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かみ・つき  作者: B-POP
25/28

崩壊? 世界

 うはっ、予想通りすぎる展開。物騒な棒きれ選手権、ラウンドツーの火ぶたが切って落とされたわけだ。となると、俺達に出来るのは一つだけ。

「んじゃ、逃げるか。いいんちょ……ってあれ?」

 俺が最も得意とするジャンルだと意気揚々と振り返ったそこに、吹水はいない。先に逃げた、ってのは考えにくいなあなんて思ってあたりを見回してみると。

「はっは~、見たか我々の奇襲作戦」

「ちょっと甲斐屋。我々のって、考えたのは僕だろ?」

「そんなこといいから、この後どうすんだよ。ほら、織手、早く」

 声のする方、ちょっと離れた階段の踊り場を見上げると見覚えのある三人組がこちらを見下ろしてごちゃごちゃともめていた。その中心に、申し訳なさそうに捕まる吹水。

「何してんの?」

「えと……つ、つかまっちゃ、った」

 うん。そりゃわかるんだけど、今気になるのは吹水を取り巻く三人の男たちだ。たぶん制服を着ているのでうちの生徒なんだろうけど、どうにも思い出せない。いや、面識はきっとあるんだよ。

「あー、誰?」

 もういいや。時間もないし、大して失礼だとも思わなかったので聞くことにした。どうせろくでもない奴らだし、わざわざ高いとこに上るあたり、程度が知れる。

「お、おまえ、まさか忘れたなん」

「わすれた。俺達取り込み中なんでちゃちゃっと名乗って、そいつ返してよ」

 あれ? そう言えばこいつらって上級生だっけ? ため口はまずかったかな。

「織手~、あんなこと言われてるよー」

「ちょ、僕に泣きつかないでよね。それよりほら、さっさと会長に恩売らなきゃだよ」

「でもどうやって」イライラ

「えー。俺、こういうとき、どんな顔すればいいのかわからない」イライラ

「笑えばいいとおも、じゃない。こいつを返してほしくば、とか何とか」イライラ

「お、おう。原稿用意してたんだ、えっと……あれ? どこだ?」ぶちっ

「目ざわりでございます」

 あ、先を越された。まあ、ナイアガラの堪忍袋じゃこんなもんだろうな。合掌。

 迅い、なんてもんじゃなかった。黒い風がすりぬけたと思った次の瞬間、カンペを探してポケットを探っていた男その一の顔面にアイアンクローが炸裂。「ぎっ!」という悲鳴ともつかない短い声とともに崩れ落ちた。支えを失った砂山のように脆く、呆気なく。

 ただ、相手もある程度このあたりの展開を見越していたのか、三人の中で一番後ろであれこれと指示していた男が、吹水の手を引いて階段を駆け上がる。なかなかの手際だが、あの動きは仲間を見捨てる前提でなければできない。

 そして取り残された最後の一人は、

「ち、ちが、俺、お、俺は織手の言う通りやっただけ、で、ちが」

「血が見とうございますか。さようでございますかでは」

 再びのアイアンクロー。今度のは抉りこむように、突き上げるように、見ているこっちの股間がうすら寒くなるような渾身の一撃。

 悲鳴も出なかった、と記すにとどめる。さもなくば「ピー」だ。見るんじゃなかった。

『ぱっぽー』

 鳴り響く鳩時計の時報。久々の鳩時計コスプレに、よくあんなの着てあの動きができると感心しきりだ。

「えぐいな」

「ナイアガラはウジウジとした男が嫌いなのでございます。というか私が好きなのはカナメ様だけでございますゆえ」

 安定の歪みっぷりに安心だ。

 と、こんなことをしている場合じゃない。

「おっさきにー。ちなみに彼らは自主的に生徒会に手を貸してくれたみたいだね。人徳ってやつだね」

 するりと俺達の間を抜けて階段を駆け上がったのは会長だ。どうやら運動神経もそこそこのようで、倒れている男二人をひょいっと軽やかに飛び越えて、あっという間に階段を駆け上がってゆく。

