第二章 日常。
予感は、外れなかった。
自分が世話をすることになった少女、アーケスティアはとんでもない人物だった。
まず、全く自分の言うことを聞かない。機体の整備、搭載されている人工知能とのシンクロ率を上げるためには、データをとることが必要なのだが、その作業にすら彼女は非協力的だった。ヤル気がまったくないと言うに等しい。おかげでロクにデータもとれず、シンクロ率も向上しない。
機体の整備という、公的な部分ですらそうなのだから、いわんやプライベートである。
驚いたことに、彼女の世話という任務には、彼女のプライベートの部分も大きく関わっていた。朝、起床時から、就寝直前まで。食事から行動、すべてにユリウスは否応なく関わることとされた。研究所内にある自室もなんと、彼女の部屋のすぐ隣である。しかも、彼女の部屋は豪華な、お姫様の部屋かと思わんばかりの内装なのに、自分の部屋は下士官部屋に毛の生えたような、シロモノだった。簡単なベッドと、設計などにも使えるような机、パソコン機器がそろってはいたが、その程度である。一応、自分が少尉なのだから、階級的には下の、曹長でしかない彼女と待遇が逆転しているのは、なんとなく気に食わない。
その上、彼女の世話に翻弄される日々だ。朝起きたときからというのは、起き抜けの、血圧、採血採取、体温などの検査から始まるのである。自分は技術士官であって、看護師でも医者でもない。なんでこんな作業をとは思うのだが、これが必要だと言われると、反論はできなかった。それに採血などの医療行為は、彼女の右鎖骨あたりにあるバルブに注射針を刺すだけなので、そこまで難しくはない。しかし、彼女自体がその行為をなかなか許さないので、慣れないユリウスは、いつも汗だくで応じるしかなかった。右鎖骨のあたりにバルブがある、というのがクセモノなのだ。下大静脈につながるという理由で右鎖骨のあたりにあるのだが、そのバルブに注射器を刺すとなると、自然、彼女の肩に触れることになる。すると、容赦なく彼女の罵倒がユリウスに降り掛かってくる。
「どこ触ってんのよ、このドスケベッ!!」
「肩だろ、仕方ないだろ、触らなきゃ採血できないじゃないか」
「だから、スケベだって言っているのよっ。このネクラスケベッ!!」
「なっ…!!」
「採血にかこつけて触るんだから、スケベ以外の何者でもないわっ。このヘンタイッ!!」
これは、今朝の会話である。
これらの体調チェックに加えてCTだの、心電図だのあった日には。ユリウスの心は折れそうである。
朝だけでこの調子なのに、日中もまたひどいものだった。
機体に関わることだけではない。彼女の気まぐれで、いきなり呼び出されたり、意味のわからない用事を言いつけられたり。
先日は、居住区コロニー内の有名パティシエの限定品だとかなんとかで、わざわざトラムに乗って買いに行かされた。多くの女性に混じって列に並んで限定品を買うというのは、ユリウスにとって、もはや拷問でしかなかった。その上、手に入れたお菓子は、ユリウスの口には届いていない。みんなアーケスティアが平らげてしまった。これ見よがしに。甘いのが好きなわけではないが、あからさまな嫌がらせでしかない。
それも、彼女が用事を言いつけたり、呼び出すのは、大抵自分が機体の整備に関わろうと、図面を見たり、研究員の誰かと話をしている、そういうタイミングなのだ。
どう見たって、嫌がらせで、からかっているようにしか思えない。
自分は、こんなことをするためにここに来たのか。
なかなか機体に触れる機会に恵まれず、わがままお姫様の世話に明け暮れる日常に、ユリウスは辟易としていた。
自分が触れたいのは、アーケスティアの肩ではなく、HMBA07-IAの機体だ。コアユニットからの配線がどうなっているのか、そういうのを調べたいのであって、彼女のバイタルになんか興味はない。この秘密裏に建造されている機体に関わること。それが望みだったはずだ。
こんな研究所、飛び出してやろうか。
そう思うこともある。
しかし、そのたびにグランツや、養父のことを思う。
グランツの期待に答えたい、養父の名に恥じない働きをしたい。その思いだけが、ユリウスをここに留まらせていた。
「まーた、何をネチネチ見てるのよ、ネスケベ」
夕方、研究所から戻って、CTの画像、脳波など、今日の彼女のデータ資料をチェックしていたら、案の定の言葉が帰ってきた。アーケスティアの悪態にはだいぶと慣れてきたユリウスだが、少しはヘコむ。
