第一章 再会
プロローグ
荒れ狂う波の中を方舟は木の葉のように頼りなげに揺られている。嵐は収まる気配を見せず、その暴風雨はますます勢いを増している。
大きな津波が天上から船を覆い、全てを飲み込まんばかりに落下してくる。小さな船は転覆し、その姿を海中に没したかに見えた。
だが、次の瞬間、わずかな浮力で奇跡的に海上に姿をあらわす。こんなことが何度繰り返されただろう。
「海の藻屑となろうとも、わたしはかまわない。それが地球のご意志ならば」
舳先に立って全身を雨と海水にうたれながら、ノアは呟いた。
彼の後方の甲板では妻と三人の息子とその嫁たちが、一塊になってお互いを支え合い、大きな揺れから身を守っている。一人雨にうたれるノアのことが心配になって、船倉から外へ出てきたのだ。大きな船倉の中には、つがいの犬や猫や鳥たちが、引っつきあって不安そうに震えているはずだ。
ノアは、自ら恥じるように述懐した。
「人類の浅慮と傲慢な態度に、ついに地球はお怒りになられた。洪水によって地球が人類を滅ぼすのは自業自得だとしても、どれだけ多くの他の種族を巻き添えにしてしまったことだろう。本当に申し訳ない」
人類とともに、多くの動物たちや樹木たちが海に飲み込まれてしまった。数え切れぬ生命が死滅したことだろう。深い自己嫌悪に頭をうなだれる彼の頭上に、また大きな波が降りかかり、容赦なく彼の全身を打ちつけ、体をよろめかせる。
彼は甘んじて波を受けた。波は自分を責めているばかりではない。自分が属する種族、人類を責めているのだ。だから、逃げてはならなかった。免罪されるまで、受けつづけねばならなかった。
雷鳴はひっきりなしに轟き、その大音量によって、正常な聴覚までもが麻痺してしまうようだった。
激流の渦の上を、船は上下左右に旋回し、乗船者の足場は定まらない。冷たい風と雨と海水の攻撃を浴びて、全身の感覚をぼろぼろにされながら、なおもノアは踏ん張って船上に突っ立っていた。
大雨はもう何十日も続いている。人類の築いた文明は、濁流と洪水に飲み込まれ、もろくも水底に没してしまった。地球上に我が世の春を謳い、栄耀栄華を誇った人類も自然の猛威には抗うことすらできなかった。
ただ一人、事前にノアだけが地球の意志を知っていた。地球の恩恵を忘れ、文明の名のもとに地球の資源を搾取し、汚し、傷つけ、痛めつけてきた人類に対して、その驕りに鉄槌を下すために、地球が行動を起こすであろうことを。
彼はたった一人、選ばれた人間だった。何千、いや何万年に一人、地上に降誕する特別な人間だったのだ。地球の声を神の声として聞くことができたのだ。いわば地球の意志を背負った人間だった。
人類の一員として生を受けた以上、人類には存続してもらいたい、と彼も思ったのだ。だが、もう手遅れだった。このままでは、地球は人類に食い尽くされて殺されてしまうだろう。人類を除くことは、地球にとって、もはや死活問題となっていた。ノアは無念な気持ちにさいなまれながら、人類は滅んだほうがよいと悟った。
ノアは一人で大船を造り始めた。そして、集められる限りの様々な動物たちや植物の種を集め、来るべき世界に向けて、準備をはじめた。
人類が滅べば、食物連鎖の調和のもと、動物たちによる理想郷が現出するだろう。動物たちは命を粗末にすることはない。無駄に殺しもしないし、無駄に生きもしない。すべての生命が地球を畏敬し、感謝するのだ。
ノアは種を保存させるため、動物たちをつがいにして船倉に乗せ、自分の家族にその世話を命じた。動物たちだけは絶対に滅亡させてはならない。それが最後の人類である、自分の役割なのだ。
嵐は途方もなく長く続いたように思えた。
だが、時間は確実に経過していた。嫌になるほどの嵐をくぐり抜けると、やがて、空が白み始め、雲間から陽光が射すようになった。長く続いた雨の日も、ようやく終焉を迎えるときがきたのだ。
潮も引き、動物たちの暮らすべき大地もやがて顔を見せることだろう。
新世界の誕生を想像し、ノアは安堵の息を漏らした。
役目を果たしたノアは満足げに、だが寂しげに微笑した。
もう、自分たちの役割は果たした。おそらく地球はなんらかの手段を用いて、最後にノアの家族を殺して、人類の滅亡を完了するだろう。
すべては運命なのだ。そう達観しているつもりであった。だが、ふいに彼の心のうちに寂寥感が、急速に広がり始めた。
彼は穏やかになり始めた波涛を眺めながら、孤独感に身を引き裂かれそうになり、自然と溢れてくる涙をとめられず、ひとしきり泣いた。
「どうして私が最後の人間に選ばれたのか・・・。できれば、こんな役目は、他の誰かに代わってもらいたかった」
自分たち家族が死ねば、人類という種族は、この地上から完全に姿を消すのだ。わかりきったことであったのに、こんなにもはかない気持ちになるとは思わなかった。
彼は自分の手のひらを見つめ、自らの全身をさすりはじめた。
この五本の指も、髪の毛も顔も体も、同じ形をしたものは永遠に消えてなくなるのだ。
たまらなく虚しかった。
自分をいとしく感じた。人間をいとしく感じた。この期に及んで、本能は死にたくないと叫んでいた。
そのとき、太陽が強い光を発したかに思えた。
眩しさに目を細めて、しばらくしてゆっくりと瞼を開くと、波間に何か漂うものをノアは見つけた。
流木であろうか。その流木の上で横たわっている物体がある。
人間だ。
死んでいるのか、ぴくりとも動かない。服が木の間に挟まって、海中へ沈むのを防いでいたらしい。
ノアは何の考えもなく、老体でありながら突き動かされる衝動のまま海に飛び込み、流木のところまで夢中で泳いだ。家族たちも驚いてその様子を見つめている。
木にしがみついてよく見てみると、人間はまだ五、六歳の少女だった。彼はすぐに耳を少女の口元に当てた。
息をしている。かすかだが、小さな鼻孔から呼吸音がもれている。
「生きていた・・・。私たち以外にも人類は生きていた・・・」
ノアは呆然とした。しばらく放心状態が続いていたが、やがて、すべての感情を押しのけて、希望に近い感情が爆発するようにふくれあがった。
「信じられん」
ノアは同じ言葉をもう一度呟かずにはいられなかった。
「信じられん。地球は人類に、もう一度やり直す機会を与えて下されたというのか・・・」
第1章 再会
1
二十一世紀中葉・・・。
「地球は腐ってしまったのだよ。そう、人間という寄生虫のおかげでね」
救世主はホールの壇上から降り、聴講者たち一人一人に目を合わせながら、演説を続けた。席の間をゆっくりと歩きながら、時に立ち止まり熱弁をふるう。息が届くほどに近い距離で、晴樹は救世主の言葉を聞いた。救世主は身につけているワイヤレスマイクもまるで不必要かのように、周囲の何百人もの入信希望者の全てにいきわたるようによくとおる声で告げた。だが、晴樹には救世主がまるで自分にだけ特別に教えを施しているように感じられた。
「考えてもみたまえ。人間さえいなくなればこの地球がどんなにすばらしくなるかを。自然は富み栄え、動物たちは食物連鎖の法則に従い、無駄に生きることも死ぬこともなくなるのだ。まさに、地球上は万物の理想郷となるのだよ。それこそが、地球が望んでいるバランスのとれた調和ある世界なのだ」
無表情のまま、だが真剣に晴樹は耳を傾けている。
「人間以外の万物は、皆、ことごとく窮屈に生存している。自然樹木は伐採されたり、焼かれたりして、世界的に砂漠化が進み、森林を住処としてきた生物たちは住む家を追われているのだ。川や海は産業廃棄物によって汚染され、生物たちが次々と死滅している。そうやって絶滅した種族は数知れない。そして今も現在進行形として、いくつもの種が滅びゆく運命にある」
救世主は人間への非難を繰り返した。
「何度も言うように、地球にとっての理想郷を現出させるためには、人間を排除せねばならない。そう、徹底的にね。いや、排除というより害虫の駆除とでも言ったほうが正解かもしれんね」
自分の信念を語る救世主の言葉は、今まで心を動かしたことのない晴樹にも惹かれるものがあった。
諏訪晴樹は、二十八歳の若者である。今までの人生を目的もなく過ごしてきた。二十八年という月日を振り返ってみると、何の意味をなしていたのだろうと、自問自答したくなるような時間であるように思われた。それは彼の生まれた環境によるところが大きい。彼は企業の経営者の一人息子であった。裕福な家庭で育ち、少年時代から経済面では何不自由なく成長してきた。学校では常に成績はトップクラスで、周囲に羨望されていた。だが、彼は努力するわけでもなく、要領がよいだけで優秀な学生として立ち回ることができた。
中学三年生、進学校を受験するころには、次第に優越意識が芽生え始め、周囲の全てが冷めて見えた。はじめは、勉強のできない奴は人間的にも劣っているのだと思い始めた。だが、受験の中に自らの身を置いてみると、役に立たない知識を無理やり詰め込む受験勉強が、くだらないと思った。頭がいい奴でも、社会が決めた受験という制度にしがみついて必死になって勉強している奴らを馬鹿だと思い始めた。意味のない受験勉強に、何の疑問も持たず、奴隷のように従順な姿勢をとる同級生たち。こいつらはみんな大人に踊らされているに過ぎないのだと思った。
だが、彼自身、これといって夢もなく、進むべき道もわからない。一番腹が立ったのは、その自分への苛立ちだった。
彼は努力とは無縁で、進学校を経て、現役で名門私立大学に入学した。大学は自主的に選んだわけではなく、親の意向に従って決めた。結局、周囲と同じく大学を受験して、入学したわけだが、そういう当たり前の進路しかとれない自分が無性に情けなかった。自分も社会の仕組みに縛られた奴隷に過ぎないのだと思うと吐き気がした。
大学時代は厭世的な気分に満たされ、講義には稀にしか出ず、部屋でじっとしていることが多くなった。部屋に引きこもったまま、読書をしたり、映画を見たり、ネットをしたりして時間を費やした。そうしていると、自分だけが社会から隔絶されたようで気分がよかった。
単位を取るための試験だけはちゃんと受けた。大学には必要最小限しか行かなかったが、留年もせず、四年で卒業できた。
彼の父親は、国内で有数の大手製薬会社の経営者で、資産家だった。会社をゆくゆくは息子に継がせたいと思っていた。そのために、大学では晴樹に経営学を学ばせた。
そんな親の希望から、大学を卒業すると晴樹はいきなり役員として同系列の子会社を任された。だが、長続きせず、次第に無断欠勤するようになった。挫折も、困難もなかった人生で、彼がその胸のうちに育ててきたのは、他人や社会と妥協しないという意味のないプライドの高さだった。そんな彼にとっては、組織の一部として歯車となるのは、生理的に不可能なことであった。社会人として赤の他人にあれこれ指図を受けるのは、たまらなく嫌だった。その後、肩書きはそのままで仕事もせず、クビにもならず、ただ親の仕送り同然の給料をもらい、高級マンションで一人暮らししている。それが、数年間続いている。
何の刺激もなく、何の目的もない人生。将来の展望も見当たらない状態だった。
いつしか彼は、空虚な自分に気づき、このままではいけない、自分をどうにかしなければ、と心の奥深くで漠然と考えるようになった。
そんなときに、テレビのニュースで知ったのが、ガイア教だった。
ガイア教は、地球そのものをご神体とする宗教である。ガイアとは、ギリシャ神話に登場する地球の化身である女神のことである。
