抗争? 勃発
放課後。
あてもなく歩いてみると学校というのがいかに巨大な入れものなのか実感できる。そりゃそうだよな。千人からの高校生と、そいつらが持て余したほぼ無尽蔵のエネルギーを腹に収めにゃならんのだから、でかくて当然か。
しかし、今の俺にはその懐の深さが悩みの種だ。
「シュウぅ、次どこ行くのぉ?」
「ん~……どこ行くかな? こういうとき魔法使いもののアニメとかだと頭の中に声が聞こえたりすんだけ、ど……な」
さぞアホな顔だっただろうと自分でも思う。
たっぷり一時間は校内を徘徊して、着替えをしていた女子バスケットボール部の人間からは覗き疑惑を多分に混入させたじっとりとした視線を浴びせられ、精神と肉体の両方を疲弊させまくっていたとはいえ、今更気がついたなんて我ながらアホの極致だ。
が、なかったことにするにはもったいなさすぎる事実。
『あー、あー……てすてす。聞こえてますか、受信してますか、いつかの魔女さん』
人類であることを諦めた結果手に入れた、数少ない能力。ごく限られた人種(?)の方々との交信に使える無料通話、テレパシーを発信してみる。もしも携帯電話方式で相手の番号が割れていないとダメってんならアウトだけど、テレビ電波方式であることを願って発信。大丈夫、受信したからって受信契約は結ばせたりしない。
『あー、あー』
「どうしたのシュウぅ? 故障ぉ?」
グサリと突き刺さる一言。周りから悪い影響受けまくってる気がするぞ、神様。口半開きでアサッテに焦点の合わない視線を飛ばして、グラウンドの片隅に突っ立ってる姿は宇宙との交信をしているように見えるかもしれないけど、露骨に言っちゃだめだ。
『……は、ぃ』
蚊の鳴くような電波受信。集中! 感度アップ……できるかどうかはわからんが。
『もしもしも』
『も、一個多い』
うむ、コンタクト成功。人類にとっても俺にとっても偉大な一歩。
『えと、魔女さん。俺、神の使い。俺、魔女、探す。魔女、どこ?』
うほうほ。文章作成って、意外と脳みそ使うんだなと新発見。どうでもいい。
『魔女、探される? 怖い?』
『怖い、ない。俺、平和。話、対話』
……まさかの圏外?
「魔女、ここ」
『着信アリー! で、どこだ? 魔女、どこ?』
「シュウぅ、何やってるのぉ?」
「ちょっと、静かにしてなさい。今集中してアンテナ探してる最中だから。くぅ~、もっと早くこの能力に気がついていればな~」
「ねぇ」
「待ってろ、ちゃんと俺が魔女を発見して」
「シュウぅ」
がっくりとその場に崩れ落ちた。初めて見たわ、景色が垂直に流れるとこなんて。貧血やめまいなんて生易しいもんじゃない。これは、そう、たとえるならマリオネットの糸をぷっつりと切ってしまった時、というとわかりやすいだろう。もちろん、俺が人形。
「話聞いてくれないからぁ、神気遮断したよぅ」
「……」
電池が切れたおもちゃが動けないように、俺の体はピクリとも動かない。というよりも、自分の体であるという認識すら希薄になってゆく。
「んもう。魔女きたよぅ。話ぐらい」かぷ「聞いてよぅ」
元気注入。という言葉通り、見る見るうちに感覚やら意識が鮮明さを取り戻してゆく。
「あんまりこれやりたくないんだぁ、失敗すると消えちゃうからぁ」
え? なに? 今俺軽く死にかけてたとかそういうこと?
