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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第三章 永訣の火

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第五十五話 泡沫の思い出 ―"Please don't forget me."―

 カナタは『第二の世界』での【異形】の種を探す戦い、マナカやレイ、ユイは【機動天使】の実機を使用しての訓練に『遠征』までの残りの時間を費やしていた。

 学園寮にも戻らず、『レジスタンス』本部に缶詰になって汗を流し続ける少年たち。 

 そんな彼らを鏑木博士や彼らと交流のある【七天使】は心配の眼差しで見守っていたが、作戦開始二日前の7月29日、唐突にやって来た訪問者たちによって博士らの憂慮も一旦途切れることとなった。


「おーい! レイせんせー、マナっち、ユイ!」


 広大な地下演習場に響き渡る呑気な少年の声に、三人は機体を動かすのを止めて頭上を仰ぐ。

 その渾名でレイたちを呼ぶ人物は、彼らが知る限り一人しかいない。

 高い位置に作られた回廊上から手を振っている犬塚シバマルにマナカが【ラファエル】の右手をぶんぶんと振るのを、レイは冷ややかな目で見つめた。


「シバマルくーん、何か用ー?」

「おう、マナっち! 今日さー、みんなで遊ぼうと思って誘いに来たんだ! ちなみにおれだけじゃなくて、いおりんとかリサリサ、ユキっぺも来てる!」


 シバマルに手招きされて回廊へ通じるドアから続々と出てきたのは、七瀬イオリ、神崎リサ、冬萌ユキエの三名。

 駄犬の誰にでも渾名をつける特性は比較的気の強い女子二人にも遺憾無く発揮され、二人は若干納得がいかなかったが一応それを受け入れていた。

 

「ずっと訓練じゃ疲れちゃうだろ!? たまには息抜きしようぜ!」

「まぁ、それはそうですが……しかし、よくここまで通してもらえましたね。【ラファエル】はまだ公には機密事項なのに」

「あー、それは矢神せんせーのコネだな! あの人、元SAM開発部の幹部だから、色々と融通きくんだって!」


 キョウジは常に飄々としている遊び人的な人物だが、古巣でも未だに影響力を持つ程度の人望はあるようだった。

 仮にも月居博士の下で学んだメカニックですからね、とレイは納得する。

 マナカは訓練を監督してくれている【七天使】最年少の青年へ訊ねた。


「水無瀬さーん、今日の訓練、この辺で終わりにしてもいいですかー?」

「構わないよ。午前中いっぱいやったし、皆だいぶ形になってきたし、実戦投入しても問題ない水準になった。息抜きする余裕があるなら、したほうがいいしね」

 

 手元のタブレットに表示されている三名のバイタル――SAM側からリアルタイムで送信されている――に目をやり、水無瀬ナギは柔和に笑って言った。

 三つ年上の先輩パイロットに許可を貰い、訓練の疲労を感じさせない軽い足取りでマナカはコックピットを降りていく。

 レイやユイも同様に機体を降りる中、マナカはようやく得た自分の専用機を見上げて感慨深い思いでいた。


【機動天使】、【ラファエル】。

 宇多田カノンの第四世代SAM【イスラーフィール】を前身に改良を加え、さらに独自の機構を施した最新の第五世代SAMだ。

 四肢の長い細身のボディのカラーリングは黄を基調とし、左胸の上で交差するように白いラインが描かれている。

【イスラーフィール】同様に複数の『コア』を搭載しているため胸部は大きく張り出しており、ややくびれた胴もあって女性的な見た目だ。

 武器はマナカの希望でスナイパーライフル。サブとして短剣数本も腰元のウェポンラックに収納してある。

 飛行機のそれと似た両翼を有しているこの機体は、風縫ソラの【サハクィエル】、御門みかどミツヒロ空軍少将の【ラミエル】、そして月居カナタの【ラジエル】、刘雨萓の【ミカエル】に続く五機目の飛行型SAMであった。


