誘拐? 事件
「なんでお前がここにいる?」
「それはこちらのセリフだと思うのだが。授業はどうしたね?」
まったくもってお互いさまなので、あえて突っ込まずに手近な椅子に腰かける。
科学準備室。
相変わらずのカオス空間を見渡すと、何やら魔法陣の試し書きのような紙がそこらじゅうに散乱していて、新人画家のアトリエの様相も加味されている。まさか、昨日あれから帰ってないのかこいつ?
「美緒、お前授業ちょくちょく学校休むと思ったら、こんなことしてたのかよ」
「そのことに関しては訂正しておこう。授業など私にとっては余興でしかない。ちなみに、学校に来ているかどうか、という意味では私は皆勤賞だよ。土日も」
しかもこの女、出席しても教室ではいつも授業に関係のない本を読んでいたり寝ていたりするくせに、この間の中間テストの成績は学年上位という、教師からすれば何とも鼻つまみな存在だ。まじめに出席してノートを取っている俺が真ん中あたりをうろうろして、うっかりすると下位グループというのは解せない。世の中間違っている。
「まあそれはさておき、連れてきたのかね?」
美緒が指差したのはおれの隣、所在なさげにおどおどと立っているカナメだ。
俺はカナメを学校に連れてきた。いや、正確には、連れてこざるを得なかったため、教室に直行できなかったのだ。
「仕方ねぇだろ、離れられねぇんだからよ」
「ほう、これはまた朝からお熱いことだね。たったの一晩でそこまでの関係になるとは、愛の力というのは偉大なものと」
「違う。そういう甘ったるい意味じゃない。本当に離れることができない、距離をとることができないんだ。物理的に、空間的に」
変な誤解が生まれる前にその芽を摘んでおく。とくにこういった問題は早期発見早期対処が基本だ。が、さすがの天王寺美緒をしても俺の言っていることは俄かには信じられないらしい。そりゃそうだろう。俺だったら間違いなくそいつの脳を疑って憐れむ。
「ま、口で言ってもわかんねぇと思うから、見てろ」
「ん? うん、見ろというのなら見るが?」
美緒の返事を待たずに俺は回れ右をすると、全力で床を蹴って廊下に飛び出した。準備室を飛び出してすぐに『廊下を走るな』の張り紙があったが当然無視。朝日の差し込む授業中の廊下は、現実から切り離されたように静まり返っている。
その中を俺は走りぬけた。そこそこに本気の疾走で。
生物実験室を通り過ぎた所でちょっと減速、角を曲がって隣の特殊教室棟への渡り廊下に差し掛かった。窓から差し込む光を目指して再び加速し……と、そこで視界がぐにゃりと歪み、
「というわけだ」
「ほう……これはすごい。確かに、離れられない関係、だな」
俺は再び科学準備室にいた。
もちろん、走って戻ってきた過程を省略しているわけではない。ちゃんと角は曲がったし、渡り廊下に向けて走った。なのに、次の瞬間の俺の視界には、科学準備室としての機能をほぼ失いかけているカオスな空間が広がっている、というわけだ。
駒落としの映像で次の絵を間違えたような、とでも言えば分かりやすいかもしれない。
「いきなり現れたように見えたが」
「多分それでいいと思うぞ。俺はついさっきまで渡り廊下んとこにいたからな」
「ワープだな、まるで」
そう、これが俺がカナメから離れられないといった理由。
「どうやら、一定距離以上カナメから離れられないらしい。今朝もそれで大慌てだった」
今朝は本当にびっくりした。なにせ、学校に行こうと家を出て、しばらく歩いているといきなり家の中に戻っていたのだから。しかも土足で。オカンに意識が飛ぶほどブッ飛ばされたのは言うまでもない。が、さらに問題だったのは、カナメの説明だ。
「わ、私はシュウを下僕にしたからぁ、そのぅ、勝手に離れたりできないようになっていて、だから、逃げ出そうとしても戻ってくるようになってるんだよぅ」
「ってことらしい。しかも、カナメは自分ではこの状態を解除できんらしい」
「メモ、し忘れてたみたいなんだよぅ」
「何ともお熱い関係だね、君たちは」
「お前、今の話聞いてたか?」
ほくそ笑みながらマジマジと俺とカナメの二人を見つめ、美緒は何やら考えているようだが、どうせロクでもないことだろうから、俺は話を進める。
「で、ここに来たわけだ。学校サボったらかーちゃんにぶっ殺されるし、でも教室にメイド服着た女の子なんか連れてけねぇだろ」
カナメはなぜかメイド服を着ていた。というのも、我が家には女の子用の服というのが皆無で、唯一タンスの奥に眠っていた、店の開店イベントで使ったメイド服が唯一カナメの着られる服だった、というわけだ。ちなみにカナメが最初に着ていた着物のような不思議な服は、今朝がたおかんが思いっきり洗濯機にぶち込んでたが、大丈夫なのか?