「それよりぃ、魔女ぉ」
ぐりゅっ、といういやな音がして、俺の首は本来曲がる限界をちょっとオーバーして後ろ向きにされる。ああ、生きてるって素晴らしいけど痛い。と、
「あ、魔女。発見」
「はい。魔女」
「シュウぅ、ずっと後ろにいるのにバカの顔してるんだもん。もぉ」
そういえば最後の方はテレパシーではなく肉声だったような気もしなくもないが、過去は振り返らない。恥ずかしいから。
「元気だったか?」
「あなたよりは」
ですよねー。だって俺、目の前で死にかけたもんな。
「どうしたの? いきなり呼び出して」
「いや、なんていうか、ちょっと警告って言うか避難勧告って言うか、お前を狙ってるやつがいるから逃げろっていうか」
「私を、狙って? 怖いお姉さん? 私に会いに来てくれる人がいるなんて。ねぇ、もう来る? 今日来る?」
「そこで登場、怖いお姉さん。ほう、これが魔女かね? 思ったよりもコンパクトだな」
「まじで?」
跳ね上がった心臓が、わしづかみにされたように痛い。
いったいどこから現れたのか、いつの間にか俺の背後に立っていた美緒の声が、俺の魂を瞬間冷凍する。はい、俺死んだ。
「マジだ。君が隠れてこそこそ何かをしているとは思ったが、まさかこんな抜け駆けとはね。まぁ私にとってこの程度の隠し事はあえて暴く必要もないが。ウサギ君もテレパシーの傍受で一役買ってくれたしね」
くそう、そんなトラップがあったとは……ウサめ。
首筋を駆け抜けたのは、熱風に近い風。自然のものとは思えないので、もしかしたら声の主が巻き起こしたのかもしれない。こいつならあり得るから困る。
「というわけで魔女君、遊びに来たよ」
「あ、さ、探してたん、だよ。忘れてたんじゃ、ないからね」
十字を切るべきか合掌するべきか、宗教をもたない俺は最後の瞬間に祈る神を決めあぐねていたが、何のことはない、すぐ隣にちょうどいいのがいる。
「何ぃ?」
「いやな、生まれてきたことを懺悔してだな、せめて楽な方の地獄に行けるようにだな」
「しかしまぁ、お手柄だよシュータロー。おかげで生徒会のあぶり出しにも成功したわけだしね。泳がせた甲斐があったというものだ」
額に例の魔力が見える魔法陣を貼って、魔女の頭をなでなでしている美緒は妙に満足顔だが、俺は納得がいかない。泳がされていた、だと?
「驚いた顔をしているようだが、君はすぐに顔に出るからね。何かを隠しているのは一目瞭然だったよ。まぁ、ここまでの大物だったというのは想定外だったがね」
「じゃぁ、ここしばらくやけに素直だったのは」
「もちろん、そのためだ。こちらが気づいていることを相手に気づかれてはならない。諜報活動の鉄則だよ。まぁ、そんなことをしなくとも、君に設置した十三個の盗聴器がすべてを語ってくれたがね」
「普通に犯罪じゃねぇか。ってか返せよ、俺のプライベート!」
一体いつどこでつけられたんだ。もう何も信じられなくなりそうだ。
「じゃなくて、そっちはどうでもいい」
「いいのかい?」
「よかねぇけど、でもそれはそれとしてだな、あ~くそっ、見つかっちまったぁ!」
「都合が悪いのかい?」
「そりゃ悪いだろ。なんつっても見つかっちまったんだから」
「何故だね?」
「そりゃ……美緒に見つかったんだから、そりゃ、そりゃぁ……」
「獲って食うとでも?」
「そのぐらいは……あれ?」
そういえば俺、何でこんなに躍起になって隠そうとしてたんだ? う~ん……見せちゃいけないっていうか、子供に与えちゃいけないおもちゃっていうか……
「君の中で我々がどのような扱いを受けているのかが、よっくわかるいい例だったよ」
「千古君、そう、なの?」
「そう、なのぉ?」
「おい! カナメ、裏切んな!」
「ふえぇ~」
おぶぅっ! しまった、久々のボディへの衝撃は間違いなく重く後味を引く一撃。完璧な角度で入ったリバーブロー。こんなもんを放つのは俺の周りに二人しかいない。二人もいるのか、道理でよく死にそうになっているわけだ。
「カナメ様に、なんと?」
「なんでも、ございば……せん」
今日は何のコスプレ、ですか? 白くて丸い、餅ですか?
「白米でございます」
こまけー。そして心を読むな。
「お米は活力のもとでございますよ。美緒様の受け売りでございますが」
「そのと「そのとーぉり! 白米は命の源だよ!」
美緒の声を打ち消してまで主張するそこに、信念を感じてしまうのは凡人故だろうが、それほどに勢いのある声だった。でも記憶のいやな部分しか刺激されない。
「貴様、何の用だ!」
「それはこっちのセリフだっつーの、天王寺美緒ぉ!」
「木安春ぅぅ!」
何故フルネーム。そしてどこから出てきたバールと金属バット!
