敵? 襲来
「超科学部だよ」
美緒の声と同時に、目の前を高速で何かが通り抜け、血の気が引くような「ぶんっ」という重い風切り音が頬をかすめる。
「分かった。超科学部なのはわかったから、いちいちバールを振り回すな」
どうやら標準装備らしい。お前はどこの世界の世紀末だ。
「ま、まぁ、そのあれさ、超科学部に入部するなんて思いもしなかったさ」
誰だってそう思うだろうな。今でも脳裏にへばりついて離れないのは入部の翌日。つまり、吹水が魔王になった翌日の放課後。授業終了のチャイムと同時に立ちあがった吹水が、おもむろに美緒に歩み寄って放った「部活、いこ」の一言に、クラス全員の時が止まったあの光景だ。クラスメイトはおろか、教室を後にしかけた担任がわざわざ戻ってきて一時停止していたほどだ。
「そのあとの一週間で受けまくった風評被害の方が俺には大変だったけどな」
曰く、弱みを握って脅した。曰く、金で買った。曰く、呪いで操った。エトセトラエトセトラ……。まあ、好き勝手に憶測してくれるのは構わんのだが、それを美緒に直で言うのが怖いからって全部おれに持ってくんなよな、クラスメイトども。
そして、興味深そうに鞄から顔をのぞかせるな、うさぎ。お前はあくまでも吹水のカバンのマスコットだ。クラス委員の用事で出てった持ち主が返ってくるまで黙ってろ。
『退屈だー。鞄の中でできることなんて限られてるしさ。授業やってる間はまだ話聞いてりゃ暇つぶせるけど。なー、出ていいだろー?』
そして、テレパシーが使えるからと好き勝手に話しまくるうさぎの存在。何でよりにもよってテレパシー受信できるのが俺だけなんだ。
『なー、かまってくれよ。肉体がほぼ神気のあんたぐらいしかこうやって話せねーんだよ。ナイアガラ怖いし』
「シュー、唐揚げ落としちゃった」
「しかし、どうすれば魔王らしくできるものかな。シュータローも一緒に考えたまえ」
「何さ? 魔王って、ゲームでもやってるさ? ギャルゲーなら大得意さ」
『なー、その唐揚げくれよ』
「ねぇ、千古君に手紙を渡してくれって、二年の人がきゃっ」
「うぅぅおわぁぁぁぁぁ! いっぺんに喋んじゃねぇ、飯ぐらい静かに食わせろ!」
聖徳太子の偉大さに感心するとともに、絶対によくてに三人分ぐらいしか話聞いてなかっただろ、と全力で突っ込んでおいた。歴史上の偉人に八つ当たりするしかないとは我ながら小心者だが、笑いたければ笑えばいい。
「落ち着きたまえ」ごきっ
「はっ、俺は一体。ってか、痛い」
「バールだからね。それより手紙? シュータローにラブレターとは、奇特な人類もいるものだね」
人を静かにさせるために脳天にバールを叩きつける人類ほど、奇特じゃないと思いますがね。と言いつつも、驚きのあまり腰を抜かしてしまった女子に詫びておく。手紙を持ってきただけで突然叫ばれたりしたら、そりゃひくよな。ああ、こうして俺はまた変人への階段を着実に上るわけだ。怯えきった女子(もう恋の可能性はないだろうな)の目が辛い。今俺の頬を濡らしているのは、頭から噴き出した血液だと信じたい。
「どれどれ」
『なんだよ、うちも混ぜろよなー』
「で、もうすでに俺あての手紙が開封されているのはどういうわけだよ、美緒」
「なになに、超科学部員に告ぐ。科学準備室を返していただきたくそうろう。ついては、本日放課後、話し合いの場を持ちたくそうろう。準備室にて待たれてそうろう。ぴーえす、こちらには奥の手がありそうろう。何だねそうろうそうろうと。下ネタではないか」
ビリビリぽい。やっぱりな、そうすると思ったわ。
「下ネタはお前だ。っつか、部室返せって、どういうことだよ? あーぁ、破っちまったから差し出し人わかんねぇじゃねぇか。くっつけんのめんどくせー」
