また? 召喚
そして再び部室。
二時間目の授業にはさすがに出ておきたいという俺の要望は、鳩時計の問答無用の一言で却下された。何が「世界の危機と授業、どちらが大事ですか?」だ。俺にとっては授業に出ない=おかんにブッ飛ばされるほうがよっぽど危機だ。俺という一つの宇宙の。
「では、整理をしてまいりましょう」
「その前に、その鳩時計をどっかに片付けろ。邪魔でせまっくるしい」
「むぅ……ぎゅうぎゅうだよぅ」
ただでさえ狭い科学準備室は、美緒による占拠以来、超科学部の備品と称するがらくたによってさらにその空間を圧迫されている。そこへ来て、超巨大な鳩時計の着ぐるみなんかを置いた日には、満員電車並みの人口密度になってしまう。いまも、すぐ隣のカナメの腕が俺の太ももに押し付けられている。しかも反対側には、
「ん、確かにこれは狭いな。というわけでシュータロー、この着ぐるみを実験室のほうに動かしてはくれまいか? そうしてくれれば、肘で胸の谷間を堪能していることについては不問に」
「んなこたしてねぇ!」
とは必ずしも言えないまでも、そこには決して劣情やら破廉恥やら青春の熱き血潮などは介在しない。仕方がないのだ。この狭苦しい空間で、他者と触れ合わないなどというほうが無理なのだ。不可能なのだ。だから、この程よい弾力と柔らかさに包まれた右腕の感触を一秒でも長く、なんてことは微塵も思っていない。断じて。
それを証明するように、俺は鳩時計の着ぐるみを抱えて、泣く泣く準備室から実験室に移動させる。にしてもこれ、むちゃくちゃ重いぞ。本当に木で作るなよな。
「変態でございますね」
「ちっげぇ!」
準備室に戻った俺に浴びせられた第一声は、ナイアガラによるその一言だ。しかも、道端のごみをみるような、蔑みの視線というオプション付き。
「ぴと」
「ん?」
心をえぐる精神攻撃に深い傷を負っていると、カナメがすぐ隣に寄ってきて、何やら俺の腕に抱きついている。
「何をやっとるんだ?」
「だからその……み、美緒が終わったから、つ、次はああああたしの番、かな、って」
「すまん、よくわからぶぇ!」
後頭部に凄まじい衝撃を感じ、とっさに床に手をついて体を支える。あまりに強すぎる衝撃のせいで思考はぐらぐらと揺れたまま、世界は震度二か三といった感じだ。
「ってぇな! 蹴ることねぇだろ。っつか何で蹴るんだよ!」
振り向くと、案の定ナイアガラがこちらに靴の裏を差し出して、先ほどのごみをみるような視線に殺意と呪いをプラスしたような、とんでもない視線をぶつけてきていた。
「ふん、でございます。この蹴りの意味がおわかりにならないようでしたら、わかるまで蹴り続けて差し上げますよ」
さすがにそれは勘弁だ。こんな重い蹴り、おかんでも滅多に打ってこない。この時点で、ナイアガラは超一級の危険物として認定しておく。同列の危険物(人物、ではない)としては、おかんと美緒のほか、ICBMやゴルゴサーティーンが名を連ねている。
なぜかしょんぼりと俯いているカナメを横目に、俺は美緒を促した。こういう場合、俺よりもこいつの方が的確に事態の核心を捕まえるだろうから。にしても、カナメのこの姿はたった一晩とちょっとの間なのに、もう定番のようになってしまっている。よっぽど引っ込み思案なのだろう。神様のくせに。
「どうやらカナメ君が神様だというのは本当らしいね。しかも人の願いをかなえに来たとは、何とも奇特な」
「だからそれ、何度も言ってるのにぃ」
その自信なさげな態度が、信憑性をレベルダウンさせる一因なのだが。
あらためて考えてみると、普通の人間の場合、疑問はそこから始まるものだということをすっかり忘れていた。カナメが言うには、下僕化に伴って、神の下僕としての最低限の知識は注入される仕組みらしい。噛みついたのはそういうことか? どういう仕組みだかさっぱりだが、便利を通り越してご都合主義すぎだろ、神様。
「しかし、なぜ神などというものが現れたのだろうね?」
「そりゃお前が呼び出したからだろ。召喚した人間の言うこっちゃねぇぞ」
その無責任さにほとほと呆れさせられるが、片や美緒は真剣に悩んでいる。まさかこの期に及んで、召喚魔法が成功するなんて思っていなかった、とは言うまいな?
