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銀の薬師  作者: 綾月魁夜
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来訪者

1 来訪者


 深い深い森の中。人里からまるで隠れるようにその屋敷はあった。

 石造りの屋敷は絢爛豪華からはかけ離れている。しかし、そこに住む三人の住人にとっては居心地のよい最高の空間であった。

 森の一部をぽっかりと切り取ったような庭には、色とりどりの花が植えられた花壇。さらさらと音を立ててあふれる、澄み切った泉。

 樹齢何百年という巨木の下でまどろむのは、美しい少女と立派な狼だった。美しい、と一言口にしてしまえば、なんとも陳腐なものに聞こえてしまう。その流れる滝のような銀糸の髪、月光を透かしたような白い肌。あどけない寝顔に浮かぶのは、穏やかな微笑。何か夢を見ているのか、小さな唇から声とも寝息つかぬものが零れ落ちた。

「ひぃさま、ひぃさま」

 遠くで声が聞こえる。しかし少女は目を覚まさず、代わりに狼がのそりと首を持ち上げた。

「夕凪。沙綾はまだ眠っている」

 不思議なことに、狼の口から発せられた言葉は明確な人語であった。しかも、沙綾と呼ばれた少女を起こさぬよう小さな声であったにもかかわらず、屋敷の奥にいる女には十分届いたらしい。一度女の声が途切れ、ついで歩み寄る足音が聞こえた。そして一瞬の間の後、苦笑交じりの声がささやいた。

「琳さま、お辛くはありませんか?」

 狼に敬意を払う女も珍しいが、それを当たり前に受け取る狼も珍しい。琳は人間でいったなら困ったように笑って言った。

「辛くないといえば嘘になるが……沙綾を起こすのは忍びない」

 自分の背中に体を預けて眠る少女を見る瞳は、優しい。大切に慈しむべき存在を見守るようだ。

「よくお眠りですね。ですが……そろそろ日も翳ります」

 空を見上げれば、南にあった太陽はじりじりと西に移動している。それに伴って、まだ春先の空気は次第に冷えていく。

「それもそうか。……沙綾、沙綾」

「……りん……?」

 狼にゆすられた衝撃に、沙綾はゆっくりと体を起こした。小さなあくびを一つ漏らし、大きく伸びをする。

「おはようございます、ひぃさま」

「あら……夕凪もきていたの?」

 少女は狼から女に目を移すが、その瞳はぼんやりと焦点を結ばない。それでも、夕凪のいる方を違わず見つめるのは長年の習慣ゆえか。

「いつまでたってもお庭から戻りませんもので」

 わざとらしいまでに厳しい声を作って告げれば、沙綾がごめんなさい、と首をすくめる。もちろん、二人とも本気ではないとわかっている。

「さぁさ、お茶の準備をしますからお部屋にお戻りくださいませ」

 琳と沙綾に向かって一礼すると、夕凪はゆっくりと屋敷に戻る。その背を見送ってから琳が先に立ち上がり、沙綾も軽く伸びをして立ち上がった。

「どれくらい寝ていたのかしら」

「そうだな……もうそろそろ日が傾くころだ」

「どうりで冷えるわけだわ。琳にくっついていたから、全然気づかなかったけれど」

 狼の毛皮は、昼間の光をたっぷり吸って暖かかった。それゆえ、沙綾もゆっくりと眠ることができたのであろう。もう一度沙綾はかがむと、その体をぎゅうっと抱きしめる。苦しさに軽く琳がもがき、沙綾は笑って狼を開放した。

 二人並んでゆっくり歩き、時折琳が方向を示唆するように一歩前に出る。その体にぴったりと足をつけ、慣れた道をためらいもなく少女は歩いた。

「琳、花の香りが強くなっているけど、もしかして満開になった?」

「ああ、綺麗に咲いているぞ」

 花壇の前で立ち止まった沙綾の前で、琳も鼻を突き出すように覗き込む。その眼前には、アネモネやマーガレット、スミレなど色とりどりの花が咲き乱れていた。

「せっかくだから、ばあやに摘んでいこうかしら」

 指先で花びらをたどるように触れ、花の形を判断する。彼女の瞳は光を失って久しく、色の判断をするのは琳の役目だ。

「その奥に紫、手前に赤」

 琳の言葉通りに花を手繰り、一輪ずつ丁寧に手折る。まるで見えているようだと琳は感じるが、現実に沙綾の瞳に花の色は写らない。その理由を知っているがゆえにわずかに悲しみが胸に宿る。それでも、少女が笑っていることで琳は哀しみを隠すことができた。