かと言ってほっぽっておくとさらに面倒なことになるんだろうな。仕方ねぇな。パズルにしては簡単だが一向にテンションは上がらない。床に散らばった紙切れを机の上に並べ、「そうろう」だらけの文章を再生する。最後の署名の部分に目をやるが、敢えてここだけ細かくちぎったあたりに、悪意を感じる。
「えー、親、違うな、新、か。新科学部。なんだそりゃ?」
「知らないな。我々のパクリか? まあどちらにせよ、取るに足りない存在だよ」
「だといいな。とりあえず飯食っちまおう。放課後になりゃわかる話だ」
『なあなあなんだよ、うちも混ぜろよー』
「シュー、唐揚げ」
「わかったから、俺のと変えてやるから。三秒ルールだほら。全然三秒じゃねぇけどな」
カナメの差し出す、フォークに刺さった唐揚げにかぶりつき、代わりに俺の弁当箱から一つ唐揚げを輸出してやる。ホクホク顔のカナメは、この昼休み唯一の救いだ。
何故か背筋が凍るような寒気がしたのは、あくまで気のせいだ。そう思うことにした。
そして訪れた放課後。俺たちはそろいもそろって食堂にいるわけだ。コーヒーが旨い。
「カナメ君は甘党だね。女子力が高いな」
「いちごミルク。おいしいよぅ」
「僕は、抹茶ミルク」
「これうめーなぁ。うちのも買ってくれよ、杏子」
傾けた紙コップに頭を突っ込んでジュースを飲むうさぎ。見た目だけなら微笑ましい光景なのに、今の俺にはそれすらもが心を荒ませる。
「一応聞いておくが、俺たちはなぜ部室じゃなくて食堂でだべってんだ? 今日は部室で待ってろって言われなかったか?」
「待てと言われて待つバカはいないよ。交渉事というのは自分のペースに持ち込んだものの勝ちだからね、わざわざ相手の言う通りにおとなしく待つこともない」
たしかに、一方的に手紙を押しつけて「待ってろ」で待ってやるほど暇ではない。
カナメを俺から引っぺがす方法に吹水を立派な魔王にする方法。加えて、美緒の悲願である魔法の研究も同時並行でやらなきゃいけないっていうんだから、大忙しだ。
「それに、もし私の想像通りだったとすれるなら、わざわざ交渉のテーブルに着いてやる価値もない相手だよ」
「まぁ、お前がそう言うんならそうしておこう。それより、こっちはどうすんだよ?」
手紙の差出人への興味なんてもともとないに等しかったので、あっという間に興味は他所に移る。といっても、目の前でこんもりまるくなっているうさぎに、だが。
「うちか? 何だ? あんたも願い事叶えてほしいのか?」
口の周りに抹茶オレがついて、緑のルージュを引いたようになっている。ひげなんてジュースで濡れまくっているのだが、大丈夫なのか?
「そうしてもらえるとありがたいんだが、いかんせん先約があってな。俺はとっとと神様の奴隷を解雇してもらって、神様に願い事を叶えてもらわにゃならん」
「忙しいな、あんたも。で、うちのことってどういうことだ」
言いたいことはただ一つ、実にシンプルな疑問だ。
「お前は帰らんでも大丈夫なのか? というか、神様やら悪魔やらがうろうろしてて、この世界は大丈夫なのか?」
いまさらと言うなかれ。この一週間、実に普通に俺んちでお手伝いをして飯を食う神様やら、かばんから頭をのぞかせて物珍しそうにするうさぎやらを見ていると、それが非日常であることが意識から離れていくのだ。だって、うさぎなんか人参与えたらバリバリ食うんだぞ?
「う~ん……何かまずいのかな? カナメ、何か知ってっか?」
フルフルと首を振るカナメ。神様と魔神の会話には絶対に見えないよな。
「ってわけで、まあいいんじゃないのか? うちも別に、願い叶えたらすぐ帰らなきゃいけないってわけでもないみたいだし」
「むしろいてくれなければ困る。委員長君がまだ魔王として未熟である以上、願いがかなったとは言い難い。最後まで責任を持って魔王にしてもらわねばな」
なんだその理屈は、と突っ込もうとしたのだが、隣りで何やら納得顔の吹水が首を縦に振っているので、そういうわけにもいかなかった。あれ? なんか俺の常識がおかしく見えるのは気のせいか?