もちろん正門を通って堂々と登校もできないので、校舎裏にあるフェンスの裂け目を潜り抜けるという裏ワザで学校に侵入している。
「説明としてはわかったのだが、それでなぜここに?」
「いやいや、どう考えてもこうなったのは昨日の魔法実験が原因なんだから、解決しようと思ってここに来るのは普通の考え方だろ」
「解決? 何か問題があるのかね? 特にそういったものは認められないと思うが」
さらりと言ってのける表情は、本気でそう思っているようだ。それどころか、なぜおれがそんなことを考えているのが疑問だと言わんばかりの疑いに目を向けてくる。頼むから、首をかしげてアホな子供を見るような表情をするのはやめてくれ。
「大ありだろ! お前、どんな思考回路してんだよ。どう考えても不便だろ!」
「そうかい? 美少女メイドが四六時中べったりと付き添ってくれる生活など、思春期真っ盛りリビドーいっぱい夢いっぱいの男子にとっては、むしろ願ったりかなったりの環境ではないのかね? そもそも、デメリットは何だね?」
たしかにその物言いだけを聞いていれば、これほどハーレムで男心をくすぐる設定もない。が、それはあくまでも言葉のマジックでしかないことも、実体験済みだ。
「あのな、どこに行くのも絶対一緒って、既にデメリットだろ」
この呪いの場合、中心はあくまでもカナメであり、俺はその付随物、おまけなのだ。先ほどのように俺が遠ざかれば強制的にカナメのところに戻されるが、カナメのほうから離れて行った場合でも、俺はそこに強制的に呼び寄せられてしまうのだ。
「しかし、その瞬間移動はどちらなんだろうな」
「どっちって、何がだよ?」
「大別して、瞬間移動というのは二種類あるといわれている。空間移動方式と、空間置換方式だ。私個人としては後者のほうが現実的だと思っているのだが、カナメ君は神だから何があってもおかしくないだろう。というわけで、実験を」
「やらねぇよ! どっちでもいいわ。それよか美緒、さっさとこの呪いをといてくれ」
「呪いだなんて、ひどいよぅ」
ギュッと両手を握ったカナメが、半泣きの目で訴えかけている。なんでお前がここで必死になってんだ? 多少の驚きとともに見つめていると、カナメは急激に顔を真っ赤にしてしぼんでしまった。項や耳まで真っ赤にしてしょぼくれる神様ってのも滑稽だ。
「お前の魔法なら何とかできるだろう?」
「無理だね」
即答かよ。
「そもそも、魔法というのも万能ではない上に、私に使えるのは召喚魔法のみだ。今はまだ。まぁ、因果律から神の力から何でもかんでも断ち斬るインチキのような剣でも呼び出してくれというのならやってみないでも」
「やめておこう。世界の終末が目に見えるようだ。にしても、なんだこの不便さは」
「あ、あぁぁ、怒らないでよぅ。私だっていきなり呼び出されちゃって、びっくりしたんだもん。願い事のために呼び出されたのなんて初めてで、だから、その……」
唇を尖らせて、こちらの様子をうかがっている。くそう、無駄に仕草が可愛いぞ。
「まあ大丈夫だ。実害はないのだろう? のんびり構えてキャッキャうふふしていれば」
「見つけましたよ、誘拐犯」
勢いよく扉が引き開けられる音とともに放たれた一言は、見事にその場のグダグダな空気に張りを与える。ツヤは与えてくれないが。
そして、そんな空気が一瞬にして凍りつく。そりゃそうだ。扉を開けたのが鳩時計だったら、誰だってそうなる。
「時計から、足がはえとるな」
時計といっても多種多様だが、目の前にあるのは人間一人がすっぽり入るサイズの巨大な鳩時計だ。そこから生えている手足がすらりと長くて細い。その部分「だけ」を見ればモデルも真っ青だが、ほかの部分を見れば違う理由でモデル以外も真っ青だ。
ぱっぽー、ぱっぽー
「もう九時か。今日は一時間目は諦めたほうがいいようだね、シュータロー」
「だな」
「見つけましたよ、誘拐犯」
鳩時計のてっぺん、ハトが飛び出す扉が開くたびに、そこから顔が見える。どうやらそこがのぞき穴になっているようだが、それだと一時間に一回しか外が見えなくて不便だろう、と突っ込んだりはしない。こんなことを突っ込んだら、鳩時計コスプレそのものを認めてしまうことになる。許されざる非常事態だ。というか、非常識事態だ。
「でだな、俺としてはさすがに教室にまでカナメを連れていくわけにもいかんだろ」
「無視をなさらないでください。意外と傷ついてしまいます」
「自分で鳩の扉開けにゃまともに顔も出せないようなやつ、相手にするわきゃねぇだろ」
しまった、相手をしてしまった。もろに鳩時計の中のやつと目があってしまったが、それもすぐに扉が閉まって見えなくなる。
ごそごそと手が動いて、何とももどかしく宙をつかんでは同じところを行ったり来たりしている。何がしたいのかわからん。
「もしかして扉を開けたいのではないか? 手伝ってやりたまえ」
「まじかよ? 相手したくねー」
と言いつつも、さすがに一回突っ込んでしまっているので無視するのも忍びない。俺は親切にも鳩時計に近寄り、ハトが出てくるところの扉を開けてやる。あ、ちゃんと木製だ。凝ってるな。
