エピローグ
陽南水耕学院を取り巻く騒動が収束して数週間が経った。
学院全体を覆っていた生臭い匂いは、今ではほとんど感じられない。
試験栽培棟の跡地は、巨大な重機によって根こそぎ掘り起こされ、残された巨大な穴は、分厚いコンクリートと特殊な合金の層で厳重に封鎖された。
上空から見れば、かつて最先端を誇った研究棟があった場所は、ただの不自然な空白地帯と化していた。
その作業を指揮したのは、あの「専門家」と名乗るグループだった。彼らは学院長と密かに協議を重ねた後、任務を終えると、まるで幻のように姿を消した。
彼らが何者で、この深淵の主についてどれほどの知識を持っていたのか、その全貌は学院長ですら掴みきれていないようだった。ただ、彼らの残した言葉は、学院長の心を深く蝕んでいた。
「これは、始まりに過ぎません。目覚めは、止められない……」
学院は、事件の真相を隠蔽するため、あらゆる手を尽くした。
生徒たちには「大規模なシステム障害とそれに伴う複合的なガス漏れ事故」という説明がなされ、詳細については口外しないよう厳しく指導された。
しかし、心の奥底で、あの夜の出来事が現実だったことを知る者は、確かに存在した。
彼らは、漠然とした恐怖を抱えたまま、それぞれが抱える秘密と共に、日常へと戻っていった。
リツコは、退院後すぐに学院に戻った。
彼女は、事件のショックから完全に立ち直ったようには見えなかったが、持ち前の明るさで、混乱する生徒たちの心を支えようと奔走した。
生徒会副会長としての職務を全うし、学園の復興に尽力する彼女の姿は、多くの生徒にとって、希望の光だった。
しかし、夜な夜な、彼女は自室の窓辺に座り、あの小茄子の芽を眺める。アキラが残した、あの小さな希望。
そして、彼女の心に響く、微かな「サイン」。
それは、彼女を深淵の底へと誘う声ではなく、むしろ、アキラが生きて、どこかで戦っていることを告げる、確かな鼓動のように感じられた。
タカシは、奇跡的な回復を見せた。
医務室から外部の病院へと移送された彼は、数週間後には意識を取り戻し、身体的な異常は一切見られなくなった。
しかし、彼の瞳には、以前のような劣等感は消え、代わりに、あの夜の出来事が刻み込まれたかのような、深い影が宿っていた。
彼は多くを語らなかったが、時折、ぼんやりと窓の外を見つめ、「アキラ……」と呟くことがあったという。
彼にとって、アキラは自分を救い、そしてあの悍ましい存在から学院を守ってくれた、唯一無二の存在だった。
タカシの心には、アキラへの深い感謝と、そして、彼に起こった悲劇に対する、拭い去れない罪悪感が残されていた。彼は、アキラがどこかで生きていると信じ、その手がかりを求めて、人知れず学院の古い書物を読み漁り続けることとなる。
学院長は、事件後、急速に老け込んだようだった。
彼は、あの「専門家」たちが残した言葉の重みを、誰よりも深く理解していた。
地下に眠る「深淵の主」は、一時的に封じられたに過ぎない。
いつか、再び目覚める日が来ることを、彼は知っていた。
そして、アキラという、深淵の主の「血」を引く者が
その目覚めを止めたという事実も。
学院長は、アキラがどこかで生きていると信じ
密かにその行方を探るための「備え」を進めていた。
それは、将来、再び深淵の主が目覚めた時
アキラの力を借りるためなのか
それとも、別の目的があるのかは、誰にも分からなかった…。