 やがて、沙綾の細い腕で抱えきれなくなったころ、ようやく満足したのか手を下ろす。時折銀に輝く爪先がわずかに緑に染まっていた。

「これだけあれば十分よね」

 独り言のようにつぶやき花びらに顔をうずめる。その甘い香りをたっぷり堪能してから、琳が歩き出すのと同時に沙綾も歩き出した。

「ばあや、お待たせ」

「まぁ、ひぃさま。こんなにたくさん摘んでこられたら、花壇が丸裸になっていませんか?」

「大丈夫よ、ちゃんと琳に見てもらったから」

 笑いながら相槌を求めれば、琳がもちろんとうなずく。その様子を微笑ましそうに見つめ、夕凪はくるりときびすを返した。

「早く水につけてあげましょうね。ひぃさまと琳さまは、手を洗ってからテーブルで待っていてくださいまし」

 まだまだ子供に接するような夕凪に二人は苦笑し、それでも素直に従った。




 カチャリ、とかすかな音がたつ。目の前に置かれた紅茶は、ミルクティー。蜂蜜たっぷりの夕凪特製ミルクティーは、沙綾のお気に入りだった。もちろん、添えられたクッキーも。

「琳さまには、ちゃんと蜂蜜を抜いてありますから」

 銀の器を差し出しながら夕凪が微笑む。この狼が、昔から甘いものを好まないことはよく知っていた。

「甘いほうがおいしいのに」

「もともと私は人と同じ食事をしないからな」

 もったいない、とばかりに嘆く沙綾を軽くあしらい、水しぶきも音も立てずに器用に紅茶を飲む。その横で沙綾も上品にカップを口に運ぶ。口の中で紅茶の味をたっぷり堪能し、ほっと息をついてからふと気づいた。

「ばあや、さっきの花、どこに飾ったの?」

 てっきりこのテーブルに飾られるとばかり思っていたのだが、花の香りがしない。不思議そうにきょろきょろと辺りを見回すと、夕凪が微笑を含んだ声で告げる。

「琳さまとひぃさまのお部屋と、私の部屋に飾らせていただきました。残りは応接間に」

「ちょっとたくさん摘みすぎちゃったかしら?」

「いいえ、部屋が華やかになって、とてもうれしいですよ」

 よかった、と安堵する沙綾の隣で、狼が一瞬ピクリと耳を動かす。そして音を立てずに立ち上がると窓辺に向かった。普段の琳は滅多なことで食事中に立ち上がらない。そう、沙綾の母親にしつけられていたからだ。そんな極めて珍しい行動に夕凪がまず眉をひそめる。

「琳?」

 空気が動く気配で少女も気づき、振り返る。もし、沙綾の瞳に琳の姿が映っていたならば、その珍しい表情に驚いたであろう。何かを警戒するような、けれど、どこか戸惑うようなその双眸に。

「夕凪。馬が近づいてくる。二騎……いや、三騎か」

「ひぃさまはここを動かないでくださいまし」

 琳の言葉にすばやく立ち上がり、夕凪は厳しい表情で部屋から出る。その緊張した様子に不安がこみ上げてくるのをとめられず、沙綾は琳に駆け寄った。もうどこに何があるか熟知している部屋ではあるが、視界の利かない沙綾にはわずかに走ることも危険だ。

「沙綾、走ると危ない」

 少女が抱きつくままに沙綾を受け止め、琳は諭すように言葉をつむぐ。しかし、沙綾はその言葉が聞こえないかのように、ただきつく琳を抱きしめていた。

 柔らかな銀の体毛に体をうずめながら、思い出すのはあの日の夜。光を失い、逃げるように村を出た恐怖の記憶。夕凪の暖かい手のひらだけを頼りに、真の暗闇の中を子供は足早に歩いた。

