独裁者の国
「カイム様、起きてください」
リンの声が響いた時、居眠りから覚めた。
「え……あ、ああ」
どうやら眠ってしまったようだ。ガタガタと揺れる馬車にも慣れてきたことの現れだろうか。
「もうすぐ次の国へ到着するようですので、もうしばらくお休みください」
リンは微笑んでそう言うが、その顔に疲れが出ている。それもそのはずだ。慣れない馬車の上での移動は、体力を多く使う。
「お前もほどほどに休めよ」
そう言うと、再び目を閉じた。だが、さっきはよくガタゴトと揺れる馬車の上で眠れたものだと思った。
Kの領域に属する国『カルチエ』。そこがシールを出て三日目に到着した国の名前だった。通行税を支払い入国すると、どんよりとした空気が人々を覆っている。
「本当はこんな国寄りたくないんだれど、お母さんの相続金があるからね……」
心底嫌そうにしているクリマを見ると、この国には何かしらの問題があるのだろう。
「相続金を受け取って、明日には出るわよ」
クリマはまるで吐き捨てるように言うと、ムスッとしていた。
「なぜだ? 物資の補給もあるだろうし、しばらく滞在しても……」
「嫌よ」
無機質な声で言葉を遮ったクリマは、指を指してとある建物を見るように促した。
そこには、堂々とした城があった。城は青で塗装されており、Kと書かれている旗が風になびいていた。やはり王様でも住んでいるのだろうか? そう思わせるほどに、大きく、存在感に満ちていた。
「あれがあると面倒事でも起きるのか?」
違う、と返したクリマは、周りに聞こえないように小さな声で説明してくれた。
「この国の王様は数年前に変わった時からずっと、暴君として住民たちに謂れのない罪を着せて、牢獄に送り込んでいるのよ。それに、最近では囚人たちがどこかへ移送されているという噂も流れているの。そんな国に長居はしたくないでしょ?」
たしかに、ごたごたに巻き込まれるのは御免だ。今はクリマの指示に従おう。
「で? あんた達はどんな宿がお好み?」
こちらの三人に向けて問いかけながら、人ごみの中を馬車で華麗に進ませながら聞いてきた。
「ベッドと食い物があればそれでいい」
「私は、その、雑魚寝でも構いませんので、横になりたいです」
「僕も横になって眠れればそれでいいかな」
三人に共通することは、馬車の旅で疲れた体を癒したいという事だった。
「まったく……まぁいいわ。手ごろな宿を探しましょう」
そうして馬車は進んでいくと、何軒かの宿屋を見つけ、クリマが吟味し、一階建てで酒場が宿の内にある場所を見つけると、担いでいる金貨袋からではなく、おんぼろの財布から銀貨十枚を支払う。
「意外だな、お前からすれば小銭みたいな銀貨のための財布があるとは」
あなた、本当に常識がないのね、と呆れられた。
「貴族や王族が訪れる様な宿ならいざ知らず、こんな普通の宿で金貨なんて使ったら、お釣が払いきれなくなるのよ」
銀貨三十枚で金貨一枚。そして、銀貨二枚で宿に泊まれる。ヘイズもカルチエも入国料は銀貨二枚だと思い返すと、金貨の重みが理解できた。
馬を馬小屋に預けて案内された一階の端にある部屋には、ベッドが二つと、床に敷く布団が二つ畳んであった。
「この宿の宿泊料も、道中の買い物もあたしが支払っているんだから、当然ベッドはあたしのものね」
言い返してやりたいが、クリマの言う通り、今の所この旅はクリマ任せだ。
「あの、僕は床で寝ますので、みなさんで決めてください」
クラッドが早々に勝負から降りると、今度はリンが頭を下げた。
「私は奴隷の身です。布団を頂けるだけで十分ですので、ベッドはカイム様にお譲りします」
頭を上げたリンは笑顔でそう言うと、クラッドと共に布団を敷き始めた。
「びっくりするほどあっさり決まったわね」
