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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第三章 永訣の火

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第六十七話 独りの戦い ―"You should be mine."―

 簡易ベッドの上で寝袋にくるまるカナタは、薄暗い天井をぼんやりと見上げていた。

 目を閉じると余計なことばかり考えてしまう気がして、眠れなかった。

 ただ無心で、港から薄らと聞こえてくる波の音を聞く。先程まで凪いでいた海は徐々に荒れ始め、その波の音も強まっていた。

 ガタッ、とふと割り込むのは、休憩室のドアが開く音だった。

 身じろぎしてその方向へ視線をやると、そこにはマナカがいた。


「……ま、マナカ、さん」


 どこに行っていたのだろう。少年がそう聞こうとしているのを察したのか、彼女は先んじて答える。


「少し、外を歩いてたの。ずっと戦闘機かコックピットの中だったから、風を浴びたくて」


 カナタは率直に「そういう人もいるんだ」と思った。

 元ひきこもりの少年は屋内に居続けても特に何も違和感を覚えないたちだったので、マナカのその言葉は新鮮に感じた。

 自分のベッドへ腰掛け、手元のスマホの光を頼りに鞄をまさぐるマナカ。ごそごそと着替えだす彼女から目を逸らして、カナタは言った。


「……きょ、今日は、ごめん。ぼ、僕、【機動天使プシュコマキア】のパイロットとしてやるべきことをやれなかった。そ、そのために、きっ君に無茶な戦い方をさせてしまった」


 自分のせい。自分が悪い。少年は当たり前にそう思っているようだった。

 マナカの皮を被っている少女は彼を理解できなかった。馬鹿なんじゃないか、と吐き捨てたくてたまらなかった。

 それでも何も言わなかったのは、彼女が少年への接し方を測りかねているからだ。

 沈黙の時間が緩やかに流れていく。カナタは身じろぎを繰り返した。


「……ねえ、カナタ」

「あ……よ、呼び捨て……?」


 呼び方の変化を些細なものとして切り捨てられるほど、少年は無神経ではなかった。

 そんな彼に対し、マオはぶっきらぼうに返す。


「何か文句でもある?」

「いっ、いや、ないけど……」

「だったらいいじゃない」


 彼女の棘のある口調にカナタは違和感を抱いた。地上を初めて見てからマナカの口数は減ってはいたが、それを抜きにしても変だ、と彼は思う。

 マナカはそこにいるはずなのに、いないような――マナカの姿をした別の何かがいるような、そんな感じがするのだ。


「……ねえ、カナタ。ちょっとこっち来なさいよ」

「え……?」

「いいから。あたしのベッドまで来て」


 カナタは戸惑いながらも彼女に従う。

 何かがズレた感覚が拭い去れないでいる少年は少女に手を引かれ、彼女の胸の中へと倒れ込んだ。


「あっ……!?」

「随分とぼんやりしてんのね、あんた」


 カナタと話している間着替えの手を止めていたらしく、今の少女は下着だけを纏った姿だった。

 触れる白く滑らかな肌にカナタは顔を赤らめる。

 マオはその初心な反応にくすりと笑みをこぼし、彼に顔を上げるよう言った。

 そして、その唇を奪う。乾燥した気候にあっても湿り気を保っている柔らかい感触に、マオは顔をしかめた。

 あの温泉宿でキスした後、マナカは唇が荒れ気味のカナタへリップクリームを持たせていたのだ。


(あの女のものを使わないで。あの女なんて見ないで。あんたはあたしのものになればいい)


 マナカはマオが得るべき幸せを奪った。マオの辛さを代わりに受けるはずだった彼女は、「上手くいきすぎた」のだ。これまでマオが願っても得られなかったものをマナカは手に入れた。仲間も、恋人も、SAMという力も、全て。

 こんなはずではなかった。瀬那マナカはマオよりももっと不幸にならなくてはいけなかった。しかしマナカは、その運命をいとも簡単に覆した。性格が明るくなっただけで、これまでのしがらみから解放されただけで、マナカはまるでマオの「全てをなかったことにした」ように幸せを掴んだ。

