第五十四話 四番目の少女 ―The fourth child―
「ぼ、僕が果たすんだ。僕にしかできない、敵を見つけ出す使命を……!」
カナタは『獣の力』を発動し、『パイモン』の魔法を行使して『第二の世界』のシステムへ干渉していた。
夏休みが始まってからというもの、彼は連日皆が訓練に励んでいる間に一人こうして電脳世界へ飛び込んでいる。
いまカナタの眼前に広がっている光景は、眩い虹色に輝く『海』だ。
地平線の果ても見えないような、広大な情報の海。
そこに浮かぶ幾つもの『泡』は情報という種を包む果実の役割を担っており、少年が手を伸ばして触れれば彼の脳にデータを流し込んでくれる。
「こ、これも、違う……! あ、当てずっぽうにやってちゃいつまでも終わらない……何か、探すための手がかりを得なければ……!」
ダイブを始めてから既に2時間が経過している。
少年の心には、情報を次から次へと頭に詰め込んだことによる疲労感、そしてここまで目覚ましい成果を挙げられない自分への苛立ちが蓄積していた。
『福岡プラント奪還作戦』が始まるまであと5日を切っている。『レジスタンス』の主力が都市を離れる作戦の前に【異形】の種を『第二の世界』から取り除き、後顧の憂いを断たねばならないのに――。
「ぼ、僕は君たちと話がしたいんだ! き、君たちはどこにいる!? ぼ、僕はヒトの女王の子、月居カナタだ! 答えてよ、【異形】!!」
君たちを知りたい――その願いを声に乗せて少年は叫んだ。
人と同じように知恵を持つ彼らに、カナタの気持ちが理解できないはずはない。
どうか応えてほしい。そんな彼の懇願に返ってくる声は、やはりなかった。
*
「点滴を打ってまで長時間のダイブを続けさせるだなんて、危険です。彼の身の安全を考えるなら、今すぐにでも止めさせるべきです!」
強い口調で言ってくる部下へ、鏑木博士は力なく首を横に振ってみせた。
目の下に濃いクマを浮かべる女史は、身体にチューブを幾つも繋いでベッドに横たわるカナタを見つめ、呟く。
「私も最初はそう考えていたわ。でも、彼自身が誰よりもそれを望んでいるの。自分にしかできない、皆を守るための戦いをさせてほしいって……あの真っ直ぐな目を見て、私は応援したいって、思ってしまったの」
強い光を宿した青い眼差しは、鏑木博士にとって見覚えがないわけがなかった。
同じなのだ。『レジスタンス』を立ち上げた当初の月居カグヤの瞳と。
研究者としてだけでなくパイロットとしても戦い、SAM軍を指揮するために軍事まで学んでいた頃の彼女と、今のカナタはあまりに似ていた。
「彼はあの人の息子なのよ。きっと、負けずに使命を果たしてくれる。今はそう、信じましょう」
*
蝉時雨の降り注ぐ7月末の、訓練の後。
学園からの通達を受けて、カナタ、レイ、ユイ、マナカの三人は校長室へ足を運んでいた。
なぜ自分たちが呼ばれたのか、この段階では彼らは知りもしなかったし、理由に見当もついていなかった。
上座の席から自分たちを見据えてくる初老の女性校長を前にして、マナカはつい隣のカナタへ目配せする。
(なんで私もなんだろう……? この三人なら【機動天使】のパイロットだし分かるんだけど)
一人だけ落ち着かない様子のマナカに内心で溜め息を吐くのはレイで、柔らかい笑みを湛えているのがユイ。
カナタは左手でマナカの手を握って、「大丈夫だよ」と潜めた声で言った。
老女の校長はごほんと一つ咳払いをし、それから話しだす。
「本日、あなたたちに伝えることは二つ。まず一つ目は、新たな【機動天使】の任命。そして二つ目は『レジスタンス』が行う大規模遠征に【機動天使】の参加の要請があったことです」
嗄れながらも芯の通った声で、校長は少年たちが思ってもみなかったことを口にした。
つい先日の『レジスタンス』本部会議室に走った衝撃がそのまま再現される中、老女は話を続ける。
「新たな機動天使【ラファエル】のパイロットとなるのは、瀬那マナカ、あなたです。試験でのあなたの伸びを司令や『エル』は高く評価してくださりました。謹んで受けるように」
「は、はい。わ、私なんかに務まるかは分か――らないとは言えませんね。と、とにかく頑張ります!」
ぐにっ、と左隣から彼女の腕をレイがつねった。
若干涙目になりながらも弱気な発言を修正し、何とか胸を張る。
本当に大丈夫なのかとユイは少しの不安を抱いていたが、校長は特に表情を変えることなく話を進めていく。