「まぁ、あいつらは俺たちに仕えているような奴らだからな」
悪い気分じゃないわね、とクリマが言う頃には、布団が敷かれた。
「あたしは寝る。あんた達もとっとと回復して、旅を続けるわよ」
クリマはそのままベッドに潜り込むと、すぐに寝息が聞こえてきた。
「私も、ふわぁ……寝かせてもらいます」
リンがそう口にする頃には、クラッドも眠りの世界に落ちていた。
「それじゃ、おやすみ」
はーい、とうつらうつらとした声と共にリンが答えると、あっという間に眠っていた。
るリンが駆け寄ってきた。何事か? と、問おうとした時、宿の中からも同じような格好の人々が現れる。
「カイム様、そろそろお時間です」
なんの時間だ? と疑問を浮かべると、リンがそそくさと近づいて耳打ちする。
「"礼拝”に行くんです。カイム様がどちらの信仰にも属していないことは存じておりますが、表面上はKの信者です。この国では特に、朝の礼拝は義務となっているようなので、参加なされた方がよろしいかと」
断りたいことだが、それが原因で騒ぎがあっても困るので、しぶしぶついていくことにした。
「礼服なんてないからいつもの格好でいくが、大丈夫か?」
神は寛大なので、それくらいは許してくれるとリンが言うと、ローブに身を包んだクリマとクラッドも宿から出てきた。
「商人も神頼みはするんだな」
「本当なそこまで興味ないんだけどね。こいつがどうしてもって言うから」
こいつ、と指を指されたのはクラッドだった。
「記憶喪失だってのに、信仰心を忘れないとは、ずいぶんと熱心な信者だったんだな」
言われ、困ったように笑うクラッドは、自分でも不思議でしょうがないと口にしている。
「心のどこかで、Kを欲している自分がいるんです。その衝動にはどうにも勝てなくて……みなさんも来ていただいてありがとうございます」
そんな大事じゃない、なんていう会話をしながら道に出ると、辺りの空気は昨日と同じくどんよりと曇っていた。この国に入った時も感じた暗い雰囲気には、どうにも慣れそうにない。
「この国の暴君、”トラント・ディカプリオ”の仕業ね……。少しでも怪しいそぶりを見せれば、牢獄送りからの、どことも知れない場所に連れて行 翌日。東の空に浮かんだ日の光を受けて顔を洗っていると、普段からローブを被っていかれるのよ。そりゃあ、こんな空気にもなるわ」
たしかに、この国は馬鹿騒ぎしている酒場もなければ、屋台を出している行商人もいない。ただ、己の仕事をこなす為に生きているような連中ばかりだ。
「ついたわよ」
コンクリートと煉瓦で組み上げられた真っ白な教会には、いくつか青い装飾が施されている。視線を上げれば、青い旗が風に揺れていた。
「前々から気になっていたんだが、Kの信仰ってのは、青にこだわる理由でもあるのか?」
そう聞くと、またクリマは常識知らずだとため息とともに吐き出した。
「えと、その、Kの領域では、統治するアイルデンが氷の魔術を使うので青がよく使われます。代わりにUの領域では、ソワサントという国が雷の魔術を使うので、黄色が使われています」
クリマの代わりに説明してくれたリンの頭をグシャグシャに撫でてやると、改めて教会に視線を戻した。
「それで、何をするんだ?」
「決まってるじゃない。旅の無事を願ったり、罪を許してもらったりするのよ」
「これから復讐とはいえ人殺しになるやつでも話は聞いてくれるか?」
「それはそれ、これはこれよ。あんたも、しっかり祈るのよ」
そう言われても、正直興味がない。神だ仏だなどの連中は、宗教に無縁ともいえる日本人にとってすれば、オカルトもいいとこだ。
それでも三人は教会の門を開いて先に行ってしまう。この際Kの信仰とはどのようなものなのか知っておいても損はない気がすると思い、教会に足を踏み入れた。




