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愛を教えて ――包帯の姫君と執事  作者: 歌田うた
第二部:安住の地へ
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珈琲

 ようやく席に着き、綺羅々は昼食のサンドイッチを手に取って、頬張った。それは、食パンを切り取ってバターを塗り、ゆで卵をサンドイッチで和えた具材と、ハム、レタスを挟んだシンプルなサンドイッチだったが、今まで最寄りも一番美味しく感じられた。

「……美味しい、とても」

 サンドイッチを頬張る度、綺羅々の胸の中には温かいものが広がっていく。今まで食べたサンドイッチとはまるで違う味に感じられるのが不思議で、綺羅々は、何度もそのサンドイッチの味をかみしめるように、ゆっくりと咀嚼した。

 傍では、慎が優しい眼差しで綺羅々を見守っている。慎も、自分を包む空気、綺羅々の放つ空気が、温かく感じた。想いが通じ合っただけで、こんなにも部屋を包む空気感が変わるのか、と感じずには居られなかった。

 二つあるサンドイッチを、綺羅々はたっぷりと時間を掛けて食べた。たった二つなのに、手早く食べるのがもったいなく感じた。慎は綺羅々が時間を掛けて食べても、文句一つ言わなかった。綺羅々が、サンドイッチを味わっているのだと思うと、かえって嬉しかった。


「ごちそうさま」

 やがて綺羅々が昼食を食べ終えると、傍に置いてあるミネラルウォーターを一口だけ口に含んだ。

「コーヒーか、紅茶は、いかがですか?」

「そうね、コーヒーをお願いできるかしら」

「かしこまりました」

 すかさず慎は皿を配膳用のカートに乗せ、そして、綺羅々の部屋の片隅にある手挽きのコーヒーミルと、棚にしまってあったガラス瓶の中から豆を適量入れて、挽き始めた。結城家ではコーヒーを飲む時は、きちんと豆から挽く。結城家にはサイフォンなど本格的な道具がそろっているが、別邸には唯一、数種類のコーヒー豆とコーヒーミルだけが高価な代物だった。

「良い匂い。紅茶も良いけれど、コーヒー豆のこの匂いは、心を落ち着かせてくれるわね」


 綺羅々は、別邸に来てからコーヒーを飲むようになった。結城家では一度飲んだことがあったものの、独特の苦みのあるコーヒーを飲んでしまい、それ以来敬遠していた。それ以来、紅茶ばかり飲んでいたが、別邸に手挽きのコーヒーミルがあることを知ると、最初はそれが何か分からずに関心を示した。試しに慎が飲みやすいコーヒー豆を選び、豆を挽いてやると、綺羅々はたちまちコーヒーミルの虜になった。豆を挽くと良い匂いがする。豆を挽き終わると慎はサーバーにドリッパーとペーパーフィルターをセットし、豆を入れ、お湯で蒸らしてからゆっくりと注いだ。ポタポタとサーバーへと滴っていくコーヒーが、新鮮で、面白かった。


 飲みやすいからと進められ、少しだけ口をつけると、そのコーヒーは本当に飲みやすかった。コーヒー豆にも色々な種類があり、苦みの強いものあれば、まろやかな口当たりのものあると慎に教えられ、以来、綺羅々は紅茶だけでなく、時折コーヒーも愛飲するようになったのだった。


 コーヒーミルを挽く音だけが、静かに部屋の中に響き渡る。綺羅々は窓の外を眺めた。綺麗に手入れされた庭、高い壁の向こうに見える森の木々、ここは本当に二人だけのための空間だった。譲治が数ある別邸の中から綺羅々を移す別邸を選んでいる時、綺羅々はできるだけ自然が豊かなところが良い、と言った。この別邸は、本当に綺羅々にとっては自分がのびのびと出来る、最適な環境だった。たとえ、別邸が壁に囲まれていたとしても、外に出れば小鳥のさえずりが聞こえ、新鮮な森の空気が体内に取り込まれる。おまけに、自分が最も信頼している慎と、二人で暮らすことが出来る。


 綺羅々は、コーヒーミルで豆を挽き終わり、ペーパーを敷いたドリッパーに挽いた豆をセットする慎に視線を移した。自分の保護者のような、あるいは同士のような、何とも言いがたい絆で結ばれていた慎が、今、自分と想い合っている。それは恥ずかしくてむずむずするが、でも考えると気持ちが温かくなった。綺羅々は立ち上がり、コーヒー専用のケトルでお湯を沸かす慎の傍まで歩いて行った。


「いかがなさいましたか、綺羅々様」

「私、自分でコーヒーを入れてみたい」

 その言葉を聞いて、慎は口許を僅かに緩めた。

「良いですよ。でも火傷するといけませんから、私が一緒に持ちます」

「お湯くらい、入れられるわ」

「綺羅々様は危なっかしいですから、最初は私と一緒に」

 綺羅々はふてくされて唇を尖らせたが、慎に言われるがままうなずいた。そして沸騰したケトルの取手を綺羅々が持ち、その上から手袋をはめた慎の手が重なった。

「こうして、少しだけ注いで蒸らします」

 慎は綺羅々の手を上手く誘導して、ドリッパーに、繊細な加減でお湯を注いだ。コーヒー豆が蒸れる良い匂いが立ち上る。そのまま二十秒ほど待つと、慎はまた綺羅々の手をそっと動かして、コーヒーを抽出し始めた。

「こうやって、『の』字を書きながら、真上から注ぐんですよ」

 慎が手を動かす度に、サーバーに、コーヒーが滴っていく。じっとその様子を見ながら、慎の手の温もりも感じていた。

「こうして、いつも綺羅々様にコーヒーを作って差し上げていたのですよ」


 慎とこんな風に過ごせるのは、至極幸せなことだと、改めて綺羅々は思った。


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