悲喜? 交々
結局その日は一度も教室に顔を出すこともなく、部活動終了のチャイムが鳴るころになってもまだ俺たちは部室の中でダラダラと議論を戦わせていた。
とはいってもその九割以上が無駄話で、わかったことといえば吹水が自分の意志で魔王の力を操れないことぐらいだった。
帰り道。吹水と別れた俺とカナメ、ナイアガラの三人は特に会話もなく、街灯が夕闇を切り取る田舎の道を歩いていた。さすがにナイアガラを置いて自転車で帰るのも気が引けるし、かといって三人乗りは難易度が高すぎる。ちなみに、うさぎは吹水が連れて帰ることになったので、鞄と一緒に自転車の前かごに突っ込まれていた。とことん魔神に見えない。
すーすーと、カナメの立てる寝息だけが夜の静けさの中に規則正しく聞こえる。
風のない静かな夜だ。こんな日の散歩も、悪くない。
「ほんとに願い事をかなえる神様や魔神なんているんだな」
「ええ。そのために人は神や魔神を呼び出すのでございましょう?」
まあそうなんだが、おとぎ話や作り話でしかそんなもんが語られない現代に生きてると、こうなるんだよ。
「それよりも、あなた様がなさったこと、おわかりですか?」
唐突すぎる質問に、ボケっと月を見上げて歩いていた俺の心臓がとび跳ねた。脅かすなよ、いきなり声かけんじゃねぇ。
「な、なんだよ藪から棒だな。何の話だよ、俺がやったことって?」
すると、やれやれといった風に首を振り、哀れなものを見る目を向けてきた。やめろ、その目は意外とこたえる。
「あなた様が魔神召喚の瞬間になさったこと、本来ならあってはならないことなのでございますよ」
「何の話だよ? 召喚の時って、俺なんかやったのか?」
「やはり無自覚でいらっしゃいましたか。それはそうでございましょうね、何せあなた様が引き起こしたのは、奇跡なのでございますからね」
「奇跡を起こした? 俺が? なんかの間違いだろ? まさか、召喚が成功したのが俺のせい、ってんじゃないだろうな」
だとしたら笑えないが、どうやらそうではないらしい。首を横に振るナイアガラに、ほっと胸をなでおろす。
「私も知らなかったのでございますが、どうやら魔界からの召喚というのは、代償が必要なものだったようでございます」
「へぇ。まぁあありがちな話だよな。悪魔の召喚には生贄が必要、っての」
魔法陣の真ん中に横たえられた動物やら、時には人間の少女。その周りを取り囲む怪しい衣装の連中に、禍々しい燭台などの器具の数々。創作物なんかでよくみられる悪魔召喚のシーンが、簡単に想像できた。
「あなた様は、その際に本来なら失われるはずの、杏子様の命を救われました。あの方は、あのままでしたら召喚の代償として消滅していたはずでございますので」
なんだと?