「これが仕事なんだ、仕方ないだろ」
返す言葉も、もはや定型化している。自分に何度も何度も、言い聞かせてる言葉だ。
「だからって、人の画像、ジロジロ見ないでよね、ヘンタイ」
見るしかないだろ、と心の中で呟く。声に出さないのは、彼女の返答がロクなものではないことが予想できたからだ。
「最近、ASTとALTの値が高いのが気になる。それに白血球の数も、だ。体温も高い。画像を見た感じ、肝臓に異常があるようには見えないが…。私は医者ではないから、ハッキリとしたことは言えないが…」
「なら、言わなきゃいいじゃない」
見ていた医療データをヒョイッと取り上げられた。
「このデータを見ても、研究所の医療チームは何も言わないんでしょ」
「まあ、そう、だけど…」
「なら、アンタが気にすることないじゃない。門外漢は黙ってなさいよ」
確かに、医療チームのメンバーはこのデータに何も言わない。ということは、これは正常の範囲内なのだろうか。機体の動作がおかしいとか、そういうのならユリウスにも理解できるし、対処も思いつくのだが、人体のことはからっきしだった。
「それとも、データを見るふりして、アタシのカラダを見てるわけ!? この画像なんてカラダのライン、ハッキリ映ってるもんね~」
アーケスティアがデータ資料をヒラヒラと振ってみせた。自分はデータをデータとしか見ていなかった。画像が彼女のカラダの、その、くびれやふくらみまで映していたことを、指摘されるまで気づいていなかったのだが。
「うわっ、やっぱヘンタイだわ」
真っ赤になってしまったユリウスに、アーケスティアがトドメの一言を吐き捨てた。
「……っ!!」
「どこ行くのよ、ヘンタイ」
言葉もなく立ち上がったユリウスにアーケスティアが声をかけた。アーケスティアは、まだ一度もユリウスを名前で呼んだことはない。「あれ」とか「これ」とか。「アンタ」はまだいいほうで、「ヘンタイ」「スケベ」「おバカちゃん」なんてのもある。
「自室に戻る。今日はもう仕事を終わらせてもらう」
ここからはプライベートの時間だ。そう言い切って部屋へ戻ろうとした。
「部屋に戻って、アタシの画像で何かしようっての!? うわ、やらし~」
「そんなわけあるかっ!!」
思わず、全力で返答してしまった。彼女のこんな挑発に乗ってしまう自分が、彼女と同等の、ガキくさい人間になったようで、ユリウスは嫌いだった。思わず、彼女から顔をそむける。
「部屋に戻って、自分のメカのメンテナンスをする。最近、調子が良くないんだ」
これは本当だった。
自分がこの研究所の自室に持ち込んだ私物の一つ、昔から持っている小型メカの調子が最近、悪い。
「アンタ、メカなんて持ってたの!? 直せるの!?」
自分は技術屋だぞ。そう言いたかったが、言葉は飲み込んだまま、部屋を出ようとした。
「うわっ!!」
「ちょっと、アタシにも見せなさいよ、アンタのカメカメ」
言葉と同時に、アーケスティアがユリウスの背中に飛びついた。想定外のその行動に、ユリウスは前のめりに倒れそうになる。アーケスティアは、さっきまで自分をヘンタイ呼ばわりするネタにしていた胸が、容赦なくユリウスの背中にぶつかっていることなど、気にしていないようだった。
「わかった…」
だから、離れろ。胸、あたってる。
言うと、とんでもないことになりそうなので、黙って身体だけ離した。
ユリウスの自室は、隣なのですぐに到着する。
隣とはいえ、男性の自室に入るのに、アーケスティアはなんのためらいもなかった。
「ねえ、カメカメ、どこ!?」
ずかずかと入り込んで来て辺りを見回す。
「…おいで、モヴ」
カメカメじゃない、メカ、だ。
ユリウスの言葉に、白いまんじゅう型のメカ、モヴが反応した。
モヴは、ユリウスが名づけた名前で、本来はHuge White Mole、「デッカな白モグラ」と呼ばれる、子ども用の組み立て式ロボットだ。ドテッとというか、ボタッとした胴体、太く短めのシッポ、丸い耳、キョロキョロ動くつぶらな目。顔に当たる部分は黒っぽく、手足と呼べる部分はない。体長30㎝ほどの短い毛に覆われたペット型ロボットである。
機械工学に興味のある子どもなら、大抵入門編として組み立てる。また、その自在に走る姿、感情を表現するかのようにフリフリするシッポ、簡単な会話のできるAIが搭載されているため、本当のペット代わりに飼われている!?ことも多い、ありふれたロボットでもある。