「二点目は『遠征』……正式作戦名を『福岡プラント奪還作戦』といいますが、それへのあなたたちの参加要請が『レジスタンス』から出されています。ここで確かめるのは、あなたたちの参加の意思です。組織側から出されているのはあくまで要請であり、あなたたちには断る権利があります」
子どもたちは『レジスタンス』に所属している立場ではないため、強制的な召集ができない。
そのため、学園側にお願いするという形で話は通されていた。
「そ、その任務に参加するというのは、つまり……ち、地上に出られる、ということですよね?」
「ええ」
少年の問う声は、微かに震えていた。
校長は短く答え、鈍い光を宿した瞳でカナタを見据える。
彼女は他に何も言わなかった。地上に関してはいま語ることではなく、彼ら自身がその目で確かめるべきことだと弁えていた。
そして、彼らが真実を受け止めるに足る精神を持ち合わせていると、校長は信じていた。
A組の二度の試験――再試験を含めると三度になる――を、老女の校長はこれまで一分たりともモニターの前から離れることなく見てきたのだ。
月居ソウイチロウ博士は彼女の教え子であり、その息子であるカナタのことはずっと気にかけていた。
「……な、なら、僕は参加します。か、母さんたちが戦っている現実の世界を、こ、この目で見たい」
「よく言ってくれました。ソウイチロウ博士とカグヤ女史の息子として、誇り高く戦いなさい」
「は、はい――父さんのぶんも、母さんのぶんも、背負って戦います」
少年にとって、父は教科書に乗っている偉人でしかない。尊敬すべき人であるが、決して近くはない存在。血が繋がっていると分かっていても、思い出がないのでは実感もしにくいはずだ。
それでもカナタが父のぶんも、と言ったのは、彼がSAMでの戦いを通して父を知ろうとしているからだろうか――?
校長には、そう思えて仕方がなかった。
「他の皆さんは、どうしますか?」
「ボクも行きます。カナタを一人では行かせません」
「私もです。私も、祖国を救うために【異形】を知らなくてはいけないから。奴らへの復讐だけでなく、触れるために、行きます」
レイもユイも心を決めていた。
彼らの凛然とした横顔を見つめ、マナカは視線を移ろわせる。
まだ専用機に乗ったこともない自分が作戦に参加してもいいのか、迷いがあった。もちろん気持ちとしてはカナタたちについていきたい。自分の理想のために、地上で戦いたい。
理性と感情との間で揺れる少女の肩に手を置いて、カナタは穏やかな声で言った。
「じ、自分のやりたいことをやるんだ。こっ、後悔がないように」
悔いのないように――それは湊アオイも訴えていたことだった。
マナカには残された時間が少ない。その命をどう使うか、決断の時は、今だった。
「校長先生。――私も、行きます。『レジスタンス』本部にはもう完成した実機が置いてあるんですよね? 今日からでも搭乗することはできませんか?」
「予定ではあなたたちの実機での訓練は明日からでしたが……掛け合ってみましょう」
人類が生きていくために不可欠な食糧生産の基地を、取り戻す。人々の希望を願う彼女にとって、この上ない死に場所といえた。
そうと決まればやるべきことは一つ。その日を迎えるまで、ひたすら訓練を重ねるのみだ。
「カナタくん、君が【異形】の種を探して戦っている間、私も頑張って【ラファエル】を乗りこなせるようになってみせるから。それと、これからは同じ【機動天使】のパイロットとして肩を並べて戦えるなんて、嬉しい」
その笑みは少年の青い瞳には儚げに映っていた。
彼女は確かにここにいる。そう信じたくて、カナタはマナカの手を強く握った。
「少し早いですが、あなたたちの武運を祈っています。全員、生きて帰りなさい。誰ひとり欠けさせないために、助け合って進むのです。その姿こそ、希望を背負う【機動天使】に相応しいものです」
老女は『学園』が送り出した若いパイロットの戦死の報せを数え切れぬほど受け取ってきた。
教壇に立たない彼女と生徒たちの関わりは殆どなかったが、しかし、彼女の子供たちへの愛情はひとしおだった。
心から自分たちを思ってくれている校長先生を前に、毅然とした顔で敬礼する四名の子供たち。
仮想世界での戦闘を経験した彼らの表情からは一様に、入学時のあどけない面影は失われていた。