 ――そんなこと、許されるわけがない。


「ほら、舌出して。あたしがくしてあげるから」


 だからカナタを奪う。マナカとの『契約者』にして恋人である彼を、マオの色に染め上げる。

 それがマオのマナカへの復讐だ。逆恨みだとなじられたって構わない。父という呪縛から解き放たれ、力を手にした彼女は思うがままに振舞おうと決めていた。


「だっ、ダメだよ、マナカさんっ……い、今は就寝時間とはいえ、さ、作戦中……」

「真面目なのね。長引かなけりゃ問題ないでしょ?」


 マオは少年の手を取り、あらわにした自身の胸に誘おうとする。

 だが彼は何かに怯えたように反射的にマオの手を振りほどき、よろけながら後ずさりして彼女から距離を取った。

 少年の記憶にある母親からの行為、そのトラウマによる拒絶だった。だが彼の過去を知らないマオにとって、その拒否は侮辱に等しかった。

 今までの人生で、彼女は女の価値は肉体にしかないのだという歪んだ価値観を植えつけられている。マナカに許容した肉体関係を彼は断った――この事実はそのまま、彼女の中ではマオよりもマナカのほうが彼に価値を認められたという意味になった。


「何よ……あんたは、あたしじゃダメだっていうの!?」

「そ、そういう意味じゃないよ。たっ、ただ、今は相応しくないってだけで……」

「そんなの知ったこっちゃないわよ! あんたはあたしのものになればいい! あたしの身体にたらし込まれて骨抜きになっちゃえばいいの!」


 無意識のうちに彼女は声を荒らげ、隠匿すべき本音をぶちまけていた。

 少年は驚愕に硬直する。それは彼の知る「瀬那マナカ」の言動とはかけ離れたものだった。確かにマナカは性的なことに対してカナタよりも積極的だったものの、このように攻撃的ではなかった。

『同化現象』か、あるいは【異形】の影響か――もしくはその両方か。マオという人格の存在を知らないカナタは、彼女の変化をそのように捉えた。


(昼間僕に起こった異常が、彼女に取り付いている【異形】によるものだった? 信じたくなんかないけど、その可能性が否定しきれないなら、僕はどうすればいい……?)


 カグヤはカナタに噛み付くことで彼の体内から『見えざる者』を自身へと移した。

『力』を発現させたカナタは、【異形】を喰らうことでその能力を奪った。

「喰らう」ことが力の移動の鍵になっているのは確実だろう。先日の温泉宿の夜の失敗の原因、それさえ分かれば解決の糸口が掴めるかもしれないが――

 ノックと共に外から投げかけられた声に、彼は思考を中断せざるを得なかった。


「何か大声が聞こえたが、どうしたのだ? 君たちには就寝が命じられているはずだが」


 先ほどまで司令部で夜桜大佐と談笑していた男性士官の声に、カナタは「す、すみません」とすぐさま謝る。

 釘を刺すように「もう寝なさい」と言って男が立ち去っていった後、部屋に二人きりのカナタとマオは互いに背を向けてベッドに横になった。


(……こんな時、レイがいてくれたら……)


 マナカに【異形】が憑いていることを知っているのはカナタだけ――実際はアキラも知っているが――だ。

 孤独な戦いを彼は強いられている。【異形】という敵は背中合わせにそこにいるが、その正体を暴いてしまえばマナカがどうなってしまうのかは想像に難くない。

【異形】は敵であり、それに支配されてしまった人間もまた、敵として処理されるだけだろう。彼女の助命を申し出たとして、【異形】と長く戦い憎んできたミツヒロやシズルたちがそれを受理するわけがない。


(助けてよ、レイ。いつもみたいに僕を導いてよ。君さえいれば、僕は何だってできるのに……)


 彼が愛したマナカの人格はマオの影に追いやられ、二人で一つだとさえ思える相棒とは離れ離れ。

 孤独に押しつぶされそうだ。引きこもっていた頃は独りでいることも何ら苦痛ではなかったのに、誰かと親密な関係を築いてしまった今は、それが酷く辛いものに思える。

 ネガティブな思考を取り払おうと頭を振り、ぎゅっと目を瞑って胎児のようにうずくまる。

 誰かが僕を守ってくれたら――そんなことを考えた少年はそこで、出立前にある少女が授けてくれた「お守り」のことを思い出した。

 ミユキの金色のロケット。辛いことがあったら開けなさいと彼女に言われたそれを、鞄から引っ張り出す。 

 カナタはスマホのライトでそれを照らし、寒さに強張る指先で開封した。


「……これは……」


 鍵、だった。銀色の、小さな鍵。

 これが一体何に使われるもので、今何の役に立つのか、カナタには分からなかった。

 少年は唇を噛む。それをどこかへ放り捨ててしまいたい衝動を懸命に堪えながら、彼はその鍵を睨みつけていた。


(僕が欲しいのはこんなものじゃない。この状況をどうにかするための打開策があれば、そう思って開けたのに……)