モヴは、ベッドの下の狭い隙間から、短いシッポをフリフリしながら走り出してきた。
「ユリウス、ゲンキ、モヴ、オカエリ」
モヴの合成音声が、ユリウスを温かく迎える。この音声は、最初から備わっているもので、中のAIを操作すれば、別のものにも変更出来る。ユリウスの場合、この一番ロボットくさい話し方が気に入っていたので、特に改良は加えていなかった。
足元まで転がりこんできたモヴを、ユリウスより素早く、アーケスティアが抱き上げた。
「ダレ、オマエ、ダレ」
「うわ~、なんかナマイキね、このカメカメ」
「ダレ、ダレ」
「アーケスティア、よ。覚えておきなさい」
「アーケスティア、オボエタ、モヴ、オボエタ、カシコーイ」
「よろしい」
モヴとの会話に満足げなアーケスティアがモヴの白い毛を撫でる。モヴがそのシッポをうれしそうに動かした。
「んっ!? あれ!? このシッポ、なんかおかしい」
アーケスティアが気づいた。正確には、その部分はシッポではなく、姿勢制御と、進路決定するためのスタビライザーなのだが、パタパタとする動きは動物のそれを想像できるので、通称的にシッポと呼ばれている。しかしこのモヴ、パタパタと動くはずの部分が、あまり動かない。ちょっと元気のないシッポの動き。おかげで、思っていた方向に進むことが難しくなっている。
「そこを、今から修理するんだ」
モヴを彼女から取り上げる。
修理自体は簡単である。自分なら、大して時間もかからない。
「…直せるの!?」
不安そうに、アーケスティアが言った。
「いつも直してる」
そう言って、狭い机の上に工具を取り出した。
「ねえ、見ててもいい!?」
アーケスティアがベッドに腰掛ける。その顔は、いつものナマイキさが影を潜め、本当にこのモヴのことを心配しているかのようだった。
「…好きにするといい」
彼女に目もくれずに言った。
実際、修理にさほどの時間はかからなかった。一度、毛皮!?を外し、中のバネとシッポにつながるセンサーを確認する。緩んでいたネジを止め、配線もチェックする。修理はいつものことなので、手慣れているし、予備のパーツも道具も揃っている。
大した作業ではなかったが、その作業中、アーケスティアが話しかけてくることは、一度もなかった。片膝をたて、ずっと抱きしめたまま、作業を眺めていた。顔を膝に押してけているせいで、表情はうかがいしれない。
「よし、できた」
ユリウスの声と同時に、モヴがシッポを動かした。
今度はパタパタ、グルグルと。モヴらしいシッポの動かし方だ。
「直ったの!?」
パッとアーケスティアが顔を上げた。本当にモヴのことを気にしていたようだ。モヴもユリウスの前、机の上を転がり過ぎ、アーケスティアのもとに近づく。
「モヴ、ゲンキニ、ナッター!! アーケスティアモ、ゲンキ」
「よかったわね、モヴ」
名前を覚えたアーケスティアがモヴを抱き上げ頬ずりをする。心底、このモヴのことを気に入っているのだろう。モヴも、彼女の腕の中、直ったばかりのシッポをパタパタうれしそうに動かした。
その、見たことないアーケスティアの表情に、ユリウスは驚いていた。
こういう顔も出来るんだ、コイツ。
いつもの悪態からは想像もできない、やさしい顔だった。
「こいつのシッポがおかしくなるのは、昔からなんだ」
工具を片付けながら、唐突に、ユリウスは話しだした。
「このモヴを組み立てた時、私はまだ子どもだったから、シッポの部分で失敗して。その、養父に助けてもらって上手くっつけることは出来たけど、時々メンテナンスが必要なシッポになったんだ」
だから、そんなに心配するなと言いたかったのだが。
「養父って、ラルスに!?」
「ああ。手伝ってもらった」
このモヴを作ったときのこと。思い出すと懐かしく、胸の奥がツンとなる。今は亡き養父との、数少ない思い出。モヴと言う名前を聞いてくれた時の養父の顔。モヴは、Move(動く)からもじった名前で、完成したモヴが動いた時の感動を忘れないようにと、命名したのだ。自分では、かなりひねった命名だと思ったのだが、「そのまんまだな」とあの時、養父は笑っていた。
「ふーん。アンタ、子供の時から、下手くそ、ぶきっちょだったのね~。あー、今も変わってないか~」
「なっ!!」
そういうことを言いたかったんじゃない。少しだけ励まそうと思った自分がバカだった。
「ぶきっちょ~。大変なヤツに作られちゃったわね~。ね~、モヴ」
そうからかうアーケスティアの瞳に、先程までの不安さはなかった。いつもの尊大なアーケスティアである。
