第五十三話 やるべきことは ―I think back to myself and others.―
SAMパイロットを育成する『学園』の夏休みは、七月末から八月の終わりまで。
かつての高校と同時期に設定してある夏期休暇は生徒たちにとって待ち遠しいものであったが――
「夏休み中も毎日訓練、実家に帰れるのはお盆の数日間だけなんて聞いてないぞ、レイ先生!」
「だから何でボクに文句を言うんですか、駄犬」
期末試験を終え、夏休みがやって来たと浮かれていた生徒たちに課されたのは午前中の二時間の短縮訓練。
時間自体は普段より短くなっているとはいえ、毎日SAMに乗らなくてはならないのは流石に堪える者が殆どだった。
『VRダイブ室』のエントランスホールにて、自販機の前で飲み物を選びながらシバマルは頭を掻きむしって魂の叫びを上げていた。
「まぁ乗らなきゃ腕が鈍るってのはわかるぜ? でもさぁ、夏休みなんて学生の特権じゃん!? それが満足に与えられなくてどうすんだよ!」
「……気持ちは分からなくもありませんが」
「だろー? なぁレイ先生は何飲みたい?」
「あ、ではスポーツドリンク二本をいただきましょう」
「えー、いま金欠なんだけど! ってか俺の自腹かよ!?」
レイはホールのベンチで蒸れた胸元をパタパタと扇ぎ、騒がしいシバマルの相手を適当にこなす。
全くタイプの違う駄犬の扱いもすっかり板に付いたレイは、遅れてホールに戻ってきたマナカとユイに気づいて声をかけた。
「お疲れ様です。瀬那さんたちもドリンクどうですか? 今なら駄犬が払ってくれますよ」
「お、おう、いくらでも払うぜ!」
シバマルは心を寄せるユイがいる手前、気前よく笑ってみせる。
天然を発揮するユイは「じゃあコーラを」とオーダーするが、マナカは俯いたまま何も言わなかった。
「マナっち、どうしたんだ? 具合悪いのか?」
「う、ううん。むしろ調子良すぎるくらいなんだけど……昨晩のカナタくんのこと考えると、不安になっちゃって……」
「そういえばカナタ、昨日瀬那さんと外泊するってメールしてましたね」
「えっ、マジ!?」
訊ねられて憂慮を口にするマナカ。ユイが心配そうに見つめ、シバマルがレイの呟きに食いつく中、マナカはレイに視線を向けた。
「ねえ、早乙女くんはカナタくんから何も聞いてない?」
「い、いえ。今朝は殆ど会話する時間もなく彼は行ってしまいましたし……」
カナタに何かがあったのか、と考えるレイだが、マナカの様子を見てそれを改める。
二人の間に何かがあったのだ。普段は快活な彼女から笑顔を奪う、何かが。
「瀬那さん、ボクでよければ相談に乗りましょうか?」
「……う、ううん、いいの! これは私たちの問題だから!」
マナカはぶんぶんと首を横に振った。
それが空元気であるのは見え透いていたが、レイは特に追求しなかった。カナタに関することは気になるも、彼個人と他人との関係にまで口を突っ込むつもりはない。
あくまでも他人同士なのだから、深く干渉しない――最近では親密になってきて忘れがちだったが、最初から自分たちはそういうスタンスでやってきたのだ。
「マナっちがツッキーと泊りがけでデート……これはまさか、ヤったのか!? ツッキー、あんな大人しいツラして、おれより先にやることやったってのかよぉおおおおおおお!?」
「うるさいですよ駄犬。当人が目の前にいるのだから、そういう話題は控えなさい」
「全くだな。そーいうとこだぞ駄犬」
レイに続き追い打ちをかけたのはイオリだ。
首からタオルを下げて現れた黒髪の少年は先日の試験以降、訓練の時間でレイから厳しく教え込まれている。彼の能力を見込んだレイの目に間違いはなく、与えた知識をみるみるうちに吸収していくその姿は新進気鋭のパイロットと言って差し支えない。