「見つけましたよ、誘拐は」
パタン。
「何をなさいます? 開けておいていただかないと会話が成り立ちません」
「やかましい。いきなり現れて何が誘拐犯だ。ってか、鳩時計に誘拐犯呼ばわりされる覚えはない。通報されたくなかったらとっと去れ」
「盗人猛々しいとはまさにあなた様のことでございますね。私といたしましては一刻も早く貴方様に制裁を加えたのちに。と、それよりもカナメ様、カナメ様はいずこに?」
いきなり何かに気づいたようにきょろきょろとし始める鳩時計だが、そのでかい図体で動き回るな。ただでさえサイズがでかいのに、動くと装飾やらなんやらが引っ掛かりそうになって危ない。
「目の前にいる! 動くとカナメを轢いちまうぞ。って、あんたカナメの関係者か?」
今更ながら、俺の知り合いに鳩時計を着るような女はいない。美緒ならこういう知り合いの一人や二人いてもおかしくはなさそうだが、先ほどの反応は他人のそれだ。となると、必然的にこの気ぐるみ女はカナメの知り合いということになる。
「ナイアガラはカナメ様の付き人であり保護者であり身元引受人も買って出ております。わかりやすく申しますなら、恋人でございます」
「ち、違うもん! こ、こい、びとなんかじゃ。ね、違うんだからね!」
「いや、俺に向かって力説せんでも。そもそもどっちでもいい」
「ふえぇ~。ひどいよぅ」
「で、その辺はいいとして、あんたが」
「ナイアガラ、でございます。人界の方が軽々しく声をかけてよいナイアガラではございませんが、それだと会話が進みませんので親切にも返事をして差し上げます。ああ懐の深いナイアガラ。それで、なんでございましょう?」
めんどくさいやつだが、とりあえず今は我慢だ。冷静になれ、必要なのは冷静さだ。
「ナイアガラさんは、カナメを連れ戻しに来た、ってことでいいのか?
「ふぇ?」
カナメが素っ頓狂な声を上げる。いや、そこはお前が疑問に思うなよ。
「左様にございます。本来ならば、人界のものが軽々しく声をかけてよいナイアガラで」
「そのくだりはわかったから」
「情緒を解さないのでございますね、人界の方は。と珍しく非難がましいことを考えたことは内に秘めたままお答えいたします。半分正解といったところでございましょうか」
「半分?」
澄まし顔でナイアガラはすっと目を閉じるが、いかんせん鳩時計を着ていてはどんな演出も効果を発揮しない。というか、ずっと扉を開けているのはそろそろめんどくさい。
「えぇ。残り半分はあなたでございますよ、誘拐犯」
びしっ、と指っされたので、思わず扉から手を離してしまう。パタン。
「ちょっと、何をなさいます。卑怯でございますよ」
落ち着いた声音とは裏腹に、慌てて扉を開けようとしているようだが、先ほど同様にうまく開けられずに手がおろおろと宙を泳いでいる。
もちろん、そんな光景を見た俺が導き出す答えは一つだ。
「さーって、二時間目までたっぷりあるし、食堂にジュース買いに行くかな」
「私はカルピスだ」
「似合わねーもん飲んでんじゃねぇよ。っつか、さらっとパシらせんな」
「あ、あたしは、おしるこがいいんだよぅ」
控えめに手を挙げて、人差し指をくわえたカナメが申し訳なさそうに要求する。だから俺は優しい笑顔を作って頭をなでてやる。
「おめーは来るんだよ。さもないと俺は食堂にたどりつけん」
「あっ」という顔をした直後に、失敗に顔を真っ赤にして俯いてしまう。どうやら本当に気づいていなかったようだ。
「やれやれだぜ」
ため息がこぼれたが、とりあえず今だけは逃避しておく。
背後で何やら文句を言いながらドタバタと動き回る鳩時計という、非常識に彩られた非現実から。こんなもん、誰が現実だって認めてやるか。
食堂の自販機で俺はカルピスとおしるこ、そして自分の缶コーヒーを購入し、その場でコーヒーの缶を開ける。おしるこはカナメに渡してやったが、熱々の缶を両手で持てあましているようで、落としてしまわないか心配だ。
ただ、そっちに気をまわしてやれないのっぴきならない事情もある。
「っつか、付いてくんなよな」
「どこまでも付いてまいります。私には大事な使命がございますゆえ」
食堂のテーブルに腰を下ろした俺の向かいには、鳩時計を着たままのナイアガラが堂々と仁王立ちしている。サイズがでかすぎて食堂用の丸椅子には座れないらしい。
「俺が誘拐犯ってどういうことだよ?」
缶コーヒー独特の、ちょっと酸味の強い味が口いっぱいに広がる。
「どうもこうもございません。あなたには、カナメ様の、つまり神様誘拐の容疑がかかってございます。というわけで、私はあなた様を確保せねばなりません。おわかりいただけますか?」
「いただけねぇな」
「では、おとなしく私とともにおいでください。貴方様には黙秘権も弁護士を依頼する権利もございませんのであしから」
「まてまて、いただけねぇっつってんだろ。人の話聞けよ」
まったく、どうして俺の周りには人の話を聞かない奴しか寄ってこないのかね?
