第六十六話 強者の孤独 ―The man who takes the Asura's way―
第二師団の兵たちを苛んでいたのは、度重なる戦闘による疲労だった。
一日目から二日目までは、彼らは大量の第二級【異形】との戦いを問題なく切り抜けることができていた。
しかし三日目に差し掛かり、その疲労は足を引っ張り出す。
彼らの戦わねばという意思に反して、それは無慈悲にも機体の操縦に精彩を欠かせた。
「だ、第三小隊、第四小隊、撤退! あとは私、片付けます!」
「りゅ、刘少尉――あなただけでは、この数は……!?」
戦闘の部隊は緑化した旧国道。
『レジスタンス』として行動するにあたって少尉に任じられているユイは、半壊した部隊の状況を鑑みてそう命じた。
眼下に広がっているのは、押し寄せる『甲虫型』異形の群れ。カブトムシに似たその異形は小型ながら、鉄の装甲と強靭な角を持ち、複数集まればSAMの体躯でさえひっくり返せてしまうパワーを有していた。
それだけならば、まだ良かった。『甲虫型』に部隊が押され始めたタイミングを見計らって追い打ちをかけるように『百足型』までも現れ、その魔力を帯びた毒牙でSAM関節部に食らいつき、隙間から毒液を流し込みだしたのだ。
二日目までの「犠牲者ゼロ」という結果で高く保たれていた士気も、一人、また一人と倒されていく状況の中で容易く低下していく。
人員に限りのある『レジスタンス』兵たちに対し、圧倒的な物量を誇る【異形】の軍勢はその強みを最大限に活かして戦況の優位を掴み取っていた。
「いいえ……虫型の【異形】、例外なく炎を嫌います。私のミカエル、魔力が尽きない限り彼らに負けません。だから……皆さんは、退却してください」
【機動天使】であるユイは魔力を温存するため、積極的に戦陣には参加せず上空から戦場を俯瞰しての指揮を務めていた。
だが、もはや力を出し惜しんでいられる余裕はない。天使のごとき白い翼に赤い魔力の光芒を帯びさせた【ミカエル】は、掲げたその剣に火炎の花弁を纏わせていく。
「炎よ、咲き誇れ! 【紅蓮花舞】!」
小隊が撤退を開始したのを見て取ったユイは、十八番の魔法を発動した。
小さな炎の花弁が寄り集まり、描かれるは巨大な螺旋。
激しく渦巻くそれを天より大地へ降ろし、押し寄せる【異形】たちと小隊の殿との間に炎の壁を築き上げる。
「わたしが撤退の時間、稼ぎます! 皆さん、急いで!」
絶鳴を上げることもなく焼き殺されていく虫型【異形】たち。
が、その火を浴びてもなお殿のSAMの脚に食らいつき、毒で蝕もうという個体も中にはいた。
魔力液が毒に侵されて身動きを取れなくなった機体は満足に撤退するのも叶わず、灼熱の壁の前でそれを眺めることしかできない。
モニターで地図上の部下たちの位置を確認するユイは、もはや自力での撤退が不可能なSAMが全体の三割にも上っている事実に歯噛みする。
「わたしがもっと早く出ていれば……!」
「悔やんでいる時間はありませんよ、ユイさん! こちらの敵はあらかた掃除しました、今そちらへ【太陽砲】を飛ばします!」
そのとき届いたのはレイの声だった。
ユイたちが戦っているのとは逆の部隊右翼から援護するという彼の申し出に、ユイは泣き出したくなるのを堪える。その気持ちは十分ありがたい。だが、レイも左翼の部隊でその砲を既に使っているはずだ。これ以上の消耗は避けてもらわなくてはならない。
「いえ、こちらの敵、わたしが全部討ちます。元はといえば、わたし招いた窮状……私が解決しなければ」
「ユイさん――分かりました。無事を祈ります」
それで通信は終わり、ユイは強い光を宿した眼差しで敵たちを睥睨した。
仲間を壊滅させてはならない。祖国での悲しみは、決して繰り返したくない――その思いを改めて胸に刻むユイは、指揮下の兵たちへ告げた。
「機体が動かせなくなった兵は、脱出可能ならしてください! 丸腰でも構いません、たとえ機体を失ったとしても、その責はわたしにあります!」
SAMに乗って戦えることを何よりの矜持とするパイロットたちには、機体を失い逃げ帰る行動は恥だという風潮があった。
それを踏まえた上で、ユイは彼らへ向けられる非難の全てを自らが一手に受け止めると表明する。
人の数は力だ。それが減って良いことなど一つもない。人類が追い詰められている現状なら、なおさら。