「「せぇぇぇ」」
「待つです!」
ぽわーんとした声なのに、思わず耳を傾けてしまう不思議な声。それはどうやら俺の感想だけではなく、その場にいた全員がそうだったらしい。既に攻撃モーションに入っていた金属バットもバールもぴたりと動きを止めて、声の出所に注目している。
警戒や緊張というよりも、なんとなく見ちゃったという風に視線が吸い寄せられている感じだ。で、見たのが、
「人形だ」
なんだっけ、ラブドール、って言うんだっけか?
「ビスクドール、でございますよ。このど変態どスケベぺどふぃりあ畜生虫」
おい、また何か増えたぞ。っていうか、心読むなよな。
「きしょっ、でございます」
心が痛いです。
「しかし、あのような改造制服が美緒様以外にもいらっしゃるとは、この学校はどうかしておりますね」
「僕も、あこがれたんだ、けど、裁縫とか、駄目で……」
「今度君のも作ってあげよう。とびっきり魔王っぽいやつをね」
おいおい、クラス委員に校則違反させるとか、マジで部の存続が危ぶまれるぞ。そして喜ぶな、吹水。
「ちょっと、話聞けよな天王寺」
「やかましいな。君は小姑かね。もしくは金にうるさいから副会長君の腰ぎんちゃくか」
副会長……あれがそうなのか。あんなのが副会長って、いいのか? 生徒会が校則破りまくってそうなんだが。いや、言うまい。美緒の関係者がまともなわけがない。
「てめぇ、ぶっ殺す」
バットを握る春の手に青筋が浮かぶ。枯れ木と勝負できそうな細腕に、驚くほどくっきりと浮かぶ筋は健康そうとは言い難い。それでも、恨み節たっぷりの視線を向け、
「まあ待つです。暴力はダメです」
またしても、おっとりした声音にいさめられて、急速に勢いがしぼむ。
とことこと危なげな足取りでこちらに歩み寄って来たビスクドールは、球体関節だと言われても信じられる動作で首をかしげながら、美緒に向き直った。
「そちらの幽霊さん、引き渡してもらえるです?」
語尾が上がったのでどうやら疑問文だということが判別できたが、日本語の文法は崩壊しているらしい。が、問題はそこではない。
「見えてんのか?」
「はいです。はっきりくっきりと、ですね」
どっかで聞いた言い回しだなと思いつつ、無意識のうちに俺は魔女を背中にまわしてかくまっていた。一応俺の本能は、こいつらも美緒と同類とみなしているらしい。いや、特に美緒からかくまう理由がないのはわかってはいるんだけどな。
そう思いながら、美緒の妄言に近い当て推量が脳裏をよぎる。
『やはり、やつらが勇者ということで間違いはないようだね』
「まさか」と思うのと「もしかして」と思うのが同時だった場合、どうやら俺はもしかしての方に押し負けてしまうらしい。小心者の典型だが、それでいい気もした。周りが楽観主義だけでできてるようなやつらバッカだからな。
「むしろ、あなたたちが見えることに驚きです。幽霊が見えるって、霊能力です?」
「はっ、あ、あの、それは」
切羽詰まった様子で何かを言いかける吹水をさえぎって、美緒がにやりとほくそ笑む。
「我々をなめてもらっては困る。科学の到達する高みのさらに向こう側、魔法の頂を目指す我々にとっては、幽霊なんぞを見る程度造作もないことだよ、副会長君」
え? という目で俺と美緒を交互に見つめる吹水だが、とりあえず俺は視線の動きだけで『まぁ見てろ』と促した。
「あらら、そうなんです? それはまたすごい部活ですね。しかし私たちも生徒会として幽霊騒動の調査を任されているですよ」
「なら解決だよ。この幽霊君は我が超科学部あずかりとなった。今後もう問題は起きない、これだけは断言しておこう」
「お前が問題起きないっつっても信用できねーっつーの」
賛成に一票を投じたいところだが、ここはぐっと我慢の子だ。耐え忍んでこそ浮かぶ瀬もあるわけだ。あれ? 違ったか?
