孤児:追記
マリアンヌのお陰で、孤児院の子供たちの識字率は飛躍的に伸びていった。
ヒュート君は真面目に直訴状を書き続け、将来的には王宮に勤める立派な文官となる。公平で間違いを許さない彼の姿勢は、続く後輩たちに受け継がれることとなる――。
そして、マリアンヌの行いはまたしても神官の盛大な曲解を生むことになる。
マリアンヌのしたことは孤児たちの教育の下地を造り、将来的な国の資源を生み出すことに繋がっていく。
それに気づいた神官たちは、マリアンヌの行ったことを改めて編さんし、国の教育基盤の教えとして一冊の本に纏め上げた。
〝マリアンヌ方式・優しい文字の教え方〟と命名された本は、教会の好意で格安で各地にて販売されることとなる。
たとえ子供たちの動機がどうあれ、マリアンヌの行ったことは国へ多大な貢献となることは間違いない。
マリアンヌ方式は貴族令嬢たちの初心な国への忠誠心を刺激し、貴族階級と庶民の子供たちとの手紙のやり取りは徐々に国中に広がっていくこととなる。
心優しいマリアンヌ様に続けとばかりに広がっていくそれは、ある種の伝染病のように流行していった。
それを成す前に教師を派遣し初期の文字教育をすることも徹底されることになるのだが、肝心の発案者はまたしても無関心なままであった。
「〝マリアンヌ方式・優しい文字の教え方〟? ……、あいつはいったい何をしているんだ?」
――詳細を知る者はいない。
※ ※ ※
王都、とある某所において――、
「ロビン様、〝マリアンヌ健康法〟の小冊子、万全を期して重版となりました。続く第二弾〝マリアンヌ方式・優しい文字の教え方〟も順調に売り上げを伸ばしています」
「さすがマリアンヌ様。その優しさは全国共通ですね」
儚い少年だったロビンは、それに色気を加えて増々美しく成長を遂げていた。ぼそぼそっと喋る話し方は以前から変わらず。しかもマリアンヌ信望も相変わらずといったところである。
「皆さん。完徹が続いていますが、ここが踏ん張りどころです。明日の未来のために頑張りましょう!」
ロビンがやや張り上げた声で激励を飛ばすと、周囲にいた神官たちはそろって「はいっ」と返事をした。
青年神官ロビンが教会を掌握する日までのカウントダウンは……近い?
※ ※ ※
はたまた、ここは王国郊外の農村である――。
「ねぇちゃん、あの噂知ってる?」
緩やかな坂道を転がるように走ってきた小さな女の子が、農作業を進める少女に話しかける。
「あの噂って、何よ」
「ほら、王都に住んでいるっていうマリアンヌ様の噂だよ」
「悪いことをする大人や、いたずらばかりする子供が頭からばりばり食べられちゃう……っていうあれ?」
酷い噂である。
王都を出たときはもう少しマシな噂であったのだが、改変に改変を重ねてえらいことになってしまっている。
「違うよぅ。それは古い方の噂でしょ。ふふん、ねぇちゃんは新しい方をまだ知らないね? 新しいのはね、〝進撃のマリアンヌ様〟って言うんだよ」
「また名称が変わってる……」
ちなみに最初の噂は〝強風のマリアンヌ様〟で、その次が〝恐怖のマリアンヌ様〟である。
〝強風のマリアンヌ様〟のときは、マリアンヌが通った後は塵ひとつ残らないというもので、その塵に例えられたものは主に病の元となる悪いものと悪人だった。
もうひとつの〝恐怖のマリアンヌ様〟というのが、今少女が言った「悪人の頭をばりばり喰らう」というものだ。
悪人というフレーズしか一致していない。いったい元の噂とはどういうものだったのだろうか――。
「進撃のマリアンヌ様はね、毒の棘を含む言葉を飛ばして悪人を叩き伏せたかと思えば、清く正しい心を持つ者には善行を与えちゃうんだって」
話しかけてきた女の子は、「すごいよねぇ。なんか恰好いい」とうっとりとした表情をしている。
「その噂のどこにうっとりする表現が……」
農作業の手を止めた少女は、呆れた様子だ。
「えー、悪い奴をばったばったとなぎ倒すんだよ? 恰好いいじゃん。決め台詞は、わたくしはハシュワット家の薔薇でしてよ、なんだって」
先ほどマリアンヌ様は言葉で相手を叩き伏せるのだと言ったばかりの女の子は、身振り手振りで悪い奴を倒すふりをする。
「決め台詞恰好いいー!」
「意味をよく理解してないで言ってるしょ。……まったく、もう」
興奮した様子で新しい噂を教えてくれる女の子に、手に付いた泥をぱんぱんと落として少女は苦笑した。
「何だか、水戸のご老公様みたいだね」
「ミト? ゴローコーって何?」
「ふふっ。何でもないよ。さぁ、今日は草取りだからね。しっかりお手伝いしてよ?」
「はーい」
快晴の空を見上げる少女の顔は、農作業を常にしているというのに色白で吹き出物のひとつもない。
風にそよぐ蜂蜜色の髪を撫でつけ、少女はにこりと微笑んだ。眩しそうに細められる瞳は、綺麗なヘーゼル色だ。
「今日もお天道様は絶好調だね」
小鳥を思わせる闊達な声が空に響いた。
やっと、ヒロインが出てきた……。