第四章 交戦。
HMBA07-IAの塗装は、大きく変更された。
アーケスティアのリクエスト通り、白をメインに、赤のラインを入れた意匠が採用された。以前のような、後頭部のみ赤というのではなく、肩の部分やフロントスカートの裾などに、リボンのような塗装が施された。もちろん、後頭部の赤い塗装は却下されている。白い部分も、やや白銀に近い白に塗り直した。結果として全体的に、月の女神アルテミスをイメージしやすい機体になった。フロントスカートの辺りと言い、まるで古代ギリシャのチュニックを彷彿とさせる。女神は、短いチュニックをまとい、長靴を履き、エビラを背負い、野を駆け、獲物を射る。獲物は鹿であり、そして人である。
「まあ、いいんじゃない!?」
それが、アーケスティアの評価だった。研究所の整備スタッフと議論を重ね、リクエストに頑張って応えてあげたのに、反応が素っ気なさすぎる。
ユリウスから見れば、なんというのか、女性化したようで居心地の悪い機体になっているのだが、パイロット自身からのダメ出しがないので、それで了承することにした。本当は、隠密行動にふさわしい、以前のカラーのほうがいいと思っている。わざわざ目立つ色にすることに、心の底から納得はしていない。
機体の装備は、前回から特段変化させることはなかった。ミサイルポッドを三基、サーベル一本である。ミサイルポッドは最初から左腕に装着されたもの一基と、折りたたんだ状態で左右のふくらはぎ側面に収納されたもの二基。腰に挿したビーム・サーベルは、一応の護身用として。一応の、というのは、アーケスティアがそういった一般武装を使いこなすことが、おそろしく下手だからである。
彼女は他のパイロットのように、兵装の訓練をうけていない。主に特殊能力を駆使する武器を扱えるようにしか、練習していないのだ。ライフルとかも装備したほうが安心なのだが、追撃ミサイルを飛ばすのと、ライフルで撃ち抜くのは、基本的に感覚が違いすぎる。ライフルは狙ったところで、直線的にしか飛ばない。弾道を自在に操り、自由な動きをする彼女のミサイルとは勝手が違うのだ。
だから、近接戦で使えるサーベルしか装備していない。なんとも心もとないのだが、持っていても使えないのなら邪魔になるだけだ。
こんな武器まで使わなくてもいいようにと、アーケスティアが出撃するたびに、ユリウスは心の中で祈っていた。この武器を使用すること。すなわち彼女の危機を示している。ミサイルだけで決着がつけばよいのに。そうでないときは、仲間の機兵たちが彼女を守ってくれれば。彼女が無理せずに撤退してくれれば。
仲がいいというわけではないが、それでも、相手が傷つくことを願いはしない。
仲間が作戦から帰ってこない怖さを、ユリウスは、初めて戦場を目の当たりにした時に思い知った。あの時、ヘッドセットから聞こえてきた、ヴァンガードの爆発音。帰投したパイロットたちの嘆き。それら全ては、未だにユリウスの中にこびりついて離れない。
それに。心配事はまだある。
アーケスティアの身体のことだ。
彼女は、初陣で高いシンクロ率を上げたが、それでも追撃ミサイルを同時に全て射出できなかった。研究所内でその点も議論され、彼女に追加の薬物が投与されることが決定した。初陣で、成功を収めたものの、それだけでは足りないのである。
当然、薬物の副作用は以前より過酷なものとなっていた。
激しい頭痛、倦怠感はもちろんのこと、全身の疼痛、吐き気、悪寒、震え。あまりの過酷さに、ユリウスは何度も薬物の停止、もしくは減量を提案したが、すべて却下された。アーケスティア本人からも、拒絶された。「カールのためなら平気」と彼女は、苦しい息の中から訴える。なぜそこまでして、中佐のために尽くすのか。ユリウスには理解できなかった。
作戦自体は、ユリウスの杞憂をよそに、次々と成功を収めていった。
輸送船に護衛用の機体が増えることはあったが、着実に全て撃破することが出来ていた。