「あうぅ、ま、待つです。置いて行くな、です」

 対して全く運動神経がなさそうなのは副会長。危なっかしいな、と思ってみていると。

「ぐぎぇ」「んふっ」

 きっちり倒れている二人を踏んづけてよれよれと走って行った。しかも、狙ったかのように顔面を。

「なかなかやりますね、あの御仁」

「それはいいから。行くぞ、カナメ!」

「わかったぁ。でも、こっちはぁ?」

「いーの! それともお前、あんなスーパーチャンバラに参加したいわけ?」

 ふるふると、カナメの小さな頭が横に動く。

 その背後では、火花が散るほど全力でたたきつけられる二本の、金属の棒。

「はっは~ん、てめぇにゃ金属バットの真の恐ろしさってのをお見舞いしてやんよ!」

「ほざきたまえ。犯罪業界御用達の売り文句はだてではないのだよ」

「葬らん!」「バールノヨウナモノ!」

 狭い廊下を所狭しと飛び回る。壁といわず床といわず、あらゆる場所を足場にした空中戦はとっくに人知を超えた超人バトルだ。絶え間なく聞こえる「がぃん」「ぎんっ」「ごっ」という鈍く重々しい金属音は、聞くだけで生きた心地がしない。

「さ、行くぞ」

 極力振り返らないようにしながら、俺はカナメの手を引いて階段を上る。と、

「ストレス解消」

 倒れている男のうち一人、カンペを探していた方の顔にスリッパの底を押しつけておく。「ぐふぇ」という、カエルの声をつぶしたような音に、ちょっとだけ胸がすっとした。

「んなことやってねぇで、さっさと行くぞ」

 カナメの制服の胸元からひょっこり首を出したモモが、ふごふごと鼻を動かして催促してくる。その場所、見つかったらナイアガラの嫉妬が爆発するぞ。

「おう。ってかお前も来てたんだな」

「そりゃそうだろ。うちには杏子を見届ける義務がある」

「とかなんとか言って、興味本位だろ? っとと」

 カナメの胸元から飛び出したモモは、器用に空中でくるりと回ると、俺の顔面に蹴りを入れてきやがった。間一髪交わしたはいいけど、うさぎの蹴りって結構な勢いなんだな。何か重い音がしたぞ。

「おまえ」ぎろりっ「ナイアガラはどうすんだ? 一緒に来るのか?」

「いえ、私めには別の用事がございまして。少々別行動をとらせていただきます。が、カナメ様に何かあった場合はきちんと責任をとっていただきますので、命懸けでカナメ様をお守りください。っと、あなた様には賭ける命などございませんでしたね」

 信じられねぇよな。これを真顔で、眉毛一つ動かさないポーカーフェイスで言いやがるんだから。この局面でトラウマ抉るなよな。

「しかし、別の用事って」

「まぁ、あなた様のような小物に申し上げてもおわかりいただけません」

「はいはい、さいですか」

「何うだうだやってんだよ。早くしないとあいつらに全部持ってかれるだろ、急げよな」

 頭上から降ってくるモモの甲高い声に意識を向けると、次の瞬間にはもうナイアガラの姿はその場から消えてなくなっていた。マジでよくわからん奴だ。にしても、なんか引っかかるんだよな、さっきから。なんだろうな……?

