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プロローグ

 寒さが古傷に染みる。

 片脚を引きずりながら、ダイゼンは主人の後を付いて行く。


 雪は降っていないが、いつ降り出してもおかしくはない、寒い朝だ。周囲の木々の葉は散り、空も寒々しい青。

 その下を、二人は歩いていく。主人は杖だけを持ち、ダイゼンは腰に刀を差し、そして着替えや食料といった荷物を背負って。


「重くはないか、ダイゼン」


 四十を過ぎたとは思えない、若武者のような肉体の主人は、杖を突きながら先を歩く。


「ええ、セキウン様。今回の山篭りの荷物は、いつもより少ないくらいでさあ。おいらなら平気です」


「そうか」


 軽く頷き、ダイゼンの主人であるセキウンは山道を軽快な足取りで登って行く。

 その両目の瞼は閉じられたままで、視覚以外の四感と杖だけを頼りに、障害物の多い山を登っている様は長年荷物持ちとして仕えてきたダイゼンから見ても未だに信じられるものではない。


 突然、そのセキウンの足が止まる。


「セキウン様?」


 疑問に思ったダイゼンが自身も足を止めて名を呼ぶと、


「ダイゼン、刀を」


 伸ばした髪を無造作に一つにまとめ、目が常に閉じられているセキウンの容貌は知的で、剣士というよりも学者に例えられることがある。

 その顔が、いつもよりほんの少し、険しさを増している。


 ダイゼンにはそれが分かる。

 素早く腰から刀を抜くと、それを渡す。

 セキウンは振り向きもせずにそれを受け取り、引き換えにするように杖を渡してくる。


 戦いだ。

 杖を荷物と一緒にしたダイゼンは直感する。

 これから、主人の戦いが始まる。それも、強敵との。


 やがて、その直感を証明するように、道の向こうから、大柄な男が歩いてくる。


「うっ」


 思わずダイゼンは呻く。その男には見覚えがあった。


「ゴンザ」


 とっくの昔に現れるのが分かっていたかのように、セキウンが軽い口調で呼びかける。


「もう、動けるのか」


「うむ」


 オーガの特徴が色濃く出た巨漢は、髭に覆われた顔を頷かせる。

 巨漢の名はゴンザ・ホウオウ。


「私の山篭りを待ち伏せしたのか、それとも偶然ここで出会ったのか、どちらだ」


「訊くまでもなかろう。お前がこの山に篭るのは毎年のことだ」


 ゴンザはぽんと腰に差してある巨大な刀を叩く。


「では、用件は?」


「立ち合いを所望する」


「木刀を用意していない」


「いらん」


 もう一度、ゴンザは刀を叩く。


「お前も分かっているから刀を持っているんだろう? 真剣だ」


「ゴンザ殿、それはあまりにも」


「ダイゼン、下がっていろ」


 冷たさすら感じるほどの平常の声でセキウンが止める。


「御前試合の意趣返しか? ホウオウ家ともあろうものが」


「ふん」


 ゴンザは笑う。

 その笑みが自嘲の笑みだとはダイゼンにも見てとれる。


「ホウオウ家か。代々指南役をして家名を得ていた我が家も終わりだ。剣術しか能のない貴族が、剣で平民に負けて何の価値がある」


「ホウオウ流は今もなお、イスウでもっとも多くの者が修めている剣術だ。それで満足はできないか」


「できんね」


 気迫で、ダイゼンからはその一瞬でゴンザの体が膨らんだように見える。


「そもそもが、兵法者は全員がその根本は一つだ。つまり、俺が誰より強い。それを証明するために生きている。家名の高さや流派が流行っているかどうかは二の次よ」


「私は必ずしもそうは思わない。剣術とは、剣と共に精神を修める道だ」


「セキウン流の精神論か、それもいい。だが、単なる御託だ」


「では、御前試合の結果も、御託だと?」


「負けた」


 ゴンザの目が憤怒の色に染まる。視線に含まれた怒りだけで人を殺せそうだ。


「認めよう。俺は負けた。平民から剣で身を起こしたセキウンに、俺は負けた」


「ならば」


「まだだ。あれは試合。木刀を持ったお遊びだ。ただ、体に当て合うだけのな」


「少なくともあれから半年、その体に当て合うお遊びで寝たまま動けなかったらしいが?」


「死んでなければ、お遊びよ」


 そうして、ゴンザはゆっくりとその巨大な刀を構える。

 また、一回り大きくなった気がする。圧力に押されるようにして、ダイゼンは一歩下がる。


「真剣での立ち合いならば、俺が上。ホウオウ流が上だ。実戦が全ての流派だ。精神論に逃げているお前の流派とは違う」


「なるほど」