兵が揃い、SAMが十分にあり、食糧にも現状困っていない日本には、未来がある。そのどれも不十分だった中国とは、違うのだ。
希望ある未来を掴める可能性が僅かでもあれば、その一縷の望みを現実にできるよう努力すべきだとユイは思う。
滅びの一途を辿るしかなくなってからでは、何もかも手遅れなのだから。
コックピットから脱出して全速力で味方SAMの後を追っていく兵たちを眼下に認め、ユイは炎を纏う刃の切っ先を地面の虫どもへ向ける。
「この炎、わたしたち人類の怒りです!」
兵たちは十分に炎の壁から離れてくれた。これでもう、ユイにかかったリミッターは全て外れた。
瞋恚の炎を瞳に燃やす少女は吼え、その魔力を迸らせて【紅蓮花舞】の第二波を発動する。
「はああああああッ!!」
花弁一つの力は小さいが、寄り集まればその威力は際限なく増幅する。
ユイの感情に呼応して咲き誇る花たちは、巨大な赤き龍を象るように集合していった。
長駆で螺旋を描き、熱波を降ろしながら、龍は天空より大地に蔓延る敵どもを睥睨する。
開かれるあぎとから吐き出される火炎。
地を奔るその熱は虫型【異形】たちの逃げ道を奪うように、軍勢を一瞬にして包囲した。
彼らにとっての退路はただ一つ――上空だ。
「逃げる場所、一点に絞られるなら!」
狙うのは容易い。
一匹たりとも逃すまい、そんな心意気をもってユイは自らが生み出した炎龍へと命じる。
魔力の大量消費が引き起こす頭痛も意に介すことなく、少女は【異形】を征伐する鬼神と化した。
「燃やし尽くせッッ――!!」
羽が燃える。角が熱に溶かされる。足が焼き切れ、鉄の装甲ごと昆虫の肉体が蒸発していく。
火炎が巻き起こす小爆発の連鎖。打ち上がる虫たちのキィキィという甲高い悲鳴。それらが少女の全身を震わせた。数え切れない命が絶えていく――たとえ敵のそれとはいえ、殲滅できた喜びよりも形容しがたい不快感が勝っていた。
「はぁ、はぁっ……」
その不快感の一端を担っているのは、魔力不足による吐き気であることにユイは気づいた。
ヘッドセットによる接続を解除した彼女は操縦席の背もたれに身体を預け、脱力する。
「自動飛行モード」を起動して司令部のある巨大輸送機へと帰投しながら、彼女はレイへと通信を繋げた。
「れ、レイさん……わたし、やりましたよ。機体の損失、多かったとはいえ、兵の七割、生きて帰せました……」
「よくやりましたね。戻り次第、十分に栄養を取って休んでください」
レイの口調も平生より幾分か柔らかく、その労りにユイは薄らと笑みを浮かべる。
兵が三割、SAMは半数の損失。それは決して軽いものではなかった。彼女の部隊だけでなく、レイやカノン、ソラたちの部隊も同様に一、二割の兵と機体を失っており、第二師団全体の進行に無視できない影響が出る被害であった。
「進行を再開します。少々兵たちには無理をさせますが、今日中には『広島基地』に到達したいですからね」
司令部にてそう言うのは生駒センリ少将の側近である女性、麻木ミオ中佐である。
普段はきっちりとセットしているナチュラルメイクも今は汗に崩れてしまっているが、既に彼女にそれを直す余裕はない。
時刻は14時を回っているのに予定していた行路の半分も消化できていない現状に胃を痛めつつも、ミオ中佐は痛みを表情に出すことなく采配を執っていた。
「早乙女隊は部隊との距離をもう少し縮めなさい。遅れを埋め合わせたい気持ちは理解できますが、先行しすぎてより損害を出してしまっては元も子もありません。それから宇多田隊、そちらの人員の半数を刘隊の位置へ。一点を守る人員は減りますが、陣形に穴を開けるよりはマシでしょう」
各指揮官と常に繋がっている通信から、ミオ中佐は適宜指示を飛ばし続けていた。
それぞれの戦いが一段落したタイミングで部隊全体を動かす彼女は、モニター上の地図を睨み据える。
迅速に配置を変えていく部隊の様子を確認し――そこで想定にない挙動をする一機を見つけ、彼女は額に手を当て歯ぎしりする。
師団の殿から前衛まで上がっていく指揮官機、【ゼルエル】。
敬愛する上官の機体が右翼側から回り込んで前へ出て行く様子に、彼女はつい泣き言を漏らしてしまった。
「い、生駒少将……! 確かにあなたが一騎当千の戦士であるのは重々承知していますよ。ですが、今朝からずっと単騎で戦い詰めだなんて無茶をしすぎです! あなた一人で何十何百の【異形】を討って、限界まで魔力を使って……そんなの、いつ死んでもおかしくないのに!」