「おい、シュウ! なにぼうっとしてんだよ」

 確かに、今はそっちに気を取られてる場合じゃない。頭を切り替える。なぞ解きは俺の本業じゃないからな。キャスティングで言うなら、こういうのは美緒あたりが適任だ。

「大丈夫だよ、その辺に関しちゃたぶん大丈夫だ」

「何でそんなこと言えるんだよ」

「なんでって? そりゃ」

 頭の上にうさぎを乗せて、カナメのの手を引いて階段を昇った俺が見たのは、よたよたと廊下を走る(というか、ほぼ歩いているのと変わらない)副会長の姿だ。例のゴスロリ制服がよほど走りにくいのだろう。まとわりつくスカートに四苦八苦している。

「な」

「うん」

 しかも、もともと運動も得意じゃないんだろうな。足取りも何だかおぼつかない。

「おーい、大丈夫かぁ?」

 っと、じゃなかった。何声かけてんだ俺。

「はひッ、ら、らいじょうぶ、なのれす。ま、魔王を、やっつけるの、れす」

 きりっとした眉毛に、目じりもそれなりに前を見据えてるのに、見事に体がついてきてないパターンの典型だ。マラソン大会や体育祭なんかだとこの後お約束で、

「ひゃう、です」

「っと!」

 スカートのすそを自分で踏んづけて派手にぶっ飛んだ。なんともお約束。にしても、走ってた(歩いてた?)速度のわりにはド派手に吹っ飛んだな。

 なんかほっとけない奴だな。

「シュウぅ、杏子はどうするのよぅ? 急ぐんでしょぉ?」

 わかってるから急かすな。にしても、何でおれはこいつを助けたんだ? 敵なのに。

「変な奴だな。こいつ、ほんとに勇者なのか? 何からしくないな」

「俺もそう思う。ほら自分で立って。無理すんなよ、ゆっくりこいよ。んじゃな」

 って、来いよじゃねぇよ、どうしたんだ俺? 何かあの勇者、調子狂うな。もしかして作戦かとも思ったけど、そんな感じもしないし。美緒といると、どうにも他人の行動には必ず裏が気がしていかん。悲しいな、大人になるって。

 さすがにいつまでも敵の、しかも勇者にかまっているわけにもいかずに、俺はふらふらのゴスロリ衣装が倒れないのを確認して、廊下を勢いよく駆け抜けた。

 ワンフロア上の三階は特殊教室の中でも利用頻度の低い教室と、物置のような部屋ばかりが詰め込まれているので、ほとんど生徒とすれ違うことはない。そのせいか、フロアが一つ違うだけとは思えない静けさが隅々まで浸透しているようだ。ただし、

「うわっ、もうこのフロアも魔界っぽさ満開だな。人がうじゃうじゃよりは全然いいんだけどな」

「どうしてぇ? シュウはぁ、魔族の方が好みなのぉ?」

「んな訳あるか。周りに被害が出なくていい、ってだけの話だよ」

「そっかぁ」

「おい、聞き捨てならねぇな。魔族ならどうなってもいいってことか? おい」

 今度は頭の上がにぎやかになる。

「あーもう、うっせぇな。そうなりたくなきゃとっとと委員長取り返して、魔界を何とかする方法考えんぞ」

 言うだけ言うと、わざとらしく頭を振って走ってやる。掴まってるのに必死なのか、すぐに頭の上は静かになった。

(のはいいんだけど、やべ、これ俺もフラッフラするわ。あ~目ぇ回る)

 違う。俺の目が回ってるんじゃない。いや、回ってるんだけどさ、それだけじゃない。

「なんだこれ? 景色がぐにゃぐにゃ歪んで見えるっつーか、蜃気楼? 陽炎?」

「シュウぅ、何か気持ち悪いよぅ」

「やっぱ俺だけじゃないんだな。大丈夫かカナメ?」

「だいじょぶくないよぅ。ふらふらするぅ」

 とは言いながらも、手を引く俺についてこようとするのだが、かなりきついらしい。手にかかる負荷が大きくなったような気がする。ちょっとスピードダウン。

「おいうさぎ、これ何だ?」

「いよいよ互いの境界が曖昧になり始めてんだよ。位相の違うもん同士を混ぜるんだから、そりゃ歪みも出るよ」

 確かに、先ほどは静かなだけに感じた廊下が、今は何やら薄気味悪さのようなものを漂わせ始めている。景色そのものは大きく変わっていないのに、雰囲気の変わりようは別の場所を通り越して、まるで別世界のようだ。

