20 フィップス侯爵家のお茶会
「ノーラ、今日ふたりで出掛けないか」
朝食の席で、オスカー様から思いがけないお誘いを受けた。出掛けるって、どうして?
「えっ、どうしてですか?」
思ったことがそのまま口に出てしまった。まずい、もうちょっとオブラートに包むべきだったかしら。
「どうしてって……その、まだ王都へ来てからどこにも行っていないだろう? だから街を案内しようかと」
「まあ! そうでしたの。ご親切にありがとうございます」
「なんだか他人行儀だな……」
そう言われましても、距離感がよくわからないのよね。お飾りの妻があまり馴れ馴れしいのもどうかと思うし。なぜか、オスカー様は寂しそうな顔をしている。
「オスカー、ごめんなさいね。今日はフィップス侯爵家のお茶会にノーラちゃんも招かれているの」
「あのお茶会は、今日だったのか! よりによって俺の休みの日に被るなんて…」
「あら、あなたそんなにデートに行きたかったの?」
「デート!? お義母様、そんなんじゃなくて、旦那様は田舎者の私を観光に連れて行ってくださるだけですわ。そうですよね?」
お飾りの妻がデートだなんて、厚かましいにも程があるでしょ。ちゃんと訂正しておかないと、オスカー様が気を悪くされるわ。
「デートじゃ駄目なのか」
「えぇ!?」
この人、何を言ってるんですかーー!? また変なことを言い出したわ! 最近どうしちゃったの? ちゃんとデートじゃないって訂正したのに、逆にムスッと不貞腐れたような顔になっちゃったわ。
「あなたがそんな怖い顔で言うから、ノーラちゃんも困惑するのよ。ちゃんと『デートしよう』って言えばいいのに」
「う、すまん。今日は諦める。今度の休みに街でデートしないか」
「え、あ、その、はい」
そうか! きっと、お義母様の前だけでも仲良し夫婦を演じたいんだわ。うん、それなら納得。返事がちょっと挙動不審になってしまったけれど、バレていないわよね?
「約束だぞ」
オスカー様はそう言うと、少しホッとしたような顔をされた。
◇◇◇◇
「ジュリア、久しぶりね! お元気そうでよかったわ」
「ヘレンも! 今日は会えるのを楽しみにしていたのよ」
フィップス侯爵家のお邸に入ると、お義母様とヘレン・フィップス侯爵夫人が手を取り合って再会を喜んだ。領地にいると、なかなかご友人にも会えないわよね。こんなに仲のいい友人がいるお義母様がちょっと羨ましいわ。
「こちらがあなたのお家のお嫁さんね?」
「ええ、オスカーのお嫁さんで、ノーラさんよ」
「はじめまして、ノーラと申します。本日はお招きくださって、ありがとうございます」
「まあまあ、よくいらしてくれたわ。こちらへどうぞ。今日はアスター伯爵夫人とお嬢さんもお招きしているのよ」
「まあ、本当に? 嬉しいわ」
フィップス侯爵夫人と一緒に、中庭へと案内された。さすがは侯爵家、ここのお庭もよく手入れがされていて、季節の花が咲き誇っている。
お義母様達のおしゃべりを聞きながら色とりどりの花を楽しんでいると、まもなくガゼボへとたどり着いた。
「ラングフォード家のおふたりがいらっしゃったわ」
「まあ、ジュリア! お久しぶりね」
「グレース! 本当にお久しぶり!」
お義母様が、アスター伯爵夫人とも親しそうに手を取り合った。この方もお若い頃からのご友人なのかもしれないな。
「ジュリアったら、なかなか社交にも出てこないんだもの」
「そうね、領地にいることが多いものだから。王都の社交はもっぱらオスカーに任せているわ」
社交は何かとお金がかかる。ドレスも毎回同じというわけにはいかないものね。お義母様は節約も兼ねて、オスカー様に社交を任せているのかも……
「あなたにも紹介するわね。この子がオスカーのお嫁さんでノーラさんよ」
「はじめまして、アスター伯爵夫人。ノーラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、お会いできて嬉しいわ。こちらはうちの娘のレイチェルよ」
「はじめまして。あなたが……そう」
アスター伯爵令嬢は私と同年代の若い女性で、流行のドレスを着ていた。だけど、なんかちょっと睨まれてる? あまり友好的には見えないわね。
「もう、レイチェルったら。ノーラ様、はじめまして。私はフィップス侯爵家の娘でシェイラと申します。オスカー様とは子どもの頃に遊んでもらいましたの」
「あら、そうなのですね。レイチェル様、シェイラ様、どうぞよろしくお願いいたします」
シェイラ様も同年代で、どうやらレイチェル様とは親しい友人同士という感じ。不機嫌そうなレイチェル様をたしなめている。
フィップス侯爵夫人に促され、それぞれ席に着いた。中庭のガゼボは、爽やかな風が吹いて心地よい。私達が落ち着いたのを見計らって、お茶が給仕された。
「改めて、ご結婚おめでとう。こんなかわいらしいお嫁さんが来てくれてよかったわね」
「いつの間にか結婚していたんだもの、びっくりしたわ。でもおめでたいわね」
「ええ、ありがとう。身内だけでささやかな式にしたから……」
お義母様はにっこり微笑みながらお礼を言った。そうよねぇ、邸の礼拝室で結婚式を済ませたから、誰も招いていないものね。