「この機体なら、カナタくんと同じ舞台で戦えるんだ。早く一緒に、青い空を飛びたいなあ……」


 専用機が与えられただけでも嬉しかったが、それが飛翔能力を持っていると知った時、マナカは溢れ出す涙を止められなかった。

 これまで見上げることしか出来なかった彼の戦場を、知ることができる。彼と同じ景色を見て、同じ敵と戦える。

 上手くいきすぎているくらい、マナカの願いは叶っていた。もし神様がこの世界にいるのなら、これが自分への祝福なのだろうと彼女には思えた。


「マナカさん……その機体、大きな胸部除けばカナタさんの【ラジエル】に似てますよね。男と女、まるでカップルみたいな」

「ちょ、ちょっとユイちゃん、それ勘ぐりすぎだよー! 別に、作った人たちそこまで考えてなかったと思うよ」

「それはそうですけど……でも、素敵な偶然、って思いませんか?」


 隣で目を細めているユイに、仄かに頬を赤らめてマナカは胸の前でぶんぶんと手を振る。

 その様子に小さく笑って、青髪の少女はマナカへウィンクしてみせた。


「さ、行きましょう! カナタさん呼びに行かなきゃ、です!」

「そ、そうだね。ところで、私たちこれからどこ行くの?」


 ユイに手を引かれながら行き先を知らないことに思い至り、マナカはシバマルたちへ訊いた。

 回廊から演習場を見下ろす少年は、満面の笑みを浮かべて答える。


「夏っぽいとこ! 行ってのお楽しみだ!」



 日差しが照りつける夏の午後。

 昼食を適当に済ませてから少年少女が移動した先は、海水浴場だった。

 といっても、本物の海ではない。都市南部――南部は学園施設と抱合せで遊興施設もそれなりにある――の大型屋内プール内の一コーナーで、地上の海辺を再現した人工の砂浜と海だ。

 壁面や天井は全面がスクリーンとなっており、水平線や空の青色を鮮明に映し出している。プールの底には白砂を敷き詰め、貝や小魚までいるという徹底ぶりだ。

 一同はそれぞれ水着に着替え、一般客で盛況している海を満喫しようとしていた。

 

「夏といえば海というわけですか。まぁそれはいいとしましょう。ですが、どーしてボクの水着は女物なんですか!?」

「リサリサに頼んで全員分の水着用意してもらったんだけど、なんか手違いがあったみたいでさ。おれらが着るわけにもいかないし、だったらレイ先生かなって」

「遊びに行くメンバーを決めたのはあなたでしょう!? たった八人分の男女比を普通間違えますか!? 責任とってキミが着ればよかったんですよ! そうすればさぞお笑い種になったはずです!」


 頬を膨らせてぷんすかと怒っているレイ。

 広々とした砂浜にシートを敷きながら苦笑しているのは、カナタだ。

『獣の力』を長時間使用した後であるため彼は激しい運動を禁じられており、今回は皆が楽しんでいるのを見守ることとなっていた。


「こ、こればっかりは代わってあげられないなぁ……ご、ごめんよ、レイ」

「あら、代わってあげたらよかったのに。案外似合うかもしれませんわよ?」


 彼の隣に腰を下ろし、リサは悪戯っぽく笑って言う。

 抜けるように白い肌を惜しみなく露出したビキニタイプの水着の令嬢は、大きなサングラスを額の上にくいっと上げて目を細めた。


「ぼ、僕にそういう趣味は……」

「ふふ、ではマナカさんがあなたに着せたいと言ったら? ――ほら、マナカさん! 恥ずかしがってないで出ておいでなさいよ!」


 白いワンピース型の水着であるユキエの後ろに、マナカは顔を真っ赤にして隠れていた。

 呆れ顔になるリサはカナタのほうに少し身を寄せて、挑発するように言う。


「せっかく水着を着たんだから、彼にも見せてあげなさいな。……しかし、温泉宿で一夜を共にしたのなら、いまさら恥ずかしがることでもないでしょうに」

「それとこれとは話が違うのー! っていうか、なんでリサちゃんがそのこと知ってるの!?」

「あの宿の運営はお父様の会社の系列でしていますから。学生二人、しかもその片方が司令の息子ともなれば話題にもなりますわ。……客の情報を簡単に話してしまう従業員の意識は、変えさせねばならないところですが」