「中佐、落ち着くっす! トップのあなたがそのような姿じゃあ……!」
取り乱す彼女を即座に諌めるのは、生駒センリの自称「一番弟子」である青年・郷田コタロウである。
彼は中肉中背でスポーツ刈りの黒髪、顔立ちは整ってもいないが不細工ともいえない、平凡を体現しているかのような男だった。
「郷田中尉――すみません。指揮官としての自覚が不足していました」
部下の言葉を生意気だと一蹴できるほどミオは傲慢な女ではなかった。
直ちに謝罪する彼女は改めて眼前のモニターを見つめ、呟きをこぼす。
「……信じていますよ、少将。あなたが勇敢と無謀を履き違えていないことを」
*
振るわれる豪腕が、立ちはだかる敵たちを薙ぎ払っていく。
彼の動作には息つく暇もない。一体が倒れればまた一体が吹き飛ばされ、沈められ、踏み潰される。
その漆黒の巨躯は【異形】たちにとって悪魔に等しかった。そして人々にとっては、進路をたった一機で切り開く英雄に映った。
旧国道を数百メートル先まで塞いでしまうほどに密集した『狼人型』や『凶狼型』の群れも、その機体を前にすればそのへんの虫けら同然の無力な存在に成り下がる。
「――散れ」
肩を後ろへ振り絞る「溜め」の動作から放たれる、拳の一撃。
魔力を帯びて飛ばされた拳風は真っ直ぐ飛ばされ、その直線上にいた敵を例外なく物言わぬ肉塊へと変えた。
もう何度目とも知れない拳撃に、止めどない汗を額に垂らす生駒センリは「ヘッドセット」による接続を一旦解除し、操縦席脇に置いていたボトルへ手を伸ばした。
魔力回復効果のある液状薬を一気に飲み干し、空になった容器を放り捨てる。そうして飲み捨てたものは既に十本を超す数がコックピット内に散乱しており、その在庫はあと五本を切っていた。
限界を迎える度に回復薬で補給する――何度も死にかけては復活するのと同義なその行為はパイロットの肉体な多大な負荷をかけるが、自分一人の負担で多くの兵を守れるならそれでいいとセンリは思っていた。
(俺に第一級【異形】のような強靭な肉体があれば……)
人の脆弱な身体が今では無性に恨めしい。数日間休みなく『レジスタンス』と戦い続けた強大な敵の姿を脳裏に過ぎらせ、センリは首を力なく横に振った。
余計なことを考えてはいけない。【七天使】最強の戦士である生駒センリには、戦うことだけが求められている。それ以外は排除し、徹底的に戦を極める――それが彼に定められた在り方なのだ。
築き上げた屍の山の上に独りで立っている男、それがセンリだ。武人として頂点に上り詰めた彼に追随できる者はなく、彼は常に孤独を強いられている。
(孤独を望んだのは俺自身だ。一人の戦い方を極めたのも、俺の選択だ。ならば迷うことはない、そう思っていたのに……時折、孤独に負けそうになる)
振るう拳が敵の頭を砕き、掴む掌が胴をへし折り、振り下ろす足が何もかもを潰す。
その殺戮に果てはなかった。倒しても倒しても敵は湧き出て、センリの精神をじわじわと削っていく。まるでそれ自体が本当の目的であるかのように、【異形】たちは進んで彼に殺されたがっているようにさえ見えた。
血の臭いが鼻の奥までこびりついて離れない。耳に残る潰れた絶鳴のリフレインは止まらず、呪詛のごとく彼を抱きすくめる。
(俺はいつ戦いを止められるのだろう。俺はあと何度、【異形】どもの命を奪えば済むのだろう。過酷な氷河期の中、必死に生きている生命――それを無心で殺し続ける修羅の道の果ては、どこにあるのだろう)
修羅の世界から脱するには敵を全て倒さなければならないのか? 戦いの終結はどちらかがどちらかを滅ぼすまで有り得ないのか?
その問いに答える者はいない。それ以外の可能性を示した者も、彼は知り得ない。
この点については彼の側近の女も、一番弟子を勝手に名乗っている青年も、彼の望む回答は出せないだろう。
何故なら、彼らは生駒センリという男の孤独を知らないからだ。言って聞かせたところで理解することさえ叶わないだろう。彼がいる領域は、そういう場所なのだ。
(答えは俺自身で掴めというのか、【異形】たちよ!)
青年は無意識のうちに叫んでいた。喉が張り裂けんばかりの大声で彼は吼え、また、敵を殺す。




