第一話 さよなら『わたし』
アイドルを引退することになった。人気が出なかったのが一番の理由だけれど、根本的なところを言えば、自分自身が『アイドルである自分』に限界を感じていたからだ。
アイドルという存在は好きだ。笑顔と歌声でファンに元気を与えてくれる、甘くて、一口食べるだけで幸せになれるケーキのような存在。私も誰かにとってのそんな一人になりたかった。けれど、現実はそう甘くはなかった。
鏡の前で、ラムネソーダのような水色の髪を二つのお団子にまとめ、お揃いの水色のカラコンを入れる。メイクさんに魔法のような化粧を施してもらい、お団子には生クリームのように白いリボンを飾り付けた。同じ色のリボンのイヤリングが、動くたびに耳元で揺れる。フリルをふんだんにあしらった可愛らしい衣装に袖を通し、鏡の自分に向かってとびきりの笑顔を作ってみせる。アイドルの『小林 詩羽』は、こうして出来上がる。
そして、この姿になるのは今日が最後だ。今日はアイドル『小林 詩羽』のラストステージ。ファンの皆には既に引退を告知しており、様々な反応をもらっていた。引退後の生活を応援してくれる人、引退しないでと悲しんでくれる人。SNSや手紙の言葉を一つ一つ丁寧に読んでいくと、自然と目頭が熱くなった。皮肉なことに、今日のライブのチケットの売り上げは今までで一番だった。アイドルとしての私の最期を、これだけ多くの人が見届けようとしてくれているのだ。私は両手で自分の頬をぱちん、と挟み、気合を入れる。
「よし、『小林 詩羽』! 最後まで全力で頑張るぞ!」
最後の曲が終わり、私はステージの中央でマイクを両手で強く握りしめた。熱を持ったスポットライトが、私だけを明るく照らし出している。ついに、この時が来てしまった。ごくりと乾いた喉を鳴らし、ゆっくりと口を開く。
「十五歳からアイドル活動を始めて、今日で丁度十年が経ちました。皆さんにはもうお伝えしていましたが、本日で私、小林 詩羽はアイドルを卒業します。……最後の日に、こんなにたくさんの方が会場に集まってくれて、本当に嬉しいです。ありがとうございます!」
客席から向けられる真剣な視線を、一身に受け止める。これまでの苦労や喜び、様々な思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、私はグッと涙を堪えて言葉を紡いだ。
「卒業を決めた時、『頑張ってね』『応援してるよ』と温かい声をかけてくださったファンの皆さん、どうもありがとう。そして、『うたたん、卒業しないで』と一緒に泣いてくれた皆さんも、ありがとうございます。私はこんなにも皆さんに愛されていたんだなって、改めて実感することができました」
限界だった。泣かないと決めていたのに、ポロポロと涙が頬を伝い落ちる。すると、客席から私を包み込むように、たくさんの温かい歓声が沸き起こった。「うたたん、ありがとう!」「ずっと大好きだよ!」という声に背中を押され、私は泣きながら笑っていた。
「今日、たくさんの方に見守られながら卒業できることを、本当に嬉しく思います。最後になりますが、私に出会ってくれてありがとうございます! この十年間、たくさんの声援と、そして愛を……本当にありがとうございました!」
割れんばかりの拍手と、ひときわ大きな歓声が上がる。私は深く、深く頭を下げて、そのままステージを後にした。この眩しい場所に立つことは、もう二度とないだろう。煌びやかだったスポットライトが消え、終演のアナウンスが流れると、ファンの皆がそれぞれの家路を目指して歩き出した。私は舞台裏の幕の隙間から、こっそりとその様子を見つめていた。
顔を覆って泣き崩れているファンや、満足そうに笑みを浮かべて語り合うファン。反応は本当に人それぞれだ。背後では、すでに無機質なステージの片づけ作業が始まっていた。
これで、アイドルの私は終わったんだ。さよなら、『小林 詩羽』。私は胸の内でアイドルの自分に静かに別れを告げると、スタッフさんたちの片づけ作業を手伝うために歩き出した。
つづく