 申し訳ない、と謝るリサ。

 カナタの前に水着姿で出るのを躊躇っていたマナカだったが――そこでリサのアイコンタクトを受けたユキエが動いたことで、意図せず少年に水着を見せつける格好となった。


「はわっ!?」

「おっと」


 つかまっていたユキエの肩がするりとマナカの手からすり抜け、彼女は前のめりに砂浜に倒れ込みそうになる。

 ユキエはそれを無駄のない動きで支え、立て直した。

 前に乗り出した体勢から上体を起こした勢いで、少女の小ぶりながらも形のいい双丘が揺れる。

 少年の視線が吸い込まれるようにそこに向かったのは、年頃の男子なのでまぁ無理もないことだった。


「やっ、み、見ないでカナタくん! は、恥ずかしいよ……」

「み、見てないよ! い、いやほんとは見たけど……い、一瞬だけだったから!」


 リサの水着以上に布面積の少ないビキニのマナカは、胸元を腕で覆いながら俯く。

 彼女と同じくらい顔を赤くしている初心うぶな少年も、視線を明後日の方向に飛ばしていた。 

 居心地悪そうに体育座りで身体を縮こまらせるカナタに、リサはくすりと笑う。


「あら、それでは立てませんわね」

「よ、余計なお世話だよっ」


 熟れたトマトのように顔をさらに赤らめて膝に顔をうずめるカナタ。

 バッグからビーチボールを取り出して立ち上がるリサは、ぴょこんとアホ毛が立っている銀髪の頭を見下ろして言った。


「熱が収まったら来ることね。数分間の軽い運動くらいなら、あの博士からも許可が出ているでしょう?」   

「わ、わかったよ」

  

 そう言い残してリサはユイやユキエたちと一緒に運動前の体操を始めた。

 先に着替えを終えて準備運動を済ませていたシバマルら男性陣は、さっそく海で泳ぎ始めている。

 どう見ても子供向けの浮き輪を抱え、心なしか青ざめてみえる顔で波打ち際に立っているのはレイだ。

 視線を海と浜辺のカナタたちとの間で行き来させ、何かに葛藤するように首を横に振るその様子が分かりやすすぎて、マナカは先ほどの羞恥心を忘れて笑みをこぼした。


「レイくん、泳げないけど私たちの前では見栄張りたいんだ。今日は遊びに来てるんだし、無理しなくてもいいのにね」

「か、彼は遊びにも本気になるタイプで……負けず嫌いなんだ。で、でも……頭が固いわけじゃない。い、今だって、ほら」


 カナタに言われて見ると、レイのもとへシバマルとイオリが来て何やら言葉を交わしている。

 それからしばらくして、レイはイオリに手を引かれながらもおそるおそる水に浸かって泳ぎの練習を開始していた。


「彼、最初はクラスの誰とも親しくなくて、孤高の存在だったのに……変わったんだね。仲間に教えて、教わって。あの最初の訓練の時、私たちを怒鳴った厳しさはそのままに……それでも、丸くなった」


 レイを眺めるマナカの瞳に宿る感情は、羨望だった。

 人に触れて自分を変える。言葉にするだけなら簡単だが、実行に移すのは容易ではない。

 マナカは何か変わっただろうか。入学してから今まで、どれだけ成長できただろうか。

 自分では全く変われた気がしない。文部科学相の娘として、それに見合う行動ができた自信がない。

 瀬那マナカという少女の深層心理には、常に自己否定があった。自分は所詮「親の七光り」という箔がついているだけで、中身は伴っていないのだと。政治家たちへの「貢ぎ物」として女の身体を道具扱いされていた過去が、彼女の心に歪な影を落としていた。


 快活でクラスの中心の少女――そんなものは演技で生み出した姿に過ぎない。

 だが他の生徒たちはそれを知らない。カナタにさえも、彼女の全ては話せていない。


『君は誰なの?』


 マナカの頭の中にそう訊ねる声が響いた。

 知らない声。少し舌っ足らずな少年の声だ。


『出て行きなよ。君は本物の瀬那マナカじゃない。彼女の逃避が作り出した、虚像でしかないんだ』

(うるさい。あなたには関係ないでしょ。あなたこそ引っ込んでてよ!)