強奪した物資もドンドン増えていく。HMBA07-IAの修理、改造もやりやすくなっている。
問題はない。しかし、その問題のないことが、ユリウスの中で、違和感として渦巻いていた。
本当に、これでいいのだろうか。
「じゃあ、今日も、無理しないで」
スルスルっと、コックピットに搭乗したアーケスティアに声をかけた。
「大丈夫だってば」
異様に明るい声で、アーケスティアが応える。
「こんなの、いつものよーに、ズバズバーッと射って、ドカドカーッとやっつけちゃうから」
すでに薬を大量投与されているので、普段以上にテンションが高い。釣り上がった目を大きく見開き、口もとに暗い笑みを浮かべている。普段のモヴをかわいがっている彼女からは想像もできない、攻撃的な表情だ。
「それでも、気をつけて」
「へーき、へーきぃ」
その興奮状態に、ユリウスは暗澹たる思いに陥った。この副作用が、反動が、必ず彼女の身を襲うであろうことが、わかっているからだ。
「じゃっあね~♡」
機体の手のひらをひらひらさせて、彼女の機体は宇宙の闇に飛び込んでいった。仲間のヴァンガードたちがその後に続く。
彼女たちを見送った後は、ブリッジのモニターで戦闘の様子を確認するのが、ユリウスの日常となっていた。
ノイズ混じりのヘッドセットの音に耳をすまし、不鮮明なモニターの映像に目を凝らす。おかげで、最近のユリウスの目は、軽い乾燥で痛みを訴えていた。しかし、見ない訳にはいかない。張り詰めた気持ちで、耳に目に、意識を集中する。
通信士のイシイ少尉は、そんなユリウスの姿に、何も言わず、ただ自分の仕事を全うするように、同じくモニター画面を見つめていた。
ヘッドセットは、いつものように追撃ミサイルの着弾、爆発音を捉えていた。と同時に味方が輸送船の襲撃に向かう。モニターにもその姿が映される。
ヴァンガードに遅れて、HMBA07-IAも移動を始める。ヴァンガードより行動が遅れるのは、追撃ミサイル射出したことにより、アーケスティアが疲労しているからだ。ユリウスの耳に届いている、彼女の呼吸は少し荒い。
大丈夫なのだろうか。
ユリウスがそう思った時、HMBA07-IAの前方、十時下方から、閃光が走った。
地球軍、チャリオットのライフルだ。
そう思った次の瞬間、その閃光がHMBA07-IAの左足に被弾した。
遠距離なのが幸いしたのか、爆発は装甲の上だけにとどまった。
そして、続く閃光。
「クッ!!」
アーケスティアが機体をひねる。閃光は、HMBA07-IAがいた空間を通り抜ける。
空になったミサイルポッドを引きちぎるように腕から外し、新しいポッドを取り付ける。
「イッタいじゃないのっ!!」
怒りに任せた追撃ミサイルが全弾射出され、宙を舞い、閃光の先へと弧を描いた。モニターでは映しきれない、レーダーでも捉えきれない闇の中に、敵機がいたのだ。地球軍もバカではない。火星軍が攻撃しているのは自分たちではない。輸送船は、行方不明になったのだと説明しても、それをまともに信じるほど愚かではないということだ。度重なる襲撃に備え、輸送船の中ではなく、離れた位置に機体をあらかじめ配備していた。輸送船は囮だ。
アーケスティアが一回目の追撃ミサイルを射出するのを合図に、こちらの位置を把握し、攻撃をしかけてきたのだ。お互い、この宇宙空間では宇宙線の影響で、遠方の敵を補足しにくくなっている。そのおかげで、この作戦は成功を収めていたのだが、こうして敵に、ミサイルの軌道から位置を捕捉されてしまうと、逆に宇宙線の影響がが憎く思えてくる。
二回目のミサイルは、一回目より短い弧を描いただけで、着弾した。敵機は、ライフルを撃ちながら、こちらに向かっていたのだ。その距離の短さに、戦慄が走る。
追撃ミサイルが爆発を起こす。一発、二発、三発、四発…。やや時間差を置いて爆発音がした。ミサイルが、確実に敵機を撃破した。
敵機は、四機、…か!?