「何がご理解いただけませんでした? 黙秘権についてでございますか?」
「違う。その前、俺が誘拐犯だってとこがそもそもいただけねぇの」
「これはまた異なことをおっしゃいますね。カナメ様の姿が突然掻き消え、人界に強制的に呼び出されたかと思うと一向にお戻りになられません。これを誘拐と申さずして、なんと申しましょう?」
たしかに、そのくだりだけを聞けば文句の一つも言えない気がする。だがそれでも、
「俺は誘拐なんかしてねぇし、下僕だかしもべだかにされたのも勝手にやったことだ。俺はむしろ被害者だ」
「なんと……いや、騙されません。そのような戯言で私を謀ろうとするなど、言語道断でございます。願い事を叶え終わったらすぐに神界に戻るはずでございます」
「しんかい? ああ、神界ね。はいはい」
神界。俺たちの住む人間界とは別に存在する神様の世界ってことらしいけど、知らない間にかこういう知識が刷り込まれているのは、なんだかむずがゆい。
「嘘じゃねぇし。なぁ、カナメからもなんか言ってやってくれよ、このままじゃ俺、誘拐犯扱いだ」
ようやくプルタブを開けることができたカナメは、ホクホク顔で中身をすすっている。あんまりにもうれしそうだったので、「ちゃんと缶振ったのか?」とは聞けなくなる。
「修太郎は、誘拐なんかしてないよぅ。あたしが手違いで下僕に、しちゃった、から」
「マジでございますか?」
「マジ、なの……突然のことでびっくりして、その、手順間違えちゃってぇ……」
もじもじと申し訳なさそうにうつむきながらも、おしるこを啜るのはやめない。よっぽど甘いものが好きなんだろう。ただし、空いた方の手で、ポシェットから取り出した例のメモ帳を差し出している。開かれたページに視線を落としたナイアガラのこめかみが、びっくりするほど痙攣している。血管はじけ飛びそうだぞ。
「なんという軽率なことをなさったのですか。カナメ様は神様でいらっしゃるのですから、もっとご自身の御役目というものに責任をお持ちになってくださいませ。たったの一晩でもあなた様がいらっしゃらなかったおかげで神界はそりゃぁもう芋の子を洗うような大騒ぎでございましたのに」
「たぶん日本語間違っとるぞ」
「それは、わかってるよぅ。でもでも、あ、あたしだって予想外って言うか」
神様の世界でも大騒ぎになるのか。俺には全く想像もつかない話なので、とりあえずは傍観を決め込む。おかげで缶コーヒーはあっという間に空っぽになってしまう。こんなことならサイズのでかいお茶やコーラにでもすればよかった。
「そのようなご無体を……しかし、問題なのは何よりもかような下賤のものが、カナメ様から離れなくなってしまったという由々しき事態の方でございますね。むしろ私とそういう関係に……」ごにょごにょ
「んなこと言われたって、俺だって離れられんなら今すぐ離れるっつーの」
「えぇー、シュウひどいよぅ」
「やかましい。誰が好き好んで」
「でもでも、だって、あたしだって、その……」
「と、お話はここまででございます」
鳩時計がクルリと回れ右をし、カナメを背中にかくまうように両手を広げる。
何やらただならぬ気配を感じた俺は、息を殺してじっとナイアガラの視線を追う。鳩時計のせいで顔は全く見えないが、多分この変だろうとあたりをつけて睨む。
そのとき、一時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
と同時に、バタンという音がして再び扉が勢いよく開き。
ぱっぽー、ぱっぽー
鳩が飛び出す。
「九時半、でございますね」
「俺の緊張感、返せ」