地球のために自己をささげ、地球のために行動を起こす。地球上を汚染のない自然あふれる美しい姿にするのが、ガイア教の最大の目的である。一部、マスコミではその教団の姿勢を非難して、過激な自然保護団体だと揶揄することもある。
ガイア教の教祖である人物は、自らを救世主と名乗った。救世主は四十代後半の体格のよい人物で、暗緑色の法衣をまとい、その名に相応しい立派な黒髭をたくわえていた。本名は小山田志郎というらしいが、世間一般には救世主というのが彼に対する固有名詞になっていた。というのも、彼は積極的にマスメディアを利用して、世間に広く認知されていたのだ。若者を勧誘するのに手段は選ばなかった。テレビや新聞やネットなどで、人間に侵食され、荒廃していく地球の危機を訴えたのである。マスコミも熱く語る救世主の態度を面白がり、さかんに取り上げたのだ。
小山田は若い頃、修験道に傾倒し、日本中の山岳聖地を巡礼したらしい。山中深く分け入った大自然の中で、彼は朽ち果てた鳥居とその奥にひっそりと佇む小さな祠を見つけた。
並々ならぬ霊気を感じ、そこで野宿をした彼は、夢の中で地球の化身である地母神に出会い、ガイア教を広めるよう託宣を受けたのだという。もちろん、嘘か本当かはわからない。
だが、境遇に不満をもち、生きる意義を見つけられずにいた若者たちは、一緒に地球を守ろうという救世主の叫びに感銘を受け、次々と入信希望者があらわれた。
諏訪晴樹もその一人であった。彼はもともと、通常の現代人となんら変わらぬ物質科学文明の信奉者であり、宗教などには興味はなく、実体もなく得体の知れない神など信じる気にはなれなかった。神は目に見えないし、祈っても願い事をききいれてはくれない。神などいないと常識のように思っている。だが、地球を第一義とするガイア教には、なにか現実的な匂いがして関心を抱いたのである。
神は見ることはかなわぬが、地球は目に見ることができる。常に足で踏みしめて、触感として感知することができる。もし、神というものが存在するのなら、大地の圧倒的な存在感はまさにそれ自体を神というのではないだろうか。
まさに、地球こそが生命の糧であり、拠り所であり、全てを生み出した根本なのだ。
この日、ガイア教の入信セミナーにおいて、晴樹ははじめて救世主の話をじかに聞いた。
ガイア教本部の大講堂において、席に着いている数百人ほどの入信希望者の前で、救世主は持論を展開した。その際、彼は希望者たちの席の間を直接往来しながら、話の内容がしっかり伝わるように語りつづけた。そして、ちょうど今、晴樹の前で救世主は足を止めて講演しているのだ。
入信希望者は後を絶たず、その数は毎日、数十人から多いときで百の単位にのぼることもあるという。そういう希望者を一同に会して、救世主は定期的に講演を行うのだ。ガイア教信者は留まることなく膨張しつづけ、世界中に支部を設け、今では累計、数十万人に及んでいるといわれている。
このガイア教の急速的発展は、世界的な不況、閉塞感を打破したいと願う人々の思いが投影されたものでもあった。そして、世界の人たちが現在の地球の危機的状況に関心を抱いていることの証明であるとも言えた。
救世主はその全ての人たちに、自分の考えを伝えたいと思っていた。
地球をだめにしてしまう全ての元凶は人間なのだと・・・。
晴樹もその意見に同調した。
「ガイア教に入信なされようとするみなさんには、その事実をよくよく理解していただきたい。だが、現実問題として、人間を一匹残らず駆除することなどできない。私がここでいいたいのは、人間を殺せということではない。地球にとって害となる人間の存在を理解した上で、我々がどうやって地球に対して謙虚な姿勢を保っていけるのか、ということなのである。地球は我々人間だけのものではなく、地上に生きる万物にとって必要なものである。地球のために、今こそ人間は生き方を変えねばならない」
そう言って、救世主は一呼吸おいた。周囲の人々をゆっくりと見回しながら、彼は再び語り始めた。
「まず、物欲にまみれた資本主義社会を、根本から改革しなければならない。資源は有限である。人は地球の有限な資源を無限と勘違いしている。熱帯雨林の森林は現在も急速な勢いで伐採されつづけている。贅沢な食生活によって食べ物は粗末にされ、食肉、ひいては命に対するありがたみも失せ、平気でものを捨てる。何億年もかけて蓄えられた石油などはもう枯渇寸前だ。エネルギーの浪費のために地球温暖化は深刻な問題と化している。地球の怒りが爆発する前に、人間一人一人が悟りを開いて精神革命を起こし物欲を捨て、真に心の平安を求める境地に到達せねばならない。各自がその責任を自覚し、自らの役割を果たさなければ、地球は滅びてしまうということを認識しなければならない」
救世主の言葉に込められた熱は、段々、その温度を上昇させているようだった。
「地球はすでに、われわれ人類を敵とみなし始めている。相次ぐ天変地異。異常気象や大地震。ウイルスの猛威。そんな中で人類が存続していくためには、人類そのものが生まれ変わらねばならない。幼虫がさなぎになり脱皮して蝶になるように、人類も未熟な幼虫から変態して成虫へと成長せねばならない。そう、今までとは違った新しい価値観を持った新しい人類にならなければならない。それこそが、生き残る唯一の術なのだ。ガイア教に入信し、新しい価値観を所有した人類こそ、これから地球と共生していくことのできる権利を獲得するといっていいだろう。ガイア教に入信したまえ!信者となり、地球と共生できる資格を有した人類は適応人類である。ガイア教信者でない、異教徒は非適応人類である。人類よ。ガイアの声に耳を傾けなければ、やがて大いなる災いが頭上にふりかかるだろう。絶望的な災厄は目前に迫っているのだ」
セミナーが終わって解散となり、みな一斉に席を立った。晴樹もそうした。
ガイア教に入信する決意はすでに固まっていた。群集にまぎれて大講堂を退出しようとしたとき、
「晴樹じゃないか」
突然、声をかけられた。
振り向くと、見覚えのあるどこか懐かしい顔があった。晴樹は少し考えて声を発した。
「ひょっとして・・・、陽一か」
「ああ、やっぱり晴樹か。さっき、救世主が壇上から下に降りて、止まって話していたろう。それを見ていたら何か見覚えのある顔を見つけたんで。いやあ、ほんと、びっくりしたよ」
「こっちも、お前に会うなんてびっくりだよ」
「ほんと、ひさしぶりだな。何年ぶりだろう」
「ええと・・・、十五のときだから、十三年か」
中学のときの同級生だった。名は高坂陽一。二年生と三年生のとき同じクラスで、晴樹にとっては、数少ない気の合う親友だった。無精ひげを生やしているので、すぐにはわからなかったが、あのころの面影は少しも変わらない。
陽一は、はじけるような笑顔で親しげに晴樹の肩をたたいた。晴樹も笑顔でそれに応じた。
「でも、こんなところで再会するとはね・・・」
さも、意外そうに陽一が呟いた。
「ああ、まさか、こんな会場で会うなんて」
晴樹は少し苦笑気味に言った。
2
晴樹の同級生といっても、陽一は二年生の学期の途中で他校から同じクラスに転校してきた生徒だった。
都内の保守的な校風で規律に厳しい中学校だったため、生徒たちは比較的真面目でおとなしい子が多かった。だが、その分いじめは陰険な形で存在していた。佐伯という図体のでかい生徒がいて、彼がクラスを裏でしきっていた。転校してきた陽一は今まで自由な校風の学校に通学していたからなのか、それとも生来の性格なのか、人一倍明るかった。しかし、それが仇となり、最初周囲の生徒となじめなかった。案の定、クラスの中で浮いた存在になり、いじめの対象になった。だが、彼の闊達さはまるで消えず、いじめっこに文句もいわず、笑いながらすすんで言うことを聞いた。
陽一がそんな態度をとったものだから、佐伯を筆頭にいじめっこのグループは、ますます増長し、クラスの全員に向かって陽一を無視するように命令した。クラスの生徒たちもいじめの巻き添えになるのは嫌なので、その命令に従った。
だが、晴樹は学年一の秀才で周囲に一目置かれていたから、自分だけは関係ないというように一人冷めた態度をとっていた。
ある日の昼休み。陽一は居場所がないらしく、学校の屋上で一人ぼんやりしていた。
屋上には先客がいた。晴樹である。屋上の一角にアンテナの設置された場所があり、はしごで登るようになっているが、そこで横になって漫画雑誌を読んでいたのである。
「暇そうだな」
陽一に気付いた晴樹はそう呼びかけて、はしごを降りてきた。
「暇だろ。これやるよ。今さっき読み終えたから」
そう言って、漫画を渡した。
「あ、ありがとう」
陽一はびっくりして礼を言った。
「暇つぶしにはなるだろ」
そう言って晴樹は屋上を下りる階段のほうへ去っていった。
その日、下校時に晴樹が一人で家路に向かっていると、急に後ろから呼び止める者がいた。
「諏訪君、ちょっと待って」
走ってきたらしく、肩で息をしている。陽一だった。
「僕も家はこっちの方角なんだ。一緒に帰ろう」
息を整えてから、陽一は笑顔でそう誘った。それに対して晴樹は表情を変えず、面倒くさそうに告げた。
「なんで、一緒に帰らなきゃならないんだよ?」
「だって、諏訪君っていつも一人で帰ってるだろ。学校でも休み時間とかいつも一人でいるみたいだし。友達もいなさそうだし。こういっちゃ失礼かもしれないけど、なんか寂しそうに見えたんだよ」
「お前に言われたくないよ。余計なお世話だ」
晴樹は苛立たしげに声を荒げた。別に一人でいることを気にしているわけではない。一人でいたいからいるだけだ。頭にきたのは、陽一がいつも自分を観察しているような物言いだったからだ。
「あのなあ、人は一人で生き、一人で死んでいくもんだ。棺桶まで友達を連れてこれるか?まあ、そんなことはどうでもいい。俺のことより、自分のことを心配しろって。おまえ、クラスのみんなに無視されてんだろ。佐伯の命令で」
「・・・」
陽一は黙ってしまった。晴樹は自分の言葉がとげのように相手の心を引っ掻いたことに気付き、ばつが悪そうにその場を立ち去ろうとした。
「じゃあ、なんで今日の昼休み、諏訪君は俺としゃべってくれたんだよ!」
叫んだ陽一に、晴樹は振り返りもせずに答えた。
「俺は他のまぬけな連中とは違う。サルのように群れを作って行動するのが嫌なんだよ。人間は昔はサルだったかもしれないが、進化したんだぜ。いつまでもサルの習性に縛られてるわけにいくか?佐伯みたいな奴は小さなサル山のボスザルのようなもんだ。そんな奴のいうことなんか、聞けるわけないだろ」
「ボスザル・・・。ふっ、あはは、面白いこと言うね」
「じゃあな」
立ち止まったまま無邪気に笑う陽一を残して、晴樹は軽く片手を挙げて一人で帰っていった。
翌日も、翌々日も、陽一は晴樹の帰り道に話しかけてきた。
人間関係に冷めきっている晴樹が、なぜわざわざ学校に来るのか。陽一はそれが知りたくなった。晴樹の才能なら、義務教育など必要ないだろう。独学で進学することも容易だろう。
毎日話しかけてくる陽一に対して、おまえも懲りない奴だな、と呆れ顔で呟く晴樹だったが、学校での話し相手のいない彼にとって、次第に陽一のあつかましいほどの明るさは苦ではなくなってきた。
もともと人見知りが激しく、心を閉ざしているような性格の晴樹は、自分から進んで友達を作れるようなタイプではなかった。陽一が積極的に話しかけてくれることによって、晴樹は孤独を紛らわせることができた。いくら冷めているといっても、一人の中学生であり、心の奥底では友達を欲しがっていたのかもしれなかった。また、陽一もクラスのみんなに無視されているため、ぶっきらぼうながらも話せばちゃんと答えてくれる晴樹の存在はありがたかった。
