銀の月と、暗闇の太陽
「それはまるで、地上に落ちた小さな太陽のようでした」
最後、あの日のことを……彼女はそう言ったんだ。
『銀の月と、暗闇の太陽』
なにか特別な理由があったわけじゃない。
しかし、何もなかったわけでもない。
ただ、今思い返しても、あの時の俺はマトモではなかったということだけは確かだった。
走った。ただひたすらに走った。
外灯に照らされた路地を。街路樹の立ち並ぶ大通りを。星々が照らす夜の闇の中を。
衝動に駆られるまま、目的もなく、ただひたすらに走っていた。
きっかけは親の一言だった。
なんて言われたのかは、もうしっかりとは覚えていない。
確か「模試の点が悪かった」というような感じだっただろうか?
……思い出そうとしてみたが、やっぱりちゃんとは覚えていない。
正直、テストや模試の後ではいつも聞いてるような小言だった気がする。
普段なら適当に受け流して、さっさと自室に籠もり……壁を相手に愚痴を吐いたりなんかでどうにかするんだが、今日に限ってはなぜかそれが出来なかった。
だから、今こうして夜の街を走ってるわけなんだが……。
いかんせん、秋口に入るこの時期、昼はまだ暖かいが夜は寒い。
いつもならそれなりに温度調整が出来るよう、上着を着てきたりするもんなんだが、あいにくと今日は衝動のまま飛び出してきたのだ。
そんなもの、持っているわけがない。
何か無いか、とズボンのポケットを探れば、なぜかそこにはマッチが一箱。
……なんでこんなものが?
マッチを片手にウンウン唸りながら記憶を呼び起こせば、ポンと一つ思い出す。
――あぁ、そうか。これ後輩達のだ。
後輩、といっても仲の良いやつらではない。どちらかと言えば、あまり仲をよろしくしたくない不良だ。
そのやつらが、校舎裏でまぁ色々やってたところを見つけてしまったわけだ。んで、それを先生様にお伝えした結果、指導室へとしょっ引かれて行ったわけだが、その後にそこにマッチが落ちてるのを発見してしまった、という流れであって、決して俺が使っているわけではない。
マッチ箱の中を見てみれば、まだまだ全然使われていない。
それに、多分湿気ているということもないだろう。
そうだ、これがあれば――。
登る。登り続ける。ぐるぐると回る螺旋の塔を。
この先に繋がる場所は、天に浮かぶ雲の島だろうか?
それとも、行き着く果てなど無いのだろうか?
そんな意味の分からないことを、私はただ一人ぼんやりと思った。
きっかけはほんの些細な違いだった。
どうしてそうなったのか、は誰にも分からない。
ただ、そんな風に生まれてしまったのだ。
真っ白な産毛に、赤く輝く二つの瞳。先天性白皮症、いわゆるアルビニズム。
わかりやすく言えば、光に弱い、というただ一つにして大きな違い。
……で、あったらまだよかったのだけれど。
いつからだろう、真っ赤に滴る滴が美味しいと感じるようになってしまったのは。
どうしてだろう、比べなくとも分かるほど犬歯が鋭く、長くなってきたのは。
その理由なんて、今となっては嫌というほど分かっているのだけれど。
――吸血鬼。
いえ、鬼じゃないのだけれど。……人では、あるのだけれど。
……人の血を、美味しいと飲む生き物を人と呼んでも良いのならば。
つらつらとそのような事を思っていると、気付いたときには最後の一段。
目の前の扉をくぐれば、八畳ほどの小さな部屋。
私の自室……、いえ、さながら牢獄。
「今日も塔から出ることなく、一日が終わってしまったわね」
ベッド脇に置いていたクマのぬいぐるみを膝に乗せ、語りかけるように声を出す。
そうでもしないと、声の出し方を忘れてしまうから。
この塔には、基本的に私以外誰もいない。
他の人は、少しの時間だけ塔にやってきては、外へと出て行く。
いわゆる、お手伝いさん、というもの。
この塔を管理する管理者さんと、私に仕える方の二人。
そこに私を加えた三人がこの塔の最大人数。
「だから、独り言も仕方ないの」
本来ならば、学校へ通っているのが当たり前の年齢。
けれど、私はこの塔の中で過ごしている。
だからこそ余計に、外の世界が眩しく見えてしまうのは、仕方がない。
「そう、仕方がないの」
当てもなく走り続けていた足を、目的の方へ向けてから体感では早十分ほど。
まだ明るい街の中心を抜け、人気の少ない住宅街の中を抜け、さらに外へ、遠くへと走り続ける。
衝動に急かされるまま……たどり着いた道の先で、切れた息を整えるように座り込む。
あぁ、今日は曇っていたのか。
よくよく見上げてみれば、空に星は見えない。
こんな人気も外灯も少ない、森に近く暗い場所でさえ、星は見えない。
ふと、ポケットにしまっていたマッチを一本、箱から取り出して火を付ける。
少し焦げた臭いと一緒に、走って冷えた指先に熱が来る。
あぁ、暖かい。
そう思ったのも一瞬。すぐに火は消えてしまう。
まぁ、しょうがない。マッチ一本じゃこんなもんだろう。
気を取り直してもう一本。
今度は近くに落ちていた枝にでも付けられないだろうか?