「沙綾、大丈夫だ」

 琳の優しい言葉に、びくりと体を震わせ沙綾の意識が浮上する。そして扉の外に意識を向ければ、緊張してはいるが争いの気配は一切ないと安堵した。

「大丈夫。何があっても沙綾は私が守る」

「……うん」

 ぎゅっと琳にしがみつき、沙綾は深く呼吸する。その一呼吸ごとに早まっていた鼓動は元に戻り、震えていた体も、やがて徐々におさまっていった。

 しばらくそうしてじっとしていると、扉が開く気配がする。ぱたんとすぐに閉じられてしまった扉の向こう側は、視力のいい琳でも確認することができなかった。

「ひぃさま……琳さま……」

 困ったような、泣きそうな口調で夕凪が歩み寄る。いつものかくしゃくとした足取りはなく、よろよろとくず折れるように二人の前に跪いた。その背中を優しく撫で、沙綾ははやる気持ちを抑えながらなるべくゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ばあや?どうしたの?」

「ひぃさまを、王宮へと」

「王宮?」

 普段人とのかかわりを滅多に持たない沙綾には、王宮という言葉に耳なじみがない。どこか遠く、異国のように思える。そんなところへいったいなぜ、という思いと、なぜ自分のことを知っているのかという不審がじわじわと胸に広がった。

「なぜ?」

「ひぃさまの、お力が……」

 敬愛する彼の人から預かっている、大切な子供。いつしか、自分の子供のように思っていた。己の一族の、大切な大切なその力をどこでかぎつけたのか。

 ぎりっと音がしそうなほど唇をかみ締め、夕凪はうなだれる。いつものおっとりとしたばあやのただならぬ気配に、沙綾は慌てた。なだめるようにその背を軽く撫で、一度抱きしめる。

「……話を、聞くだけ聞いてみるわ」

 硬くこわばった表情のまま夕凪につげ、沙綾は立ち上がった。琳も従うように沙綾の足に寄り添う。一人になる心細さに、愛おしい子供を送りだすことに、夕凪は泣きそうな声で琳を呼んだ。

「琳さま……」

「大丈夫だ。夕凪は落ち着くまでここにいるといい」

 歩き出した琳は立ち止まり、振り返り告げた。その力強い言葉にほっと安堵し、夕凪は目を閉じて手を組む。

「神よ……」

 どうか、あなたの愛し子に辛い試練を与えないでください。あの子は、十分に苦しみました。今もなお、苦しんでおります。どうか、どうか――

 パタン、と音が聞こえ、沙綾と琳が手の届かないところへ行ったのを、知った。




「私に御用と伺ってまいりました」

 琳を従え、沙綾は背筋を伸ばして客人に目を向ける。もちろんその姿を見ることはできないが、その気配からどのような者が訪れているのかを知った。

「あんたが、薬師の姫君か?」

 ぶっきらぼうな口調が耳に届き、彼に向き直るように体ごと向ける。琳が警戒を解かないので、緊張したまま一つ息を吸った。

「私は一介の薬師。姫などではありません。そして、すでに薬師としての生業を止めたもの。あなた方の求めるものは何もありません。今すぐお引取りください」

 ぴん、と筋の通った紐のような、けれどすぐに切れてしまいそうな危うい響きをもったまま、沙綾はぐるりと部屋を見回す。声は一つしか聞こえていないが、気配は三つ。どれも研ぎ澄まされた刃のような鋭い気配だ。たぶん、武器をたしなむものたちなのであろう。

「申し訳ありませんが、そのお言葉は聴けません。我々には重大な使命があります。あなたが断ろうとも、どうしても王宮に連れて行かなければならないのです」

 先ほどの声よりも幾分やわらかい。それでも、どこか上から命令するような響きは隠せない。その口調にほんのわずかに眉をしかめ、沙綾は声のほうに視線を投げる。胸を張り、小柄な少女だと侮られないように毅然とした口調で告げた。

「残念ですが、私に権力はききません。私はこの国の住民であって、国民ではない。なので、あなた方の言う重大な使命も私には関係のないことです」

 そうきっぱりと言い切れば、最後の三つ目の気配が動いた。がたん、と大きな音を立てていすが蹴倒され、空気が動く。ずかずかと歩み寄ってくるのがわかったが、沙綾は動かない。動いたのは、足元の狼。