「いおりんまで酷いこと言いやがってぇ……! くそぉっ、おれも彼女ほしいなぁこんちくしょう!」
「まあまあ、落ち着けよワンコちゃん。ともあれ俺も月居と瀬那の関係が気にならないわけじゃないんだけど」
「ワンコ言うなし! ……って、そういえば当のツッキーさん今朝からいなくね?」
この面子の中でいまさら気づいたのはシバマルくらいだ。
呆れ顔になるレイは、駄犬が投げ渡してくれたボトルのキャップをくるくる回しながら言う。
「カナタなら今朝から『レジスタンス』本部に赴いてますよ。『第二の世界』の異常を解決するための任務だ、と彼は話していました」
それだけではマナカたちにはいまいちピンとこない。
手招きしてベンチの周りに皆を近寄らせたレイは、声量を少し落として詳細を語った。
「『第二の世界』に敵が仕掛けた『種』。それを探し出し掘り返すのが、彼の仕事だそうです」
*
「カナタくん、今日のところはここまでよ」
『レジスタンス』本部内、『VRダイブ室』。
幾つも並ぶベッド脇の小机上にあるモニターに目をやり、これ以上のダイブは危険だと判断した鏑木リッカ博士はカナタへそう言い渡した。
『第二の世界』から強制ログアウトさせられた少年は、上体を起こして鏑木博士を真っ直ぐ見つめる。
「ぼ、僕はまだやれます。……や、やらせて、ください」
「でもこれ以上続けると、バイタルに確実に異常が出るわ。ここは休むのが賢明よ」
カナタが任務に就いてから既に二時間が経過していた。その間、彼は常時『獣の力』を発動し、電脳世界に適応する『パイモン』の魔法を連続使用していた。
それだけの時間能力を発動すれば、消費する魔力量も莫大なものになる。下手をすれば命を落としかねない。
ベッド全体をぐっしょり濡らすほど汗をかき、呼吸も乱れている少年の様子に、鏑木博士は直ちに『メディカルルーム』へ彼を運ぶよう部下たちへ命じた。
「ま、待って……ぼ、僕がやらないと……ま、また、新種の【異形】が、来る……! い、【異形】、が、僕ら、と、接触すれば、するほど……」
「もう何も言わないで。――救護班、彼を移送しだい点滴と着替えを! 司令の御子息よ、万一のことがないように丁重に扱いなさい」
二名のスタッフによって担架に乗せられて部屋から出される間も、カナタはうわ言のように「僕がやらなきゃ」と言い続けていた。
彼を目で追いながら鏑木博士は思う。誰も役目を肩代わり出来ない現状は、何ともどかしいことだろう、と。
*
カナタが『メディカルルーム』に移されているのと同じ頃。
この日授業を持たない湊アオイは単身、SAM海軍本部へと足を運んでいた。
自分がやるべきはやはり『学園』で教鞭を執ることではなく、『レジスタンス』でパイロットとして戦うことだと、キョウジやナギとの会話の中で彼は思い直していた。
学園での前期課程が終わり、転職するタイミングとしても丁度いい。
「失礼します」
覚悟を決めて久々の海軍司令室のドアをノックする。
ほぼ間を置かず中から「入りたまえ」と男の声が返ってきて、生唾を飲み込んで手汗をズボンに擦りつけてからアオイは入室した。
「『新東京市立SAMパイロット養成学園』で教員を勤めています、湊アオイです」
「名乗らずとも分かっている。……戻る気になったか、若者よ」
上座の席に着いてアオイを迎えているのは、立派なあごひげが特徴の筋肉質で大柄な男性だ。
彼の名はイーサン・トマス・ミラー。アメリカ出身で黒い肌の彼は、『レジスタンス』アメリカ支部で司令長官を務めた後、日本の本部に移って海軍大将の立場を任じられた経歴を持っている。
