裁縫
散歩を終え、玄関に戻ってくることには、すっかり日が暮れていた。冬の日没は早い。まだ5時半だと言うのに、唯一玄関の前について居る暖色の明かりだけがこの家を訪ねてくる者の標になる程の闇に包まれていた。
「ノースポールにウィンターコスモス、スイートアリッサム。色々な花を慎は植えてくれていたのね」
綺羅々はコートとマフラーを脱ぎながら、綺麗に咲く花々の名前を呟き、そして頭の中で名前と花の特徴を一致させるように思い出していった。
「綺羅々様が花の名前にも興味を持ってくださるとは、執事としても嬉しいです」
慎はすかさず綺羅々が脱いだコートとマフラーを持ち、クロークルームへと入った。一分も経たないうちにコートを脱いで慎は、いつもの執事の格好に戻っていた。
「そういえば、花は綺麗だと思っていたけれど、名前にまで関心を持ったことはなかったわ」
「春になれば、また春の花を庭に咲かせようと思っています。夏には夏の花、秋には秋の花を。綺羅々様に喜んでいただけるよう、私も花のことをもっと勉強しておきますね」
「ありがとう。私も、もっと花のことを知りたいわ。きっと部屋に花の図鑑があるはずだから、見ておこうかしら」
「良いですね。差し支えなければ、一緒に読みましょう」
他愛のない会話をしながら二人が部屋へと戻ると、暖かい空気が冷え切った身体を優しく包んでくれた。この屋敷の明かりは全て暖色で統一されている。綺羅々の部屋の明かりも、暖色系の優しい色合いである。冬の寒さには、特にこの明かりの色が身に沁みて暖かく感じるのだった。
「さて、夕食は何時頃に致しましょうか」
「そうね、さっきサンドイッチを食べたばかりだから、7時半位で良いわ」
「何か、食べたいものはございますか?」
「昨晩は和食だったから、今日は洋食が良いわ」
「かしこまりました。それでは、私は一旦、執事の仕事に戻らせていただきますね」
そう言うと慎は、あっという間に「執事」の顔に戻って、頭を下げ、部屋に入ったばかりなのに、早々に綺羅々の部屋を後にした。
綺羅々は一人取り残されても、暇を潰せるものは沢山あった。この部屋には色々なものがそろっている。古今東西の本、図鑑、クラシックのレコード、レコード盤、ダーツ――これは全て代々の結城家の当主が集めてきたものである。
しかし、綺羅々はどれも手に取らなかった。
なぜなら、綺羅々は今、「裁縫」にはまっていたからである。
この別邸に来た時、綺羅々は世間のことを殆ど何も知らない少女だった。基礎的な読み書きは当然できるが、同年齢の少年少女に比べれば学力は良いとは言えなかったし、女子らしい趣味も持っていなかった。ただ、生活するには困らなかったので、綺羅々はあまり気に留めていなかった。
それでも、この別邸のある部屋で「裁縫箱」を見つけ、その中身を覗くと、急に遠い過去の記憶、薫が何かを編んでいることを思い出し、綺羅々はそれに惹き付けられた。自由になった途端、綺羅々の好奇心は旺盛になっていた。早速慎に道具の意味や使い方を問い、簡単に裁縫の仕方を教えてもらった。慎は綺羅々が想像している以上に、何でも出来る優秀な執事だった。
実際にやってみると、地味だが一つ一つできあがっていく過程が、綺羅々を興奮させた。少しずつ進歩していく自分と裁縫を重ね合わせ、裁縫箱の中に余っていた布でコースターを作ってみた。片目で裁縫をするのはやりづらく、一人で居る時は眼帯を取って裁縫に熱中した。そのコースターの出来映えはお世辞にも上手とは言えない出来であったが、かえってそれは綺羅々を刺激した。もっと作ってみたい、もっと上手くなりたい、と。
次に何を作ろうか思案していると、綺羅々は自分が読んでいた本に挟んでいるしおりに目がとまった。そして、何か余った布でしおりを作れないかと考えた。慎には内緒で、自分が着なくなった緑色のワンピースの裾を大胆にはさみで切り取り、そして悪戦苦闘しながらしおりを作ることにした。そして、しおりは1つではなく、2つ作り、1つを感謝の気持ちを込めて慎にプレゼントするつもりだった。
慎に見つからないようにするために、慎が夕食の準備をしている間など、比較的長く時間を空ける時に、綺羅々はしおり作りを行っていた。それ故、本やレコードには目もくれず、部屋の奥のレコード盤付近に置いてあるパーソナルチェアーに腰を掛け、黙々と作業をした。
数週間前から悪戦苦闘しながら作ったしおりは、既に殆ど完成していた。相変わらず綺麗な縫い目とは行かなかったが、それでもコースターを作った時よりは大分上達していた。最後の仕上げに熱中しながら、今日の夕食の後には、慎に渡せると思い、綺羅々は嬉しくなった。まさか、告白されたその日に、このしおりを渡すことが出来るとは、何という偶然なのかと。
綺羅々は、慎がどんな顔をしてくれるか、その表情が楽しみだった。執事として喜んでくれるのか、それとも、想い人として喜んでくれるのか――。
しおりが完成したのは、7時より少し前だった。あと30分、どうせなら何かもう1つ工夫できないかと思い、ふと、思いついた刺繍に、綺羅々は無謀にも挑戦することにした。慎は必ず時間通りに食事を運んでくる。なんとしてでも30分で完成させなければ。綺羅々は縫うペースを速めて、慎のために刺繍を入れた。下手でも、気持ちを伝えたい、その一心で、縫っていったのだった。