「やっぱ魔界って、俺達の肌には合わないっぽいな」

「そうか? 慣れだって。住めば都っつーだろ?」

 慣れたくねぇわ。モモには申し訳ないが、今日出会ったデザインのような方々とは仲良く暮らせそうもない。だってああいう人が食うもんってことはつまりああいう……考えるんじゃなかった。思考の軌道修正。うぃーん、完了。

「とりあえず、ごちゃごちゃやってる間に追いついたっぽいので、この話題は終了な」

 「なんだよー」というモモの不満そうな声を抑え込んで(実際に掌で顔を覆って)、階段の手すりのあたりでもめているらしい会長の姿を発見する。見上げているから、逃げた三人組最後の一人は、またもや上に逃げたのだろう。芸のないやつだ。しかもあの階段の先の扉は屋上につながっているので、鎖でぐるぐる巻きに封印されているはずだ。

 というわけで、逃げられる心配はなさそうだ。ちょっと一安心。

「それをこっちによこしなって。悪いようにはしないからさー」

「悪いようにするやつのセリフだよ、それ」

 そんな会話が耳に入ったので、とりあえず走るのはやめておいた。

「そんなことないってー。だから」

「じゃあ先に、こっちの要求をのんでもらうよ。でないと渡さないよ」

 どうやらあっちはあっちでもめているらしいが、ある意味でチャンスだ。

「漁夫の利だよぅ」

 それが理想的だ。両方の隙をついて吹水を取り返せば、とりあえずの問題は解決する。とはいえ、こんだけ周囲がおどろおどろしくなり始めてしまってるんだから、残り時間はほとんどないと思った方がよさそうだな。にしても、何か目が疲れるな、この景色。

「要求って何? 俺らにだって聞ける要求と聞けない要求が」

「部室だよ。科学部の、部室。もっとちゃんとした部室を作ってよ」

「部屋なんて一朝一夕でできるもんじゃないの、君だってわかるでしょー」

「だったらどうして、あんないい加減な約束したんだよ。準備室を返してくれるなんて」

 あ、思い出した。どっかで見た三バカだと思ったら、元科学部の二年だ。いやぁ、すっかり忘れてたな。にしても、まだ諦めてなかったんだ、あの人たち。そりゃそうか。

「あれは、天王寺から部屋を取り上げられればって話だろ。それに事情が変わったんだよ、ほら見てみろよ、こんなに景色が歪んで。一大事っぽいだろー?」

 どうやら会長にはこの景色の変化ははっきりと見えているらしい。対して科学部員その三はというと、全く状況が見えてはいないらしい。にもかかわらず、

「何のこと? わけわかんないこと言っても、俺達は誤魔化されないからなぉえっ」

 あぁあぁ、えずいちゃったよ。見えてはいないものの、しっかりとダメージは食らっているらしい。気になったので手近な窓から中庭を見下ろしてみると、運動部の連中が気分悪そうにへたり込んだり、中にはぐったりと倒れこんでるやつまでいる始末だ。こりゃいよいよ切羽詰まって来たぞ。

「だ、だから、僕たちがどれだけ悔しいかなんか、わかってないじゃないか」

「いや、そんなことはないってゆーか、ないこともないってゆーか」

 こいつも、そこはもうちょっと嘘ついとけよな。変なとこ勇者様ご一行ってことか? なんて余裕かましてられないな。それに何か科学部員、やけに興奮してないか?