「諏訪君、今日のテストできた?」
中間テストが終わった帰り道、いつものように陽一が後ろからついてきた。
晴樹はそれを待っていたように振り向いて、自慢げに話した。
「あたりまえだろ。あんな簡単な問題。楽勝だよ」
「やっぱり、諏訪君てすごいね。頭いいよね」
しきりに感心する陽一に、晴樹は笑顔を向けた。
「なあ、陽一。俺のこと諏訪君って呼んでるけど、同級生なんだし、そうかしこまることもないだろ。俺がこうやって呼び捨てにしてるんだから、おまえも呼び捨てでいいよ」
「ほんと!僕も気になってたんだよ。片や君付けで、片や呼び捨てじゃ、割に合わないもんね。それじゃ、これから遠慮なく晴樹と呼ばせてもらうよ」
「ああ、そうしてくれ」
「ところでさ、英語のテストで文法の並び替えがあったじゃん。それの一問目のやつ。あの答えって、どうなった」
「ああ、あれね・・・」
やがて、ふたりはいつも帰り道を共にするようになり、学校でも休み時間は一緒に図書室へ行ったり、屋上でスマホをいじったり、校庭でキャッチボールをしたりして遊んだ。
公然と遊ぶ晴樹と陽一の姿に、クラスのみんなははじめ複雑な視線を投げかけていたが、陽一は今までと同じように明るさを失わず、周囲に笑顔を振りまいた。
いじめの巻き添えを食うのを恐れた生徒たちも、あの晴樹が話しているのなら自分も大丈夫だろう、と考え、一人、また一人と陽一と言葉を交わすようになった。
陽一はよく笑った。彼に話しかけると、必ず笑顔が返ってくるので親しみやすい。クラスの多くの者が陽一に惹かれ始めていた。クラスの連中が陽一と談笑している様子を見て、それを面白く思わなかったのが佐伯である。
陽一に対して必ず無視しろと命令したはずだ。どうして、みんな俺の命令を守らなくなったのか。そもそも、いちばんはじめに俺の命令を破った奴は誰だ。答えは明白だった。
諏訪晴樹だ。彼が陽一と休み時間に遊んでいるところを何度も目撃した。もし晴樹以外の生徒だったらすぐにこらしめることができた。だが、晴樹だからこそ注意できなかった。学年一の秀才だし、親がすごい金持ちで経済力もある。周囲の状況に動じず、いつも冷静で我が道を行くといった感がある。そして、あの怜悧な視線だ。何を考えているのかわからないところがある。
だが、クラスが自分に従わなくなったのは明らかに晴樹が原因である。そういう状況になってしまった以上、ここで晴樹をしめておかなければ、クラスの連中に示しがつかなくなるばかりか、自分が裏でクラスを牛耳っている力も弱くなるだろう。
放課後、佐伯は晴樹を体育館の裏に呼び出した。
来るかどうか、半信半疑だったが、意外にも晴樹はやってきた。
無表情を押し通す晴樹に、佐伯はすぐにかみついた。
「諏訪。おまえ、俺の命令を守らなかったろう。この落とし前はどうつけてくれるんだ」
「何のことだ」
晴樹の表情は全く動かない。声調も冷め切っている。佐伯は頭に血を上らせた。
「しらばっくれるんじゃねえ。おまえ、高坂と一緒に遊んでるだろ。あいつを無視しろと確かに命令したはずだぞ」
「以前からわかりきってることだが、おまえ、ばかだろ」
「何だと!」
「なんで、俺がおまえみたいなばかの命令を聞かなきゃならないんだよ」
「もう、許せねえ」
佐伯が太い手で、晴樹の襟首をつかんで殴りかかろうとしたとき、晴樹はズボンのポケットから、鋭く光るものを取り出した。
「ひっ」
驚いた佐伯が悲鳴をあげて、手を引っ込めた。
先のとがった鋭利な彫刻刀だった。図工の時間に誰もが使う道具だが、それを武器として携帯していたのだ。
尻もちをついている佐伯に、彫刻刀を振りかざしながらゆっくりと近づき、晴樹は彼の傍らに座った。そして彼の頬に彫刻刀の刃の部分を添えた。
「よく覚えておくんだな。俺は誰の命令にも従わない」
「そ、そんな物持って。先生にいいつけるぞ」
「だから、おまえはばかだって言ったんだ。俺はバタフライナイフを持ってるわけじゃない。ただの彫刻刀だ。中学生は誰もが持ってるものだ。これを持ってること自体、ちっとも悪くないんだよ」
「で、でも、凶器として使うなんて間違ってる。絶対、先生にいいつけてやる」
その瞬間、表情の変わらなかった晴樹の視線が急に鋭くなった。
「そんなことをしてみろ。俺はおまえを必ず殺す。俺は他人の命なんか、これっぽっちも重いと感じてないんだ。いや、他人ばかりじゃない。自分の命でさえ、ちっとも惜しいと思ってないんだからな」
「そんな脅しに乗ると思うのか・・・」
「脅しだと思うか」
晴樹は、制服の袖をまくって自分の左の腕を出した。そして、その腕を佐伯の眼前にもっていき、いきなり彫刻刀で垂直に刺した。自分で自分の腕を刺したのだ。佐伯は驚いて目を瞠った。抜いたとき血が飛び出て、佐伯の顔面をぬらした。
「マ、マジかよ・・・。く、狂ってる」
佐伯は、恐慌状態に陥って、腰を抜かしたまま、半ば這うようにその場から逃げ出してしまった。
ハンカチで傷口を抑えながら、晴樹は痛みに表情を歪めることもなく、佐伯の逃げる様子を眺めていた。
それ以来、佐伯はクラスで威張ることがなくなった。生徒たちはそれを不思議がったが、晴樹との事情を知る由もなく、また深く追求することもなかった。
陽一は、晴樹の左腕の包帯に気付き、その理由を尋ねたが、転んだだけだと言われたので、それ以上詮索はしなかった。
だが、佐伯がおとなしくなってくれたおかげで、陽一に話しかけることに抵抗感を抱く者はいなくなった。それどころか、明るい陽一の周りには常に人が集まるようになり、笑い声が絶えなくなった。
晴樹はあいかわらず人の集まりには加わらず、単独行動を好んだが、陽一はクラスの人気者になってからも、休み時間や下校の帰り道は晴樹といつも一緒に行動をした。
物静かで学校行事などには消極的な晴樹に対して、陽一は活発で明朗な子で、人付き合いもうまく、やがて生徒会長に立候補した。陽一本人に頼まれて晴樹が推薦人を勤め、彼の長所を説いて回った。学年一の秀才と人気者。二人が組んで当選しないわけがなかった。生徒会長になった陽一は晴樹にいろいろ相談して、生徒会を運営していった。学校は二人を中心にまとまっていった。
生徒会の活動をしている時間は、実際には学校という小さな組織の中をとりしきっているだけだったが、二人にとっては世界を牛耳っているくらいに、楽しい時間だった。
性格は対照的だったが、二人はウマが合った。中学の最後の一年間は、学校以外でも二人でよく遊んだ。ゲームセンターへ行ったり、お互いの部屋に招待したりした。
陽一の家庭は中流階級でアパート暮らしだったが、晴樹の家はすごかった。陽一は、晴樹の豪邸を羨ましがったが、自宅にいるときの晴樹は全くそれを誇らしげにしなかった。
一人っ子で兄弟もいず、父親は仕事で忙しく、母親はいつも外出している。ほとんど両親は不在である。広い敷地内にいるのは、晴樹と中年女性のお手伝いさん一人である。
豪邸に住むことが人にとって幸せなことなのか、陽一はふと考えてしまう。晴樹を見ていると、必ずしもそうではないような気がしてくる。
とにかく仲のよかった二人は、漫画やゲームや野球やサッカーやクラスの女の子の話など、いつまでも語り合ったりした。
裕福な上、頭がよく、もの静かな晴樹は人知れず女の子に人気があった。だが、それがお高くとまっているような印象も与えたし、何を考えているかわからない面もあったので、敬遠する子も多かった。それに比べて、人なつこく温和で優しい陽一は、晴樹以上に女の子たちにもてていた。
勉強のできる晴樹と違い、陽一は、成績は中の上くらいだった。受験する高校も別になった。晴樹は都内で有数の私立の進学校に合格した。陽一の親は転勤の多い仕事で、その都合もあり、中学を卒業したら関西へ行くことが決まっていた。その地元で、晴樹よりランクは下がるが、公立の進学校に推薦で受験し合格した。
卒業を間近に控えた下校時、二人はいつものように一緒に家路を歩いていた。
右脇には川が流れ、川原の土手もすでに春色に染まり始めている。
ふと、川原に小さなダンボール箱が置かれているのに二人は気付いた。昨日は置かれていなかったものだ。
晴樹が首をかしげた。
「なんだろうな、あれ」
「見てみよっか」
陽一を先頭に二人は土手の斜面を駆け下りていった。
「あっ、犬がいるよ」
「ほんとだ」
箱の中をのぞくと、茶色の子犬が一匹うずくまっていた。
「かわいいね、こいつ」
陽一は笑顔になって、両手で子犬を抱きかかえた。子犬は小さな細い目を開けて、もごもご動いている。
「誰が捨てたんだろうね」
陽一の問いに晴樹ははき捨てるように言った。
「だから、人間は勝手なんだ。どうせ、面倒見切れなくなって、ここに捨てていったんだ。だったら、はじめから飼うなってんだよ。こいつの身にもなってみろってんだ」
物静かで冷静な晴樹が、怒り出すのを見て、陽一は意外に思った。
「飼ってやりたいけど、うちはだめだろうなあ。アパート住まいだし。晴樹の家は?」
「うちもだめだ。親父が番犬として飼ってるたドーベルマンが一頭庭につないであるし、見たところ、こいつ雑種だろ。なんで、雑種の捨て犬なんか拾ってくるんだって、親父に怒鳴られるだけさ」
二人は沈黙してしまった。
「こいつ、腹減ってるんじゃないかなあ」
犬を抱きながら、陽一は心配そうに呟いた。動きに元気がないように感じられたのだ。
「そうだな。餌をあげなきゃ」
子犬をひとまずダンボールに戻して、二人は近くのコンビニに急いだ。そこで、子犬用のドッグフードとミネラルウォーター、それを入れる容器を買って、また土手に戻ってきた。
早速、目の前に置いてやると、子犬は舌を出して、餌をなめ始めた。
二人はその様子を、飽きずに眺めていた。
結局、晴樹はダンボールごと、子犬を家に持ってきてしまった。陽一も家までついてきた。帰宅すると早速、晴樹はお手伝いさんである家政婦に犬のことを話した。もちろん家で世話したいという内容だ。この家政婦は年は五十くらいで、晴樹の夕食の準備をしてくれるが、いつも無表情で、日頃はあまり会話はない。両親は留守だった。
母は、いつものようにブランド品のショッピングにでも行っているのだろう。大抵、夜遊びして朝帰ってくるが、そのときの酒の臭いがひどい。ホストクラブにでも入り浸っているのだろう。
父は、会社の経営で忙しく、家を何日も留守にしている。
家政婦は、もうすでに犬が一頭いるという理由で難色を示した。しかし、晴樹も日頃あまり話さない相手に向かって、がんばって粘り強く交渉した。隣に陽一がいてくれたので心強かった。家政婦はあきれたように、お父様とお母様はきっと反対しますよ、とだけ言った。陽一は子犬をなでてから、帰っていった。
確かに両親が反対するのは目に見えていた。
その日の夜、久しぶりに父親が帰ってきた。
玄関に置いてあったダンボールの中を見て、いきなり大声を出した。
「なんだ、これは」
出迎えた家政婦が、恐縮したように呟いた。
「ぼっちゃんが拾ってこられたんです。もちろんわたしは反対したんですよ」
「晴樹!」
父は居間にいた晴樹のところへ早足でやってくると、いきなり横っ面をはたいた。
「あんな、汚いもん拾ってきて、どうするんだ!すぐ捨ててこい。なんなら保健所へ持っていって、処分してもらってこい」
晴樹はあまりのことに唖然とし、ついで急速に怒りが込み上げてきた。拳をきつく握り締めた。部屋の机の引出しの中に、バタフライナイフを隠してある。ネットの通信販売で買ったものだ。それを持ってきて、刺し殺してやろうかと思った。