 分かってはいた。不破ミユキという人間がカナタの庇護者でないことくらい。

 だが、あの掴みどころのないどこか野性的な笑顔に、期待してしまったのだ。

 それは何故か。考えて、少年は自覚する。自分は、自分が思っていたよりもずっと、追い詰められていたのだ。

 ロケットの中に鍵を詰め直し――ふとそこで、彼はそこに一枚の小さな紙片が入っていたのを見落としていたことに気がついた。

 その紙にはやや角ばった癖のある字で、短い走り書きが記されていた。


『親愛なる王子様へ、ブラックボックスの鍵を託すわ ――傾国の美女より』


 やはり即座に答えを導き出してくれるようなものではなかった。

 ブラックボックス――それが一体何なのかは不明であるが、そこに希望を見出すしかないとカナタは思わざるをえなかった。

 きっとその箱を開いたら何かが変わるのだ。善し悪しはともかく、何かしらの変化が起こる。そのはずだ。


(ミユキさん……)


 会いたい、と率直に思った。

 彼女のことは別に好きでも何でもないが、今だけは、あのおちゃらけた笑顔が恋しかった。


 

 翌早朝。『レジスタンス』第一師団は『福岡プラント』突入のための最終調整に入っていた。

 昨日の戦闘で消耗したSAMたちの補修や、海軍輸送艦が運んできてくれた物資を輸送車に詰め込む。

 その様子を監督しながら、夜桜大佐は艦から降りてきた海軍のグローリア・ルイス中佐へと微笑みかけた。


「昨夜の防衛、ありがとう。あなたたちが守ってくれたおかげで、安心して眠れたわ」 

「それが私どもの使命ですから。……さて、私はあのやんちゃ坊主をとっ捕まえないといけないので、失礼します」


 グローリア中佐の目元には濃いクマが滲んでいた。海から出現する【異形】への迎撃に一晩中あたっていた彼女は本来、今は寝ている時間だ。にも拘らず起きているのは、その「やんちゃ坊主」のせいだけでもあるまい。

 責任感の強い同年代の女性を見やり、シズルは穏やかな声音で彼女を労わる。


「現場は部下たちに任せて、あなたはもう寝るべきじゃない? 自分では気づいていないかもしれないけど、あなた、相当やつれてるわよ」

「し、しかし、積み込みの最中に事故があるかもしれませんし……私が見ていないと若い子たちは手を抜くかも……」

「心配しすぎね。母親の目で若者たちを見ちゃう気持ちは分かるけれど、過保護なのも良くないわよ。水無瀬大尉を見つけたら、私から注意しておくから」


 グローリアは元々薄幸そうな顔をしているが、今はそれもさらに際立って見えていた。

 シズルが言いながら渡してくる手鏡を覗くと、そこには汗で崩れたメイクをした女の顔がある。

 溜め息を吐いてしまうグローリアは、「すみません」と断って近くにいた副官へ指揮の引き継ぎをし、艦の中へ引き返していった。

 

「ふあぁ……なかなか釣れないなぁ。昨夜の海が荒れ模様だったせいかな」


 と、そこでシズルは耳ざとく件の水無瀬ナギの声を捉えた。

 艦からそう離れていない波止場に立ち、釣竿を垂らしている黒髪の少年。一応海軍の濃紺の制服を着てはいるものの、何度も欠伸あくびを噛み殺して寝ぼけ眼だ。

 積み下ろしの邪魔にならないようなるべく端っこを歩いてナギのもとへ近づいたシズルは、彼の背中に声をかける。


「おはよう、水無瀬くん」

「あれっ、夜桜大佐? どうなさったんですか、こんな朝っぱらから」

「ふふっ、大佐だからって重役出勤はしないわよ。水無瀬くんこそ早いのね、ちょっとは寝られた?」


 海軍の主力たる【ガギエル】のパイロットである彼も、グローリアの指揮下で一晩中防衛に務めていた。

 シズルの問いにナギは首を横に振って、釣竿のリールを巻き始める。


「残念ながら一睡もできませんでした。あの人が頑張って仕事してるのに、僕だけ呑気に寝てるのも違うと思って」

「釣りしてるのはいいの?」

「それはそれですよ。言っときますけど、これでもちゃんと仕事はしてますからね? 僕は仕事が早いので、余った時間で遊んでるだけ。決してサボってるわけじゃありませんから」