「何か具合悪そうだぞ、あいつ」

「やっぱ、あっちの空気になれない人間には、ちょっと肉体的な面できついかもな」

 どうやらもう、喋れることを隠すつもりはないらしい。そんな場合でもないしな。

「やっぱり」

「それに、ありゃまずいな、魔力の()にあてられてんな」

「んだそりゃ?」

「たまにあんだよ。日頃慣れない量の魔力を一気に浴びたりすると、興奮したり理性がとんだりすんの。ほら、杏子が魔王になりたてん時、ちっちゃいのをつぶして回ったろ」

「あぁ、あれってそういう意味があったんか」

「そゆこと。ま、そういう意味ではこの勇者連中のやってたことも間違いじゃないんだけどな。方法は気に食わねぇけど」

「そこも同意だ。って」

「まずいじゃねぇかよ」

 いくら抑えられるようになったとはいえ、これだけ魔界との境界線が曖昧になった上に、魔王である吹水がすぐ傍にいるなんてなったら、理性なんてティッシュみたいにふっとぶんじゃねぇか? という俺の危惧は見事的中。

「だからぁぁ! 何で俺達の言うことが、聞けないんだよぉ!」

「ちょ、ちょっと、織手先輩?」

 先ほどまでの、落ち着いた雰囲気で他の二人を束ねていたときからは想像もつかない豹変ぶりだ。血走った眼に、歯茎を剥いて癇癪を起こす姿は、同一人物とさえ思えない。

「うわっ! 危ないから、そういうのはやめようよー」

「うるっせー!」

 がごがががごっ! という物騒な音を立てて階段を転げ落ちてくるのは、教室で使われているのと同じ机やいすだ。余ったのを階段の踊り場において、物置スペースとしてでも使っていたのだろう。それを、力任せに投げたりけり落としたりと、無茶苦茶だ。

「あ、あぶな、あぶない! やめようよー」

 流石の会長もこれには面食らったようで、防戦一方。

 そりゃそうだろうな、一つ上のフロアから机が転がり落ちてきて、真っ向勝負できる人間なんて俺は二人しか知らない。誰かは言わずもがなだが。

「うるさいうるさいうるさざさい! あぁぁぁぁぁぁぁ!」

 肩や机を投げ落す方はドンキーコングも真っ青の興奮ぶりで、目も当てられないし手も付けられない。どんどん目の前に机の山ができていく。

「やばいな、ああいうタイプって切れると危ないんだな」

「それだけじゃねぇけどな」

 しかしこのままではらちが明かない。当然、事態の進行も目の前でドンキーコングごっこが繰り広げられているからといって待ってくれるはずもない。窓越しの景色までぐにゃぐにゃと歪み始めている

「いつタイムリミットが来てもおかしくなさそうだな」

 ちらりとのぞいた階段室の踊り場では、科学部その三が机を投げ落す横で、小さく縮こまってしまった吹水がこちらに助けを求めるような視線を送ってきている。助けたいのはやまやまなんだけどさ。かといって何の切っ掛けもなしだと、