「もちろん、本来ならあり得ないのでございますが、どうやらそのようでございます。それが証拠に、こんなにも消耗なさって……」
一変して優しい目元で、肩口にあるカナメの顔を覗き込む。どこまでも慈愛に満ちた、本当に慈しむような瞳だが、鼻息が荒いのはやめておけ。今にも齧り付きそうで怖いぞ。
「取り乱しました。とにかく、あなた様は奇跡を起こされたのです」
「うん。すまん。全くわからん」
「愚図で屑でございますね」
ひでぇ。泣きそうだ。
「本来ならカナメ様の目の届かぬ今この瞬間に分子にまで木っ端微塵にしてやりたいところでございますが、ばれたときの言い訳が面倒でございますので、ナイアガラは実に慈悲深い行動に出ます」
「わぁい、そりゃありがたいやー」
危ういところで分子レベルの分解を免れたらしい。何この死亡フラグ満載の無理ゲー。
「奇跡というのは神の御業でございます。その効力に際限はなく、全ての理を凌駕し、あらゆる束縛を受けることのない、まあ言ってしまえばチートでございます」
「身も蓋もなさ過ぎてわっかりやすいな。最後の一言ですっげぇわかったわ。そういや確かに、消えていく吹水の姿を見た覚えがあったけど、あれ夢じゃなかったんだな」
自分がどれだけ下世話な生き物なのかを痛感したよ。
「んで、それが何かまずいのか? それに、俺が奇跡を起こしたってのもピンとこねぇんだよ。今の話だと神様にしか使えないんだろ、チート……じゃなくて、奇跡って」
「はい。仰る通りでございます。だから、伺っているのでございますよ。何をなさったのですか、と。どうしてなのですか、と。ナイアガラは問うわけでございますよ」
一拍間をおく。
その間が絶妙で、ほんの一瞬の沈黙にもかかわらず、山ほどたくさんのことが頭の中を駆け巡る。なにやらいやなこと聞かれそうだなっていうのも考えるし、衝撃の新事実を突き付けられそうな気もする。しかも、こいつの場合は俺には一切の遠慮なしだ。一撃で精神を崩壊させられてもいいように、十重二十重のガードを構える。
「あなたはなぜ、奇跡を起こせたのでございますか?」
再び間。
この時点で、俺の頭はもう空っぽだ。一瞬前にあれほど頭の中に溢れた思考や記憶の断片は、もれなく行方不明で尻尾も掴めそうにない。何故? 何故だろう。
「納得できかねます」
俺もだよ。
「ですが、一つだけナイアガラ的な見解がございますので、お聞かせしましょうか? 聞きたいですよね、では」
「喋りたいんじゃねぇか」
「あなた様は、カナメ様の神気を体に流し込まれ、人でありながら神の僕となっておられます」
「みたいだな」
認めたくねぇけどな。
「ご存じではいらっしゃらないようですので申し上げますと、あなた様の体はすでに人のそれとは異なっております。まぁ、わかりやすく申しますと」
初耳だぞ、それ。っていうか、何? 俺、人じゃなくなっちゃったの? 他人が魔王になったとかで一喜一憂してる場合じゃないんじゃないのか? 衝撃の事実過ぎてなにやら心臓が異常に激しくドキドキしてるんだが。そして妙に腹のあたりがスースーするっていうか痛いっていうか、
「おい! なんで手刀が腹にめり込んでるんだ!」
「百聞は一見出ございます。ちなみにめり込んでいるのではなく、貫通してございますよ。ほら、背中が触れます」
確かに、ナイアガラの肘が俺の腹にあるのに、背中をさする感触がある。貫通確認。
「じゃなくて! 死ぬ、死ぬからああああ、何だよこれ、なんで、なんで」
「冷静にお聞きください、大したことではございません。肉体が少々変性し、神気そのものに近い構成になっただけでございます。言ってみれば、肉を持った精神生命体とでも申しますか」
「ま、待て。ちょっとタンマだ」
さすがに息が苦しい。頭の中で整理をつけようとするが、どんなパーツがどんなふうに散らばっているのかすら纏められない。パニックというのはこういうものなのだと、変なところだけ冷静だ。
「それが証拠に、ごらんください。血の一滴も出ておりませんし、あっという間にふさがります。ほら」
言って手を引き抜くと、確かにナイアガラの手には返り血どころか、汚れ一つない。
「あ、ほんとだ。もうふさがり始めて……ふさがった。って待て!」
「待ちません。神気というのは神の存在、力そのものの具現化でございますので、今の修太郎様はカナメ様の力の一部といって差し支えございません。ですが」
ぺたぺたと腹を触ってみるが、そこには今までと何ら変わらない皮膚と肉の感触があるだけだ。人体切断のマジックでも見せられた気分だが、背中に残る掌の感触だけが、妙に際立って思い起こされる。
まだなんかあんのかよ? と、もはや俺の魂は風前のともしびだ。いや、もう神気とやらになってるから人間としては終わってるのかな。あははは。笑えねぇ。
「それも、カナメ様の意思ありきでございます。と、聞いておいでですか?」
「あぁ、音声は届いている」
処理されてねぇけどな、半分以上。
「にもかかわらず、あなた様はご自身の意志で力を使われました」
「それが、なんか変なのか?」
神妙な空気なのだろうが、混乱しているせいで置かれた状況がさっぱり理解できない。
「あなた様は、スイッチも押さないのに蛍光灯がともるとどう思われます?」
「そりゃ、まぁ……びっくりする、な」
「それほどに、あり得ない事態ということでございます」
俺、とうとう蛍光灯扱いですか。
「それともう一つ、大事なことをお伝えしておきます」
「まだあんのか? 俺の耐久力はとっくにゼロだぞ。次の一撃が重かった場合」
「あのような無茶をされた場合、修太郎様を構成する神気が著しく消耗いたします。場合によってはご自身が消滅することも念頭に置かれますよう」
なんだそれ? 自分の意志では本来神様の力は使えないけど、俺は使っちゃった。でもそれは俺を形作る力で、使っちゃうとかっらぽになって消えちゃうよってこと?
