9話目: 勇/ 最近、持病の痴呆が激しくてな・・・
あれからは何事もなく、無事本日のアルバイトも終了となった。
エプロンを外してタイムカードを切り、同僚たちに挨拶をして店を出る。
「ふい~今日も頑張った」
大きく伸びをし呟くと、背後から声がかかった。
「お疲れ様です先輩。やっぱり八時間勤務は疲れますね」
今日はシフトが被ったため、一緒に上がったオルガだ。そう、今日はこのロシア人留学生とずっと一緒にいる。
ずっと一緒にいるという表現に、そこはかとないエロスを感じる。え、俺だけ?
「おう、オルガもお疲れ。だろ、八時間キツイだろ?俺、これ週3でやってんだぜ」
「なんで自慢げなんですか、普通の人たちは週5でやってますよ。そもそも週3って半分以上が休みじゃないですか」
「働いていること、それ自体に意味があるのだよ!」
「それもそうですけど、週3で得意げになるのもどうかと思います」
「そんなことより今日は朝からいたけど、大学はどうした?」
「今日は土曜日なんで学校は休みです、先輩は曜日の感覚もないんですか?」
「そういや今日は土曜だったか、まあ俺のシフトは不規則だからな、仕方ない」
どうやら今日は土曜日だったらしい、そして明日のシフトは無し、休みだ。
「お?ということは久しぶりに日曜休み?マジか、やったぜ。」
「やったぜ、だけ無駄にイケボ・・・。そしてワタシも明日休みです」
「おお、やったじゃん。一週間頑張った分、ゆっくり休めよ」
偶然なことにオルガも日曜が休みらしい。バイトに勉学に忙しい学生にとって、完全フリーの日曜日とは実に貴重なものだろう。
そんな貴重な時間を引き留めるのも忍びないので、俺は早めに退散することにする。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るわ」
颯爽と自転車にまたがり、オルガに向かって片手をあげる。またがった時、自転車から「ギシッ」という悲鳴が聞こえたのはきっと気のせいだ。
気のせいと言ったら気のせいなのだ。俺の体重・・・・・・、うっ、頭が・・・。
「あ、先輩っ」
ペダルに体重を乗せ、気持ちサドルに乗せる体重を逃がしつつ、いざ漕ぎ出そうとしていた俺をオルガが引き止めた。
視線を合わせると、オルガは一瞬下を向いて身じぎする。
そして再び俺を見据え、切り出した。
「せ、先輩は明日、よっ予定とかありますか?」
「明日?明日は多分出かけることになるだろうな」
一日中ごろごろしたいのだが、おそらく家にいたらリリィに連れ出されるだろう。リリィの住んでいた場所とこの国では常識が違いすぎたため、一人で外に出すわけにもいかず、最初のうちは外に出るのは二人でと決めておいたのだ。
リリィが逮捕された場合、身元引受人として呼ばれるのは間違いなく俺だ。それは御免である。
「え、あっ、そうなんですか~。先輩の事なんで一日中ごろごろしてるのかと思いました」
「一日中ごろごろしたいのは山々だけど、最近少し忙しくてな」
「おうちの事ですか?先輩も大変なんですね」
「学校にバイトにと頑張ってるお前ほどじゃないけどな、じゃあ今度こそ帰るな」
もう一度オルガに手をあげ、再びサドルを漕ぎはじめる。流石に今度は引き止められることもなく、俺はハード〇フを後にする。
帰りがてら、ふとオルガの言葉を思い出す。
『せ、先輩は明日、よっ予定とかありますか?』
なにドモってんだよ、勘違いしちゃうだろ。
はい、正直デートに誘われるかと思いました。三回ぐらい思った。さらにそこから告白までの流れを五回ぐらい妄想した。
そして幸せな気持ちになるのと同時に思った。
俺キメェ、・・・と。
一方、遠ざかる義史の背中を見送るオルガは。
「だめだったか~、せっかく休み合わせたんだけどな」
そう呟いて、がっくりとうな垂れた。
実は義史の妄想はあながち間違いではなく、本当にオルガは世間一般でいうデートに誘うつもりだったのだ。
そのプラン自体は「まあ先輩ずっと暇だろうし、休日のやすみを合わせとけばいいか」ぐらいのずさんすぎる計画だったのだが、それでも義史の生活スタイルなら問題ないだろうと思っていたし、乙女の恥じらい的なものから綿密な計画をたてることをしなかった。
「でも先輩のシフトは把握してるし、平日のお休みに誘えば大丈夫」
怪しまれないようにさりげなく、ではあるが平日のシフトも休みを重ねてある。日曜が駄目なら平日にもアプローチを重ねるだけだった。
オルガの山下に対する気持ちの馴れ初め、それはオルガがバイトを始めたころまで遡る。
オルガがバイトを始めたのは、実は金銭的な目的ではなく、人付き合いを避ける口実だった。
入学当初のオルガは、ロシア出身の留学生ということもあり注目の的だった。いろんな人に声を掛けられ、いろいろな話を聞き、自分も色々なことを話した。
その時に自分がいわゆるオタクであることも話をしたが、それを聞いて態度を変える者はいなかった。
日本でのはオタク文化は歓迎されない、そう聞いていたオルガだったが。それは間違いだったのだと安心した。
しかしひと月が経ち誰かが言った、「オタク気持ち悪い」と。
それからオルガの周りは一変した。
最初はごく一部の声だったが、二日、三日と日がたつにつれてその声は大きくなり、一月たつ頃には大半の生徒がそれを口にしていた。
ただ、それでもオルガは気にしなかった。これは、一種の流行であると。