「ま、いいけどよ。うちもこっちのがなんだかんだで面白いし。そのかわりもう願いは叶えねぇぞ。願いが叶うのは呼び出したとき一回きりだからな」
「そういうもんなのか? それ以上はなんか都合でも悪いのか?」
「昔は三つとか叶えてやったんだけど、みんなおんなじようなこと頼むからつまんないんだよ。だから一個にした。その方が緊張感あんだろ?」
「まぁ、カナメも願いの数は増やせないとか言ってたし。魔神の定番、アラジンの魔法のランプでもキッチリ限定三つだったしな」
「ちなみにその数の話は、後付けの設定だね。原典では回数についての表記はない」
興味がなさそうにカルピスを飲みながらの回答だが、さすがは美緒。無駄に博学だ。
「へぇ、うちもけっこう有名なんだな」
「有名? 何がだ?」
「だって、ランプに入ってた頃のあたしのこと知ってんだろ? あの頃はけっこうホイホイ願い事聞いてやったもんだよ。アラジンとか、そういやそんなのもいたな。願い事定番すぎてつまんない奴だったけどな」
気にするのはやめよう。この世の秩序って、意外といい加減なんだな。
「と、そろそろいい頃合いかもしれないね」
美緒に促されて、カナメ以外の全員が食堂の時計に目をやる。いい頃合いどころではない。たっぷり四時半だ。
「いい頃合いって、さすがにこれはダメだろ。まあどうでもいいんだが。何を持っていい頃合いなんだ?」
そう聞かざるを得ない。なんせ、あの美緒がやたらと得意満面なのだから、何のたくらみもないわけがない。と思っていると、
「行けば分かるよ」
今この瞬間、聞きたくないセリフナンバーワンの称号をやってもいい。
某プロレスラーの詠んだ詩の一節のようなセリフを吐きだした美緒は、その歌を体現するように一人意気揚々と歩きだす。どうなるものか? 危ぶむわ。
そして案の定。
「危ぶめばよかったな」
その惨状に対して口にできたのは、ただそれだけだった。
科学準備室、もとい、超科学部部室はいつもとはちょっと違うジャンルのカオスを内包していた。何が違うかって一番大きいのは、中に死体が転がっていること、かな。
「とうとうやっちまったか」
床に無造作に転がされた男子生徒の遺骸が三つ。どうあれ超科学部に、というか、天王寺美緒に関わった己の不運を呪ってもらうしかない。俺に出来るのは誰にも知られないように死体を処理し、懇ろに弔うことだけだ。合掌。
「人死に」
「こ、殺さないで」
あ、生きてるんだ。カナメが手近な棒きれで突っつくと、ゾンビのようにもぞもぞとうごめいて、ノイズのような声でそう言った。喋り方は亡者そのものだ。
「やはり君達か。どうせこんな事だろうと思っていたよ。さあ、これに懲りて二度と」
「おいおい、事態が飲み込めない俺たちのために説明してくれないか? 部室に来たら見ず知らずの死体が転がってた、じゃぁ怖いだろ」
誰がやったのかは聞かなくてもわかるから省略だ。死体三人の顔に、くっきりと締め付けられた跡がある。アイアンクローの跡だ。
「よりにもよって私めを美緒様と間違えられるとは……失礼にもほどがございます」
ブツブツ文句言うのはいいが、本人いないとこでよろしく。
「彼らは元科学部の部員。私の先輩だった輩だよ。とはいえ、早々に退部を宣言して今では無関係のはずなのだがね」
「なにがだ! ちゃんと手紙読めよな、相変わらず人の話を聞かない奴だな」
「読む価値のない手紙だったのでね、失敬」
先輩三人の顔色がみるみる真っ赤に染まってゆく。科学部時代は毎日こんな有様だったのだろうことが容易に想像できる。憐憫の情を禁じえない。
「くそう、だから直接言うべきだと言ったんだ」「なにを! 言っても無視されるだけだと言ってビビったのは甲斐屋だろ!」「違う、それは織手の案だ、俺じゃない」「ちがうってー、増鵜が言い出したんじゃないかー。何でいっつも僕ばっか」
見事に責任転嫁がぐるぐると回っているのはいいが、美緒はもうとっくに興味を失って何か別のこと始めてるぞ。できるならこういうのは決めてから話を持ってきてもらいたい。さもないと、
「本当に、お亡くなりになってみられますか?」
いった瞬間には既に実行に移している。まさに有言実行の見本のようで素晴らしいが、ここは止めるべきなんだよな。だってもうチアノーゼが出始めてるんだもん。
「イラつく気持ちはわかるがその辺にしとけよ、ナイアガラ。ほんとに死ぬぞ」
先ほどの会話で、おそらく三人のリーダーと目される甲斐屋なる人物が、アイアンクローのまま持ち上げられるという狂気じみた技で今際の際をさまよっている。他の二人なんか、さっきの攻撃を思い出して委縮しきっている始末だ。トラウマ生成の瞬間に立ち会ったようだ。
「で、話は何だね? 端的に言いたまえ。ちなみに部室を明け渡すつもりはない」
「もう交渉ですらないな、それ」
ぐったりと死体に逆戻りした甲斐屋はもう使い物にならないと判断したらしく、もう一人の増鵜なる人物が震える声で喋り出す。