「そして何よりも、あなた様が失った力を補給したがために、カナメ様は眠りに落ちてしまわれたのだということも、でございます」
「なんか、乾電池みたいだな」
「言い得て妙でございますね。意外と賢いんでございますね」
「えぇ。意外と賢いんですよ」
こうして俺は、びっくりするほどあっさりと衝撃の事実を告げられ、人として終わっていたことを実感させられたわけだ。意外にも冷静でいられるのは、この数日の間に発生したとんでも事件の数々が俺の心を鍛えたからだろうか。
涙が止まりませんがね。
「まぁでも」
足を止めた俺は、ふと自分の掌を見ながらこぼした。まだあのときの、暖かい感触が残ってるような気がしたが、実際にはそんなことはない。ただの、見慣れた手の平だ。
「それでも、吹水がいなくならなかったんなら……よかった」
それはまぎれもなく、俺が願った奇跡だ。わかっていなかったくせに、俺GJ。
「よくもまぁそんな恥ずかしいことをぬけぬけと考えられますね。思春期というのはかくも恥知らずに黒歴史を量産するのでございますね。きんもー、でございます」
「いーだろ別に! このぐらいの青春したって!」
「別にかまいませんが。せめてそのゆるみきった顔面さえ何とかしていただければ」
うそっ、そんなに俺の顔ゆるかったの? まじで?
「シュウぅ……ほきゅうぅ」
寝ぼけて噛むとか、どこの猫だよ。うなじが痛い。
「戻って来たのかね、委員長君。忘れ物かい?」
窓際に置いたパイプ椅子で本を読んでいる美緒は、視線を本に落としたまま来訪者に声をかける。一度も見ていないはずなのに誰が来たのかわかるのは、超能力でも何でもない。予想が当たっただけだ。
たぶん、戻ってくるだろうという予想。
「ん、そうじゃ、ないんだけど……いいのかな、って」
「何がだい? 質問が抽象的すぎて回答しかねるね」
嘘ばっかりだ。本当は何を聞きたいのか、何を求められているのか、おおよそで当たりは付いている。
「あの、僕……中学の時、みたいに、もう、弱いままは、いやだから」
太もものところでぎゅっと拳を握る姿に、決意が現れているように見える。
「美緒がいなければ、僕、ここに、いなかった」
「たまたまだよ。バカどもの興味が私に移った、それだけのことだよ、あれは」
「でも、そのせいで、美緒は」
「本人が気にしていないのだから、よいのでは? 恩義を感じるようなことは何もなかったはずだし、むしろ今は私の方が助かっているよ。部の存続が約束された」
美緒と杏子は同じ中学に通っていて、三年のときには同じクラスにもなった。
そこで美緒が見たのは、杏子に向けられる心ない感情の発露。全国どこへ行ってもこの年代の、いや、年代に関わらずこの手の悪意は存在する。
杏子は、イジメられていた。
露骨な暴力こそなかったものの、気の弱い杏子は格好の的だったわけだ。クラス内にはいくつかの女子グループが存在したが、杏子に目を付けたのはとりわけ派手で発言力のある集団だった。その中心になっている女子生徒が、杏子を利用したというわけだ。自分の立場を維持するために。
誰かを貶めればそのぶん自分が浮き上がる、そんな安直で蒙昧な思考。
そして、同じクラスにいた美緒は、問答無用にその事実を突き付けた。
「他人を貶めねば自らの価値を確立できないとは、笑止だね」
昼休みに購買部へのパシリを要求されて教室を出て行こうとした杏子の、襟首をひっつかまえて美緒はそう言った。
教室中どころか廊下に出ている人間までもが何事かと振り返るほどの、凛とした声に教室は水を打ったように静まり返った。