やはり、難しいな……。
そう簡単にはついてくれないか。
しかし、悔しさも相まって意地でもと、枝を組んでみたり、枯葉へと付けてみたり……。
「くそっ、ダメだ。付かない」
そうこうしていれば、残り一本。
これでダメなら、諦めよう。
そんな想いを込めて、俺はマッチを箱に擦りつけた。
なんだかガサガサと音がした気がする。
こんな街外れの塔の前で……。
ただの風だろうか? それにしてはなんだか変な音だった気がするけれど……。
この部屋に唯一付いている小窓を開ければ、少し寒い風が部屋へと入り込んでくる。
やっぱりこの時間は少し寒い。秋口といえど、そろそろもう少し厚着をするべきかしら?
そんなことを考えながら、窓から少し顔を出し……辺りを少しだけ見まわしてみる。
すると、なんだろう? 少しだけ……焦げ臭い?
「火事……かしら?」
そう思って火の手を探ってみても、視界にそんなものは見当たらない。
けれど、断続的に感じる焦げ臭さに、なんとなく変な予感がして、そのままキョロキョロと顔を動かした。
「くそっ、ダメだ。付かない」
「え?」
なんだか聞き覚えのない声がした気がする。
すぐさまその方向へと顔を向ければ、なんだろう……あれは人?
その人が手に持っていた光が消えて……。
――直後、大きく輝いた。
「うわっ! ちょ! 弾けた!?」
予想外、としか言い様がない。
細く小さい枝を綺麗に組んで、なるべく乾燥した葉を選び、そしてマッチの火を風から守るように入れた。
今までは、全てマッチの火が移る前に消えていた。
しかし今回は上手いこと火が枯葉に移り、枝に移り……、一気に燃え爆ぜた。
「不味い!」
なんとなく大きくなってきてる気がする!
さすがに建物に燃え広がったりしたらシャレにならん!
そう思って、火種を踏み潰したり、飛び散った葉や火の粉を踏んで消していく。
もうもうと立ち上る煙と、それに付随する焦げた臭いが、俺の身体を包む。
なんというか、なんだってこんなことをしているのか。
冷静になって思ってみてもよく分からない。
しかし場所が場所だ、さっきの事はきっと誰にも見られてはいないはず。
なら、問題ない……と、気を落ち着けるように地面へと腰を落とした。
まだ小さく燻っている葉から登る煙を追いかけ、天へと顔を向ける。
相変わらず空は曇り模様。星の一つも見えやしない。
けれど、視界の端に……光る銀の月が見えた。
「いや、違う……。あれは、人……か?」
視界の端で、煌々と輝く人のような何かへと目を動かして……俺は目を奪われた。
風に揺れる白の髪は、部屋からこぼれる光に反射するように薄く輝く。
そんな光り輝く白の中に、一際異彩を放つ深紅の瞳。
美しい、綺麗……そんな言葉では言い表せないほど、人と呼べる範囲を超えた容姿の少女が、そこにいた。