 あの人、というのはグローリアのことだろうか。遊んでいるのは置いておいて、上官のことを思っているいい部下だ――とシズルは素直に羨ましく感じた。彼女の部下は優れた者が多いが、尊崇するばかりで寄り添ってはくれない。

 遊んでいる彼を注意するために来たシズルだったが、彼がそう言うなら見逃してやろう、とその場を去ろうとした。

 と、その時。

 

「おい、水無瀬!! また女の子たちに仕事押し付けただろお前!」

「うっ、だってやってくれるって言うんだもん! 怒るなら僕を美形に作った神様に言ってください!」


 怒鳴り声を飛ばしてくる上官に口を尖らせるナギ。

 その言い訳に苦笑するシズルは、彼に手を焼くグローリアにちょっぴり同情するのであった。



「第一師団、出立する! 総員、第一種戦闘配置!」


 御門ミツヒロ陸軍少将の号令によって彼らの進軍は始まった。

 司令部に集う士官たちの表情は一様に引き締まってはいるが――「味方の中に潜む敵」の存在が明らかになったためか、やはり不安は払拭できていないように見える。

 憂いを帯びた部下たちの顔をそれぞれ見渡すシズルは、最年長のパイロットとして彼らを鼓舞する声を放つ。


「いい、皆? たとえどんな敵が相手でも、私たちは決して屈しない。外から殴りつけられようが、内から食いつかれようが、私たち第一師団は崩れない! この私が【レリエル】に誓って保証するわ!」


 兵たちの精神的支柱の役割を担う夜桜シズルの言葉に、士官たちは俯きがちだった顔を上向けた。

 進軍開始直後から各部隊へひっきりなしに連絡を飛ばすミツヒロを見つめ、彼らも各々の仕事に取り掛かっていく。

 シズルはモニター上の進行ルートの地図を確認し、艶めく黒髪を指先に巻きつけながら呟きをこぼした。


「……カナタくん、無茶をしないといいのだけれど」


 軍港から数キロ先に西進した先に『福岡プラント』は位置している。かつて『新東京市』と同様に地下都市ジオフロントとして途中まで建設され、【異形】襲来後は『プラント』として活用された地下空間。

 今では【異形】が大繁殖する「巣」と化していると推測されるそこに突入する際、シズルが最も危惧していることがそれだった。

 シズルにカナタとの付き合いは殆どない。だが、彼の母親であるカグヤのことはよく知っていた。カナタの性格に母親と似た部分があるとしたら、失敗を取り返そうとして無茶をする可能性は十分にある。

 司令から息子を預かっている手前、彼に万一のことがないようにしなければならない。


「た、大佐! 似鳥大尉から通信が入っております」

「アキラくんから? 繋げて」


 彼ら空軍第一、第二小隊にはまだ出撃命令は出ていない。一体何の用なのか――怪訝に思うシズルは、次にもたらされたアキラの声に「言わんこっちゃない」と額に手を当てる。


『夜桜大佐、おはようございます。えー、大変な無礼を承知で言うのですが……月居くんがですね、自分を前に出してほしいと。どうしてもSAMに乗って、確かめなければならないことがあると言うんです』


 その言葉にシズルは押し黙った。行路前方にはさっそく第二級以下の【異形】が出現しているようだが、毒島シオン指揮下の部隊だけで現状は間に合いそうだった。

 だが、少年の言う「確かめなければならないこと」も無視できない。月居カグヤが息子を部隊に編入させた意味は単に戦力の増強にとどまらないのではないか――勘でしかないが、シズルにはそういう気がしてならなかった。


「承知したわ、月居少尉の出撃を許可します。これより彼は毒島中佐の指揮下に入り、上空より哨戒、適宜遊撃にあたること。そう伝えて」


 女の黒い瞳が見据えるのは、戦の果てに待つ平和な世界。

 そこに辿り着くために流した、多くの血に報いたい――それでもパイロットとして現役でいられる時間はあとわずかだ。

 自分が戦えるうちに全てを知りたい。司令のこと、【異形】のこと、親友ミユキのこと、それら全てを。

 そう願ってしまうのは傲慢だろうか。分不相応な振る舞いだと、司令はなじるだろうか。

 だが、それでも構わないとシズルは思う。夜桜シズルは清廉潔白な人間ではない。彼女は英雄である以前に、一人の女なのだから。

 

(……鍵さえあれば、私だって真実に辿り着けるかもしれないのに――)


 女の指揮に狂いはなく、兵たちは整然と居並び敵から輸送機を守りぬく。

 仮面で覆い隠された女の欲求を知る者は、この師団のどこにもいやしなかった。

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