた
第三部:それぞれの結末
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夜空は星のみ輝く

 慎は、綺羅々達が出かけた後、結城家の執事が迎えに来た車に乗って、一足先に結城家へと戻った。

 

 久しぶりの結城家は、相変わらず静かで、しかしその静けさは、空虚さを空気に含んでいた。絨毯を踏みしめると、懐かしい想い出が蘇る。綺羅々と初めてこの屋敷に足を踏み入れた時、綺羅々が泣きながら自分に抱き付いてきた時、紘子や那智にいじめられて心を病んでいく綺羅々を傍で看病している時、綺羅々が居なくなってぽっかりと心に穴が空いた日々を送っていた時、綺羅々が戻ってきた時……。


 全て、綺羅々にまつわる想い出だった。自分には、綺羅々しか居なかった。


 今頃、綺羅々と智は遊園地でどうしているだろうか。綺羅々が外の世界のことを知るのは悪いことでは無い。綺羅々と気持ちが繋がっている慎は、智に対する嫉妬心も殆ど無くなっていた。智が綺羅々に無理矢理何かをするとも思えない。二人が帰ってくるのを迎え入れて、温かい夕食を振る舞おう。


 そう考えながら、久しぶりに再開した他の執事達に挨拶を済ませた。古株の執事は譲治の看病も兼ねて病院に付き添っているため、屋敷には比較的若手の執事が多く残っていた。彼らの手伝いをこなしながら、時間が出来れば結城家を見て回った。



 二人が帰ってきたのは、夕方の六時頃だった。

「おかえりなさいませ。遊園地はいかがでしたか?」

「綺羅々はとても喜んでくれて、俺も驚くほどだったよ」

「初めての遊園地は、刺激的で、また行きたいです」

 智も綺羅々も、笑みを浮かべていたが、その笑顔はどことなくぎこちなかった。慎は二人のコートを預かり、共に迎えに出た若い執事にコートを手渡した。若い執事は恭しく頭を下げるとコートをしまいに、その場を立ち去っていった。

「それは良かった。お食事の用意は出来ております。いかがなさいますか?」

「そうだな、食べようか」


 綺羅々と智は目を合わせ、頷いた。慎は二人を部屋へと連れて行き、他の執事に呼びかけて、夕食の準備を始めた。しばらくすると紘子が現れ、綺羅々と慎を一瞥して、「あら」と一言述べた後、何事も無かったかのようにいつもの席に着いた。

 譲治と那智の椅子には、譲治も那智も座っていない。ぽつりと空白が出来た歪な食卓に、食事が並べられていき、そして夕食が始まった。智も紘子も黙々と食事を食べている。綺羅々は、何か思い詰めたような表情で、食事を食べながらも、時折天井を見ながら、何か物思いに耽っているようだった。


 慎は、かつての食卓を思い出した。譲治を中心に、紘子、慎、那智、綺羅々がそろって、黙って食事を食べている。時折綺羅々がテーブルマナーを間違えると、譲治が一言注意をし、綺羅々が緊張した面持ちで直す。譲治が居ると、静まりかえっているにも関わらず、不思議と食卓には一体感出て、結城家がまとまっている印象を与えた。

 しかし、今の食卓では三人ともバラバラに食事を取っている。同じ食卓に居ながらも、別々に食事を食べている。空虚な食卓だと、慎は思った。


 三十分もすれば、食事は殆ど終わり、デザートの時間になった。すると、智は立ち上がり、慎の所まで歩いてきて、「少し良いかな」と扉の外を指した。綺羅々と紘子はその様子に反応して智を見たが、紘子はすぐに関心が無くなったようだった。一方の綺羅々は、不安げに二人を見つめている。

「デザートはよろしいのですか」

「ああ、遊園地で甘いものを食べてきてしまってね」

 智に促されるまま、慎は外へと出た。後のことは他の執事がやってくれるはずだ。

 また、例のバルコニーに連れてこられた。慎にとって、ここには良い想い出が無い。冬の寒い風が吹き付け、空には星だけが綺麗に輝いている。月は天上には無かった。


「今日、綺羅々に告白してきたよ」

 智が、バルコニーの柵に手を掛け、慎の顔を見ずにぽつりと呟いた。慎は、黙って智の言葉を待っていた。

「駄目だった。もう、お手上げさ」

「智様……」

「結局、俺は、綺羅々にとって異性じゃ無かった。兄という言葉さえ、仮初めのものだ。正直、妹としてみれば、那智の方が可愛いと思ってる。綺羅々も俺もただの他人、それ以上になれなかったんだ」

 智の表情は見えないが、少し丸めた背中からは哀しさが伝わってくる。


「俺には何が足りなかったんだろうな。結城家という人間でなければ良かったんだろうか、それとも、俺が執事になれば良かったんだろうか」

「……私も綺羅々様も、世間から切り離されてしまった孤独な人間です。智様とは違う世界に居ます」

「俺だって孤独な人間だ。父さんと母さんの仲は悪いし、父さんは愛人をつくった。小さい時は将来、こんなに大きな家を継ぐのか、と誇りに思っていたのに、大きくなればなるほど怖くなっていく。もっと自由に生きられたら、と思うよ。結局好きな人にも振り向いてもらえなかったしな」


「もし、私の両親が死なずに、私が執事になっていなければ、智様がきっと綺羅々様の支えになっていたのではないでしょうか。」


 その言葉に智は、慎の方を振り向いて、慎の目を見据えた。二人は、数秒間、見つめ合った。言葉に出さなくても分かる想いを視線に込めて。


 やがて智は慎の前まで歩いていくと、手を差し出した。慎は、その手を握り、二人は短い握手を交わした。智の瞳には薄い涙の膜が張っていた。慎は、その瞳を見て「もし自分が智だったら」という想いが脳裏に過ぎり、胸が締め付けられた。


 ――俺だって孤独な人間だ。父さんと母さんの仲は悪いし、父さんは愛人をつくった。小さい時は将来、こんなに大きな家を継ぐのか、と誇りに思っていたのに、大きくなればなるほど怖くなっていく。もっと自由に生きられたら、と思うよ。結局好きな人にも振り向いてもらえなかったしな。


 智が手を離して慎の横を通り過ぎ、バルコニーから出ていっても、慎はしばらくその場に立ち尽くし、月の無い星をしばらく見上げ続けた。


 智もまた、孤独で、そして人生を定められた人間だったのだ。おそらくは、那智も。

 そして、人生に「たられば」はない。自分は執事になる運命で、綺羅々と出会う運命だった。

 天涯孤独の自分に唯一与えられた大切なものが、綺羅々だった。

 無性に綺羅々が恋しくなったが、それでも、慎は、空を見続けた。

 若い執事が通り過ぎ、慎に呼びかけるまで、ずっとそうしていた。


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