「私が呼び出したのはあくまでも超科学部の部員だ。神である必要などまったくない」
「たしかにな」
「偶然だと言われればそうなのかもしれないが、私はどうにも根拠の乏しい偶然というのを信じたくなくてね」
「何事にも因果関係はある、とおっしゃるわけでございますね」
「神様を前にして、偶然やら奇跡を否定するようで申しわけないが、その通りだ」
なんとも美緒らしい。へ理屈も理屈のうちというが、美緒が言うとへ理屈でも不思議とそれらしく聞こえて説得力が与えられるのだから、これもある種の才能といってもいいのかもしれない。
「ときに、美緒様はまだその時の魔法陣をお持ちでいらっしゃいますか?」
「うん? 設計図でよければね。あの時の魔法陣はどういうわけか光の粒子になって霧散してしまったからね。大方、陣そのものが触媒となったのだから、発動と同時に消滅したのだろうとは思っているがね」
もちろん言ってることはさっぱり分からないが、自信満々なのでそういうものなのだろうということにしておく。
「ふむ……左様でございますか……ふんふん」
美緒の手渡したメモ用紙を見つめながら、しきりに何やら頷いているナイアガラだが、唐突にそのメモを机の上に置き、ある一か所を指差した。円形の魔法陣を取り囲むようにして書かれている文字と図形の中間のような場所だ。
「ここに、何と書かれましたか?」
「ここかい? これは、えっと、前後が『目の前』と『引きずり出す』だから、ここには新入部員と書いたはずだね」
「誤字でございます。これだと『神入部員』という意味になってしまいます」
手近な黒板に、漢字で「進」と「神」の二文字を書いて説明するナイアガラ。おいおい、なんだこの初歩的かつ致命的なミスは、と呆気にとられるがもちろんこの程度で美緒は動じない。いつも通りの涼しい顔で、片方の眉を少し持ち上げるだけだ。
「本当かい? いや、それは勉強不足だったよ。それなら納得だね、これは神を召喚する魔法陣だったわけだ。しかし妙だな。このようなミス、気付かないものか?」
「わけだ、じゃねぇよ! やっぱ諸悪の根源はてめぇじゃねえか!」
「まぁまぁ、実験には失敗や犠牲はつきものだよ、シュータロー。大事なのはそれをどうリカバーするかだよ。とまぁ、そんなことよりだ、本題は」
自分の失態をここまで棚上げする能力の方が、ある種の魔法だと突っ込みたくなる。
「あぁ、このままじゃ俺が授業に出られないってこと」
「魔法陣が発動していること、かな」
やれやれといった様子で美緒が首を振る。それもそのはずで、足元に落ちてるルーズリーフには、見覚えのある魔法陣が描かれて、しかもぼんやりと光っている。
「わぁい、ほんとだ発動してるね……じゃねぇよ! 何してんだ、この一瞬の隙に」
「いや、先ほどの誤字を修正すれば新入部員が現れないかと、ね。興味がわいた瞬間には実行に移していたわけだよ。ままあることだ」
もう、突っ込む気概もわいてこない。誰だよ、目の前の事態を解決するより、新しい問題を生み出すことに情熱を燃やす馬鹿に、燃料を与え続けるのは。
隣では、好奇心丸出しの目をしたカナメがおしるこの缶をぎゅっと握りしめている。アルミ缶だったら潰れてただろうな。
とか何とかやっている間にも、魔法陣は明るさを増し、昼なお薄暗い科学準備室を煌煌と照らし始めた。何もかもが昨夜の再現のようだ。
「もー、神様とか悪魔とか、変なの出てくんのやめてくれよ~」
悲痛なまでの魂の叫びだが、たぶん無理だろうなと、心のどこかではもうちゃんと諦めている。何せ魔法の行使者が美緒だ。穏便な結果など、絶対にあり得ない。
「神様、いやなの?」
好奇心むき出して光を見ていたカナメが、ふと俺を見つめて泣きそうな顔をする。
「いや、そういうわけじゃない。神様が嫌いだとか変だとか、そんな意味じゃない」
「じゃぁ、その……好き?」
何でこんな時に、白の裏側は黒みたいな話になるんだ。世の中にはグレーだったり色が付けられなかったりするものがたくさんあるんだと、誰か教えておけよな。
「さあ、どうなのでございます?」
「なんでおめぇまで絡んでんだよ」
「いえ、つい出来心でございます。と、ナイアガラは自身の好奇心に蓋をしつつも、申し上げます。いよいよ陣の発動でございますよ」
発動はいいとして、何でうちの制服なんか着てるんだ? どこで手に入れた?