だが、彼は家の中では真面目で通していた。おとなしく素直で勉強のできる子。両親には、そう思われている。自分の本性をさらけ出すことを、晴樹は必死で押さえ込んだ。
「はい・・・」
蚊の泣くような小さな声で、晴樹は返事をした。
外は、いつのまにか雨が降り始めていた。結局、ダンボール箱を元あった土手に戻しに行った。周囲に雨宿りできるような場所もなく、子犬が雨で濡れないように、傘を開いてダンボールの上に立てかけた。寒くないように犬を毛布でくるみ、傍らには餌と水をちゃんと置いておく。
「また、明日来るからな」
そう言って、晴樹は雨に濡れながら、とぼとぼと家路に向かった。
陽一になんて言おう・・・。
晴樹の心は今の雨のように、鬱々として晴れなかった。
中学校、卒業の日。
陽一の自宅の引越しの準備はすでに整っていた。今日がこの土地で暮らす陽一の最後の日だった。
土手の子犬は、二人で協力して面倒を見ていた。その甲斐もあって、歩いたりできるようになった。
卒業式を終え、帰り道、いつものように二人は土手に来ていた。
「二人でこうやって面倒見るのも最後だね」
「ああ」
子犬を川原で遊ばせながら、陽一は寂しそうだった。
「でも、心配すんなって。おまえの分までちゃんと俺が面倒見るよ」
そう言う晴樹の声も、幾分元気がなかった。
陽一は、子犬のことを学校の友達たちに告げた。飼える人がいたら、世話してもらいたいと頼んだ。だが、いい返事はついに得られなかった。
晴樹もその事情を知っていたから、自然に気が沈みがちになる。
二人は卒業証書の入った筒を放り投げて、制服が汚れるのも厭わず、川原に寝転んだ。そして大きなため息をついた。
しばらく、そうしていた。
「あれ、あいつは?」
陽一が、半身を起こして、周囲を見回すと先程まで近くで遊んでいた子犬がいない。
晴樹も、身を起こして、辺りに目を配らせた。
「あっ」
子犬は弱々しい足取りで歩き、川原を抜けアスファルトの路面に、その身を乗り出そうとしていた。
二人は、その瞬間をしっかりと目撃してしまった。
バイクだった。そのタイヤに子犬の小さな体が踏みつけられた。首が変な形に曲がったように見えた。
バイクの男はブレーキを踏んで、一旦停車し、後ろを振り返った。ヘルメットのサンバイザーをあげ、まるで汚いものを見るような一瞥を向けた。関わることを嫌ったのだろう、何事もなかったかのようにそのまま発車しようとした。
晴樹は速かった。陽一はその迅速さに驚いた。
バイクの前に踊り立っていた。スタートをきろうとして男は急ブレーキを踏んだ。
「あぶねえな、ガキが!」
その怒声も意に介さず、晴樹は制服のポケットをまさぐって、銀色に光るものを取り出した。バタフライナイフだった。使いたいときにすぐに使えなくては意味がない。そう思った晴樹はナイフを机の引出しから持ち出し、ここ数日、つねに携帯していた。
「許さねえ」
晴樹はそう言葉を吐き出した。
男はその視界にナイフを認めて、恐怖した。最近は凶悪な少年犯罪が増えている。少年は遠慮を知らない。男は夢中でバイクのハンドルをきって迂回すると、そのまま猛スピードで逃げ去った。
晴樹はナイフを力強く握り締めたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
その間、子犬の傍らでその容態を確かめていた陽一は、晴樹の眼前に歩み寄り静かに首を左右に振った。
「ちきしょう!」
叫んで晴樹は川原に向かって駆け出し、倒れこむように全身の力をこめて、両手で握り締めたままナイフを土手に突き刺した。
「なあ、陽一・・・。犬だって、人間と同じ命だろう。それなのに、なんでこうなるんだ。犬を捨てた奴も俺の親父もさっきの男も、子犬をごみ扱いしやがる。なんで連中は小さな命をごみみたいに扱うんだ。ちくしょう。人間め、思い上がりやがって。人間のばかやろう、人間のばかやろう」
日頃、感情をおもてに表さない晴樹が、地面にナイフを何度も突き刺して、叫んでいる。陽一は黙ってその光景を見ていた。
「人間はいつもそうだ。動物愛護を建前で唱えながら、平気で牛やブタを殺して食っている。薬や化粧品の開発で動物実験にされている動物はかわいそうだと、ハンバーガーを食いながら話し合ってるんだぜ。こんなまぬけでめでたい種族がいるか?たくさんの命を食い散らかして、食いきれなければ、簡単に捨てている。数え切れない命を犠牲にさせ、感謝も悔恨もしない。俺はそんな人間が大嫌いだ。人間である俺が大嫌いだ」
陽一は晴樹の真実の一面を見た気がした。人と関わりを持ちたがらず、いつも冷めている。そこには強烈な人間への猜疑、そして自己嫌悪があったのだ。
だが、それと比例して彼の心のうちには大きく孤独感が成長していたに違いない。陽一と仲良くなったのも、友達が欲しくてたまらなかったのだろう。
「うちの親父は製薬会社を営んでる。新薬開発のためたくさんの動物実験をやってるんだ。それで、莫大な利益を得ている。そのおかげで俺は生活できてるんだ。とんだお笑い草だぜ」
自己のうちに矛盾を抱え、悩み苦しむ親友の肩に陽一は手をそっと置いた。
「晴樹。人間もいつかきっとわかるよ。こんな思い上がった生活をしていたら、いつか自分たちの生存も危うくなるって。人間を信じよう。だって、僕たちは人間だろう。僕たちを、自分自身を信じてみようよ」
ナイフを大地に刺して、晴樹は突っ伏したままだった。やがて、ぼそりと言った。
「あいつのお墓をつくってやらなくちゃな・・・」
「あ、ああ」
自宅からシャベルを持ってきて、川原に穴を掘り、毛布で包んだ子犬を埋めた後に、近くに転がっていた大きな石を見つけてきて上に載せ、墓にした。
二人で手を合わせた。
「陽一。やっぱり俺は人を信じない。信じられない。どうしても信じられない」
静かにそうささやいた晴樹に、陽一はかける言葉も見つからなかった。
「人間なんて、いなきゃいいのにな・・・」
最後に晴樹が独り言のように発したその呟きは、陽一の胸に深い印象を刻み付けることとなった。
3
振り返ってみれば、その日以来の再会だった。
SNSのやり取りは何度かした。はじめは頻繁に交換していたが、時が経つにつれて、回数も少なくなり、自然消滅のような形となった。二人の友情は、やがて思い出となっていった。
少年の頃の記憶が急に呼び起こされ、二人は懐かしさで胸がいっぱいになった。
「それにしても、ほんと、ひさしぶりだね。今、何してるの?」
陽一は、笑顔で質問した。晴樹は苦笑した。
「別に・・・」
「まさか、まだ学生なわけじゃないんだろ。仕事は?」
「名目的には親父の手伝いをしてることになってるけど、実際はプータローみたいなもんだよ」
「君が?ああ、そういえば、君の家は相当な金持ちだったな。高等遊民の立場を楽しんでるってやつか」
「そうでもないさ。陽一は何やってんだ」
「僕か。実はまだ」
陽一は、照れくさそうに頭をかいた。彼の話だとまだ関西の国立の大学院に籍を置いており、史学関係の勉強をしているという。だが、今は休学しているということだった。バイトをしては、貯めたお金で一人でぶらりと海外旅行にでかけるという。ボランティア活動にも熱心で、過去、青年海外協力隊にも参加して、数年間発展途上国の子供たちの世話をしていたともいう。
「先日、エジプトにいってきてさ。ピラミッドを見てきたんだ。その前はペルーのマチュピチュだったかな」
「世界の遺跡、探訪か。お前のほうこそ、人生を謳歌してるじゃないか」
「貧乏学生が、海外旅行するんだ。悲惨なもんだぜ。それこそ、ホテルなんか、ねずみやゴキブリの巣窟さ」
二人は笑った。晴樹には、陽一の日に焼けた顔がたくましく見え、自分よりも余程充実した時間を過ごしてきたことを知って羨ましく思った。
「世界をあちこち見てきたからわかるんだけど、今地球は危機的状況だ。異常気象や相次ぐ天変地異。確実に地球はおかしくなっている。だから、僕もガイア教に興味を持って、上京してきたんだ。関西にも支部はあるけど、本部でじかに救世主の講演を聞きたかったからね」
「入信するのか?」
「救世主の言葉は過激だけど、的を得てるし、賛同できる部分も多くある。地球のために、新しい人類のために、僕は何かしたいと思っているんだ。僕は入信するつもりだよ。晴樹は?」
晴樹は、陽一のように積極的な希望を持って、この会場にやってきたわけではなかった。二十八年の今までの人生が無意味に思えてならなかった。それを変えたかった。変えるためのきっかけ、あるいは救いのようなものが欲しかった。ガイア教にはその可能性があった。そして、救世主の言葉をじかに聞いてみると、晴樹も大いに納得できる内容であったのだ。
「俺も入る」
短く、きっぱりと言った。
「晴樹と一緒にガイア教に入るなんて、楽しくなりそうだよ。お互い、地球のために、人類のために少しでも役に立つようにがんばろうよ」
ふたりの十三年ぶりの再会は偶然のかたちをとっていたが、ガイア教の未来を大きく左右する運命の再会でもあったのである。もちろん、ふたりの青年たちには、そんなことは知る由もない。
「これから、時間ある?」
「ああ」
陽一の誘いに、晴樹は笑顔で応じた。
お互い、酒を酌み交わしたい気分だったからだ。
そんな時、突然地が揺れた。比較的大きめの地震だった。周囲にいた何人かの悲鳴が聞こえたが、幸いにすぐに揺れはおさまった。
「ここのところ、地震がやたら多いな。さっきの救世主の言葉どおりだ。ガイアがお怒りだな。世も末だ」
晴樹が笑顔を消し、まじめな顔でそう言った。
4
後日、二人はそろってガイア教に入信する手続きをとった。
地球を守るための資金、そして教団運営の資金としての名目で、教団は全ての教徒に費用の負担を求めた。納入する金額に上限はなく、企業などからも多額の献金がなされていた。その資金で、地球保護活動を実践していくのである。
だが、もちろん例外もある。ガイア教は寛容でもあった。ガイア教が世界で爆発的に信者を獲得しているのは、資金的に余裕のない人は費用の負担は必要ないとしていたからである。高坂陽一のように若い学生たちがガイア教に次々と入信するのには、そういう要素もひとつの理由だった。
ガイア教に入信するための儀式はきわめて簡素である。
日本の象徴であり、偉大な自然の造形物でもある富士山。その富士山を望む広大な森林地帯をガイア教は所有していた。いわゆる樹海と呼ばれる地域である。その奥まったところにひっそりとガイア教の大神殿がある。人工物ではあるが、極めて自然と一体化している。大神殿の奥、中央部にちょうどひらけた場所があり、ここには人の手が全く入っていない。小さな丘の上に密集した木々がうまい具合に折り重なって、多くの枝が屋根を形成し、多くの幹が壁を形作っている。中央には大木がそびえ幹の途中が窪んでいる。それがちょうど人が座れる玉座のようになっている。自然が奇跡的につくりあげたガイア教救世主の玉座であった。
この場所こそ、ガイア教の聖域であった。ここへたどり着くには素人には無理で、道を見知っているガイア教徒と一緒に来なければ、すぐにでも樹海の迷路にさまようことになるだろう。
富士という山自体が古来より霊峰といわれ、不死山とも例えられ、日本人の心のよりどころとなり、神の宿る聖域とされてきた。
山に神はいる。川にも神はいる。海にも、空にも、獣にも、一本の木にも神は宿っている。神話の時代より、日本人は自然のあらゆるものに神が存在すると信じてきた。自然への純粋なる畏敬と崇拝。アニミズムと呼ばれる考え方である。
