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包帯

 美味しそうな出汁の匂いで、綺羅々は目を覚ました。あの時、慎の腕の中で眠りについてから、二時間ほどが経っていた。

 身体は依然として重だるさを抱えていたが、ざわざわとした胸騒ぎは消え、綺羅々は身体を起こし、大きく深呼吸をした。


 慎はベッド脇にある窓際のテーブルに、配膳用のカートを寄せ、蓋付きの土鍋を置いていた。綺羅々が起きた様子に気付くと、その手を一瞬止めて、

「目が覚めたようですね。ちょうど、お食事の用意が調いそうなところでした」

 とお辞儀をした。美味しそうな出汁の匂いは、あの土鍋から漂ってきているようだ。

「この匂いは……雑炊?」

「ええ、綺羅々様は具合が悪そうでしたので、森の中で採れた山菜を使って雑炊を作りました」

 慎は木製のレンゲを土鍋の前に置き、温かいほうじ茶を淹れた茶碗を机の上に置いた。そして、配膳が終わると、綺羅々の傍までやってきて、深紅のガウンを再び綺羅々の肩にかけた。

「ご飯の準備が整いました。お召し上がりになりますか?」

「ありがとう、そうするわ」


 綺羅々はガウンを羽織り、室内履きを履いて窓の傍のテーブルの席に腰をかけた。外では小鳥のさえずりが聞こえ、綺麗な花が咲いた庭が見える。ここからは見えないが家を一歩出ると、外は森が続いている。空を見上げると、曇り一つない快晴だった。

 綺羅々が席に着いたことを確認すると、慎は土鍋の蓋を開けた。湯気が立ち上り、一層濃い出汁の匂いが綺羅々の鼻をかすめる。キノコや山菜を使った雑炊は、見栄えも美しく、思わず目を細めた。

「慎は花の手入れにしても、料理にしても、何でも美しくできるのね」

 美しい、それは慎の仕事の流儀と言っても良い。綺羅々の腕や脚に巻かれた包帯の巻き方も美しかった。慎は、丁寧に、時間をかけて、綺羅々の包帯を取り替える。

「恐縮です。お食事が終わったら、包帯も取り替えましょう」

「ええ、そうね」

 綺羅々は短く返事をし、木製のレンゲで雑炊を掬い、何度か息を吹きかけた後、口に頬張った。丁寧に取られた出汁の味が、口内に広がり、その後、山菜の味がゆっくりと追いかけてくる。何度か咀嚼してゆっくりと嚥下すると、身体がじんわりと温まっていくのを感じた。

「美味しい。慎に雑炊を作らせたら世界一だわ」

「買いかぶりすぎです、綺羅々様」

 そう言うと、慎はすっと引き下がった。綺羅々は、時折窓の外の花を眺めながら、三十分ほど時間をかけてゆっくりと食べ終わった。慎は、綺羅々が食事を終えるまで、綺羅々の少し斜め後ろでずっと見守っていた。


「ありがとう。ごちそうさま」

 綺羅々が雑炊を食べ終え、レンゲを置くと、慎が配膳用のカートを押して片付け始めた。

「何かお飲み物は?」

「いいえ、要らないわ」

 綺羅々はただただ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 ――結城家は代々大地主の名家であり、その名を知らぬ者はいない。現在の結城家の本家は六十歳になる父親の譲治(じょうじ)、五十五歳になる母親の紘子(ひろこ)、三十歳になる兄の(さとし)、二十五歳になる姉の那智(なち)、十八歳になる綺羅々の五人家族だ。しかし、厳密に言えば綺羅々は本家の人間ではない。綺羅々は譲治が大切にしていた愛人の子であり、愛人が病気で亡くなってしまったために、哀れに思った綺羅々を譲治が引き取り、世間の目を忍んで育てることにしたのだった。


 しかし、愛人の子となれば本妻は面白くない。特に紘子、那智からの風当たりは辛く、綺羅々は段々と精神を病んでいった。そしていつしか自傷癖が始まり、十八歳になる頃、譲治の許可を得て別邸で暮らすこととなった。


 一方の慎は、譲治の兄である譲一(じょういち)の一人息子だ。本来譲治が分家になるはずであったが、兄の譲一は身体が弱く、結果的に継ぐことができないまま二十年前に亡くなってしまった。慎の母親も、不慮の事故でこの世を去り、慎は幼くして天涯孤独の身となった。譲治は結城家を支える影の役割を担わせようと慎を引き取り、そして二十歳になると「執事」として職を与えた。精神不安定になった綺羅々の面倒を慎に命じたのもその一環である。

 綺羅々は現在十八歳、慎は現在二十九歳である。この屋敷で慎は綺羅々の世話や雑用を一手に担い、毎日二人で過ごしているのだった。


「どうかなさいましたか」

 ぼんやりと外を眺める綺羅々に、慎が穏やかな声で問いかけた。

「いいえ、なんでもない。食事を下げ終わったら、早速、包帯の取り替えを、お願いね」

 綺羅々は席を立ち、深紅の天蓋ベッドに横たわった。綺羅々は赤色が好きで、ネグリジェ以外は洋服も小物も好んで赤い物を身につける。

「かしこまりました」

 慎は食器を全て配膳カートに乗せ、綺羅々の部屋から静かに出て行った。そして、十分も経たないうちに綺羅々の部屋をノックする音が聞こえた。慎の仕事ぶりは譲治も認めるほど早い。


「どうぞ」

「失礼します」

 軽くお辞儀をした慎は包帯のセットを右手に持っている。そのまま綺羅々のベッドまで歩いてくると、右足を下に跪いた。

「さて、取り替えましょう」

 綺羅々は身体を起こし、ネグリジェを脱いだ。ネグリジェの下は、純白のブラジャーとショーツ、包帯以外は何も身につけていない。慎が跪く方へ腰をかけ、まずは右足を出した。

「そのまま右足の膝をお立てください、綺羅々様」

 綺羅々は左脚をベッドの外に投げ出したまま、右膝をベッドの上に立てた。包帯を変える時の慎の瞳は、いつもどこか恍惚に濡れている。足の甲からゆっくりと包帯をほどいていくと、所々柔らかく白い肌に痛々しい傷の痕がついている。慎はその傷を一つ一つ眺めながら、綺羅々の太ももの上まで巻かれている包帯を全てほどいていった。

「綺羅々様の脚は、本当にお美しいですね」

 慎の手のひらが、ゆっくりと足の甲から太ももにそって上がっていく。綺羅々は背筋がぞくりとして、熱い吐息を吐くも、いつも慎は太ももで手を止め、そして、新しい包帯を規則正しく乱れのないように巻いていく。足の甲まで巻くと、今度は左脚も同じように包帯をほどき、手で撫で、そして新しい包帯を巻いていく。両手の包帯も同じだ。


 慎はいつも傷口をそっと撫でるが、それ以上のことはしない。ただ、目つきだけは、美しい獣のように、澄んでいて、何かをじっと狙っている、そんな眼差しをする。その時、いつも綺羅々は慎が男だと言うことを実感する。私は、この男がその気になれば、何だってされてしまうのだと、突きつけられる時間でもあった。


 慎は最後に眼帯を右目に掛け、ワインレッドのワンピースを綺羅々の頭にかぶせると、袖まで通してやり、綺羅々の着替えも完成した。

「ありがとう」

 綺羅々が微笑むと、慎はいつもの穏やかな表情の執事の顔に戻る。

「いえ、どういたしまして」


 こうして、綺羅々は、当たり前の日常をいつものように享受しながら、今日も慎と二人きりの生活が始まった。


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