「身を捨ててこそ、でございます」
「ではこうしようではないか。問題が起きればその時は生徒会あずかりにでも何でもすればいい。現実問題、生徒会としては幽霊の出没が問題なのだろう?」
「そうですね、確かに言うとおりです」
「あーちゃん!」
あーちゃん? なんかこいつがそういうかわいい呼び方すんのって、似合わないわけじゃないんだが、いつものイメージがな……バットだもんな。
「ん~、っと、き、きゃ……会計さんもそう躍起にならず、です」
そして逆向きのベクトルは名前さえ覚えられていない、と。変だろ、凸凹生徒会。
「というわけで、て……み……」
しばらく何かを考えるように、指先をあごに当てて空を眺めていたが、やがて意を決したように頷き、言葉をつづけた。
「部長さん、今日はあなたの言う通りにするです。でも、今日だけです」
何だ、名前思い出せなかっただけか。しっかし長い指に……でかいな。
「また胸ばっか見てるぅ」
「ち、ちが! これはだな」
「血が見とうございますか。さようでございますか」
「だから違うと」
「てんめぇ、あーちゃんの乳ばっか見てやがったな! あれは俺ンだ、やらん!」
「シュウぅ」
いでっ、いでぇぇぇぇぇぇ!
左手には噛みつかれた八重歯の感触。右腕にはフルスイングされた金属バットの感触。すごいよな人間って、同時にくらった大小様々な痛みをきちんと区別して整理できるんだもんな。人体の神秘万歳。俺、もう、人体じゃないけど。
「そしてなぜ、俺は今顔面にアイアンクローの感触を味わっている? 脳が軋む音は非常に不快なんだがぁだだだだだだ」
「いえ、これは害虫駆除の絶好のチャンスかと、ナイアガラは着想致したしだいでございまして。他意はございません」
そりゃねぇだろうな。あるのは純粋まっ黒。ピュアブラックな殺意のみだ。くそ、一番いてぇぞ、あの女のアイアンクローが。
「まあせいぜい君達は踊り場の鏡に映る首なし日本兵でも追いかけていたまえ」
「え? そんなのいるの? 僕知らなかった」
吹水、お前は真に受けるなよ。
「そんなのいるですか? これは会長に調査を依頼しないとです」
「あーちゃんも真に受けんなっつーの! いいか、天王寺美緒! そうそうてめぇの思い通りに行くなんて思うなよ、首洗って待ってやがれ!」
「行くんだな、これが」
眉根一つ動かさずに中指を立てるって、なんか美緒らしくない気もするが、そこにあるのが底知れぬ私怨という奴なのだろうか。
いちいち挑発すんな。ほら見ろ、木安のやつ顔面真っ赤にしてとび跳ねて怒ってんぞ。まぁちっこいからとび跳ねても、ぴょこぴょこ跳ねる様がコミカルなだけなんだが。
とまぁ、こんなやり取りもあったわけだが、
「おおむね良好に解決しただろ?」
「う、うん」
「こういうときのあいつの交渉力は異常だからな。ま、我が強すぎるだけなんだけどな」
とことこと危なっかしく歩くビスクドールと、真っ赤になってとび跳ねるぶかぶか制服を見送ること数分。ようやく訪れた静けさの中、いまだ中指をぶっ立てていた美緒がようやく俺達の方に向き直る。
「いいから中指直せ。俺に向けるな」
「ふん、また連勝記録を伸ばしたわけだが」
全く、何と戦ってるんだか。答えなくていいけどな。
「次の手を打たねばいかんな、これは」
「なんのだ? お前はまた何かろくでもないことをたくらんでるのか?」
もう召喚やらなんやらはごめんだぞ。神が来て魔王が来て、次は何だ? 怪獣か?
そんな想像に半ばうんざりと肩を落とした俺の背筋が、強制的に伸ばされる。見ると力いっぱいこぶしを握ったかなめが希望のまなざしで美緒の次の言動を待っている。そう言えば俺の体、あいつの気持ち一つでリモートコントロールだったな。切ない。
「で、なにすんだよ」
体はしゃっきり顔はぐったりというちぐはぐな俺の声にも、美緒は元気いっぱい答えてくれた。一瞬だけその元気さが教育テレビの歌のお姉さんのように見えたが、一瞬だけだ。歌のお姉さんの微笑みが邪悪であっていい道理はない。
邪悪な歌のお姉さんは、たっぷりためを作ってもったいぶって発表する。
「秘密だ」
お願いします、永遠に秘密にしてください。と願ったのは言うまでもない。
あ、右腕もう治ってる。嬉しいんだかなんなんだか。




