↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

また魔獣

### 第十二話 剣聖との勝負は、始まらなかった


 朝。


 俺はまだ寝ていた。


「……」


 隣ではグラヴァルが丸くなっている。


 静かだ。


 今日は何も起こらない。


 そんな気がした。


 ――その直後。


 カン、カン、カン、カン――!


 けたたましい鐘の音が、王都中に響き渡った。


「……」


 俺は目を開けた。


「……嫌な予感しかしないな」


 グラヴァルも起き上がる。


 耳が動いた。


 窓の外を見る。


 北の空。


 黒い煙が上がっていた。


「……行くか」


 ベッドから降りる。


 神父服を整え、部屋を出た。


 その途中。


「神父」


 声をかけてきたのは、レオンハルトだった。


「北門が襲われているらしい」


「そうか」


「俺も行く」


 レオンハルトは腰の剣に手を添える。


 そして、一瞬だけ俺を見る。


「……昨日の勝負だが」


「断る」


「いや」


 レオンハルトは首を振った。


「今日は、俺から断る」


「?」


「騎士団の人間として、王都が襲われているときに、お前と戦うわけにはいかない」


 意外だった。


「そうか」


「勝負は後だ」


 レオンハルトは笑う。


「まずは王都を守る。それが先だ」


「……分かった」


「終わったら、改めて頼む」


「ああ」


 レオンハルトは先に歩き出した。


 俺も、その後を追う。


「……真面目だな」


◆


 北門に着いたときには、すでに戦闘が始まっていた。


 魔物の群れが、門へ押し寄せている。


 狼。


 大型の蜥蜴。


 蜘蛛。


 見覚えのある魔物も多い。


 だが。


「……おかしい」


 動きが揃いすぎている。


 普通なら、魔物はそれぞれ勝手に動く。


 強い個体が前に出て、弱い個体が逃げる。


 種族が違えば、互いに襲い合うことすらある。


 なのに。


 今は違う。


 狼が左へ走れば、蜥蜴も左へ走る。


 蜘蛛が止まれば、狼も止まる。


 まるで。


 誰か一人が、全員を操っているように。


「神父様!」


 騎士が駆け寄ってくる。


「森の奥から、次々と魔物が出てきています!」


「魔物同士で争いは?」


「ありません!」


「……そうか」


 俺は森を見る。


「操られているな」


 レオンハルトが振り返る。


「分かるのか?」


「ああ」


「どこからだ?」


「まだ分からない」


 俺は魔物の動きを見る。


 一定の方向。


 一定の間隔。


 そして。


「森の奥に何かある」


 その瞬間だった。


 魔物たちが一斉に止まった。


「……?」


 狼が唸る。


 蜥蜴が身を低くする。


 蜘蛛が八本の脚を地面へ突き立てた。


 まるで。


 何かを恐れているようだった。


 次の瞬間。


 ズンッ――!


 大地が沈んだ。


「なっ……!」


 騎士たちがよろめく。


 地面から衝撃が走り、北門の石畳に細かな亀裂が広がっていく。


 ズンッ――!


 二度目の衝撃。


 今度は森の木々が一斉に揺れた。


 鳥たちが空へ逃げていく。


 木が一本。


 根元からへし折れた。


 ドォンッ――!


