魔法? 実験
微調整を加えることさらに数時間。美緒の言う「魔法陣」とやらが完成したのはよかったのだが、問題はそれをどうやって発動させるか、にあるらしい。
もちろん俺はそんなもの真に受けてはいない。じゃぁななぜこんな実験に付き合うのかというと決まっている。魔法とやらが発動しないことを見届けるためだ。
「うーん、部員一人を召喚するとなるとそれなりの広さが必要だから、科学実験室では無理だ。机が動かせない。となると」
既に日も落ちた廊下は、怪談やら七不思議やらを信じていない俺でも不気味だというのに、美緒は何の気後れもない足取りでずんずん進んでいく。消火栓の赤と非常口の緑ぐらいしか明かりのない校舎を傲然と歩くマッドサイエンティスト。そんな光景は、B級ホラー映画のように見えなくもない。あ、サイエンティストじゃなくて魔女か。
『マッド・ウィッチ』なんて言葉あるのか?
「いま私の悪口を言わなかったかい?」
「言ってねぇよ。それよかどうすんだよ。もう八時前だし、先生とかに見つかると厄介だろ。とくにお前の場合」
別に俺は大丈夫というわけではないが、こういう場合は有名人であればある程旗色が悪くなるのが定番だ。そういう意味で、美緒はこの学校で最も有名といえる。悪名だが。
「う~ん、条件を満たす場所が限られるだけに惜しい。できれば魔法行使の際に魔力の補助となる力、たとえば電力や気の力が確保できるに越したことはないのだが、それを考えるとかなり限られてしまってね。設備も超科学部のものだけでは心もとない。全く、科学部だというのに以前の部員は一体何をしていたというのだ」
むしろちゃんと科学部してたからこそ、お前が困るんだろう。
「じゃぁ、技術室なんかどうだよ? あそこならなんなりと機材あるだろうし、確か教室の後ろにスペースあっただろ」
助け船を出してみる。どうせ途中で抜けて帰れないのなら、さっさと終わらせてとっとと帰るほうがましというものだ。
「名案だな。うん、あそこなら大丈夫だろう。さすがはシュータローだ」
人差し指をぴんと立て、窓から差し込む月明かりに頬を照らされた美緒の姿を、迂闊にもきれいだと思ってしまったが、そんな思いも長続きはしない。
相変わらず暗い廊下をしばらく歩くと、廊下の突き当たりに目的の技術室が現れる。
木工や機械工作を目的としている特殊教室で、その性質から防音や遮光性にも優れているうえに工作機械には事欠かない。悪ガキじゃなくても子供心をくすぐられる場所だ。
その扉を前に、俺と美緒は立ち尽くす。
「ま、普通はそうだよな」
扉に手をかけて引っ張ると、がこんっ、という重い音がしてそれっきり扉は動かなくなる。当然だが、鍵がかかっているのだ。
「ちゅうこって、本日の部活はここまで。惜しかったな、せっかくここまで来たのに」
まあ、魔法陣の実験というのにも興味がなかったと言えばうそになる。魔法なんてものが実在すると考えるほど夢見がちではないにせよ、あの美緒ならもしかしたら、なんていう妄想に近い期待も全くなかったわけでは
ばきんっ
踵を返して帰りかけた俺の耳に飛び込んできたのは、鈍い金属音。まぁ、この時点で何パターン化の想像はついていたのだが、その中に一つもハッピーエンドにつながるものはなかった、とだけ言っておこう。というか、すべてバッドエンドルートだ。
そしてもちろん、俺の隣にいる最狂にして最凶にして最強最悪の魔女は、何の躊躇もなくその中で最悪のチョイスをしてくれた。
「さ、中に入ろうか」
「まて! お前、何持ってんだよ。ってか、何した?」
何した、って聞くのもおかしいが、それでも聞いてしまうのが人のサガ、情ってもんだろう。いくら目の前で扉のノブが無残にもぶっ壊され、いくら魔女の手にバールが握られていても、聞くのが人の道だと信じたい。
「扉を開けただけだが、何をそんなに」
「驚くわ! ってか、何やってんだ、これじゃ俺たち完璧に犯罪者だぞ。なんでバールなんか持ってんだ!」
「ちがうよ、バールノヨウナモノだ。そう報道しないと、バール業界からマスコミに対するクレームが」
