王宮
2 王宮
琳と沙綾は、賓客用の部屋に通された。甘い香りのする紅茶と焼き菓子を出され、部屋には二人だけになる。もちろん、扉の外に衛兵がいることは間違いないのだが。
「琳……私に、できるかな」
きゅっとスカートの裾を握り締め、沙綾が小さくつぶやいた。今更ながらに、王宮にいるという事実が彼女を萎縮させている。もしも琳が一緒ではなく、一人であったならまともに薬を選ぶこともできないくらい緊張していた。
「大丈夫だ。沙綾ならできる。……沙綾にしか、できないんだ」
「……私にしか、できない」
足元に座った狼の柔らかな体温。幼いころから共にすごし、そのぬくもりがそばを離れたことは片時もなかった。家族のような、体の一部のような琳が大丈夫というのだ。きっと大丈夫なのであろう。
そう思うことで沙綾は小さく息を吐いた。緊張をほぐしておかなければ、身が持たない。
――コン コン
少し間延びしたノックが聞こえた。居住まいをただして座りなおし、琳は口を閉じる。こちらの返事を待たずに入ってきたのはレオン。
「こっちだ」
言葉少なに合図をする。沙綾は立ち上がり、支えるように琳が足元に寄り添った。琳についていく形で部屋を出て、右へ左へと複雑な道を歩く。その際一言もレオンは言葉を出さず、また沙綾も無言でついていった。
「ここだ」
案内された場所は、王宮の奥深く。衛兵の気配はするが、彼らは何もしゃべらない。ただ一礼を返し、彼らのために扉の前からわずかに退いた。
一つ息を吸ってからレオンが扉を開けた瞬間。誰かが勢いよく飛び出してきた。
「レオン!今までどこをほっつき歩いていたんですか!こっちはものすごく大変なことになっていて、今まで一人で王子の面倒を見ていたんですよ!レオンがいないだけで兵士の士気は下がるし王子は相変わらず目覚めないし陛下の容態は悪くなる一方だし王妃は王妃でああだし…………って、こちらのお方は?」
立て板に水のごとくまくし立てていた男は、あっけに取られている沙綾と琳にようやく気づく。まず琳に驚いたのか、ぎょっとしたように軽くのけぞった。しかし逃げ出しはせず、次いで沙綾を見つめレオンをじっと凝視する。その細い双眸でまっすぐにみつめられたレオンは、苦笑して扉を閉めた。衛兵たちが一生懸命何もなかったふりをしてくれる、その気持ちを汲んだのだろう。
「フィージ、少し落ち着け。お姫さんたちがびっくりしているだろう?」
くしゃり、と淡い茶色の髪をかき回し、慣れた仕草で肩をたたく。そうすれば、優しげな面立ちにふわりと微笑が浮いた。
「姫……?ああ、申し訳ございません。あなたが件の薬師殿ですね。申し遅れました。私、王子付きの教官でフィージと申します。レオンが何か失礼をしませんでしたか?」
「おい、それはどーゆー意味だよ」
にこやかな笑顔で挨拶したフィージとは対照的に、レオンの青い瞳が剣呑に細められる。しかし、その表情とは裏腹にレオンの口調は笑いを多分に含んでいた。どうやら彼らは旧知の仲のようで、レオンも本気ではないというのは初対面の二人でもすぐにわかった。
「そのままの意味ですよ。口が大変悪いですが、根はいいやつなんでよろしくしてやってください。ああ、すみません、大切なお客様を戸口で立たせっぱなしにしてしまって、私としたことが不明でした。少し急がなければならないので、お茶の準備をと行きたいところですがそこは割愛させていただきますね。すべて終わりましたら、ゆっくりお茶でも飲みながらいろいろお話させていただければと思いますが、いかがでしょうか?姫君」
どうやらこのフィージという男性はものすごくよくしゃべるらしい。となりでレオンがげんなりしたように彼を見つめ、沙綾は思わず声を立てて笑ってしまった。その途端、全員の視線が沙綾に向いた。
「あの……?」
もしかしたら笑ったらいけなかったのだろうか?