 倒れた木が地面を叩く。


 その奥から。


 何かが歩いてくる。


 一歩。


 ズン。


 また一歩。


 ズン。


 地面が揺れるたび、周囲の魔物が道を開けていく。


「……なんだ、あれ」


 巨大な影が森を抜けた。


 一体の魔獣だった。


 四足。


 巨大な身体。


 赤黒い毛。


 黒い角。


 長い牙。


 鋭い爪。


 身体中に黒い亀裂が走り、その隙間から赤黒い光が漏れている。


 そして。


 口元から溢れ出す、濃密な黒い霧。


 霧が地面に触れる。


 ジュッ。


 草が黒く変色した。


「……」


 俺は息を止めた。


 見覚えがある。


 グラヴァルを侵していたものと同じだ。


 だが。


 濃度が違う。


 あまりにも濃い。


 魔獣がこちらを向いた。


 濁った赤い瞳。


 その視線だけで、周囲の空気が重くなる。


 騎士の一人が、無意識に後ずさった。


「な、なんだ……この圧は……」


 レオンハルトでさえ、剣の柄を握る手に力を込めている。


 俺は魔獣を見る。


「レオンハルト」


「なんだ?」


「下がってくれ」


「分かった」


 剣聖は素直に下がった。


 俺は一人で前へ出る。


 一歩。


 また一歩。


 魔獣が唸った。


 グルルルル……。


 低い音だった。


 それだけで地面が震える。


 次の瞬間。


 魔獣が消えた。


「――!」


 巨体からは想像できない速度だった。


 地面を蹴っただけで、石畳が爆ぜる。


 バキィッ!


 砕けた石が宙へ飛ぶ。


 一瞬で距離を詰める。


 巨大な爪が振り上げられた。


 空気が裂ける。


 ――速い。


 騎士たちには、ほとんど見えていない。


 ズドンッ!


 魔獣の爪が。


 俺の目の前で止まった。


 風圧だけが吹き抜ける。


 神父服が大きくはためいた。


 地面には、爪先から伝わった衝撃で亀裂が走っている。


「……!」


 騎士たちが息を呑む。


 魔獣は動かない。


 いや。


 動けない。


 俺はその巨大な身体へ手を伸ばす。


 毛に触れた瞬間。


「……!」


 頭の中へ、一気に情報が流れ込んできた。


 黒い。


 濁っている。


 魔力の流れが完全に壊れている。


 これは。


 グラヴァルのときとは違う。


「あのときは、まだ戻れた」


 俺は魔獣の身体を見る。


「でも、お前は……」


 身体の奥。


 骨。


 血管。


 筋肉。


 臓器。


 魔力。


 すべてに黒い魔力が染み込んでいる。


 ただ取り憑いているわけじゃない。


 長い時間をかけて。


「……もう、身体そのものが変えられている」


 俺は浄化の魔力を流す。


 白い光が指先から広がった。


 黒い霧が弾ける。


 ジュッ――!