「やっかましいぞおまえら! 人がプリン食ってっ時にがたがた騒いでんじゃねぇ!」

 下のフロアからの絶叫が、そのときだけは他の効果音すべてを圧倒して廊下に響き渡る。まさに鬼の雄たけび、魔人の咆哮。肌がビリビリ震えるって、どうよ

「ったく、他の教職員は具合悪いとか抜かして保健室きやがるし。あたしの居場所に入ってくんなっつーの。プリン食ってるっつーの! おい千古ぉ! てめぇか!」

 自慢の白衣を、風もないのにはためかせて現れた顧問の浜は、弓手ににプリンを持ったまま、馬手のスプーンで俺を指している。

「え? 俺に来るんすか?」

「ったりめぇだ! てめぇにはサドルの前科もあるからな」

「違いますって、あっち見てくださいあっち」

 とりあえずこの人相手に冤罪はごめんだ。質の悪さでは美緒を上回るレベルだからな。

「あぁん? 誰だあの記憶に残らなさそうなの。うちの魔王と何やってんだ?」

 やけに可愛らしい、持ち手がうさぎのスプーンで今度は吹水を指しながら問いかける。

「あ、あぶな!」

 転がり落ちる拍子にイレギュラーにバウンドした机がこちらに向かってくる。しかも運の悪いことに、浜を直撃するコースだ。やばい、これ以上切れさせるわけには、

「んらぁ!」

 白衣が翻ったかと思うと、モデルのようなほっそりとした足がきれいな弧を描き、健康サンダルの足が机をけり上げる。

 実にきれいなハイキック。蹴り飛ばされた机が傍らに出来ている同種の机の山に突き刺ささり、山がはじけ飛ぶ。終わったな、あいつ。

「お前、いい度胸してんな。あたしがプリン食ってんの邪魔してただで済むと」

「うぅぅわぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うぉ! 向かってきやがった。マジで切れてんな」

「しゃらくせぇ!」

 再び襲いくる机を再びのハイキックで迎撃した浜だが、次の一瞬は動きが鈍った。何事かと思って白衣越しに覗きこんでみる。

「こ、こここ、くん、くんなぁぁぁぁぁぁ」

「委員長!」

「せ、千古くんっ!」

 盾にするように吹水の背中に隠れて、下りの階段に飛び込んで行くところだった。人質とは、切れてるというかこれはもう、駄目だろ。

「今助けて」

「く、くんなぁぁぁぁぁ!」

 気が狂ったような絶叫とともに、吹水を引き寄せる科学部その三。

 焦点の合わない瞳からは、既に理性の色が失われてしまっているのがわかる。

 俺も手を伸ばすが、さすがに距離があって届きそうもない。視界の隅っこでは机の山をよじ登って何とか脱出を試みる会長の姿。肝心なとこで使えない奴だ、とののしっても何も始まらない。今はただ吹水を取り返すことだけを考える。

 取り返さないと始まらないってのに、めんどくさい話だ。と思っていると、

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 またまた絶叫。というか、悲鳴。しかもあまりに突然すぎて一瞬何が起きたのかわからなかったが、悲鳴の主である吹水を見て理解した。

「む、む、むね、む!」

 力任せに引き寄せようとしたその三の手が、吹水の胸をしっかりと鷲掴みにしていた。

 美緒やナイアガラに比べると確かにサイズ的に見劣りするとはいえ、いや、それどころか同年代の平均以下じゃないかと俺は踏んでいるわけだが、って今はそれはどうでもいい。サイズに関わらず胸は胸なわけで、顔を真っ赤にして力の限り叫ぶ吹水の掌が、勢いよくフルスイングされる。

「勝ったな」

「お前はどこの副司令だよ」

 パァンッ! びちゃ

 乾いた音がこだまする。

 ぜひ後世に残したい、ビデオに撮って教材として残したいほどの、綺麗なビンタ。弧を描いた掌が、ピンク色の尾を引いて軌跡を残している。

 あまりに不意を突かれすぎたせいか、なすすべもなく頬を張り倒されたその三が、目の前に尻もちをついている。どうやら今の一撃で正気を取り戻したのか、目をまん丸に見開いてきょとんとしている。