ガイア教は、そのアニミズムへの回帰の一面を有する。自然界を構成する地球そのものを神とするガイア教は、自然崇拝の素養のあったこの日本という島国で生まれるべくして生まれたのである。
富士山が近くに見えるその教団所有の土地において、洗礼を受けたいと晴樹と陽一は希望した。大神殿奥の樹木が生い茂るだけの場所。ガイア教の聖域である。その場所で地球にその身をささげるという証を示すため、まず大地に額ずく。そして、地球と一心同体だということを示すため、そのまま土を食べる。
この日、この場で洗礼を受けるのは、晴樹と陽一をはじめ、数十人の入信希望者たちだった。ガイア教の支部は日本各地、世界各地にあり、それぞれの場所で洗礼の受けられる場所は用意されている。この富士の聖域は、深い樹林の中を長い時間をかけ、徒歩でやってくる以外移動手段がないため、洗礼を受けるにも苦労を要する場所だった。
しかし、この特別な聖域で洗礼を受けることを望む者は多かった。聖域で受洗してみないか、という陽一の強い誘いに、晴樹は了承した。ガイア教に対する強い思いをそれだけ陽一は持っていたし、晴樹も異存はなかったからだ。
二人をはじめ入信希望者たちはこの地までガイア教の司教に先導されてやってきた。長い樹海の迷路を抜けると、やがて大神殿があらわれ、その奥の神々しいまでの大木の玉座にたどり着いた。
その玉座を背に司教は立った。その前で、晴樹と陽一たちは同時に膝を折った。この司教の名は由良和貴といい、二人とそう年も変わらないまだ三十代前半の若い男だった。
以前、世界的な環境保護団体に所属し、語学に堪能なため団体運営事務の取りまとめなどの仕事をしていたが、それに飽きたらず、地球を守るためガイア教に入信した。前職の経歴を生かし、その団体の多くの会員をガイア教団に入信させた実績を持つ。その成果を買われ、あっという間に教団の中で四人しかいない司教のランクに出世した男であった。
若くして出世すると不遜な態度になりがちだが、由良にはそういったところがなく、謙虚で誠実な性格であった。その人格が信用され、人がついてくるのだろう。
ガイア教徒の司教になってからも、彼は積極的に現場に出た。
時間の調整がつくと、今日のように聖域での洗礼を行うため、たとえそれが数名でも、歩いて案内したりする。このようなことは他の教徒に任せればいいのにである。若いということもあるが、こんなことをするのは他の司教では一人もいない。
その由良司教が厳粛な態度で入信希望者たちに問いかけていく。
「ガイア教に帰依しますか」
「帰依します」
問いかけられた者は、皆一様にそう答えていく。
やがて、陽一と晴樹にも順番が来て、同じ問答が繰り返された。
全員の意思を確認すると、由良は次の行動を指示した。
「では、大地に額をつけ、口に土を含みなさい」
全員言われたとおり、平伏した。土を口に入れると、じゃりっとした感触と苦味が口の中を走った。唾液と一緒にその不快な感覚を飲み込む。
「神との契約は成った」
このとき、陽一と晴樹は、正式にガイア教徒となったのである。
土は、地球そのものであり、その土を食べることは、地球の一部を食すことを意味する。いわば、神との一体化を表現する儀式なのだ。
儀式を終えると、由良はさきほどの真剣な態度を崩して、柔らかな笑顔となり、
「みなさん、ようこそ、ガイア教へ。歓迎します」
一人一人と握手を交わした。
若いからなのか距離感を置かず分け隔てもせず、まるで友人のように接してくれた。
人見知りの晴樹でさえ、由良に対しては悪い印象は抱かなかった。
大神殿から、戻る道すがら、木々の枝がかすかに揺れ始めたかと思うと、やがて大きな横揺れとなり、立っていられないほどの地震となった。
しばらく、揺れは続いていたが、木が倒れることもなく、無事に地震は収まった。震度は五弱ほどであろうか。
「また地震か。毎日のように起きるな・・・」
陽一が誰にしゃべるでもなく、呟いた。
それを聞いた由良が、言葉を継いだ。
「たしかに、ここ最近の地球の動きはおかしい。実は君たちに言っておかねばならないことがある」
「何です?」
陽一が問うと、
「救世主は、その霊能力で、大地の神霊であるガイアと交信することができると言われている。実は、救世主から、我々司教たちに話があったのだ。近いうちに、ガイアは人間の姿を借りて、この世に降臨するというのだ。何か、想像を絶する事態が、人類に巻き起ろうとしているのではないか。ノアの箱舟の時代のように、人類にとってその存在を脅かす未曽有の危機が訪れようとしているのかもしれない。新たにガイア教徒となった君たちには、来るべきその時に備えて、心の準備をしておいてもらいたいのだ」
晴樹はいつの間にか汗をかいていた。富士の樹海を歩いてきたからだろう。こんなに汗をかいたのは何年ぶりだろう。久しくなかったことだ。だが、それは体を動かした汗なのか、これから起こるであろう何らかの事態への不安の表れである冷や汗なのか、わからなかった。
「我らの行く先にガイアのご加護のあらんことを」
最後に由良は両手を地に付けてそう祈った。
5
父親が倒れたという報告を使用人の河井から電話で聞いたのは、晴樹がガイア教徒となって数日後のことであった。
過労だろう。仕事人間の父には頷ける話だ。晴樹はそうたかをくくった。入院したということだった。見舞いに行くにしてもどういう言葉をかけていいのか、晴樹にはわからなかった。
彼は父を愛してはいなかった。いや、それどころか憎んでいたような気さえする。
仕事のことしか頭になく、家庭を顧みることがなかった人だった。母はそんな父に呆れたのか、それとも反発したのか、若いホストに夢中になり、父とは離婚して家を出た。
晴樹にとって、親という存在はなかったに等しかった。
だから、実の父親なのに、父とは思えない。他人のような気がしていた。
「ぼっちゃん。ぜひ、お見舞いに行ってあげてください」
父の入院を聞いて一週間ほど経ったとき、河井からまた電話があり、真剣な口調でそう言われた。
河井重友は初老の男で、晴樹が子供のころから何かと面倒を見てくれていた。そのため、河井は今もなお、晴樹のことをぼっちゃんと呼ぶ。
諏訪製薬は父が一代で築き上げた会社だが、河井は昔、諏訪製薬の創業時に父に献身的に仕えた男だと聞いている。出世欲は皆無だったらしく、二年前、定年退職した後、すすんで諏訪家の使用人を務めている。今は晴樹の運転手をやってくれたりもしている。諏訪家に対する忠誠心の厚い男だった。
結局、河井がしつこく見舞いを勧めるので、彼の運転する車に乗って、病院へといく羽目になった。
病院に到着し、駐車場に車を止めると、河井がぼそっとつぶやいた。
「社長は、実はもう長くありません・・・。そのことを社長自身もご存知です」
いきなりそう告げられたので、晴樹は耳を疑った。
「河井。おやじは一体、何の病気なんだ」
「・・・」
「河井」
「・・・肝臓癌です。もう、ずっと前から、あちこちに転移して手のつけられない状況だということです」
「おやじが癌・・・」
「長くもったとしても、あと数ヶ月ということです。社長はそう医者に告知され、そのことを私にだけ話してくれました。会社の人間は誰一人その事実を知りません」
「そうなのか」
「一人息子のぼっちゃんに優しい言葉をかけられたら、どんなに喜ぶか。社長は孤独な人です。表面上はお変わりありませんが、内面は死に直面し、弱気になっておられるはずです」
河井がなぜ、執拗に見舞いを勧めたのか、理由がわかった。
父親が癌。母が去った今、たった一人の家族であり肉親である父がもう長くない。そんな深刻な事実を前にして、晴樹にはまだどこかに他人事のような冷めた感覚があった。
父に対してどういう態度をとったらいいのか余計わからなくなった。
河井に正直にそう言うと、
「かける言葉がわからなければ、行って顔を見せてやるだけでもいいんです」
しぶる晴樹の背中を押すように河井は強めの口調でそう言った。
重い腰を上げてから、河井に父の病室の前まで案内された。
「ここの個室です。それではわたしは車で待っています」
と言って河井は去っていってしまった。
耳を澄ますと病室の中から数人の声が聞こえてきた。
意を決して引き戸を開け、病室に入ると、諏訪製薬の幹部たちだろう。花束や、果物を持って、父に低頭している大人たちがいた。いかにも機嫌をとっているようだった。ご機嫌伺いをしなければ、将来の自分の出世に関わると思っているのだろう。父の命が後もう数ヶ月しかないことを知っていたら、こいつらは果たして見舞いに来るだろうか。
晴樹は、こういう連中が大嫌いだった。
彼らは、晴樹に気がつくと、視線を下げ、軽く頭を下げてから、そそくさと病室から退出していった。
父は力なく視線を晴樹に向けた。点滴の管を体の数箇所に張りつかせている。
「珍しいな。お前が見舞いに来るとはな・・・」
しゃべり方もいつもより弱々しい気がした。父がもう長くないという事実を知ってしまったからか、余計そういう印象がした。
晴樹は黙ったまま、ベッドの脇に置いてあった椅子に腰掛けた。
「土産は何もない。まあ、こんなに置いてあれば必要ないだろうが」
先ほどの連中が置いていったたくさんの花束を見て、晴樹はぼそっと無愛想に言った。
「晴樹。おまえ、会社にも出勤せずに、今何をしているんだ」
父に子会社を任された晴樹だったが、現在は全く出社していなかった。
いつもなら、適当に嘘をつくろって、その場を言い逃れようとしていたろう。
だが、死を目前に控えた人に嘘を言うのは憚られた。正直に言うことが、この場では正しいことのように思えた。
「ガイア教。おやじも聞いたことがあるだろう。あれに入信したよ」
「宗教か・・・」
説教でも受けるのかと思った。だが、違った。
「おまえの選んだ道に、いまさら文句は言わん」
そう言ったきり黙ってしまった。しばらくして、いきなり話題を変えた。
「晴樹。お前にひとつ頼みがある。今度、諏訪製薬で新薬開発記念のパーティーがあってな。さっきいた会社の連中は見舞いを兼ねてその打ち合わせに来ていたんだ。残念だがこんな状態では私は出席できそうにない。そこでだ。そのパーティーにお前、私の代理で出席してくれんか」
「俺が出て、どうなるんだ」
「出て、なにかをしろとそういうわけじゃない。その場にいてくれるだけでいいんだ。お偉方がたくさん来るパーティーだ。諏訪家の人間が出ないわけにはいかない。今まで会社にも出勤せず、給料をもらっていたんだ。それぐらいの仕事はしていいだろう」
通常なら晴樹は断っていたかもしれない。だが、病床の父を前にしてさすがにそうはできなかった。
「・・・わかったよ」
一言、ぶっきらぼうにそう告げた。
息子の返答を聞いて、父はほっとしたように深くため息をついた。
「晴樹。私のこんな姿を見てどう思う。哀れか?」
「急に何を言ってるんだ」
「私は会社のために全てを犠牲にしてがんばってきた。母さんは、若い男と家を出ていき、一人息子のお前も、小さい頃から私になついてはくれなかった・・・。私は会社を大きくするため、手段を選ばず、あくどい事を何度もやってきた。同業者への背信、裏切り行為。その因果か、ついに幸せな家庭というものを手に入れることができなかった。私にできることは、晴樹、お前に何かを残してやることだけだ」
晴樹には、父が哀れに思えた。だが口に出しては言わなかった。おそらく父は、今まで子供の立場になって、物事を考えてくれたことなど一度もなかっただろう。晴樹は家庭にぬくもりを感じたことは一切なかった。父の愛情を感じたこともなかった。