「いや、違うっ!!」
ユリウスは叫んだ。
その頃にはすでに、レーダーでも捕捉可能になっていた。敵機は、一機だけ残っている。
執拗に追いかけるミサイルから逃げ、振り返りざまに、ライフルを一発。的確にミサイルを撃ち抜いた。
「う…、そ。そんなバカな」
アーケスティアの驚いた声。まさかミサイルを、撃ち落とされると思っていなかったのだろう。
しかし、すぐに彼女の舌を舐める音がした。
「ふーん。なかなかやるじゃない。そういうの、だぁいすきっ。で、も♡ これでおしまいよぉっ!!」
好戦的なアーケスティアの叫び。手応えのある敵を見出した喜び。先程射出した追撃ミサイルの内、残りの四発が、生き残った敵機に一斉に襲いかかる。
レーダーから解析された機体、BWM-2、チャリオットⅡは、追撃ミサイルをかわし、宙を自在に舞う。その機動性に、ユリウスは思わず目を見張った。何度も見ている地球軍の機体のはずなのに、その動きのなめらかさが、今までのと桁違いにいいのだ。
チャリオットⅡは、器用に機体をそらし、かわし、反転し、自分を付け狙うミサイルを正確に撃ち抜いていった。
爆煙が上がる。
HMBA07-IAの遠くで、そして近くで。一発、二発、三発、四発…。全弾、消失。
まずいっ!!
ユリウスの背中を冷たい汗が流れ落ちる。
「艦長っ!!」
ブリッジを振り返り、ユリウスは叫んだ。
「至急、彼女の援護をっ!!」
その叫びと同時に、モニターの向こうで爆発が起こった。
追撃ミサイルがチャリオットⅡを撃墜したのではない。爆煙を隠れ蓑に、HMBA07-IAに接近した敵機が攻撃をしかけてきたのだ。ライフルを持たず、今度はサーベルで。
「…………っ!!」
いきなりの至近距離からの攻撃に、アーケスティアはとっさに交換しようと取り出しかけていたポッドで思わず受け止めた。ポッドを装着するのが間に合わなかったのだ。
サーベルを受け止める盾となったポッドが爆発する。これで、全ての追撃ミサイルを失ってしまった。連鎖的に起こる爆発に、チャリオットⅡが間合いを取った。その間に、アーケスティアが自分の腰に装備されたサーベルを抜き払った。この状況だけ見れば、敵機とHMBA07-IAの立場は五分五分、対等の戦力と言えるが…。
最後の、護身用の武器を使わざるを得ない状況になってしまったことに、ユリウスは無意識に胸を掻きむしった。
「作戦中止っ!! 全機、HMBA07-IAを援護しつつ、撤退をっ!!」
艦長が叫ぶ。
「了解。全機、IA機を援護しつつ撤退をっ。繰り返す。全機、IA機を援護しつつ撤退っ!! 作戦は中止である!!」
素早くイシイ少尉が伝令を全機に飛ばした。彼の声は冷静だが、額には汗が滲んでる。
艦長とイシイ少尉が遠くで聞こえる。ユリウスの耳には、アーケスティアが必死にサーベルで応戦している声と音しか届いていなかった。いや。その声すら、ヘッドセットをしているにもかかわらず、耳の上を上滑りしているかのようだった。
声が出ない。息ができない。
大きく目を見開き、モニターに映し出されたその状況が、否応なく網膜に飛び込んでくる。
HMBA07-IAが、サーベルを水平に薙ぎ払う。チャリオットⅡが後ろに飛び退る。そして、下から切り上げる。HMBA07-IAがギリギリのところでかわす。今度は上から。手の返しが間に合わなかったHMBA07-IAは、逆手のままそれを受け止める。相手は左手持ちだ。右手でサーベルを持つHMBA07-IAでは、受け止め方が難しい。衝撃の重さもあって、もう少しでサーベルを取り落としそうになっていた。すると、チャリオットⅡの右足が、そのコックピットめがけて蹴り上げに来た。サーベルを受け止めるだけで必死なHMBA07-IAは、まともにその蹴りを腹部に受けてしまった。
強い衝撃が、中に乗るアーケスティアを襲う。
「あうっ…!!」
彼女の口から、短いうめき声が漏れる。
少し間合いを取り直したチャリオットⅡが、正面からサーベルを突きに来た。
HMBA07-IAは動かない。先程の衝撃で、もしかしたら、アーケスティアは軽い脳震盪を起こしているのかもしれない。
サーベルの剣先は、正確にコックピットを指している。
やめてくれっ!!