「グルルゥゥ――」

 牙をむき出して威嚇する琳に、気配が一瞬たじろぐ。その隙を見逃さずに、沙綾が口を開いた。

「近づけば、攻撃します」

「ちっ!」

 前傾姿勢で今にも飛び掛ろうとしている琳に、さすがの男も舌打ちして止まる。その様子を傍観していた最初の男が、どこか面白そうに告げた。

「わかった。こっちが悪かった。とりあえずお姫さんも座らねぇか?レイも戻れ」

「……わかった」

 レイと呼ばれた男は素直に戻り、椅子に座る。それを待ってから、琳がそっと足元を離れた。沙綾は一歩、二歩と警戒を解かないまま歩き、言われたとおり腰掛ける。

「さっきのばあさんには話したけど、あんたには詳しく話してなかったみてぇだな。まずはこっちの状況からきちんと説明しよう」

 そこで言葉を区切り、沙綾を伺う。少女は何も言わずに、ただ言葉を待った。

「事の発端は、一ヶ月前にさかのぼる」



 この国には、賢君と呼ばれ、国民から親しまれている国王がいた。しかし、国王は老いた。やがて老いは病を運び、国王は病に倒れる。

 その跡継ぎとなる王子は二人いた。第一王子ルーク、第二王子シド。一人ならば何も問題はなかったのだが、不幸なことに二人いたのだ。

 この国をすべる王族には、古くから慣わしがある。生まれた王子が二人以上ならば、そのうち光をまとうものが次の国王になると。代々その選定は現国王が決めていた。有事の際は、それを神官が代弁する形になっている。

 過去にも何度か現国王の変わりに神官が次代の選定を行っていた例があった。国王は病にたおれ、言葉をつむぐのも難しい状態である。なので、今回も過去の例に倣い神官が次代を選定することになった。しかし、それが問題であった。

 有事の際に次代を決めることができる神官は、三人いる。三人が一致したときに初めて国王となれるのだ。だが、大神官が現在不在の状態であり、神官は二人。その二人は、それぞれ光の意味をこう告げた。

 一人は、光とは金の色を持つものだという。

 一人は、光とはそのまとう王気のことであるという。

 そして、王宮は二つに割れた。金の色を持つ第一王子を推す一派と、王気を持つ第二王子を推す一派と。やがて争いは熾烈になり、とうとう第一王子倒れた。それも、原因不明の眠りの病に。誰がやったか確証はなく、解毒薬も手に入らない



「あんたは薬師だ。国中の薬師を呼んだが、だれも解毒をできなかった。もう、あんたしか頼るものがいないんだ」

 そういって、男は苦しげに顔をゆがめた。主を救うために、自らのプライドを捨てて頭を下げる。他の二人も、それに習って神妙に頭を下げた。

 本来はプライドの高い人たちなのであろう。どこか憤然とした気配が残っているが、その潔さに沙綾の心はゆれる。

 本音を言えば、沙綾は宮廷の争いごとなどどうでもよかった。国王が変わろうが、第二王子が次の国王になろうが、自分の生活に何も変わりはない。夕凪と琳と、静かにこの森の中で暮らしていくだけだ。平穏に、穏やかに。

 けれども。彼女の中の、薬師の血がざわめく。今まで近隣の村人をたびたび救ってきた。そのたびに感謝され、その救ける喜びに心底薬師であることを誇りに思っていた。もし、今ここで彼らの頼みを引き受けなかったら?そうして、そのままもしも救える見込みのある王子が亡くなったら?

そう考えると、胸の奥に冷たい石の塊ができたような気分になる。

 重たい沈黙が続く中、琳の尻尾がそっと沙綾の足をなでた。思ったとおりに行動したら言いと、勇気付ける。

「……わかりました。診てみましょう」

 ようやく沈黙を破った沙綾の言葉に、男たちの表情が明るくなった。これで主は助かるかもしれないと。希望の光を胸に灯す。

「ただし、いくつか約束してほしいことがあります」

「きけるものであれば」

 条件をつけられるのは承知のうちだ、と男が笑った。

「一つ。あなた方の主人が一命をとりとめた後、一切私にかかわらないこと。二つ。私の存在を公にしないこと。三つ。琳を、狼を王宮内へ入れてくれること。四つ。万が一、私があなた方の主人を助けられなかった場合、私を含め全員に咎が及ばないこと。もちろん、そのときも一つ目の条件と同様に私たちに一切かかわらないこと。この条件を飲んでくださるのであれば、王宮へ参ります」