かつてパイロットとして戦い、現在は引退して大将を務める壮年の彼は、灰色の瞳でアオイを見据えて問いかけた。
「はい。僕に迷いはありません」
確固とした口調で答えるアオイ。
青年の眼差しに一切の揺らぎがないのを見て取って、ミラー大将はそのあごひげを撫でさすりながら笑みを浮かべた。
「『学園』のほうの手続きは済ませたか?」
「はい」
「生徒たちには言ってあるのか?」
「……いえ、それは……」
淡々と訊ねてくるミラー大将の二つ目の問いに、アオイはばつが悪くなって視線を逸らす。
ミラーはそんな青年の様子に溜め息を吐いて、呆れ返った声音で言った。
「全く、君はもう少し周りの者のことを考えるべきだ」
「し、しかし……僕が出て行ったところで、生徒たちは何も思いませんよ。僕、教師としては彼らにただカリキュラム通りのことを教えただけで、他には何も与えてやれませんでしたから」
「……水無瀬から聞いたぞ。君と水無瀬とで月居カナタらへ話をしたと。卑屈になる前に、彼らを少しは省みてやったらどうだ」
人間関係でネガティブになりがちな青年を、ミラーは倍以上生きている人生の先達として導いてやった。
「先生」や「エースパイロット」として仰がれる立場のアオイだが、彼はまだ二十歳なのだ。平和な時代であったら一大学生としてキャンパスライフを謳歌していたような年齢である。そんな彼に重荷を背負わせているこの【異形】の時代を何度呪ったことか、ミラーには既に数え切れない。
「やるべきことをやったら復員を許可しよう。元エースパイロットとはいえ、約半年間乗っていないブランクがある。復帰してもいきなり【ガギエル】には乗せてやれないが、構わないな?」
「異論はありません」
それから一言二言交わしてから、アオイは退室していった。
その場に残されたミラーは、腕時計に視線を落として呟く。
「そろそろ時間か。大きな任務に人員の犠牲は常……分かっていても、誰かを戦場へ送り出すというのは気が重いな」
男はこれまで還らない部下を幾度も弔ってきた。彼らの名前は可能な限り記録し、忘れぬようにしている。
イーサン・トマス・ミラーが背負っているのは散っていった兵たちの亡霊だ。死者たちの中にはミラーをはじめとする上官を恨んで逝った者もいるだろう。いつか掴む本当の勝利を、人類の平和を、彼らの鎮魂のために捧ぐ――それを願って男はこれまで戦ってきたのだ。
「『福岡プラント奪還作戦』……陸・海・空の全軍を投入して臨む、『レジスタンス』最大規模の作戦、か。叶うのならば私もSAMに乗って前線へ向かいたいが……歯がゆいな」
*
円卓のもとに集いしは、『レジスタンス』が誇るエースパイロットたちと陸・海・空軍の上級将校たち。
彼らを率いる全軍の最高司令、月居カグヤは会議室に居並ぶ面々を見渡して告げる。
「『福岡プラント奪還作戦』の開始日は八月一日。期間は一ヶ月。物資の都合上、それ以上の延長は認められません」
その期間設定を聞いて将校たちの顔が苦渋に歪んだ。
道中には多くの【異形】がいると想定され、物資の輸送機を守りながら戦うことになると進行速度はどうしても遅れる。
これまでの長期任務を鑑みても、達成は正直困難を極めるだろう。
「今回のミッションは二個師団からなる部隊、及び海軍の輸送部隊によって行われます。第一師団長は空軍少将・御門ミツヒロ、第二師団長は陸軍少将・生駒センリ。輸送部隊の長はミラー大将に頼むわ。兵たちの編成に関しては各軍で決定し、今月末までに私へ報告すること」
カグヤに任じられ、【七天使】にも属する二人の青年は粛々と頷きを返した。
他の【七天使】の者たちも士気に溢れる引き締まった表情で自らの配備先の発表を待つなか、特にわくわくを顔に出しているのは毒島シオンである。