ユリウスは、声にならない叫びを張り上げた。
アーケスティアに迫る剣先。と同時にチャリオットⅡの左肩で爆発。
味方のヴァンガードたちが、戻ってきたのだ。正確に捉えた僚機のミサイルがチャリオットⅡの盾ごと左腕を吹き飛ばす。
戻ってきた敵部隊に、チャリオットⅡはこれ以上の交戦を、単機では不可能と察したのだろう。左腕を失くし、煙を上げる肩をかばうように一気に後退してゆく。
僚機は、そのチャリオットⅡを追わない。HMBA07-IAが動けない以上、作戦は続行できない。貴重な戦力であるアーケスティアを守ることは、本作戦においてかなりの重要事項である。彼女の力なくしては、作戦の成功は難しい。僚機は指令どおり、撤退を決めた。
僚機に抱えられるようにして、HMBA07-IAが、こちらに向かってくる。何度も、ヴァンガードたちが彼女に交信を呼びかけるが、彼女の応答は聞こえてこない。
まさか、まさか、まさか。
「…んっ…」
かすかな、アーケスティアの声。
安堵する間もなく、続く悲鳴。
「うっ、あっ、ああっ、ああああっっ!!」
「アーケスティアッ!!」
ユリウスが叫ぶ。そこに返事はない。
あるのは、小刻みに送られる彼女の苦しそうな息遣い。
ユリウスはヘッドセットを放り出し、格納庫に向けて飛び出していった。
ハンガーに収納されたHMBA07-IAのコックピットを開けると、いつも以上にぐったりとしたアーケスティアがシートに身を預けていた。浅い呼吸を繰り返し、時々喘ぎ声をあげる。
「アーケスティアッ」
返事はない。
手早くベルトを外し、彼女を機体から開放する。
「救護班、来てくれっ!!」
ユリウスの叫びに、担架を持った乗組員がやってきてくれた。無重力で振り落とされないように、担架にカラダを固定する。
彼女を乗せた担架に続いて、ユリウスも機体から離れる。
目に止まったのは、自分と同じ服装の研究所員の姿だった。機体の損傷部分を確認していたり、データを見ながら議論を交わし合っていたり。誰もアーケスティアを見ないし、気にかけている様子もない。機体の傷や、データの内容は重要視するのに、中の、パイロットの容態は気にもとめない。
なんなんだ、こいつらは。
彼女がこんな状況になっているのに、誰も、何も心配しないのか!?
誰一人、声をかけてこない。いや、ヴァンガードのパイロットたちは、心配して近寄ってきてくれた。彼らとアーケスティア、ユリウスとの面識はほとんどない。それでも、気にかけてくれている。
だからこそ、余計に感じたのだ。
研究所員の異常な冷たさを。
チッ。
舌打ち一つ残して、ユリウスはアーケスティアと共に、医務室に向かった。
なぜだろう。怒りと苛立ちが治まりそうになかった。
一方の、地球軍の戦艦の格納庫内で。
左腕と、盾を失ったチャリオットⅡを見上げる若い男がいた。
先程の戦闘でアーケスティアを追い詰めた機体と、そのパイロットである。
機体の損傷は、左腕だけに留まらない。足も至近距離の爆発で被弾して、塗装が剥がれている。パーツが欠けている部分もある。実際、両足ともに動きが悪い。
それほどに、大きな威力を持つ兵器だったのだ。あの、新型の敵機、キャバリーの新兵器は。
「くそっ」
男が、小さく悪態をついた。
自分は、その執拗な追撃をかわし、全弾落ち落とした。かなり際どかった場面もあった。しかし、こうして生きながらえている。
だけど、仲間は。
輸送船は、いつものように、存在を消されるまで、徹底的に破壊されるということはなかった。被弾したものの、輸送船内の生存者も助けられた。もちろん、そうでなかった乗組員もいたが。
自分と一緒に出撃した仲間は、一緒に帰還できなかった。
自分を残して、全機撃破されたのだ。あの改良された新型に。
ムダにおしゃべり好きのマシュー、出撃のジンクスだとカレーを食べていたロイ、先日の休暇で家族に会ったと嬉しそうに話していたディック、酒好きなのに出撃前は飲めないのがつらいとぼやいていたイーガン。
彼らとの会話、日常が次々と脳裏に浮かぶ。もう戻ってこない、大事な思い出、仲間。
よくある映画なんかだと、この場合、自分の立ち位置は仲間のリベンジを誓ったりするのがふさわしいのだろけど。
なぜか、そういう気分にはなれなかった。自分でも理解できない、不思議な感情がもう一つ、心の中にわだかまっていたからだ。
戦闘中に感じた、不思議な…。まだ、言葉で言い表せない、何か…。
「どうしたの、ヒュー」