そんな不安が胸によぎるが、彼らの言葉に不安はすぐに払拭された。
「ずっと緊張しっぱなしにさせちまったけど、笑えるなら大丈夫みてぇだな」
「レオンが何か悪さをしてそんなにふさぎこんでいると思っていたのですが……笑っていただけて本当によかった」
どうやら傍目にもわかるほど自分は緊張していたらしい。それを汲み取った二人がわざとおどけたように振る舞い、沙綾の緊張をほぐしてくれたようだ。緊張は悪くはないが、しすぎる緊張は悪影響を呼んでしまう。
昔夕凪に言われた言葉を思い出し、沙綾は一度瞬いた。そしてふわりと微笑する。
「大変失礼をいたしました。ご心配をおかけしてしまったみたいですね。もう、大丈夫です」
「そいつはよかった。……この減らず口が役に立つこともあるんだな」
柔らかな微笑を浮かべた沙綾にレオンも屈託なく笑った。あからさまな嫌味はフィージにきかないらしく、笑顔で黙殺される。その二人の関係を少しだけうらやましく感じれば、琳が柔らかな体を押し付けてきた。どうやら、早く挨拶を済ませてしまえと催促しているらしい。
「申し送れました。私は沙綾。この子は琳。早速ですが、殿下の具合を拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
「そうしていただけると助かります。……お手は必要でしょうか?」
沙綾の目が不自由なことに気づき、フィージが言葉を添えた。それににこりと笑って首を振り断る。
「琳がいますので……ありがとうございます」
軽く会釈をし、琳を伴って歩き出した。そのまままっすぐ王子の眠るベッドにたどり着き、膝をついて手を伸ばす。少し離れたところにいる二人には、目が見えないのに治療ができるのかという不安が少なからずあった。しかし、確かに見えてはいないはずなのに慣れた手つきで脈を取り顔に触れ、真剣な面持ちで患者を診る。診察が終わったのか、沙綾は立ち上がり、難しい表情で二人を見た。
「どうだ?」
焦れて言葉をつむいだのはレオン。強固な意思で焦りや不安を押し殺してはいるが、声音は硬い。
「……最善は尽くします。申し訳ございませんが、しばらくの間お二人は退出していただいてよろしいですか?」
「見ているだけでもいるのはダメか?」
「見ていられるのが困るのです」
困ったような顔だが、きっぱりとそういわれてしまえば二人に断るすべはない。しかし、見ず知らずの者と大事な王子を二人きりにするのも問題だ。何かあってからでは遅いのだ。彼女が刺客とも限らないのだから。
しかし。
「レオン、部屋を出ましょう。どうせいても、私たちでは邪魔になるだけです」
「……わかった。ただし、隣の部屋にいるのは譲れない」
「もちろんかまいません」
フィージに諭され、レオンはしぶしぶながらもうなずいた。条件をつけることを忘れなかったのは、さすがといおうか。
沙綾と琳を残して隣室に消えた二人は、やるせなさをため息に乗せる。乱暴にいすに座るレオンに眉をひそめながらも、フィージは棚から蜂蜜酒と焼き菓子を持ってくる。レオンの前に差し出し、自らもその向かい側に座った。
「そんなにカリカリしなくても大丈夫ですよ。あの方は、銀の一族でしょう?必ず王子を助けてくださいます。あなたもそれを見込んで、わざわざあの森を訪ねた。あの方に会うために。あなたのすることに間違いは滅多に起こりません。それは私が証明します」
「……わかっちゃいるんだけどな」
彼女でなければいけなかった。――大切な彼の人を助けることができるのは、世界中でもあの小さな少女だけなのだから。
「あなたには甘いでしょうが、少し飲んで休んでください。終わりましたら、必ず起こしますから。どうせあなたのことです。他の人のことなど考えずに馬を飛ばしてきたのでしょう?あなたも相当参ってるはずですよ。自覚はないのですか?」
「……わかったよ。頼む」
くどくどと説教されるのは趣味じゃない。