「そんな業界はいい! バールでもようなものでもどっちでもいいわ! とにかく」
「大きな声を出すと、警備員が来る」
あわてて口をふさいで背後を振り返る。幸い誰かが来ている気配もなかったが、あらためて自分のコソ泥行為が後ろめたい。
「じゃなくて、んあ~畜生。俺は無関係だからな」
「あはは、君はジョークのセンスもあるのだな」
バールを肩にかかげ、悠々と技術室に踏み込んだ美緒の背中はなぜか誇らしげで、こちらが間違っているのではないかという錯覚を引き起こされそうになる。
そこからの三十分は、とにかく速かった。
いつ見回りの教師(そんなものがこの学校にいるのかどうかは知らないが)が来るかもしれないという思いと、さっさと終わらせないと次はどんな事件に巻き込まれるかも知れんという焦りが、俺の身体能力を何割増しにもしたのだろう。
気づけば、床には美緒が設計した通りの魔法陣が直径三メートルほどのサイズで描かれ、電源につながれたバッテリーとそこにつながる一対の電極が用意されていた。
時計を見ると午後八時を少し回ったところ。三十分ちょっとでこれだけの作業を終わらせたのには、さすがに驚いた。
「うん、上出来だ。これなら絶対に成功する」
「成功したらどうなるのかはあんまり想像したくないが、まあちゃっちゃとやってくれ」
実に軽くそう言ったのは魔法なんてこれっぽっちも信じていなかったからなのだ。当然、結果なんて見なくても分かっているつもりだった。
「そうだな、もたもたしていて邪魔が入るなどもってのほかだ。始めるとしようか」
言いながら、美緒は電極の片方を俺に押し付け、自分はもう片方を手に魔法陣を挟んでちょうど反対側に移動する。
「私の合図とともに電極を指定した場所に押し当ててくれたまえ。成功すれば陣に通電し、その電力を触媒として魔法が発動、新入部員が召喚されるというわけだ」
「わかったから、合図しろよ」
見回りの目を警戒して蛍光灯も付けられていない室内には、窓から差し込む月明かりと、電極につながるコンデンサの動作を知らせるLEDランプのわずかな明かりだけ。あとは夜を切り取ってきてそのまま詰め込んだような闇が、静かに沈殿している。
そのせいで、対面にいる美緒の表情はわからない。うっすら輪郭がわかる程度だ。
ある種の静謐さを感じさせる空気に、まさかとは思いながら息をのみ、はっとなる。
何か期待してたっていうのか、俺。あほらしい。こんな実験ごっこはとっとと終わらせて家に帰る、それだけだ。魔法も発動しなければ新入部員も来ない。俺も晴れて自由の身、万事解決だ。それが俺の予想であり、望みだ。
「では、召・喚!」
「へいへい」
勢いよく宣言した美緒に対して、俺は投げやり気味に電極の先っちょを、床に描かれた魔法陣に接触させる。本来は対極の端子を接触させて放電、通電する持ち運び用のコンデンサなのだが、それはもちろん間に電気を通す物体ないし電力を消費する抵抗あってのことだ。電気を通さないものにくっつけても何も起るはずが、
パシッ!
端子の先に、火花が上がる。
弾けるような音とともに、端子の先端が光に包まれたかと思うと、その光はあっという間に床一面に広がって教室全体を光で包みこむ。
「違う、光ってるのは、魔法陣?」
「おぉ! 成功だよシュータロー。はは、超科学の、魔法の夜明けだよ」
美緒の声も耳に届かない俺は、茫然と目の前の事態を眺めるだけだ。
もう電極を触れさせていないのに光を放つ描線は、魔法陣そのものを宙に浮かびあがらせているように見えた。それだけではなく、魔法陣の裏側からも光が放たれているようで、その光が雲間に差した陽光のようにこちら側を照らしている。
光の帯が、教室に滞留した闇を切り取ってゆく。
その様はまるで、この魔法陣を境にして別のどこかにつながっているようで、
「マジで、召喚、するのか」
その声が聞こえたのか否かは定かではないが、美緒が高々とバールを掲げて宣言した。
「いでよ、新入ぶい~ん!」