 魔獣の身体から黒い霧が剥がれ落ちる。


「いけるか……?」


 一瞬。


 そう思った。


 だが。


 バキッ。


「……っ!」


 魔獣の身体に亀裂が走った。


 浄化した部分から。


 肉そのものが崩れ始めている。


「やめろ」


 俺はすぐに魔力を止めた。


 崩壊が止まる。


「……違う」


 俺は魔獣を見る。


 分かった。


 黒い霧は、もう異物じゃない。


 こいつの身体の一部になっている。


 正確には。


 そうなるまで侵されてしまった。


 完全に浄化すれば。


 黒い霧だけではなく。


 こいつ自身まで消えてしまう。


「……」


 魔獣が苦しそうに呻いた。


 グル……。


 濁った赤い目が、俺を見る。


 そこには。


 まだ意思があった。


「……そうか」


 俺は静かに手を置く。


「分かった」


 完全に助けることはできない。


 なら。


 せめて。


 これ以上、苦しませない。


 俺は浄化の魔力を調整する。


 黒い霧を消すのではなく。


 押し返す。


 侵食が広がらないように。


 ただ、それだけを。


「……これでいい」


 魔獣の身体から、少しずつ力が抜けていく。


 荒かった呼吸が。


 ゆっくりと。


 ゆっくりと。


 落ち着いていく。


 魔獣が地面へ伏せた。


 ドォン。


 巨体が倒れた衝撃で、土煙が舞う。


「……」


 俺はその場にしゃがみ込む。


 魔獣の頭へ手を置いた。


「もう、苦しくないだろ」


 返事はない。


 ただ。


 魔獣の身体から、わずかに力が抜けていく。


 赤く濁っていた目が。


 ゆっくりと閉じられる。


「……寝たのか?」


 俺はそう呟いた。


 だが。


 違う。


 分かっていた。


 胸の奥で。


 最後に一度だけ。


 大きく鼓動した。


 ドクン。


 そして。


 静かになった。


「……」


 俺はもう一度、身体に触れる。


 魔力は。


 動いていなかった。


「……そうか」


 手を離さない。


 そのまま、静かに目を閉じる。


 神父として。


 こいつにしてやれることは、もう何もない。


 なら。


 最後くらいは。


「……神よ」


 小さく呟く。


「この者に、安らかな眠りを」


 風が森を抜けていく。


 黒い毛が、わずかに揺れた。


「もう、苦しむことはない」


 祈りは短かった。


 奇跡を願うこともしなかった。


 ただ。


 一つの命が、静かに終わったことを受け入れるための祈りだった。


「……おやすみ」


 俺は目を開ける。


 魔獣は、もう動かなかった。


 悲しくないわけじゃない。


 でも。


 最後は苦しませずに済んだ。


 それだけでも、よかったと思う。


 レオンハルトが静かに近づいてくる。


「……死んだのか」


「ああ」


 俺は魔獣を見る。


 レオンハルトは何も言わなかった。


 俺も、それ以上は言わなかった。


◆


 森の中。


 魔獣が現れた場所を調べる。


 地面には、黒い跡が残っていた。


 魔法陣。


 俺はしゃがみ込む。


「……」


 指先で触れる。


 嫌な魔力だ。


「これが魔物を操っていたのか?」


 レオンハルトが聞く。


「ああ」


「では、あの魔獣も?」


「違う」


 俺は首を振る。


「あれは操られていただけじゃない」


「……?」


「変えられていた」


 黒い跡を見る。


「魔物を操るだけなら、こんなものは必要ない」


 これは。


 魔物の身体に魔力を流し込むためのものだ。


 そして。


 その魔力を定着させる。


「魔物を操る」


「そして、魔物を変える」


 俺は立ち上がる。


「二つのことを同時にやっている」


「誰が?」


「それは、まだ分からない」


 森の奥を見る。


「だが」


 あの魔獣の身体を思い出す。


「助けられないほど侵す必要がある理由が分からない」


 操るだけなら。


 もっと簡単な方法がある。


 わざわざ身体そのものを壊す必要はない。


「……何か目的がある」


 俺はそう呟いた。


◆


 夕方。


 教会に戻る。


 グラヴァルが出迎えてくれる。


「ただいま」


 グラヴァルが鼻を鳴らす。


 俺は、その身体に手を置いた。


「……お前は、間に合ってよかったな」


 グラヴァルが俺を見る。


「今日、お前と同じ黒い霧に侵された魔獣がいた」


 少しだけ間を置く。


「完全には助けられなかった」


 グラヴァルの耳が動く。


「でも、最後は苦しくないようにできた」


 グラヴァルが俺の隣に座る。


「俺なら、何とかできると思ってたんだけどな」


 少しだけ苦笑する。


「……まあ、できないものは仕方ないか」


 グラヴァルが俺の手に鼻先を押しつける。


「……ありがとな」


 俺はその毛を撫でた。


「今日はもう寝るか」


 グラヴァルが小さく鳴く。


「お前も疲れたか」


 俺は立ち上がる。


「じゃあ、寝よう」


◆


 翌朝。


「今日は、昼寝できそうだな」


 俺はそう思った。


 そして。


「神父様!」


 扉が開く。


「昨日、剣聖様と一緒に魔獣を倒したって本当ですか!?」


「……」


 噂になるのが早すぎる。


「あと、剣聖様に指示を出していたとか!」


「そんなことはしていない」


「では、剣聖様と互角に戦ったというのは!?」


「戦っていない」


「やはり神父様は剣聖様より強いんですね!」


「……違う」


 もう嫌だ。


 俺は窓の外を見る。


 今日こそ。


 今日こそ、静かな一日を――


 そう思ったところで。


 遠くの空に。


 一瞬だけ。


 黒い光が走った。


 俺は、それに気づかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。