別にイジメの標的にされるわけではない、ただ大衆の前でオタクの話題を出すと、レッテルを張られるだけだ。
周りが嫌がるのならその手の話題を出さない程度の社交性はあったし、たとえレッテルを張られたとしてもそれは純然たる事実であるし問題ないとも思っていた。
認識が甘いと思い知らされたのは、特に仲がいい友人と二人でいる時だった。
その友人は入学当初から息が合い、オタクではなかったが、自分の趣味に興味を示してくれた人だった。オタクに関する風潮がはやり始めた頃も「気にすることなんかないよ」といって励ましてくれた。
その日も二人で買い物に行く約束をしており、ショッピングを楽しんだ。
そして帰りがてら、最近行きつけになりつつある喫茶店でいつものようにアニメの話題を出した。
いつもであれば「それどんなアニメなの?」と聞かれ、そこからDVD鑑賞会の話題になりどちらかの家に行く、それが日課だった。
「そういうのよくないと思う」
だからその答えを聞いたときは驚きを隠せなかった。ついこの前までアニメを楽しんでいた友人に、それはよくないものだと諭される矛盾。
その場では友人に合わせたが、納得することはできなかった。周りに合わせるというのは分からなくもない、だが自分の意思まで曲げる必要性は感じなかった。
その日以降も、友人との関係は続いているものの、二人で出かけることはなくなっていた。
自分の言葉を覆した友人に、裏切られたかのような感情を抱いてしまいどんな顔をして話せばいいのか解らなくなったのだ。それでも学校に行けば顔を合わせることになり、今までのように遊びに誘われるため、断る為の口実が必要だった。
山下に出会ったのはその時だ。
少し変わった人。それが最初にオルガが抱いた、山下への感想だった。
仕事に対する姿勢はあまりいいとは言えないが、やるべきことはやっている。露骨にだらけているくせに、人当たりが良くなぜか客の受けが悪くない。
そんなあべこべさが、山下にはあった。
二人ともオタクということで、時々話す程度の仲。それだけであり、特別な感情は持ち合わせていない。それは山下も同じようで、オルガとのオタトーク以外のことにまったく興味を示さなかった。
そんな山下の見方が変わったのは、バイトを始めてから半年後のこと。
バイト先での休憩中のことだった。その日は出勤者が多く、いつもより休憩室はにぎわっていた。
そのため山下はほかの人間と話しており、オルガは暇を持て余したため、行儀が悪いとは思いながらも山下たちの話に耳を傾けていた。
「そういやこの前オタクは犯罪者だ、とかテレビで言ってたけど、山下的にはどーなん?」
「どうって言われても特に何もねーよ、それがどうした?って感じ」
「いやでもさ、周りからの目とか結構厳しいじゃん」
「特に気にはならないかな。実際犯罪犯したわけじゃねーんだし、周りの目なんて気にするだけ時間の無駄だと思ってるし」
「相変わらずブレないね~山下さんは。他人からおかしいと思われてもいいとか、俺耐えらんないわ~」
「つーても俺にとってこれが普通だし、むしろおかしいと思うお前らのほうが俺にとっちゃおかしいな」
「ちょ、おまっ・・・、俺らが頭おかしいって、山下さんヒドくね?」
「お前らもおかしいって言ってるんだし、お互い様ってやつだろ」
「いや俺は山下はまともだと思ってるけど、まあチゲーネーわな」
「そういうこと~。あと俺もチャラ男の中で、お前はまともだと思ってるぜ!」
「ナハハッ、じゃあそれもお互いさまってこと?あ、今うまいこと言っちゃった~?」
「おう、チゲーネーチゲーネー」
「ところで山下、俺の名前言ってみ?」
「最近、持病の痴呆が激しくてな・・・」
「ちょお!山下、お前もしかして覚えてねーの!?ヒドくね?いやヒデェ!!」
「ああ~ごめん、ちょっと待ってろ今から思い出す!」
それから二人の話題は次々と移ろっていたが、オルガが気付くことはなかった。先ほどの山下の言葉だけが、ずっと頭に残っていたからだ。
二人の仲は悪いものではないのだろうし、この会話は冗談であることも理解していた。
それでも彼は言ったのだ、遠巻きにではあるが、偏見と、下手をしたら悪意にも満ちた、その言葉。
お前は犯罪者でなないのか?と。
言った本人にその意図はない。それでもそれは、ほかならぬ存在の否定だった。
私なら何も言えない。
そう、オルガは思った。
あんな言葉をぶつけられたら、返事ができるような感情ではいられない。
だが山下は事もなげに言ったのだ。
それがどうした?と。
己の存在を否定する言葉に対し、お前がそう思いたいなら好きにしろと。そう言ったのだ。
どれだけ芯が強いのか。そうオルガは思い同時に、そう在れる山下にあこがれを感じた。
それがオルガの抱く、淡い恋心の最初のキッカケ。
オルガは半年前を思い出し、再度自分の気持ちを確かめた。
相も変わらず進展はないが、幸か不幸か山下に色恋の話は全く聞かない。というより、オルガのような例外はあれど色恋に発展するような容姿ではないし、何より本人にもその気はない。
「大丈夫、あせらず、ゆっくりでいいの」
山下のそばにある女の影はすべて二次元なのだ、そう自分に言い聞かせ焦る心をなだめる。そして、次の計画を練るのだった。
だがオルガは知らない、山下のそばに現実の女の影があることを。現代の常識が通じない、異世界人がいることを。
オルガは知らない・・・。