「わかった。約束しよう。必ず守る。……心配なら後で書面にするか?」

 最後に茶化すように付け加えるが、彼は約束を破らないだろう。なんとなく、沙綾はそう思う。軽く微笑をたたえて首を振った。

「……いいえ、ここにいるあなた以外の方と琳が証人です。書面はいりません」

 一瞬琳が沙綾に視線を向けるが、うなずくことで大丈夫と示した。男が面白そうに笑う気配が届く。それをきっかけに、場がわずかに和んだ。そうしてはたと気づく。そういえばまだ名前も名乗っていなかったのだと。

「申し送れました。私の名前は沙綾。最後の薬師です」

 やや緊張気味にそれでもなんとか微笑を形作り、沙綾は立ち上がり軽く一礼をした。不思議な物言いに男が首をかしげる。

「最後?」

「はい。私で、最後です」

 男が意味を問うが、少女は答えない。男は深く追求せずにただうなずいた。そうして沙綾を座るように促し、同じように席を立つ。もともと礼儀正しいのか几帳面なのか、わざわざ宮廷式の丁寧な礼まで添えた。

「俺の名前はレオン。こっちがレイで、こいつはミラ」

「……申し訳ないのですが、私は目が見えません。声を聞かせていただいてよろしいですか?」

 たぶん、レオンは手で示しただけなのだろう。頭を下げる気配はあるが、なじみのない彼らの区別はまだつかない。わずかにためらった後、沙綾は申し訳なさそうに言葉をつむぐ。てっきり彼らは気づいているかと思ったが、そこまで観察されていなかったらしい。そう思うと。小さな苦笑がもれる。

「おっと、これは悪かった」

 軽く驚いた気配が返ってきた。やはり、沙綾が思った通り彼女の双眸が光を失っていることに気づかなかったようだ。他の二人も同じだったようで、近づいた男でさえ気づいていなかった。それほどまでに彼らも緊張していたのだろうか。

 そんなことを頭の片隅で考えていると、思考をさえぎるように声が届く。

「ミラといいます」

「レイだ」

 口調は丁寧だが、どこか冷たい感じのするミラ。ぶっきらぼうだが、レオンに通じる温かみを感じるレイ。そして、彼らのリーダー格なのであろうレオン。面白い三人組だなと、琳はかすかに鼻を鳴らす。自ら挨拶をしようとし、それを沙綾にとめられた。

「今準備をしますので、もうしばらくお待ちください」

 軽く会釈を残し、沙綾は琳を伴って部屋を出る。その拍子に、扉にすがっていた夕凪が転ぶように後ずさった。

「ばあや……」

「失礼かとは思いましたがお話を聞かせていただきました。……お行きになるのですね」

 そこに彼女がいることに気づかなかった沙綾は驚くが、諦めにも似た口調が驚きを消し去った。それに疑問を感じるが、それを口に出す前に琳が言葉をつむぐ。

「行かなければならないだろう」

「……はい」

 琳と夕凪の視線が交錯する。それに気づけないまま、沙綾は動いた。彼らの話を聞くに、時間はあまりない。

「準備をするわ」

 そうして沙綾が場を離れた瞬間、夕凪が悲しそうに視線を落とす。諦めとやるせなさとかすかな憤りが混じった、複雑な表情。

「私は……また、あの子を護れないのでしょうか」

「夕凪……」

「また、あの子に哀しみを背負わせてしまうのでしょうか」

 王宮へ行くということは、図らずもあの人に出会うのではないかと。もしも出会い、そして真実を知ったとき。

 がり、と小さな音がし、夕凪の手元を見れば爪が床板に食い込んでいる。その痛みがないわけではないだろうが、夕凪はひたすらこぶしを強く握り締めていた。

「大丈夫だ。あの子は、何にかえても私が護る」

「琳さま……」

「あの子が悲しむからおやめなさい」

 そっと鼻先を夕凪のこぶしにつけ、促す。それだけで夕凪は力が抜けたようにこぶしを開いた。

「どうか……どうか、あの子をよろしくお願いいたします」

 これ以上哀しみを背負わないように。

 これ以上涙にその瞳がぬれないように。



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