 意思の力で封じ込める。二度と話しかけてくるな、と彼女が繰り返し念じていると、その声は聞こえなてこなくなった。


「ま、マナカ、さん……? ど、どうし――まさか」


 緊迫感を纏う少年の目は大きく見開かれた。

 少年が何を危惧しているのかマナカは察していながらも、その救いを拒み、笑顔という仮面を被る。


「やだな、少しぼうっとしてた。ごめんね、何話してたっけ」


 彼女は思考を知られるのが怖かった。そこから瀬那マナカの封印したい過去に辿り着かれるくらいなら、舌を噛み切って死ぬほうがマシだとさえ思えた。

 声の調子を上げて訊いてくるマナカに、カナタは何を言えばいいのか分からなかった。


「な、何だったっけ。あはは……ぼ、僕も、言いたいこと忘れちゃった」

「ふふ……ふたり揃って忘れん坊だなんて、おかしい」


 笑いというのは便利だ。笑いは他の感情を和らげてしまう。本当に表出させるべき気持ちも塗りつぶして、見えなくしてしまう。嘘で泣いたり怒ったりするよりも、よほど簡単だ。その上、表面上は和やかに見えるから質が悪い。

 マナカは隣に座っているカナタを見つめた。

 トランクスタイプの水着を履き、裸の上半身に白いシャツを羽織った少年。開けられたシャツの前から白い肌やトレーニングで引き締まった腹筋が覗いていて、どちらかといえば女顔の彼とのギャップについドキドキさせられてしまう。


「……あ、あの、マナカさん。そ、その……あんまりじろじろ見られると、落ち着かない……」

「あっ、ごめんね。君が綺麗だから、つい……」


 少し顔を赤くしているカナタに侘びを入れつつ、マナカは内心で自嘲の笑みを浮かべた。

 カナタは見た目だけでなく、心もマナカよりずっと綺麗な人だ。そんな彼と自分は釣り合ってなどいない。彼の隣にいるのに相応しいのは、もっと純粋で、もっと綺麗で、例えるならそう――


「ねえ、レイくんのこと、君はどう思ってるの?」

「え、えっと……好き、だよ。た、大切な人だと思ってる」


 きっとカナタはシバマルやイオリ、リサやユキエについて聞いても同じように返答しただろう。

 マナカも彼が純粋な好意に優劣を付けたがらない人だということは、理解している。人の暗い感情に触れて誰も信じられなくなった彼がそこから解き放たれ、その反動か「誰もを好意的に捉える」ようになったことをマナカは知っている。

 彼をそう変えたのはマナカだ。『パイモン』戦でマナカは彼の背中を押した。明るい人気者で誰にでも好かれる「瀬那マナカ」として、彼女はカナタの側にいると決めた。


 だが――「()()()()()()()()」が問いかけるのだ。

「お前だけいい思いをしようとするな、本物の「自分」は「あたし」なのだ」と、夜毎現れては訴えかけてくる。


「そうなんだ。だったら、レイくんのこと、これからもずっと大切にしてあげて」

「う、うん。当たり前だよ、ぼ、僕にとってはもう、彼が隣にいない未来を考えられないくらいだもん」


 レイの笑顔はカナタといるときに特に増える。声のトーンも少しばかり明るくなる。表情も他の誰かと話すときと比べて、ころころ変わる。

 それらが意味するところを察せないほど、マナカは鈍くはなかった。

 カナタの彼への好意がマナカに向けるそれと同程度には大きなものだということも、承知していた。

 海から上がって今度は男女交えてビーチバレーに興じているレイたちを眺めながら、少女は儚げな微笑を湛えた。


「ねえ、カナタくん」


 風が吹いた。

 それに煽られて舞い上がった白いハットを目で追いながら、乾いた声で少女は訊く。


「――私のこと、忘れないでいてくれる?」

 

 少年のサファイアの瞳がマナカの目をまっすぐ見つめる。

 隣り合う手と手を重ね合わせ、カナタは確固とした口調で答えた。


「うん。な、何があっても、絶対に忘れない」

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