父はそのことをひょっとして後悔しているのか。
しばらく父子の間に沈黙が流れた。
「身の回りの世話は河合にしてもらってるのか」
沈黙を破って晴樹が問いかけた。
「ああ。彼には本当によくしてもらっている」
「そうか」
晴樹は新薬開発記念パーティーの日程等を聞き、
「じゃあ、俺はこれで行くよ。お大事に」
長居をする気分にもなれず、退室しようとすると、
「晴樹。河合は忠誠心が厚く、信頼に足る男だ。大切にしろ」
と背後から声をかけられた。
「ああ」
病室を出、病院の廊下を歩きながら、晴樹は複雑な感情が胸の中にわだかまっているのを感じていた。
自分は人間が大嫌いだ。人間の悪口を今思いつくだけ、心の中で叫んだ。
(人間なんて、どうしようもないクズだ。中途半端な知能を持って、無用の形式を自ら作り上げ、それに拘束され、苦しんでいる。本当に救いようのない種族だ)
晴樹は、病院の玄関の自動ドアを通り過ぎ、薬臭い空気から解放されて、殊更に人間嫌いの自分を再認識させ、父のことを頭から振り払おうとした。
信じられないことだが、悲しかった。自分の喜怒哀楽の感情はもうすでに枯渇したと思っていた晴樹にとって、この心の動きは意外だった。
「おやじのばかやろう」
そう小さくはき捨てた。
6
司教、由良和貴の突然のアメリカ支部への配属転換が決まった。
ガイア教は全世界に支部を持つ。由良はアメリカ行きを最初断った。しかし英語が堪能で事務能力もある由良に、どうしてもアメリカに行ってほしいという救世主からの直々の要望があり、断りきれなくなった。
由良の下でガイア教の教徒となり、短い期間ながらも共に活動してきた陽一と晴樹は、彼から様々なことを学んだだけにこの異動を残念に感じた。活動としては、森林調査、水の汚染の調査など小さなものばかりだった。
だが、中身の大小が重要なのではない。地球に対し尊敬や愛情の念を込めて、自然と触れ合うことが大切である。そうすることでガイア教徒としての功徳が積まれる、というのが由良の信条だった。
「まあ、こういう私の考えも師である真田先生の受け売りなんだけれどね」
「真田先生って?」
陽一が尋ねると
「真田大司教のことだよ。ガイア教には司教を統括する大司教というランクがある。救世主に次ぐナンバーツーさ。真田先生は元々大学の先生でね。環境問題を専門としていた。地球温暖化や、海洋汚染の問題など、先生の研究は多岐にわたっていたんだ。私は先生の教え子で、このガイア教に入ったのも先生に誘われたからなんだよ」
由良は、陽一と晴樹と同年代ということもあり、二人に親近感を感じていたらしく、
「私は日本から離れてしまうが、君たちのことは真田先生によろしく言っておくつもりだ。現在先生は、世界の砂漠化の激しい地域に出向いて、緑化活動に従事している多忙なお方だ。今はアフリカに行っているが、もうすぐ日本にお戻りになるはずだ。君たちをきっといい方向へ導いてくださるだろう」
由良はそう言い残して二人と別れた。
由良の下から離れた二人だったが、早速最初の活動として、放射能汚染物質の処理施設の建設予定地に派遣された。二十一世紀初頭に起こった原子力発電所の事故は、多くの放射能汚染された物質を生み出してしまった。事故から数十年ほどたった今も、負の遺産として、日本人はそれらをどう処理するのか、問題を抱えねばならなかった。
山間の森を切り開いての処理施設の建設に、地元の住民も反対行動を起こしていた。
ガイア教は一方で過激な環境保護団体と世間に揶揄されていたが、環境破壊の現場でデモ行動を起こし、ときには実力行使で汚染活動を防止したりした。それこそが、彼らの地球に対する信仰の証であり、布教活動でもあった。
現場へと通じる道路が封鎖されており、警備員が数名待機している。垂れ幕やプラカードを持った地元住民が百人ほど押しかけてきており、拡声器で施設工事の反対を呼びかけている。
施設建設予定地には、すでに何台もの重機が稼動中であり、建物の基礎もできあがりつつある。現場作業員は数十名いる。
現場責任者は、住民の様子を眺め、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。その彼に声を潜めて耳打ちする作業員がいたが、彼の表情はもっと暗かった。
「やつらがきました」
「よりによって・・・。一番相手にしたくない連中が来たか」
責任者の表情もみるみる暗くなった。
大型のデモ車が二台あらわれた。その電気自動車に乗車しているのは無論ガイア教徒である。三十人ほどのガイア教徒がやってきた。その中にガイア教に帰依して日の浅い晴樹と陽一も動員されていた。
「ガイア教徒の方が見えられたぞ」
住民は拍手で迎えた。こういう現場には必ず登場する。心強い味方となるからだ。
「みなさん、自然を守るためには、呼びかけるだけではだめです。いくら対話を繰り返しても、自然を破壊しようとする連中を止めることはできません。今こそ、立ち上がるべきです。実力行使に訴え強行突破して、我々の意志の強固なところを示さねばなりません」
そう、語りかけたのは、ガイア教徒の集団を率いる横瀬恭介という三十代後半の司教だった。ガイア教内でも一、二を争う武闘派で、現場の最前線に出て、陣頭指揮を執る。彼の率いる部隊はいつも現場の矢面に立つので、いつしか、ガイア教突撃隊と呼ばれるようになっていた。
二十代のころは外国の傭兵部隊に所属していたらしい。かなり高い階級にいたらしいが、過去については詳しいことは語らない。そんな男がなぜ現在ガイア教徒にいるのか、信者たちは知らない。
「地球は神です。自然は神です。その神を冒涜する輩を決して許してはなりません」
そうやって横瀬は住民たちを扇動する。やがて、憤激の感情を増した住民たちが、ついに暴発し、警備員を押し倒してしまった。
その勢いのまま現場に突入し、重機を動かしている作業員に対して、石を投げ始めた。
作業員たちは、びっくりして手で顔などを防御し、現場を放り出して退散した。石が顔に直撃し、血を流しているものもいた。
民衆心理とは恐ろしいもので、一度暴力に火がつくと、その火は収まるどころか、ますます燃え広がる。
彼らは、倒れこむ作業員たちを介抱することもせず、重機を奪い、工事途中の建物を破却し始めた。
現場責任者は、何人かの住民に取り囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けている。
住民を扇動し、暴力行為に及ぶことなど聞いていなかった陽一は、その様子を見て驚いた。
「横瀬司教!怪我人が出ているじゃないですか。早く止めてください」
陽一は横瀬の前に進み出て、強い口調で叫んだ。
「誰だ。君は」
「高坂といいます。由良司教の下にいた者です」
「由良君の・・・。」
横瀬はそれを聞いて、あからさまに嫌な顔になった。
「俺のやり方に異を唱えるというのか」
横瀬が周囲に、おい、と呼びかけると他の教徒たちが陽一の周りを取り囲んだ。
「やめろ、陽一」
晴樹が陽一をとりなすように、彼の肩を抑えた。
「横瀬司教。この高坂君は私と同じく入信したてで、ガイア教の内実をよく知らないのです。許してやっていただけませんか」
「君も見ぬ顔だな」
「私も由良司教の下に配属されていました。諏訪といいます」
教徒同士でいざこざが起きつつあったちょうどそのとき、建設現場で火の手が上がった。どうやら住民の一人が、持ってきたライターで、置いてあった木材に火をかけたらしい。
黒煙の燃え上がる光景を満足そうに見ていた横瀬は、傍らにいる晴樹と陽一に声をかけた。
「さて、目的は達した。そろそろ警察が来るだろう。その前に帰るとしよう」
「住民たちはどうなるんです?」
陽一が詰め寄った。横瀬は面倒くさそうに、
「怪我人が出ているんだ。ただでは済むまい。傷害だけではない。器物破損、放火、関わった者全て逮捕されるだろう。だが、我々ガイア教徒が逮捕されるわけにはいかない。地球を守るために、これからも他の地域で聖なる活動をせねばならんからな」
「我々が扇動したんでしょう。我々だって関係者です」
「ガイア教を甘く見るな。警察の内部中枢にもガイア教徒はたくさんいるんだ。いかようにも操作できる」
「そんなこと・・・」
陽一は唖然とした。それでも言い返さずにはいられなかった。
「ガイア教は地球のためを考えることはもちろんですが、その地球上で暮らす人々のために、何ができるかを考えることも大切です。人々に正しい道を示してやるのがガイア教の意義のはずです。人を被害者や加害者にして何の解決になるんです」
横瀬は見下すような視線で陽一に向き直った。
「高坂君といったか。君は何もわかっちゃいない。地球は我々にとって神聖不可侵な神である。神を冒涜する者を罰するのに、何の遠慮がいるのか。怪我を負わすくらいでは足りないくらいだ。本来なら死をもってその罪を償わせなければならないくらいだ」
陽一は納得できないと何度も首を横に振った。
「晴樹。黙ってないで君も何か言ってくれ」
陽一は親友に発言を求めた。
晴樹は無表情のまま、しばらく何か考えている風だったが、やがて重い口を開いた。
「いや。横瀬司教の言うとおりかもしれん。自然を破壊する者は、罰としてその身に鉄槌を受けるべきだ。放射能汚染処理施設ができれば、環境汚染によりここの近辺の植物、動物の多くが死滅するだろう。人間のエゴで他の多くの種族の生命を脅かすべきではない。陽一、お前だってわかるだろう。やりたい放題の人間は少しは思い知ったほうがいいんだ」
「晴樹・・・」
陽一は呆然とした。
「君の友達のほうが余程話がわかるようだな」
横瀬がうっすらと笑みを浮かべた。
「だが、こんなやり方は明らかに間違ってる」
陽一は一人で、住民の暴走を止めようとでも思ったのか、彼らのいる方向へ向かって駆け出そうとした。
「わからない奴だな。あまり迷惑をかけるもんじゃないぞ」
横瀬は、元軍人らしく、俊敏な動きで陽一の背後に近づくと彼の首筋を平手で打った。
一瞬、激痛を感じた陽一はその場に倒れこみ、そのまま気を失ってしまった。
7
父に出席すると約束した新薬開発記念パーティーに晴樹は出席した。
父は息子にただ出るだけでいいと言ったが、そのとおりだった。イベントは予定通り午後から始まり、段取りは会社が全て取りしきり、晴樹は全員に名前を紹介されただけで、他にやることはなかった。
与えられた席を離れ、隅のほうに立ちワインをちびちび口にしていた。ほかの客は楽しそうに談笑していたが、晴樹はつまらなそうにしていた。こういう会合は、晴樹は好きではない。
出席者の人間観察をしていると、政治家の顔も何人か見えた。あらためて父の影響力の強さを知った気がした。
「諏訪晴樹君ですね」
突然横から声をかけられた。
暗い緑の法衣を着、立派な黒髭をたくわえた人物がそこにはいた。見間違えようもない。小山田志郎。ガイア教の救世主である。彼の両脇には二人の人物が控えていた。一人は見た顔だ。つい先日、放射能汚染処理施設建設現場で初めて会った横瀬司教。もう一人は知らなかった。白髪、白髭で眼鏡をかけた老境の域に達した人物である。
なぜ彼らがこの会合にいるのか、晴樹はわけがわからず面食らった。
「少し驚かれたようだね。我々がここに来ることは急遽決まったことなんだ。実は君の御父君からガイア教に莫大な献金があってね。諏訪製薬も企業として環境保護に力を尽くしたいということだった。ガイア教に対して、金銭面で全面的なバックアップを約束して下さったのだ。そういう高邁な姿勢に我々も感銘を受け、こうして参上させていただいた次第だ。君は最近ガイア教に入信したそうだが、君とはこれからも仲良くしたいものだ」