隣に座る風縫ソラに太ももを抓られて涙目になる彼女に、カグヤは「冷血」と呼ぶに相応しい無感情な視線を注ぐ。
「……他の【七天使】の部隊の振り分けを発表します。第一師団には毒島シオン、夜桜シズル。第二旅団には宇多田カノン、風縫ソラ。そして輸送部隊に水無瀬ナギ。それぞれが各師団内でどの部隊に属するかは、師団長が決めなさい」
「イエス・サー」
二人の師団長が恭しく答えるのを聞いてから、カグヤは作戦の概要を改めて語りだした。
『福岡プラント奪還作戦』の最終目標は、食糧生産を担う『プラント』及び『福岡基地』の奪還と、そこに根付いているであろう【異形】の掃討。さらには【異形】の再度の侵入を防ぐための基地の増強までも盛り込まれている。
将校たちが一ヶ月という期間設定に顔を歪ませたのは、このためだ。一つの作戦で行うには作業量が単純に多い。
それだけでなく『プラント』内にどれだけの【異形】がいるのかも、現状では全く判明していない。果たして任務を完遂できるのか――彼らの不安は絶えなかった。
陸軍大将の壮年の男、冬萌ゲンドウは固く腕組みして唸る。ちなみにその苗字から分かるとおり、彼は冬萌ユキエの父親であった。
「先遣隊を送るという案もあったが、目的地はもう三年以上も人が足を踏み入れていない領域だ。小規模の部隊を送ったところで、帰還できない可能性のほうが高い。早乙女博士によると、奴らは『プラント』に住み着くことで肥え、通常種よりも強大なものになっているかもしれないとのことだ」
「やはりぶっつけ本番ってこと? ンー、あの子たちにはちょっと荷が重くないかしら?」
陸軍大将の横で肩をすくめて煙管を咥えるのは、細身な女装の美男子だ。
艶めく赤いロングヘアーやバイオレットのアイシャドー、柔らかそうな唇に差す紅は情熱的な印象を与えるが、本人は至って冷然とした性格の空軍大将である。
マトヴェイ・バザロヴァ。ロシア出身である彼はパイロットとしての腕を買われて来日し、『レジスタンス』で初の飛行型SAMに搭乗した経験を持つ。空軍発足の発案者としてその頭を務めるマトヴェイはソラをはじめとする部下たちからの信頼も厚かった。
「大丈夫よ、マトヴェイくん。彼らには【七天使】がついている。それに、今回は【機動天使】のパイロットたちにも協力してもらうもの」
カグヤの発言に、円卓に座す誰もが息を呑んだ。
現在三名――いや、これから四人になる【機動天使】のパイロットたちは全員が『学園』を未卒業の子供たちだ。留学生のユイやレイはともかく、他の二名はまだ地上の光景を知るには早すぎる。
「司令、それでは御子息や四人目の少女が地上を見ることになりますが」
「いいのよ、冬萌くん。カナタには地上を……いえ、【異形】たちを知る権利がある。地上に彼らがどのような形で根付いているのかをね。四人目に関しては問題がないとはいえないけど、彼女は『同化』へ適応しかけている子供。確実に戦力になるでしょう」
難儀を示す冬萌大将にカグヤは首を横に振ってみせた。
大将が黙ったことで【七天使】以下の面々は何も言えなくなり、彼と同格のミラーやマトヴェイからも特に反論はなかった。
本日の会議はそれでひとまず終わりとなり、後日改めてこの面子が招集されることとなった。
少年たちへの招集状はその翌日には『学園』側へ送られ、彼らは自分たちが新たな戦いに身を投じることになるのを知る。
新暦20年7月20日。人類の希望を取り戻すための作戦の第一歩が、こうして踏み出された。
この時、子供たちはまだ知らなかった。その戦いが彼らに永劫の傷を負わせるのだということを。希望ある未来を掴むためには、現在の犠牲を対価とせねばならないことを。