「本当にいいお嫁さんが来てくれたと思っているの。気立てはいいし、素直で優しいし、働き者だし、こんなにかわいいのに面白くて、それに私とも仲良くしてくれて――」
「お、お義母様、やめてください」
「あら、ウフフ。上手くいっているのね」
フィップス侯爵夫人とアスター伯爵夫人は、微笑ましそうに私達を眺めた。
――が、それとは正反対の鋭い視線が突き刺さる。レイチェル様だ。え、やだ怖いわ。
「レイチェル、ちょっと落ち着きなさいよ」
「いいえ、今日はちゃんと見極めなきゃ。オスカー様のお嫁さんがどんな人なのかをね!」
おっと。もしかしたらこの子……オスカー様が好きなのかしら。それで突然現れて結婚してしまった私を恨んでいるとか? だったら、最初からレイチェル様と結婚したほうがよかったんじゃ……だって家柄も熱量もどう見ても上だし。
「ふたりとも、小さい頃はよくうちのオスカーのうしろをついて回っていたわね」
「ええ、オスカー様は面倒見がよくて――」
にこやかに話すシェイラ様の話をぶった斬り、レイチェル様が私の方を向いて勢いよく話し出した。
「ノーラ様はクラヴェル子爵家のご出身でしたわね。なぜ子爵家に侯爵家とのご縁が?」
「レイチェル! なにを言っているの!」
「だってお母様、あのオスカー様ですよ? 他にいくらでも高位貴族から選べた――」
「家からお願いしてお嫁に来てもらったのよ」
レイチェル様が最後まで言い終わらないうちに、お義母様が遮るように答えた。えーっと、まあ、こういう事態は予想していたから平気なんですけどね。お義母様の微笑みに、妙な迫力がある。
「クラヴェル家の炭酸水事業に、うちのレモンを使ってもらっているの。それが縁で結婚も決まったのよ」
「そうですか……」
レイチェル様は、悔しそうに下唇を噛んだ。やっぱり、好きな人がこんな地味子と結婚したら納得できないよね。
「そうそう! 今日は皆さんに感想を聞かせてもらいたいと思って、色々と持って来たのよ」
「まあ、なにかしら?」
「うちの領地で作った新商品なの。まだ世に出回っていないから、楽しみにしててちょうだい」
「素敵ね! どんなものなの?」
お義母様は空気を変えるようにパチンと手を打ち、明るい声で話題を変えた。そうよ、今日の本題はこれなのよ。きちんと紹介しなくちゃ!
「私から説明させていただきます。こちらは、ラングフォード領特産のレモンとオレンジを使ったお菓子です。チョコレートでコーティングしたものと、お砂糖をまぶしたものがありますので、お好みでお召し上がりください」
玄関で執事に渡していたピールは、お皿にきれいに並べて出してくれた。皆さん、先ほどの騒動がなかったかのように、ピールに釘付けになっている。ご夫人方からお皿に手を伸ばした。
「まあ! なんて香りがいいのかしら」
「本当ね! ほろ苦くて大人の味よ。お茶とも合うわ」
「よかったわ。これからうちの特産品として売り出していく予定なの。美容と健康にもいいんですって」
「まあ、本当に? これは人気が出るわよ。見た目もキラキラしてきれいだし」
「よそのお茶会でも自慢できるわ。まだ世に出ていない最新のお菓子だもの」
ご夫人方には好評のようだ。では、第二弾といきますか! 執事に目配せすると、頼んでいたグラスと氷をワゴンで運んできてくれた。
「こちらは、マーマレードというオレンジの皮も使ったジャムです。パンやお菓子に合わせても美味しいのですが、今日は紅茶を使って冷たいお飲み物にしますね」
細いグラスに氷を入れ、そこにマーマレードをスプーンでぽとり。上から濃いめの紅茶を注いで混ぜるだけの簡単な飲み物だ。シェイラ様とレイチェル様がグラスを手に取った。
「ん〜、オレンジの爽やかな風味と紅茶が合うわ! 冷たくした紅茶なんて初めてよ」
「……美味しい」
「でしょう? そのマーマレードもさっきのピールも、ノーラちゃんが作ったのよ」
「「えっ!」」
「うちの領地の柑橘で、新しい商品を作ってくれたの。お料理も上手なんだから〜」
「凄い……」
そう呟いたまま、レイチェル様は何か考え込んでしまった。そこからは、ご夫人方とシェイラ様の質問タイムとなったので、私はここぞとばかりに商品の売り込みをする。なんせ前世は営業職、商品を紹介するのは大得意だ!
「こちらは、発売前ですがお土産でございます」
「まあ嬉しいわ! レモンとオレンジ、セットでいただいていいの?」
「ええ、もちろんです。このマーマレード、冬はお湯を注いで温かい飲み物にするのも美味しいんですよ」
「あら、いいわね。他にもあるの?」
「ええ、お肉を煮込むのに使ったりサラダのドレッシングに入れたり、パンや焼き菓子に混ぜ込んだり……」
「私、気に入ったわ! 予約をお願いしようかしら」
「私も! このチョコレートがかかったお菓子もお願い」
「ありがとうございまーす!」
貴族向けマーマレードの滑り出しは上々ね! きっと他のお茶会でも広めてくださるわ。
「グフッ、フフッ」
「ノーラちゃん、戻ってきて!」
「ハッ、すみません、つい」
あぶないあぶない、猫を被ってきたのに素が出ちゃうところだった。お義母様のおかげで助かったわ。今日の営業、じゃなくてお茶会は大成功なんじゃないかしら。