「…クロエ」
自分の悪態を聞きとめる者がいたことに、男、ヒューは少し驚いた。
「なにか、何を思ってるの!?」
クロエが、腕にデータパッドを抱えたまま近づいてきた。技術士官としてはめずらしい女性士官。肩の辺りでスッキリ切りそろえられた黒髪。知的な瞳を強調する眼鏡。大人の女性の美しさを損なうことなく、彼女を包む軍服。ピンっと伸びた背筋は、彼女の凛々しさを物語っている。
彼女に、今の自分の感情の全てを語ったら、自分はラクになるだろうか。彼女にすがりつき、思いの丈を話したら。
彼女は、クロエは、それを許してくれるだろう。自分と彼女はそういう関係だ。
しかし、それで自分がスッキリするとは思えなかった。自分の中にある感情は、まだ整理しきれていない。こんな状態で語っても、彼女にも迷惑だろう。
「…なんでも、ないよ」
そう言うのが、精一杯だった。
「話したくなったら、いつでも言ってね」
「…ああ」
クロエはやさしい。そのやさしさに甘えたくもなる。
「おや、そこにいるのはステイウィル中尉じゃないか」
「…マクレガン大尉」
その声に、一瞬クロエが嫌な顔をした。
「なかなかのご活躍だったそうじゃないか、ステイウィル中尉」
「はっ、恐縮であります」
ヒューは、軍人らしく直立で応えた。
「毎回、あの忌々しい新型のキャバリーにやられていたが、今回はお返しが出来たというわけだ」
マクレガン大尉が、グレイの機体を見上げた。
「ここまでやられても、無事帰還できるとは、さすがだな。何度戦場に出ても、必ず帰還するな、お前は」
「はっ」
あくまで姿勢を崩さない。
「まったく、お前みたいなのを、もしかしてエースパイロットとでも言うのかもな」
マクレガンが、動かないヒューの肩を叩く。
「この調子で、これからも頑張ってくれよ、エース様」
わざとらしい笑いをしながら、マクレガンが格納庫を後にした。ヒューは、その姿を見えなくなるまで、直立不動のまま見送り、大きく息を吐いた。
「嫌な人」
露骨に眉間にシワを入れて、クロエが言った。
「わざわざ、こんなところにまで来て嫌味を残していくなんて、最低ね」
マクレガンの持ち場は、ブリッジにある。主に艦長の補佐が彼の仕事だ。格納庫に用はない。
「まあ、ね。仕方ないさ」
曖昧な笑みを浮かべて、ヒューが答えた。
マクレガンが嫌味を言う理由を、ヒューも、そしてクロエも理解している。
ヒューの出世を妬み、その活躍をおもしろく思っていないのだ。
マクレガンの言う通り、ヒューはこれまでにも何度も出撃して、何度も帰還を果たしている。仲間と一緒に帰れた時もあれば、帰れなかった時もある。今回のように。
ヒューは、自分と死んだ仲間と、差があったとは思っていない。
あるのは、自分は敵弾に当たらなかっただけで、自分のいた場所が少しでもずれていたら、自分も帰還出来なかった。そう思っている。本当に、僅かな、些細なことで仲間が帰って、自分が戦場に散ったことになる可能性もあるのだ。
それを、運だ、奇跡だと、あてにならないもので言い表す気もないし、実力だと言い張る気もなかった。
だから、こうして帰還した自分を、「エース」だとか、才能があるなどと言ってくるのは、好きではない。むしろ、腹が立つほど、大嫌いだった。死んだ人間は大したことなかったのか、生きている自分は素晴らしいのか。そんなことはない。絶対に。
もちろん、ヒューのこの気持ちを恋人であるクロエは知っている。自分を知っている人物なら、おそらく、このことを知っている。マクレガン大尉だって。ヒューが、こうやって言われるのを好まないことを承知の上で、ワザと言いに来たのだ。
クロエが嫌な顔をするのも当然だった。
「言いたいやつには、好きにさせておけばいいさ」
「ヒュー…」
クロエが、その秀眉を曇らせる。
「そんなことより、技術士官どの。機体の修理は出来そうかい!?」
「ええ、その点は任せておいて」
ヒューのわざとらしい明るい声に、クロエが答える。パッドを持ち直し、機体整備の内容について話し始めた。
ヒューが、これ以上この話をしたくないでいるのをクロエは知っている。そして、そのことを知っているクロエが、何も言い出さないでいてくれようとしてくれているのを、ヒューも知っている。
彼女に近づき、一生懸命説明を始めた彼女の横顔を見る。
自分を気づかってくれる、クロエの横顔。
愛しさと、全て話すことの出来ない自分の不甲斐なさを、ヒューは自分の中に感じていた。