3月27日
深夜の王宮。ユーリが別の女──いや、母の寝所へ向かったのを見届けた後、私は自室の隠し戸棚から古い羊皮紙を取り出した。
それは王宮の精巧な見取り図と、王族にのみ口伝される「結界の指輪」の設計図だ。
私は羽ペンを手に取り、皇帝への密書を書き綴る。
『皇帝閣下。四月一日、貴方の龍騎兵が王宮の中庭に降り立った瞬間、私はこの指輪の力を解放します』
指輪の力。それは、王宮全体を覆い尽くす絶対の物理結界。
一度発動すれば、内側からも外側からも、何者も通り抜けることはできない。魔力が尽きるまで、あるいは術者が命を落とすまで、その檻は決して開かない。
『ユーリや母、そして国を食い物にした悪徳貴族たちは全員、私の手引きで王宮の広間に集めておきます。結界が張られれば、ネズミ一匹逃げ出すことは不可能です』
そこまで書き、私は少しだけペンを止めた。
結界の中には、当然、私自身も取り残される。怒り狂ったユーリや兵士たちに惨殺されるか、あるいは結界を維持するために魔力と生命力を吸い尽くされて死ぬか。
どちらにせよ、私の命は四月一日の夜明けとともに終わる。
だが、それでいい。この汚れた血も、父を守れなかった無力な体も、すべてあの日の母の部屋で捨てたのだ。
『逃げ場のない檻の中で、彼らを心ゆくまで蹂躙してください。一歩も外へは逃がしません。死ぬ時は、全員一緒です』
淡々と事実だけを記し、私は冷たい指輪をそっと撫でた。
これでいい。私の復讐の舞台は、完璧に整った。
◇ ◇ ◇
一方その頃。はるか上空、分厚い雲海を裂いて進む巨大な旗艦の執務室。
帝国の若き皇帝ガリウスは、先触れの鳥が運んできたサラからの密書を読み、低く喉を鳴らした。
「……死ぬ時は全員一緒、か」
羊皮紙に描かれた緻密な結界の構造図。
それは明らかに、術者自身の命を代償にする自爆装置だった。
ガリウスの黄金の瞳に、暗く重い炎が揺らめく。
十年。
ただ文字だけのやり取りで、この女の底なしの絶望と、氷のような狂気を誰よりも理解してきたつもりだった。
だが、まさか自分ごとすべてを檻に閉じ込め、燃え尽きるつもりだったとは。
「ふざけるな」
ガリウスは密書を握り潰し、獰猛に牙を剥いた。
ただの駒なら、勝手に死なせておけばいい。
自ら囮となり、敵の首魁を檻に閉じ込めてくれるというのだ。侵略者としてはこれ以上ない好条件だろう。
だが、ガリウスの胸の奥で荒れ狂うこの感情は、損得などという生ぬるいものではなかった。
「俺の獲物を、くだらん復讐の道連れにさせるものか」
十年越しの執着。顔も知らぬまま、誰よりも魂の深い部分で繋がり合った共犯者。
彼女の冷たい絶望を叩き割り、その瞳に自分だけを映させたいという、どす黒い独占欲。
「いいだろう、女王。お前がその気なら、俺にも考えがある」
ガリウスは立ち上がり、窓の外に広がる夜の雲海を見下ろした。
「お前を閉じ込めるのは、そんな安っぽい指輪ではない。この俺だ。四月一日、お前のその狂った自己犠牲ごと、俺がすべて喰らってやる」
絶対の死を覚悟する冷酷な女王と、彼女のすべてを奪い取ろうと牙を研ぐ傲慢な皇帝。
決行まで、あと五日。
二人の思惑が交差したまま、運命の日は刻一刻と近づいていた。