 そしてその横に落っこちている、パステルイエローの物体。落下の衝撃で原形を留めないまでに破壊されたのか、板張りの廊下に飛び散ってしまっている。

 次いで耳を打つ、「ちり~ん」という涼やかな金属音。

 何でこんなに次から次へと、いやな予感が順番待ちしてるかな、俺の人生。

「シュウぅ、どうしたのぉ? 頭悪いのぉ?」

「そこは頭痛いの、って聞くの。まぁ、頭が痛いってのはここしばらくずっとだがな」

 ついでに言うなら、頭が悪いのは物心ついてからずっとだ。悪かったな。

 楽しくないわけじゃないんだけどな、こういうアクシデンタルな生活も。でも、今目の前で起こってるこの事象だけは別だ。マジで頭痛くなりそうだ。あー、俺しらねぇぞ。

「おい、お前……あたしのプリン、どこ行った」

「プリン? え? プリンって、え? こ、これ、です、か?」

 まったく自分の置かれた状況が飲み込めないらしいその三は、愚かにも足元に飛び散っている残骸を指差す。恐怖にひきつった、見るに堪えない笑みを浮かべて。

 視線が真正面に固定されたままの、実に穏やかな浜の口調は、一見するとさほど怒っていないように見えなくもないが、そう見えるってことはそつに危機管理能力のない、ひいては生きる力のないことを示している。

「そうだ。それがあたしのプリンだ。おい、どういうことだ?」

「ど、どう、って……えと、ぶつかってしまって……って、僕なんでこんなことして」

 顔からも先ほどのような毒気は抜けきっている。

 ただその毒のない顔立ちが、今はまずい。

「とぼけるつもりだな。いい度胸だ」

 ここで初めて浜の顔が動く。ゆっくりと視線が下され、無残にも散ってしまったプリンの残骸に向けられると、眉間にしわが刻まれる。

「あの、先生? これは事故ってことで、その、プリンだったらあとで俺が買ってきますから、今はもうちょっと優先することがあるっていうか」

 床をなめた視線がそのまま舐めまわすように俺の体を這い上がる。うわっ、なんだこのぞわぞわする感じ。視線が物理的に体に触れてるみたいだ。しかもなんか、怖い。

 生命の感じる根源的な、原初の恐怖。そんなものを垣間見た気がした。

「ゆうせん? あたしのプリンよりも?」

「え、えぇ。世界の大ピンチっつーか、超科学部存続の危機っつーか」

「あたしのプリンより優先なんて、あってたまるかぁぁぁ!」

「えぶら!」

 指が、顔面に、食い込む。ナイアガラやおかんに匹敵威力、いや上回るか。凄まじいな、俺のアイアンクロー体質。なんで? 俺何したの? 体罰反対! 

 なんて問う間もなく、事態は急転直下。

 ゴミのように放り投げられ、壁に叩きつけられたところで、意識がもうろうとし始める。そこまでのダメージじゃないはずなんだが。

 と、一気に周囲の温度が五度は下がったかと思うような冷気が吹き荒れ、感覚という感覚がぐにゃぐにゃに歪んだような不快感に襲われる。それまで立っていた床も、よりかかっていた壁も、全てが捻じ曲げられたかのような圧倒的なまでの、感覚の喪失。

 それまでは泥に沈むようだった感覚が、体が泥になるような不愉快さに変わる。

 あれ? なんかこれ、やばくね?

 何か暗いし、景色もぼやけて、って俺何考えてたんだっけ? ぼうっとする。

『シュウぅ』

 なんか、声も遠い。呼ばれてるんだけど、わかってるんだけど、頭に入ってこない。音そのものがどろりと流れて消えてゆくような奇妙さ。

「シュウぅ!」

 かぷっ

「うぉ! いててててて。カナメ、痛い。全力でいくな! 起きる、起きるからかむのは止……めに、し……い?」

 首筋に突き刺さった痛みに、というよりはそこから流れ込んでくる熱っぽさに意識が覚醒した俺が見たのは、全くの別世界だった。

 歪んだ視界はどんよりと淀んでいて、何もかもの輪郭がはっきりとしない。なによりも、ついさっきまでいたはずの校舎の主かかげは微塵もなく、まるで宇宙か深海にでも放り出されたように、何もない空間がひたすらに広がっていた。

 ここは、どこだ?

「壊れかけだよぅ」

「何が?」

 わかっていても聞いてしまう。聞いたって何も変わらないのに。

 唇を尖らせ、不満そうに俺を見上げるカナメの表情に、罪悪感と居心地の悪さが同時に込み上げる。何だよ、そんなじと目するなよ。

「世界ぃ」

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