顔をしかめると、杯に満たされた蜂蜜酒をぐいっとあおった。彼には甘すぎるそれも、疲れた体には心地よい。焼き菓子には手をつけずに、そのままソファにごろりと横たわった。
「あの方が、本当に銀の姫であるのならば……」
何も心配は要らない。
「……皮肉なものですね」
小さく自嘲した。彼女に頼らなければならなくなったことを、ちらりと後悔する。それでも、自分の悔恨など小さなことに過ぎないとフィージは目を閉じた。
隣室では、沙綾が小さな布袋からさまざまな薬草を広げていた。粉にしたものもあれば粒状のもの、液体、花びらや葉の乾燥したものなど種類はたくさんある。その中からいくつか選び出し、近くにあった水差し用の器に移していく。
「いつみても沙綾はすごいな」
「どうして?」
「見えていないのに、何でわかるんだ?」
「わかるんじゃなくて、薬が教えてくれるのよ」
もう、何回答えたかわからない答え。琳は、沙綾が薬を調合するときは必ず同じことを聞く。そして必ず同じことを沙綾が答える。これは一種の儀式のようになっていた。
「薬はね、目で見てもわからないわ。ちゃんと、相手のことを考えて何が必要か尋ねれば必ず応えてくれるの」
「……そんなものか?」
「そんなものよ」
くすりと笑って沙綾はさらりと答える。事実、それぞれの薬が入っている小瓶には指で触れてわかるような特徴はない。沙綾にはすべて同じ小瓶に感じられるだろう。それでも、彼女が作った薬――例えば傷薬や解熱剤など――はどれも格別によく効く。
やがて器の中身は、どろりとした白濁色の液体で満たされた。最後の仕上げにと、沙綾は小さなナイフを取り出し、ためらいもなく指先を傷つける。ほんの二滴。赤い液体が混ざると、不思議なことに濁っていた液体は透き通り、淡い紅色に色づいた。
「ちゃんと飲むかしら……」
何せ、相手は眠っているのだ。口に含ませたとしても嚥下してくれるとは限らない。それでも、骨ばった手首やことさらゆっくり脈打つ心臓に時間はないと悟る。
静かに頭を持ち上げ、そっと口元に器を当てるとゆっくりと液体を流し込む。幸いなことに、彼は少しずつではあるがきちんと飲み込んでくれた。
「琳、二人を呼んできてくれる?」
「わかった」
ほっと安堵した沙綾の要望に快くうなずき、琳は軽い足取りで歩き出した。さすがに大きな体を持つ琳でも、重たい扉を開けることはできない。前足でカリカリと扉をひっかけば、すぐに開いた。
「王子は?」
「容態はいかがですか?」
心配顔の二人が駆け寄ってくるころには、薬はすべてなくなっていた。沙綾はにこりと微笑むと大丈夫とうなずく。
「早ければ今日の夜にでも、遅くても明日には目覚めるかと」
「そうか……」
ひとまず安心はしたが、肝心の王子はいまだ目覚めていない。まだ気は抜けないとレオンはひそかに気を引き締める。
「姫君、お疲れでしょうからどうぞこちらの部屋へ。今温かいお茶を用意させますので。……指先をどうされたのですか?先ほどは気づきませんでしたが、怪我をされていたのですね。申し訳ございません、すぐに薬をお持ちしますので」
ふと、薬師に薬を出してもいいものかと疑問に思うフィージ。首をかしげて考え込んでしまった彼に、沙綾は笑った。
「これくらいの小さな傷ならたいしたことありませんので。見苦しいものをお見せしました」
布袋の中から止血用の布を取り出すと、細く切り裂く。それを片手で器用に巻きつけ、床に散らばった小瓶を片付け立ち上がった。
「殿下の容態は安定しているとは思いますが、ご迷惑でなければしばらく様子を見させていただきたいのですが……」
「もちろん!こちらからお願いしようと思っていたことです。部屋の準備は後で用意させますので、どうぞこちらへ」
恭しく沙綾の手をとり、フィージは隣室へ歩き出す。と、歩みを止めてレオンを振り返った。
「どうしますか?」
「ここにいる」
いつ王子が目覚めてもいいようにとのことなのだろう。職務熱心なだけでなく、レオンと王子は年の離れた兄弟のようでもあった。それだけ、彼のことが心配なのだ。