救世主に握手を求められたので、晴樹はそれに応じた。
横瀬が先日の態度とはうって変わって、愛想笑いを浮かべながら言った。
「いやあ、君が諏訪製薬の御曹司だとは知らなかった。前もって言っておいてもらえば、遇し方も変わっていたのだよ。これからもよろしく頼むよ」
救世主よりも強い握力で横瀬は握手をしてきた。
死を目前にして、息子に何かを残してやりたいと父が言っていたことは、こういうことだったのか。
晴樹は何も発言できず、ただ薄く笑みを返すことしかできなかった。
救世主と横瀬は終始機嫌がよく、見知っている政治家を見つけ、会釈をして晴樹から離れた。
ただ一人、晴樹のもとに残った老人が、そんな二人を見てにやりとした。
「人と金を集めるのが得意なのは相変わらずだ。まあ、そうであるからこそ救世主は一代にして教団をこれほど巨大に築き上げることができたんだが」
幾分とげのある言い方に晴樹が怪訝な表情を浮かべると、
「いや、失敬。老人の言う皮肉と聞き流してくれ。金がなければ、砂漠に木一本さえ植えることができない。諏訪製薬の献金は非常にありがたい」
老人の顔はよく見るとかなり日に焼けている。
「つい一昨日、アフリカから日本に帰ってきてね。いきなりこのパーティーに出ろと救世主に言われたもんだから。老人をこき使わんでもらいたいもんだ」
晴樹には一人思い当たる人物がいた。由良から聞いていたあの人だろうか。
「失礼ですが、真田大司教・・・」
「ああ」
老人は大きく頷いた。
「君のことは由良君から電話で聞いている。よろしく頼むと言われたんだが、大富豪の御曹司だとは知らなかった」
「黙っていましたから。そういうのとは切り離したところでガイア教徒になりたかったんです」
その答えに、真田は晴樹の心情に複雑にわだかまるものを感じたらしい。
髭をいじりながら真田は質問した。
「諏訪君。君は何のためにガイア教に入ったのかね?」
「何のために・・・」
「そう。君のように恵まれた御曹司がまた何でガイア教に興味を持ったのかと思ってね」
晴樹はしばらく考え、
「確たる理由は自分でもわかりません。自分の現在の境遇がいやで逃げ出したかっただけかもしれません」
「逃げ出す?」
「ええ。もしかしたら今までと違う人生というか、生き方が見つかるかもしれないと思ったんです。何のためと言われれば、そういうものを探すためでしょうか」
「ほう。もし私が君と同じ境遇だったら、逃げ出すどころか、金持ちの身分を楽しんでいるところだが・・・。少し興味があるのだが、君のように生まれながらに、すべてを手にしてしまっている、言い換えれば、裕福な生活を保障されている人間は、将来何かを成し得たいという欲望はあるのかね。夢といったほうがいいだろうか」
「夢・・・ですか」
「ああ」
「夢などありません。この世界に夢など描いてそれが何になるというのでしょうか。世界では否応もない現実が毎日怒涛のように押し寄せてきます。人は皆、沈んで溺死しないように必死で毎日をもがいて生きている。夢など無意味ですよ」
「・・・」
「ガイア教徒になりはしましたが、僕は今生きていていい人間なのか、それさえも自分自身でわからないのです。そもそも人類自体が地球にとって生きていていい存在なのか。甚だ疑問です」
「そうか。君もそっち側の人間か」
ガイア教内部にも派閥があり、最近は地球に害を及ぼす人類を否定する考えを持つ教徒が若者を中心に増えているという。
真田大司教はその考えとは相容れない思想を持っているようだった。晴樹と会話をして明らかに失望の色が見えた。
「いや、時間を取ってすまなかった。ガイア教が君に、いい意味で新しい人生を与えることを切に願っているよ」
そう言って真田はその場から立ち去った。
パーティーには華やかに着飾った女性たちも多く出席していた。
晴樹には特定の女性はいなかった。彼は人を愛することがなかったし、人と深い付き合いをすることを面倒ととらえる人間だった。金につられて、女のほうから寄ってくることが今までの人生でたびたびあったが、女たちの目的ははっきりしているので、それを全て拒んだ。
この日も同じように、一人の女性が晴樹を見つけ、近寄ってきた。
「パーティーって、私、あんまり得意じゃないんです」
晴樹より三、四歳若いだろうか、そうなにげなく話しかけてきた。
晴樹は警戒したが、彼女の様子を伺うと本当に居場所がなくて、話し相手が欲しかっただけのようにも見えた。
幾分酔っているのか、まるで友達のような態度で晴樹に接してくる。初対面の人間に対し、彼氏と最近別れただとか、そういうことまで話してきた。
「諏訪さんはいい人いらっしゃるんですか。もしいるとしたら、その人が羨ましい。お金には不自由しないでしょうから」
晴樹はだんだん腹が立ってきた。彼女一人に対してではない。
どうして人はこうも金に吸い寄せられてくるのだろう。ガイア教の幹部の連中もそうだ。
宗教に身を置く人間でさえ、金には弱いのか。
父もそうだ。息子の立場が有利になるように教団に献金した。今まで家族を顧みなかったその罪を、金の力で償おうとしている。
そして自分だ。今の境遇から抜け出したいくせに、それもできずにいる。自分の力で得たわけでもない金に、人生を庇護されている。
酔いもあり、腹立ちまぎれにふざけてやろうという気持ちが彼に生じた。
「いい人なんか、いませんよ。そんなに羨ましいなら、君が俺の女になればいい」
「えっ」
彼女は明らかに驚いている風だった。
「こんな退屈なパーティーにいつまでもいることはない」
晴樹は女の手からグラスを取って、テーブルに置いた。
「どこか、行きたい場所はある?」
「え、いや」
「じゃあ俺の部屋へいこう」
そのまま強引に女の手を握って、自分の高級マンションへ連れて行こうとする。
「ちょっと。困ります」
彼は女の言葉を無視したまま、ポケットから携帯電話を取り出すと、専属の運転手でもある河井に電話した。
会場の外に出て待っていると黒のセダン型の高級電気自動車が二人の前に止まるのに、さして時間はかからなかった。
「すまないな。俺の部屋まで頼む」
河井は驚いていた。晴樹が女連れで車に乗ることなどはじめてだからだ。その様子を晴樹も察したのだろう、
「どうした」とせかした。
「・・・わかりました」
女を半ば強引に車の後部座席に押し込み、晴樹もその隣に乗り込んだ。
しばらく車を走らせていると、
「本当に困ります」
女が不安な顔で言う。
「俺の女になりたいんじゃなかったのか」
「あなたって、最低ですね」
晴樹は急に笑い出した。全部面倒臭くなった。
「今までのは全て冗談だよ」
「えっ」
「彼女を自宅まで送ってやってくれ。俺はここで降りる」
運転席の河井にそう告げた。
「・・・わかりました。ぼっちゃんは?」
「ここからなら、ちょうど駅も近いし、電車で帰るよ」
止まった車から降り、ドアを閉じる前に晴樹は女に言った。
「からかって悪かったな」
すでに日は落ちかけ、空も暗くなり始めていた。
去っていく車を見送って、彼は自嘲気味に呟いた。
「何をやってるんだ、俺は・・・」
そうはき捨てると、スーツのポケットに両手をつっこんで、もやのかかったような心の状態のまま、街灯が点ったばかりの歩道を歩き、人ごみにまぎれこんだ。
8
駅前の駐輪場の脇にスペースがある。歩道の端で人もよく通るし、いい場所だった。その前面の車道は、比較的広くひらけていて、ひっきりなしに車が通っている。
この場所に天川見可子は約束の午後五時より十分ほど前にやってきた。
「こんにちは、沖田さん。どう?今日は飼い主見つかった?」
「ああ、見可ちゃん、こんにちは。今日は一人も・・・。でも、いくらか募金してくれた人はいたわよ」
交代の時間の五時になり、主婦の沖田さんは、動物用のケージの中の子猫たちを、名残惜しそうに指先でやさしくなでてから、
「じゃ、見可ちゃん、あとはよろしくね」
と言って、猫たちと見可子に向かって笑顔を送ってから、駅へと向かっていった。沖田さんには二人の小学生のお子さんがいる。これから食事の支度をするのだろう。
見可子は今まで沖田さんが座っていた椅子に腰掛け、ケージの中をのぞきこんだ。四匹の子猫がうずくまっていた。
ボードが立てかけられており、捨て猫たちを助けてください、というフレーズが遠目でもわかるように大きく書かれている。
見可子は、この子達の飼い主になってくれる人を見つけに、任された時間以外にも暇を見つけてはこの場所に来る。最近は捨て猫が増え、去勢や避妊の手術がなされていないため、子猫も増えてしまう。結局、その子猫たちも、害獣扱いされて、処分される悲惨な運命をたどることになる。有志の人たちが集まって、そういう猫たちを救うためのボランティア団体をつくったのだ。有志連で立ち上げたこの団体の名称は「招き猫会」という。猫は福を寄せる動物である。その猫を守っていこうというポリシーで命名された。人数は十人ちょっとで、主婦が中心だが、その中で見可子は一番若かった。
彼女は二十歳で、まだ大学生であった。周りの友達はサークルとか恋人とのデートとかで忙しくしているみたいだが、彼女はそういうことにあまり興味がなかった。
今まで、人並みに恋はしてきたし、高校時代には同級生の男性と付き合っていたこともある。だが、大学が別々になり自然消滅してしまった。
友達に半ば強引に誘われてたまに合コンに出たりすると、必ずほとんどの男性に言い寄られるので、嫌になった。それほど美人なのだが、本人はそれを鼻にかけることもせず、恋人さえもつくらない。友達は、不思議がって、彼女に「見可子は無駄な美貌を持ってるよね」と言って好意的にからかったりした。
見可子はたまたまインターネットで「招き猫会」のことを知り、すぐに興味を持って入会した。他の会員たちも驚くほど彼女は活動に熱心で、バイトで得たお金を、自分の生活を切り詰めてまで、捨て猫たちの去勢手術の費用などに使っていた。
捨て猫たちの数は減ることがない。飼ってくれる人が見つかっても、また新たな捨て猫があらわれ、その猫の世話をしてくれる人を探す。まさにいたちごっこで、きりのない作業だった。そのため、募金もして、野良猫の虚勢手術の資金にあてていた。
事情を知らない人は、去勢をするなど猫にとってみればかわいそうなことだと非難するかもしれないが、現実問題として、生まれてしまった子猫たちは、幸せになることはまずない。飢え、病気、事故による死。それから世の中には動物好きな人ばかりではない。動物を毛嫌いする人はたくさんいる。保健所での安楽死。そういう不幸な命をちょっとでも減少させたい。それが「招き猫会」の願いだった。
メンバーは交代で街に出る。今日、見可子に割り当てられた時間は、ちょうど会社や学校帰りの人たちが多く通る時間帯だった。
彼女と子猫たちの前を無関心な人波が通り過ぎていく。中にはちらっと目を向ける人もいるが、立ち止まる人はいなかった。
三十分位たってから、二人の女子高生が猫のケージの前で止まった。
「ねえ、かわいくない?」
「かわいい」
二人は笑いながら、熱心に子猫を覗き込んでいる。
見可子は微笑みながら、声をかけてみた。
「猫ちゃん、好きなの?」
「うん。うちでも飼ってるし。ね、抱いてもいい?」
「もちろん。いいよ」
ケージの扉を開けて、子猫を一匹づつ優しく抱きかかえて、二人に渡してやった。
二人はしきりにかわいいと言って、しばらく子猫を離さなかった。
