ヤマグチさんちの息子さん 1
梅雨に入り、どんよりとした空しか見られない毎日。今日は朝から雨だ。
そんな日でも『スマイリーマート』は休まない。年中無休、いつでも開いている。
「はぁ……今時期は洗濯物が乾かないわねぇ。乾燥機使ってるけど、全然追い付かないわ」
雨のせいか客足の鈍いこの日は閑散としており、ハラダは雑用も終わらせてしまったので暇を持て余していた。
「ハラダさん、お客様がいなくてもダラダラしないようにね」
発注の確認をしながら店長が、この道十五年のベテランに知れきったを釘を刺す。
「分かってますよぅ。でもね店長、一人もお客様がいない、やることも無くなった、あとはどうすれば良いんです?」
「片っ端から棚の掃除でもしますか?」
「それも昨日終わりました!」
実は昨日も、ものすごく暇だったため、ハラダはほとんどの時間を掃除に費やしていたのだ。まさか今日も同じくらい客が来ないとは思わず、もうやる所が無いくらいやってしまったのだった。
「困ったねぇ。仕事ができる人はついやり過ぎちゃうからね。うーん……」
「じゃあ、私の悩み相談に乗ってもらえませんか?」
バックヤードで納品された商品を片付けていたヤマグチが、カウンターに戻り二人に加わった。
「あら、どうしたの?」
「実は……うちの息子のことで」
「何番目?」
ヤマグチの息子は三人いて、上から高二、中二、小五で全員男である。
「長男なんですが……」
「あら、あのしっかりしたお兄ちゃん? あの子がどうしたの?」
ハラダはヤマグチの息子達とは面識がある。特に長男は、小さい頃から良く『ス・マート』にお使いに来ていたので、もはや家族のような付き合いであった。
その長男が何やらあるということに、ハラダは他人事とは思えず、顔を曇らせる。それを見たヤマグチは、慌てて取り繕うように笑った。
「いえ、そんな大したことではないんですよ? だけど、このままじゃ将来ニートになるしかないかもって……」
「ええっ? ニートって、充分大したことじゃないの! 何があったのよ」
「もしかして、学校でいじめられたとか? 不登校になってる?」
店長も彼を良く知っているので、心配そうに聞いている。
「いいえ、全く。毎日きちんと通ってますし、お友達も皆良い子ばかりです」
「じゃあ何が不安なの。私にはあの子がニートになりそうにはちっとも思えないんだけど」
「……あの子……オタクなんです」
「……へ?」
肩すかしを食らったような、間の抜けた声が出たハラダ。
「子供の頃からマンガやアニメは好きでしたけど、高校生になってからエスカレートしたみたいで、部屋中女の子のフィギュアだらけなんです! 壁はポスターがびっしり!」
「何だ、良いじゃないのそのくらい! 趣味は人それぞれでしょう?」
「お小遣いの範囲内なんですよね? だったら……」
「でも遅くまで起きてずっとアニメ見てるし、かと思ったら部屋に籠もって何かやってるし……」
「何かって?」
「それが分からないんです。時々ぶつぶつ独り言が聞こえてきて、声を掛けてもろくに返事が無くて。……我が子ながら、ちょっと怖いなって思ってしまうんです。親なのに」
初めは笑っていたものの、いつの間にかヤマグチは泣きながら話していた。
いつもカウンター下に置いてある箱ティッシュを差し出しつつ、ハラダは、普段穏やかで優しいヤマグチの異変をただ事でなく思った。
「すみません、取り乱して……」
「あなたがそんなに悩んでたなんて。気付けなくてごめんね」
「いえ、こんなこと相談してもご迷惑かけるだけですから。でも、聞いてもらってちょっとスッキリしました」
鼻の頭を真っ赤にしながら、ヤマグチが笑う。
彼女にどう声を掛けたら良いものか、ハラダと店長が顔を見合わせていると、不意に来客を知らせるチャイムが鳴った。
「おっと、仕事中だった。いらっしゃいませぇー」
「こんにちは!」
入って来たのは常連のササキだ。最近この店のアルバイトの大学生、アカネと付き合い始めた。頼りないササキを、しっかり者のアカネがリード(という名の調教)して、今のところ順調なようである。
「何だ、ササキさんか。今忙しいのよ。さっさと買い物済ませて帰ってね」
「ヒドい! ちょっと店長さん、この店員失礼なんですけどっ」
「いや本当に忙しいから、早くしてね」
「何なのこの店! 俺に冷たい! ……あれ、ヤマグチさんどうしたんですか? 分かった、ハラダさんにいじめられたんでしょ!」
「大丈夫、大したことじゃ……」
「ねぇ、ササキさん。この前アカネちゃんとドライブ行って大変だったらしいわね」
その一言にササキが凍りついた。
「ハ、ハラダさん……何故それを……」
「アカネちゃんから全て聞きました」
「え、何々? 何があったのー?」
暢気な野次馬の店長は、興味津々でハラダに先を急かす。ヤマグチも鼻をすすりながら、面白そうな話題に目が輝いた。
「ちょっと聞いてよー。ササキさんってばさぁ……」
「わわわハラダさーん! ……失礼なことを言って誠に申し訳ございませんでした」
まるで取引先へ謝罪に来たような、ササキの深々としたお辞儀。きっちり九十度。普段どのくらい、あちこちで頭を下げまくっているのか良く分かる姿である。
「ふん、分かればよろしい」
「ハラダさん、生殺しだよ。気になるから教えて!」
「店長さん面白がってるでしょ……」
「うん、君は本当に面白いね」
「……誉め言葉と受け取っておきます。そんなことより、ヤマグチさん何かあったんですか? いつもニコニコしてる人が泣いてるなんて、ただ事じゃないですよね」
「こんな事、お客様に話すような事じゃないから……」
賑やかな雰囲気が一変、また梅雨空のようなどんよりした空気に。ハラダは、余計なことを、と言わんばかりにササキの横っ腹を肘でつついた。
ところが、ササキは全く意に介していないらしく、ハラダを横へのけて勝手にティッシュの箱を掴み、ヤマグチへ差し出す。
「あ、ありがとうございます。……普通に手届いたけど」
「俺で良ければ相談に乗ります! 何でも話してください。スッキリしますよ!」
「ササキさん、いい加減に……」
「じゃあ聞いてもらおうかな」
「そう聞いてもらえば……って、ちょっとヤマグチさん、大丈夫?」
思いもしなかった彼女の言葉に、ハラダはそこまで追い詰められているのかと驚愕した。一方のササキは待ってましたと鼻息が荒い。
「何だか、おかしな事になっちゃったわねぇ……」
ため息混じりに天井を仰ぐハラダであった。