いじめを見たら見て見ぬふり。それが暗黙の中学生にすれば、地雷を踏んだようにしか見えなかった。いじめられている人間をかばうという横槍は、自身がスケープゴートになることと同義だ。案の定その直後からいじめの対象は杏子から美緒にシフトした。
もちろん、その行為そのものが愚の骨頂であることに気がつくほど賢い女子なら、そもそもいじめなどしなかっただろう。
相手があの天王寺美緒であると、ほんの少しだけ考えるべきだった。
小賢しいまでのいじめの数々はことごとく美緒によって笑い飛ばされ、見るも無残なほどに体裁を失っていった女子生徒は、ついには最後の手段に訴えた。
やめておけばよいものを、具体的な暴力にうったえようとしたわけだ。当然のように美緒は全力でバールを叩きつけ、その一瞬でいともたやすく一連のいじめ事件は終息を迎えた。
教室中が凍りつくようなバールの一撃は、教卓を直撃しただけにとどまった。が、真っ二つに割れた天板を見つめる怯えきった瞳に、それまで最大派閥だった女子のグループは呆気なく解散することとなった。女子の仲良しグループの、よくある哀れな末路だ。グループの中心をなしていた女子は、昼休みには一人で弁当をつつく姿が見受けられるようになったのだが、そこに美緒が叩きつけた「人を呪わば穴二つ、だよ」の一言は、完膚なきまでにとどめを刺した。
美緒に悪意など、あろうはずもない。
もちろん、そこに至るまでの「イジメ」の過程について、美緒は認識すらしていなかったので、実質いじめていた側の独り相撲だったわけだが。
「あの、あのときの、こと」
「現実を突き付けただけだよ。瑣末なことだ」
しれっと言ってのける視線は、相変わらず本の上だ。もちろん、この言葉にも他意などあるはずがない。美緒にとっては実際にその程度なのだ。
「ぼ、僕は、そのおかげ、で、ここにいられて……もう、弱いのは、いや、で」
強くなりたい。もう、弱いままの自分が嫌だ。その切実な願いを両手に握った杏子は、それを美緒に告げに来た、というわけだ。
「なら」
美緒の視線が本を離れ、杏子を見に向けられる。美緒らしい、真っ直ぐで力強い視線。
杏子の求める「強さ」を持った、視線。
「強くなりたまえよ。君はもう超科学部の部員なのだから、遠慮など必要はない。魔王でも魔神でも淫魔でも、自らの求める強さをまっすぐに求めればいい。我が超科学部にはそれが最善だと、私は判断した」
この言葉も、美緒に言わせれば「現実を突き付けただけ」なのだろうが、その言葉の持つ魔力に気づかぬは本人ばかりなり、だ。
「いい、の? 僕なんかで。僕が、いても」
部室に一歩を踏みこめないつま先が、そのまま杏子の迷いを表している。
気の弱さゆえに、自分の存在を肯定できない杏子の心境は、ひたすらに揺れていた。
認められることの少なかった、認められている実感の持てなかった過去が、今回の行為を自らで肯定できていないのだ。
「入部届けはもう受理されているよ。やめたいといっても、我々は君を逃がさない。地の果て、それこそ魔界の果てまででも追いかけるよ。委員長君。いや」
部室を横切って、杏子の前に立つ。窓から差し込む夕日を背負った美緒の姿は、血の色に染まった魔女のようだ。そこに浮かんだ不敵きわまる笑みが、何とも似合っている。
「魔王君」
眼鏡の奥の瞳が、色彩を取り戻す。
「ともに青春しようではないか」
杏子のスリッパ履きの足が、部室の敷居を超える。
自らの意思で。