なんて細かいところに突っ込みを入れる隙を、魔法陣の発動に奪われた。
これも、まんま昨晩の再現。急激に膨張した光が空中にはじけ、視界のすべてを光で埋め尽くす。
「うぉ! まっぶっし! 忘れてた」
そしてフラッシュバックする昨夜の記憶。もちろんそんな愚は犯さない。人間は学習するのだ。このままぼやけた視界の中をよろぼい歩けば、召喚で呼び出された何者かとぶつかってしまって、またまたあらぬ厄介事をしょい込むことになるわけだ。となれば選択肢は一つ、
「後退あるのみ!」
その場から撤退すべく、両手で目を覆ったままバックステップを華麗に決める。自分の後ろにはこまごまとしたごみしかないのは確認済みだ。
がちゃ
「美緒、千古君、いる? さっき食堂の方、歩いてるの、見えたから。実は、入部とど」
鼻っ面の数ミリ先を扉が通過する。間一髪直撃を避けられたものの、現れた人物が予想外すぎて一瞬思考が蒸発する。
「いいんちょ、何でよりにもよってこんなタイミングで」
「え?」
凄まじいまでの光を反射した眼鏡のせいで目元こそ見えなかったが、表情は驚きの色一色に塗りかためられていた。そりゃそうだろう、扉を開ければ中で閃光弾が炸裂したようになってんだからな。戦場だったら決着がついてるレベルだろ。
「なに? え? みお?」
部室で弾けた光は廊下にまで溢れだし、立ちつくしている吹水を問答無用で包み込む。
光の粒子が質量を持っているようにまとわりつき、吹水を覆ってしまうと、徐々にその姿は輪郭を失ってうすぼんやりとぼやけ始めた。
「おい美緒、今度も成功しちまったのか? 何だ? どうなってんだ?」
「あれ? 私の手、消えて。足も。あれ? あれ?」
見る間に俺の目の前で消えてゆく吹水。まるで消しゴムで消しているかのように、指先から徐々に輪郭が溶け出し、透き通ってゆく。このままじゃ、
「おい! 委員長が、吹水が消えちまうぞ! どうなってんだ!」
返事はない。周囲を見渡してみても、ただただ真っ白な何もない空間があるだけで、先ほどまでいたはずの部室は影も形もない。霧の中にいるような、白一色で塗られた箱の中にいるような、不思議な場所だ。どこだよここ?
そうこうしているうちにも吹水の姿は消え続け、今では陽炎のように揺らぐ姿がぼんやりと確認できるだけだ。完全に消えてしまうのも、時間の問題に思えた。
「くっそ! 間に合えぇぇぇ!」
何に? 言った自分でも意味はわからないし、間に合ったところで代わりに自分が消えるのか、仲良く一緒に消えるのかもわからない。とにかく俺が言いたいのは、
「きえるなぁぁぁ!」
とにかく絶叫していた。
喉の奥を雑巾のように引き絞り、バランスを取るのも忘れて吹水に向かって手を差し出す。その手を握れば助かるとでも言うように。
俺の手の中にある、光を。
光?
おかしい。やけに世界がスローモーションだとは思ったが、それにしても時間がたちすぎていやしないか? それどころかまるで時が止まっているような。
「いや、止まってるな、これ」
消えゆく自分の手を見つめていた吹水の動きも、ビデオの一時停止ボタンを押したように静止している。しかも、その周囲に漂う光の粒子までもが、ピクリともせずにその場に浮かんでいる。
「シュウぅ?」
「お、か、カナメか?」
そんな中で聞いた聞きなれた声って、なんて安心できるんだろうな。うっかり、へたり込んでしまいそうになる。
「シュウぅ。その手」
カナメの言うとおり、俺の手は光に包まれていた。何やら温かくて、柔らかい感触のする不思議な光だが、血縁に蛍光灯や懐中電灯がいるなんて話は聞いたことがない。手が光るなんて不思議現象、自慢じゃないが生まれて初めてだ。
「ああ、なんだろなこれ? なんかいきなり光出して。って、お前は動けるんだな」
「はやく、触れてあげてよぅ」
何が何やらさっぱりの俺が、山もりの聞きたいことを整理できずにいると、カナメは落ち着いた口調で吹水を指差した。
「え? 触れるって、なんで? それよりこれ」
「いいから、早くしないと、せっかくの奇跡も間に合わなくなっちゃうよぅ」
「お、おう。さ、触れば、いいんか? っつか奇跡って」
取り合えずカナメの方が何か知っていそうだったので従っておくことにした。「間に合わない」という言葉にチキンな俺は抗うことができないのだ。
先ほどまでが嘘のように落ち着き払った俺は、ゆっくりとした足取りで吹水に近づき、手を差し出そうとして一瞬ためらってしまう。だって女子の体だ。触れたと同時に痴漢認定か変態認定された日には死んでも死にきれない。そうでなくても女体だ……いや、いかがわしいことなんか考えてないからな。断じて。
「シュウぅ、早くぅ」
「わぁっとる! んえぇい!」
やけくそ気味に、肩と二の腕の境目あたりを掌で軽く触れる。あくまでもソフトに、ポンと肩を叩くように、エロさを感じさせないように。
すると、それまで俺の手を包んでいた光がふわりと広がり、あっという間に吹水を包み込み、周囲のすべてを飲み込んでいった。
その光に包まれながら、ゆっくりと意識が白濁してゆく。眠気に耐えて意識を現実につなぎとめるのに近い。どうにも抗いがたい。暖かくて、柔らかくて、まるで冬の朝の布団の中のように……
「シュウぅ。駄目だよぅ、あんな無茶しちゃぁ」
ん、て言っても吹水が危ないって思って。
「ほんとに、ほんとに危ないんだよぅ」
知らねぇって。危ないって、何がだよ。
「消えて無くなっちゃったら、ど、どうしようかと……思ったよぅ。だからぁ」
なんだそれ?
「かぷっ」
……痛い。