最近は、猫をぬいぐるみ代わりに飼って、結局面倒を見切れなくなり、捨ててしまうケースも多い。大切な命を最後まで面倒を見るという覚悟と環境がないと動物を飼育するというのは難しい。
飼いたいという意思はあっても、それだけでは大切な命は預けられない。子猫に興味を持って接してくる人たちに見可子をはじめ「招き猫会」は必ずその部分は念を押し、本当に買える現状にあるのか、確認を怠らなかった。
結局、二人とも飼うことはできないとのことだったが、いくらかの募金をしてくれた。
こういう心ある人がいると見可子は本当にありがたい気持ちになる。
「飼い主が早くみつかるといいね」
ケージの中に戻った子猫を見ながら、そう言って二人は去っていった。
(いい子達だったね。仲良くなれそうだったのにね)
見可子は心の中で子猫たちと会話をした。
街灯が点り始めた頃、今までおとなしかった猫たちが急に騒ぎ始めた。
(えっ、誰か来るの?怖がってる・・・)
それから何分も経たなかっただろう、四十代後半の恰幅のいい女性が、見可子の前で立ち止まった。
はじめからきつい口調だった。
「許可とってんの?」
「はい?」
「こんなところで、こんなことして通行の邪魔じゃないか。みんなの迷惑になってるのがわかんないわけ?」
「いや、みなさんの邪魔にならないようにこうして歩道の脇のスペースを借りてるんです。それに、ここの駅の駅長さんにも了承はいただいています」
「わかんない子だね。そういう問題じゃなくて、こういう公共の道路で捨て猫なんか置いといたら、悪臭を放つだろ。それが迷惑だっていってんだよ」
この女性の口の汚さに、見可子は嫌悪感を覚えた。苦情を言う人は必ずいる。猫など害獣にしか過ぎないと思っている人は世の中に多い。そういう人にはこちらが何を言っても、通じない。もう最初から怒っているから、どうしようもないのだ。しかし、反論せずにはいられなかった。
「でも、この子達に興味を持って、かわいがってくれる人もたくさんいるんです」
「口答えする気か。いいからどかせばいいんだよ」
女性は興奮し出して、子猫たちの入っているケージを手でつかみ、揺らし始めた。
ただならぬ雰囲気に、通行人は目を向けるが、足を止めず、誰も仲介に入るような人はいない。
女性は力任せにケージをどかそうとした。一度宙に持ち上げてから、勢いよく路上にたたきつけた。その反動で、ケージの扉が開いてしまった。先ほど、女子高生たちに子猫を抱かせたときに、扉を開いたが、ロックが甘かったことようだった。子猫たちはびっくりして、ケージ内をくるくる走りまわっている。見可子は慌てて扉を閉めようとしたが、間に合わずにその中の黒い一匹が、開いていた扉からとび出してしまった。
子猫が車道に向かって走っていく。そこへ車が来た。見可子は悲鳴をあげそうになった。小さな命が車に轢かれそうになったその刹那、歩道から一人の若者がとび出して、子猫を両手で捕まえて車道に倒れこんだ。急ブレーキの高音が耳をつんざく。若者は自分の身を投げ出して子猫をかばったのだ。
「馬鹿野郎!死にてえのか」
サイドガラスを全部下ろして、年配の男性ドライバーが怒鳴った。急いでいるのか一言怒鳴ってから、すぐにハンドルを切って車を出した。
若者は無事だった。
何事もなかったように無表情のまま立ち上がって、子猫を腕の中に抱えたまま、憎しみを込めた視線を去っていく車に向けた。
見可子がびっくりして、走りよってきた。
「大丈夫ですか?」
後ろから声をかけると、若者は態度を和らげ、振り向いて微笑した。
「無事ですよ。ほら」
子猫を見可子に渡す。子猫は見可子の腕に戻って、もぞもぞと動いた。
「よかった。本当にありがとうございます。でも、あなたのほうは?」
若者は微笑を消した。
「俺なんか別にどうでもいいんです。自分の命なんか惜しいとも思ってませんから」
そう言って、スーツについた汚れを払い、さっさと去っていこうとする。
見可子は、彼の言葉の意味がわからなかったが、
「あ、あの、ちょっと待ってください。お礼をさせてください」
と、引きとめようとした。若者はちらっと視線を戻して、無言のまま軽く一礼した。おかまいなくと言っている動作だった。
「お名前も聞いてないのに」
見可子がねばってみると、若者は、
「諏訪といいます」
と、ぼそっとつぶやいて、スーツのポケットに手を突っ込んで、そのまま去っていった。
ちょっとした騒ぎにさすがに人だかりができていた。その原因の張本人である中年の女性は、まだ何か言いたそうだった。しかし、人が大怪我をしたかもしれない事態を引き起こしてしまったことに、ばつの悪さを感じていたのも事実である。
警察沙汰にでもなると厄介だと思ったのだろうか、ひとつ大きく息をつくと、逃げるようにその場から立ち去っていった。
その日、完全に日が落ちてから、見可子は沖田さんの家に猫を戻しに行った。飼い主が見つかるまで、こうして「招き猫会」のリーダー、沖田さんが一時的に猫たちの面倒を見ているのだ。この家は事務所兼自宅となっている。見可子は沖田さんに今日ひどい女性がやってきたことを告げた。そうすると沖田さんは、ああ、その人ね、とよく知っているように相槌を打った。その女性はたまにやってきて、文句を言っていくらしい。どうやら、家の庭にふんをされたり、夜中鳴き声で寝られなかったり、猫には実害を被っているらしい。
「また顔を見せるかもしれないから、そのときはすぐわたしに電話して。最近は無意味に動物を虐待する人も増えてるし。猫が大嫌いな人もいるから、困ったものよね」
沖田さんはそう言って溜息をついた。
だが、正直、見可子はその女性のことより、もっと気になる人に会ったので、心の中はその人のことでいっぱいだった。女性のおかげで嫌な思いをしたのは確かだが、救われた気持ちのほうが大きかった。
自分の身さえいとわずに、子猫を助けてくれた青年。大切な命とはいえ、たかが子猫のために自分の命を投げ出すことができるだろうか。見可子は今まで、そんな人間に会ったことはなかった。確か諏訪と名乗っていた。
そのことも話すと、
「見可ちゃんが、あんまり若くてかわいいから、きっと、子猫を助けてくれたのよ。もし路上にいたのが私みたいなおばさんだったら、そんな人あらわれなかったでしょうね」
と、沖田さんはからかい気味に言った。
「そんなことないですよ」
実際、彼は無表情であったし、見可子の容姿になど全く興味を示していないようだった。
だが、子猫の無事を喜んで微笑したときの彼の顔は、本当に心からの感情がそのまま出ていたように実感できた。彼のあの嬉しそうな表情は鮮烈に脳裏に焼きついていた。
あの駅前にいれば、また会えるかもしれない。そのときはちゃんとお礼をしなければ。
見可子の胸に小さな希望が生まれた。それはまるでろうそくの炎のように小さく点ったあかりだったが、やがてふつふつとあたたかなぬくもりを発し始めていた。
9
深夜になると、アスファルトから熱はすべて放出され、冷気が辺り一面を覆いつくしている。静寂に包まれた住宅地で、突然獣の悲鳴が聞こえた。
久能涼兵は、二十七歳の若者である。神経質そうであり、大胆そうでもある複雑な鋭い眼差しを有している。小さなレンズのふちなし眼鏡をかけているので、余計そういう印象を与えるのかもしれない。
彼の楽しみは、動物虐待だった。
子供の頃からボーガンを操るのが好きで、腕は一流になった。飛んでいる鳥を落として、楽しんだりした。鳥だけでは飽き足らず、野良犬や野良猫まで、ボーガンで撃つようになった。
生物の生殺与奪を自分が握っている。そう思うことは、久能にとって何よりの快感となった。他人に顧みられることのなかった孤独な少年は、自分の力を誇ることができる機会を望んでいた。生物の生死を思い通りにすることは。絶対的な権力者になったようで気分がよかった。
少年時代、引っ込み思案だった彼は、学校でいじめられた。クラス中からばい菌扱いされ、しゃべると病気になるとまで言われ、みんなに無視された。いじめを先生でさえ、見て見ぬふりをした。やがて不登校になり、彼は学校への復讐を企てた。夜中に学校に忍び込み、生徒が飼育していたウサギを全部殺してやった。
復讐を果たすことの悦楽を知った久能は、通信教育で大学卒業の資格を得、彼は社会に復讐するために迷わずヤクザの世界に入った。頭の良さでは他人の追随を許さず、やがて組の経理の一切を任された。拳銃やクスリの密輸を担当し莫大な利益を出すなど、出世するためには手段を選ばなかったため、この年齢で組の若頭を務めている。異例の出世である。
彼の趣味は一貫して変わらなかった。拳銃が手に入るようになった現在も彼はボーガンを持って、夜、外出する。最新の折りたたみ式の携帯ボーガンである。かなり小型だが殺傷能力は十分にある。
住宅地で一匹の野良猫をそのボーガンの餌食にした後、次の獲物を求めて徘徊していると繁華街に出た。
狭い路地を歩いていると、前方に十代くらいの三人の不良があぐらをかいて座っている。
久能はかまわず前進する。
案の定、三人の男はそれに気付き、行く手を遮った。
外見上、久能は華奢で、顔立ちもいかつくなく、むしろ端正で、とてもヤクザには見えない。眼鏡をかけているので銀行員とでも思ったのだろう、不良たちは親父狩りのいいターゲットが来たとほくそえんだ。
「おっさん。この道を通りたいなら、通行料がいるぜ」
一番体格のいい男が脅してきた。
「いくらだ」
「あんたの有り金全部だよ」
その男が久能の襟首を締め上げようとする。
久能は無表情のまま、折りたたまれた携帯用ボーガンを懐から取り出し、ワンタッチで射出用にセッティングすると、俊敏な動作で矢をつがえた。そしていきなり放った。
矢は男の首に突き刺さった。男が絶命して倒れたとき、久能はすぐさま次の矢をつがえ、隣にいた男にも放つ。矢は心臓部に命中し、その男は二、三歩交代しながらそのまま後ろに倒れこんだ。
もう一人は悲鳴を発し、一目散に逃げ出した。久能は三本目の矢をかまえ、背中を狙った。
風をきって放たれた矢は狙った部分に吸い込まれていった。男は短いうめき声を発した後、前のめりに倒れて二度と立ち上がることはなかった。
久能は自分の行動に興奮していた。人間を殺すほうが、動物を殺すよりも何倍も興奮することを知った。その興奮はどこから来るのか。
そして、それは自分に正義があるからだと確信した。自分は神に代わって、世の中のごみを片付けてあげたのだ・・・。
場所が路地裏であり、時間が真夜中であったため、幸い、近辺に他人はいなかった。殺人の目撃者はいない。死体から矢を抜き取り、久能はそのまま自宅マンションに戻った。
パソコンを立ち上げ、なにげなくニュース記事を見ると、ガイア教の話題が出ていた。
救世主は、人間の悪行を非難し、人類が生まれ変わらなければならないと説いているが、その裏で自分は世界中の信者たちに金を寄付させ、暴利をむさぼっている。また、軍隊経験者を優遇し、教団独自の軍隊をつくろうとしているのではないか、というスクープ記事だった。
人間が生きること自体が地球にとって害なのだ。
その救世主の考えは、久能の好奇心を刺激した。
「ガイア教か。面白そうだな」
久能は自分の野心を果たすためには利用できるものは全て利用しようと思っていた。
「こんな醜い社会など、存在する必要はない。生きることほど苦しいことはない。人類はみな生きることに辟易している。それならばその苦しみから人類を救うのだ。人類をその生命の呪縛から一人でも多く解き放ってやるのだ」
彼はガイア教に入信することを決意した。