やれやれ。
これからは「ぶきっちょ」なんていう、うれしくもない呼び名も追加されそうだ。
腹は立つものの、モヴを大事そうに抱えるアーケスティアに、安堵の思いを抱いたのも事実である。彼女がしおらしいのは、なんとなく落ち着かない。
この一件があってから。アーケスティアは、ユリウスにいつでもモヴを連れてくるようにと言い出した。プライベートな時間はもちろん、機体の整備のときもである。
「ぶきっちょのせいで、またモヴがおかしくなってないか、アタシがチェックしてあげる」
というのが彼女の言い分である。
ぶきっちょじゃない、と言いたいが、実際、モヴを連れて行くと、彼女が大人しいので、ユリウスはモヴを帯同することにした。血液採取のときも、モヴがいればすんなり事が進む。もちろん、私物を研究所内に持ち込むのだから、その辺りの許可は取ってある。彼女のメンタル安定のためなら、研究所側は何でも認めるらしい。私物持ち込みの許可はあっさり出された。
「そんなに、モヴが好きなのか!?」
連日モヴをかわいがるアーケスティアに、ユリウスが訊ねた。耳を持ち上げたり、結構乱暴なこともするのだが、基本的にかわいがっている。モヴも意外となついていた。
そこまでこういったペットメカが好きなのなら、もう一体作ってやろうか!? そう思った。今の自分なら、難なくモヴでも何でも組み立てられる。
「んー、モヴだけが好きってわけじゃないよ。カメカメが好きなだけ」
アーケスティアは、モヴの背中をなでたまま、ユリウスに見向きもしなかった。
「この子達は、何にもしないから」
モヴに視線を落としてそう呟いた。
何もしない。
どういう意味だろう。
ユリウスにはその言葉の意味がわからなかった。
モヴを帯同しても、アーケスティアとのHMBA07-IA人工知能とのシンクロ率は、向上しなかった。
いや、この言い方は正確ではない。
なぜならば、一定の時間だけではあるが、シンクロ率を上げる方法があるからである。
アーケスティアへの薬物投与。
この方法は、以前から研究所内で行われていたらしい。
所員は、慣れた手つきで薬剤を右鎖骨のバルブから注入するし、アーケスティアも朝の採血と違って、大人しくそれを受け入れていた。
この薬剤投与があると、アーケスティアは普段よりさらに攻撃的になり、暴力的にはなるものの、シンクロ率は格段に上がる。何種類も投与されるので、さすがに門外漢のユリウスでも心配になってくる。そんなに何種類も、連続して投与しても大丈夫なのかと。
医療系の研究員は、これは「一般的に精神科で処方される薬と似たもので、生命に危険なものではない」のだと言う。主に、向精神薬、精神刺激薬といった類で、うつ病や統合失調症などにも使われるものらしく、問題ないのだそうだ。
本当だろうか。
確かに、薬を投与された後のアーケスティアは、パイロットとして素晴らしい適性をみせる。何も不安がないかのように堂々と、時には不遜な態度で素晴らしい能力を発揮する。この時に得られるデータからであれば、彼女を実戦投入しても何ら問題はない。
しかし、薬が切れた時、その反動が彼女の身の上に襲いかかっていた。
激しい頭痛、倦怠感、食欲不振、焦点の会わない目。
それが原因なのか、自室に戻った彼女は、ベッドの上から身じろぎ一つ出来なくなる。指を動かすのすら億劫という状態で、ただただ横になるだけなのだ。浅く肩で息をして、モヴに触れることもない。うつろに、その空色の瞳にモヴを映すだけだ。
そうなると、今度はまた大量の鎮痛剤が投与される。
鎮痛剤のおかげで、彼女は眠り、少しは辛さがとれているようなのだが、顔は青白いままである。
本当に大丈夫なのだろうか。
薬のおかげで能力を発揮できても、その振幅、副作用がすごいのである。
「カラダ、問題ないか!?」
なんの薬も投与されていない状態の、アーケスティアに問うたことがある。
「問題ないわよ。辛かったら、また薬を打てばいいんだし」
あっさりと返された。
「それに問題あっても、カールのためなら、なんだってするわ」
睨みつけるような、挑むような眼差しをむける。まるで、「アンタはどうなの!? それぐらいの覚悟あるの!?」と、問い詰められているような気分にさせられる瞳だった。
自分は。どうなんだろうか。そこまでの覚悟を持ち合わせているのだろうか。
答えは出ず、目を逸らせるしかなかった。
アーケスティアが、フンッと鼻を鳴らした。