「お、俺達は新しい部を立ち上げた。それに際して、この科学準備室を明け渡してもらいたい。そもそもここは、俺達科学部が使っていた」
「ふん、しかし君達は部を出て行き、科学部を前身とした超科学部がここを使用するのはものの道理。ポッと出の君らにその権利はない」
まぁ、どっちもどっちだが、今回は美緒の方が正論っぽい気がするので、俺は黙って頷くだけにとどめる。にしても、美緒の方が正しいなんてことあるんだな。信じられん。
と、決着がついたかに見えた瞬間、それまで死体だった甲斐屋がもそりと起き上がる。
「あ、ゾンビだ」
「きんもー。動きがきもい。うちああいう男キラーイ」
そして崩れ落ちて、三度死体に逆戻り。うさぎにとどめ刺されるなよな。ちなみに、ちゃんと姿かくして言ってるあたり、喋るウサギの立ち位置を分かっているらしい。常識的な悪魔って何かやだな。
「えーっと、じゃ、僕が代わりに言うけど。ここの顧問は?」
「そんなもんいらん」
即答ですか、さすがですね美緒さん。
「いや、要るとか要らないとかじゃないと思うんだけど。いるかいないかなんだよ」
そういうウィットに富んだ返しだったのかと、この織手なる人物の会話能力に少々感嘆する。伊達に美緒と同じ部に数カ月とはいえいたわけではないようだ。実際、この三人の中で一番使えるのはこの人なんだろうな。って先輩に失礼か。
「さあ。考えたこともないが、科学部の体制をそのまま引き継いでいるので、幕部がそのまま顧問のはずだ」
幕部といえば、冴えない理科教師だったように思うが、一年の授業を持っていないので、さして面識はない。ハゲなのを知っている程度だ。って、お前は教師を呼び捨てか。
「その幕部先生、新科学部の顧問だよ。僕らの窮状を見かねて、こっちの顧問をやるように言ってくれたんだ。というわけで、天王寺さんのとこは顧問なしの状態ってわけ」
あらま、一発逆転されちゃったわけだ。
「なんだと? そんな横暴がまかり通ってたまるものか。きちんと規則にのっとって、公正に行われるべきだ」
美緒が言うと何かの冗談にしか聞こえない。
「といってもどの部の顧問をするかは先生の方に一任されてるわけだし。それと、こんなわけのわからない、実績も残らないところの名前だけ顧問よりも、理科の先生としては僕らを応援してくれるんだってさ」
うぅん、なんて正論なんだ。
「これね。ちなみに、顧問の掛け持ちはできないから、天王寺さんがこの部を存続させるならちゃんと別の顧問探さなきゃだめだよ」
絶妙のタイミングで差し出されたのは『部活動申請用紙』なる一枚の紙切れ。しっかりと「新科学部」の文字に加えて、想起人の欄に三人の氏名。さらに、顧問の欄には幕部なる人物の直筆サインと印鑑まで押されている。
何の裏打ちもないような口ぶりではないとは思ったが、見事な下準備には頭が下がる思いだ。これだけの自信ということは、おそらくこちらが新しい顧問を見つけられないことまで織り込み済みなんだろうな。
「こりゃ本物だわ。美緒、さすがにこれは」
「で、これがなんだというのだね?」
「や、だからここは正式な部じゃなくなったんだから、ここを部室として使う権利は」
そりゃたじろぐわな。どう見ても自分たちが圧倒的に正しいことを言って、筋も通しているんだもんな。でも、一つ忘れてますよ、先輩方。自分が誰を相手にしてるのか。
「簡単な理屈だ。我々も顧問を確保して、もう一度部としての申請をし直せば済む話だ。そうなれば、ここは引き続き我々のものだ」
「でも、もう顧問できる先生なんかあまってないし、っていうかもう僕たちは申請を出してるわけで」
「とにかく」
勢いよく立ちあがる美緒。どこから湧いてくるのかと聞きたくなる自信を漲らせ、自慢のブロンドヘアを勢いよくなびかせる。こういう立ち居振る舞い、様になるよな。
「超科学部はこのようなことではくじけないよ。黙って指をくわえて見ていたまえ」
「いや、ちょっと、もう僕たちは申請して」
「文句でもあるのかね?」
「いや、その、もう」
「待っていただきたいとお願い申し上げておりますのが、お分かりいただけないので?」
パキパキとナイアガラの指が鳴る。
「わ、わかったよ。こ、今週いっぱいは立ち上げを待つから、そ、その間に」
それだけを言うと脱兎のごとく駆け出した三人。背中が気の毒なほどに小さく見えた。
「学校は社会の縮図とはよく言ったもんだな」
勝てば官軍、力が正義。超科学部のキャッチフレーズはこれで決まりだな。
「魔王らしく、なってきたね」
おいおい、吹水までこんな色に染まってきたのかよ。
「では、今週の目標も決まったところで作戦会議だ」
「おー」
何で美緒が生き生きしているのかはさておいて、ノリノリの吹水は何を期待しているのか? あと、楽しそうに身を乗り出しているカナメとモモ、お前たちは絶対に何のことかわかってないだろ。
にしても、なんでこう次から次へ一大事に事欠かないかね、この部活は。