 圧力を柳に風と受け流して平然としているセキウンだが、ダイゼンはその所作からあるかなしかの緊張を見出す。

 ゴンザ・ホウオウは間違いなく強敵。いや、イスウでも最強の剣士候補の一人なのだ。


「それに御前試合は多くの人の目がある。あれを見れなかったのも心の残りだ」


「あれ?」


「セキウン流の秘剣よ、『月無し』だったな」


 その単語が出た途端、空気が凍る。


「見たいのか、『月無し』を」


 セキウンの声は、明らかに固くなっている。緊張と、そしておそらくは高揚で。


「見せずに真剣で俺に勝てるか?」


 そのやりとりに、ゴンザは唾を飲んで喉を鳴らす。

 『月無し』は門外不出の秘剣。セキウンは後継者として認めた弟子にしか見せないと公言しており、未だに見たものはいない。

 かつて強敵やモンスター相手に使ったとされるが、第三者の目がない状況で使われ、必ず相手が死に至るために名前しか明らかになっていない。


 それでも、今や指南役にまで昇りつめた達人セキウンの秘剣。噂だけは広がっている。

 曰く、目にも留まらぬ速度の居合い。

 曰く、太刀筋が自由自在に変化する斬撃。

 曰く、そんな秘剣は存在せず、セキウンによるでまかせである。

 噂にはことかかない。


 その秘剣が、使われるかもしれない。

 主人の危機であるというのに、ダイゼンの胸はいやがおうにも高まる。


「よかろう」


 やがて、セキウンは呟く。


「見せてやろう、『月無し』を。ダイゼン、ここにいろ」


 そう言うと、杖もなしでセキウンは山道を外れ、横の木々をすり抜けるようにして山の奥深くに入っていく。


「やる気になったか」


 怒り、復讐を果たせるという喜び、戦いを前にした緊張、秘剣を目にできる期待。

 その全てが混ぜられた上擦った声でゴンザは呟き、セキウンの後を追う。


 二人が消えていった後、ダイゼンは一人で、消えてしまった方向を凝視している。何か見えないかと、何か聞こえないかと。

 もう身を切るような寒さも気にならない。一人、凝然として待ち続ける。


 木々で狭い空を鳥が一羽横切り、ぴいぃと高い鳴き声をあげる。


「がああっ」


 同時に、凝視していた方向から恐ろしい叫び声が確かに聞こえる。


 はっとしたダイゼンは、片脚を引きずりながら木々の間へと飛び込む。


「セキウン様っ」


 叫びながら、何度か転びながらダイゼンは必死で進む。草木を掻き分けながら、進み続ける。


「セキウン様っ」


 また叫ぶが、返事はやはりない。

 こっちの方向のはずなのに。どこだ。早く、早く着かなければ。


「セキウン様っ」


 今まで一番の大声を張り上げる。反応はない。

 だが、ようやく木々の間に人影を見つける。


「セキウン様っ」


 両手両脚を使うようにしてその人影に近づいたダイゼンは、やがてその影がはっきりするまで近づいたところで動きを止めて、目を見張る。


 その人影は、セキウンのものだった。

 セキウンは、抜き身の刀を大上段に構え、その場に立ち尽くしている。身を切るような寒さにも関わらず、その顔はべっとりと汗で濡れ尽くしていた。

 鞘は地面に転がっている。


 そして、そのセキウンから二、三歩分離れて、地面に仰向けに倒れているのはゴンザだ。

 首、それも頚動脈の辺りを断ち切られたゴンザは、傷口から血を溢れさせ、かっと目を見開き口を開いたままで事切れていた。


「……セキウン様」


 もう一度、我に返ったダイゼンがゆっくりと声をかけると、


「ふう」


 大きく息を吐いてから、セキウンは刀を下ろす。見えてないとは思えない正確さで落ちている鞘を拾うと、刀をそのまま鞘に戻し、ダイゼンに差し出す。


「ダイゼン」


「はい?」


 ダイゼンは刀を受け取り、


「何か、見たか?」


 その質問によって、背筋が凍りつかされる。

 つまり、秘剣のヒントになるものでも見たのかと訊かれているのだ。

 見たと言えば、いや、見たのではないかと少し疑われただけでも、殺される。


「何も見ていません」


 今度は、ダイゼンが汗で濡れ尽くすことになった。寒空の下、汗を滝のように流して、震える声でそれだけ答える。


 時が止まったように、しばらく二人の間に沈黙が落ちる。動きもしない。風すらも吹かない。


「そうか」


 どれくらいの時間が経ったのか、ようやくそう言うと、セキウンは手を差し出す。


「ダイゼン、杖をくれ」


 震えているダイゼンは、しばらくの間、うまく杖を渡すことができなかった。

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