レオンとも王子ともかれこれ十年来の付き合いとなる。二人の関係もレオンの気持ちもよくわかるフィージは、穏やかに表情を緩めてうなずいた。親友をそのままに、沙綾を伴って歩き出す。と、何かに気づいたように振り返った。
「おや?」
当然ついてくると思った狼が歩みを止めてしまったので、フィージは数歩戻ると狼と目線を合わせるようにかがむ。少し迷ってからまじめな口調でどうするかと尋ねた。狼にまじめに話しかける人間は珍しく、沙綾は少しだけうれしそうに笑う。そうして、口を開かない狼に変わって少女が返答を返した。
「琳にミルクがたっぷり入ったお茶をいただけるなら」
「それはもちろん。大切な恩人のご友人であらせられるからね。……おや、人ではないから友人ではないのかな?友犬、いや狼か。友狼?しっくりこないな。この場合はやっぱり友達になるのかな」
生真面目な顔で琳を評するフィージを、当の狼がまじまじと見つめた。まるで今まで見たことはない不思議な生き物を見るように。さらに、フィージの後ろでは沙綾があっけにとられたように彼を見つめ、レオンにいたってはうつむいて肩を揺らしている。
友人のおかしな言動には慣れてはいたが、それが人に対してだけ発揮されるものではないと気づき、笑いのツボにはまってしまったらしい。そんな彼らの様子に気づいたのか、至極まじめな顔でフィージは周りに尋ねた。
「何かおかしなことを言いました?」
「いや、私に対してここまでまじめに考え込む人間は、そう多くないからな」
声がどこから聞こえたのか一瞬わからない。問いかけたフィージも、そばで聞いていたレオンも、ぎょっとしたように琳を凝視した。琳が言葉を発したことに沙綾も軽く驚き、ついで眉をひそめる。
「琳」
「大丈夫だ」
心配する沙綾をよそに、琳は楽しそうに答える。この二人は信用できると。
「……いやぁ、驚きましたね。鳥がしゃべるのは見たことありますが、狼がしゃべるのは生まれて初めてですよ」
驚きのあまり、言葉が出てこないらしい。饒舌すぎるほど饒舌なフィージにしてはめずらしく、言葉が少なかった。同様に、レオンは言葉も出ないほど驚いているらしい。王子のそばから離れ、まじまじと琳を真正面から見つめた。
「……狼、だよな?」
「無論」
目の前でしゃべられれば信じないわけにはいかない。自分たちの常識にはきっと当てはまらない者たちなのであろう。
そう結論付ければ、もともと頭の柔らかいフィージである。細い目をさらに細めてにこやかに笑った。
「姫君の話では、君はミルクたっぷりのお茶を飲むそうですね。今甘い焼き菓子と一緒に用意しましょう。姫君も一緒に、隣の部屋でお待ちいただけますか?」
「お言葉に甘えまして」
沙綾もにこりと笑うと、フィージとレオンに軽く一礼を返してから琳を伴って隣室へ行く。残されたレオンは奇妙な表情のまま、それでも王子の枕元へと戻った。
「……なんか、あんまり驚いてねぇんだな」
ベッドの端にどっかりと腰をかけて友人を見つめる。細い目の青年はそれは意外だと表情を変え、飄々と返事をした。
「いいえ、ものすごく驚いていますよ。でも、納得はしました。……これで、彼女が本物であると」
「…………」
「さて、私はお茶の準備をしてきます。あなたも何か飲みますか?」
「頭がすっきりするようなのを頼む」
「では、すぐにでも」
にこやかな笑顔を残してフィージは部屋を出る。相変わらず眠り続ける主を苦い顔で見つめ、黒髪の青年はつぶやいた。
「俺は時々、あいつが怖いよ……。お前ならどう思う……?」
普段は軽い調子だが、ひとたび剣を取れば冷静沈着、向かうところ敵なしと恐れられるレオン。その彼ですら、フィージが怖いと思うときがある。もう、長い長い付き合いになるが、あの穏やかな笑顔の裏に隠されたものは自分と十分通じるものだ。
「早く起きろよ、ルーク」
祈るように組んだこぶしをきつく握り締め。今はただ、神に祈る。




