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推理(4)

「証拠はほとんどありません。ボウガンや矢、木箱やロープは全て燃やして灰にされたでしょう。ジャンゴさんの死体と、偽物の羅針盤も含めて」


 俺は天井を見上げて、あの処分室に思いをはせる。


「それに、慎重なことに、ジェルを燃やした跡まで誤魔化しています。処置棟のものはいいとして、屋上のジェルの燃えカスはかなり致命的です。だから、樽を使って水浸しにすることで誤魔化した」


「そうか、それで、わしの鞄が」


 ハヤノシンが呻く。


「濡らした布で拭ったりして燃えカスを消そうとしても、完全には消えないでしょうし、乾いてから拭った跡が浮き出るかもしれない。かといって、誤魔化すくらいに大量の水を使えば、研究所を調査する時に確実にばれる。だから、あえて人の目の前で、ちゃんとした理由をもって屋上を水浸しにするようにした。鞄の捜索によって屋上を水浸しにする理由にした。中々考えましたね。けれど、いくつか裏目に出た」


「ほう」


 呟くリックは冷静そのものだ。


「一つは、あまりにも慎重になりすぎて、物置からいくつか備品が消失していることを自ら申告した。そこで言わなかったら、後でなくなっていたことが分かった時、執事であり助手であった自分がそれを言わなかったことを怪しまれるとでも思ったのかもしれませんが、ハウザー」


「あん?」


「実際、リックさんが言わなかったら備品がなくなっていたことに誰か気付いたと思うか?」


「つうか、もう元々何があったか知ってる可能性があるのは俺だけじゃねえか。そんで、俺はそんな細かいことは知らねえよ」


「だろうな。そういうことです。ハウザーがそういう細かいことに気がつくタイプなわけはないと思いました。だから、黙っておけばよかったんです。備品が無くなったことなど、誰も知らなかったのに」


「悪かったな」


 舌打ちと共にハウザーが目を逸らす。


「もう一つは、鞄を物置に実際に置いてしまったことです。この事実だけを素直に考えれば、鍵を持っているローズさんかリックさんの仕業だと思える。犯人が二人に限定されてしまうんです。もちろん、二人以外が鞄を盗んで物置に置く方法はいくらでも思いつきますが。それに、鞄が盗まれたこと自体、意味不明だったんでそれだけを抜き出して考えにくくはありました」


「仕方がないところだろうな」


 レイがリックをちらりと見て、ため息をつく。


「鞄を盗んだのが、捜索を口実にして物置に入って樽を動かすことを目的としたものなら、物置までの部屋や廊下に鞄を隠すわけにもいかない。見つかったらそこで終了だからな。かといって、屋上から地面に落としでもすれば」


「ああ、そうですね。鞄の痛み具合から屋上から落としたとバレるかもしれない。そうなったら、屋上を使って地上や処置棟に行くという発想に繋がる可能性がありますね。それは気付かなかった」


 言われてみれば、結局物置に置かざるを得なかったわけだ。


「で、結局証拠はねえのかよ」


 焦れたようにボブが吼える。


「ほとんどない、とは言いましたが、ないことはありません。まず、そこの骨。そして、ロープの燃え残りも期待できます。張っていたロープは焼却炉で完全焼却したわけじゃあありませんから、燃え残りが地面に落ちている可能性はあります。欠片みたいなものかもしれませんが。現に、外に灰が転がっていました。とはいえ、骨もロープも、俺の推理のある程度を裏付けてはくれますが、リックさんが犯人だという証拠としては弱い。あの矢もローズさんからボウガンを奪って撃って、鍵もローズさんから奪ったと考えたら、リックさん以外でも大筋は同じ方法で犯行は可能は可能です」


 ただし、と俺は付け加える。


「ローズさん、そしてリックさんの部屋のドアを調査すれば、本当にジェルか何かは分かりませんが、鍵がかかったようにネイツさんを誤認させるギミック、その痕跡が残っている可能性はあります。これは、犯人特定に充分でしょう」


「ふむ」


 しばらく黙って目を閉じて、リックは何事か考えていたが、


「こんなところでしょうね」


「え?」


 言葉の意味が分からない。


「潮時、という奴です」


 リックは目を開ける。不思議に、そこには穏やかさがある。


「抵抗して、研究所を徹底的にひっくり返して調査されても面倒ですし、皆様にご迷惑をおかけしてしまいます」


「じゃあ、認めるんですね?」


「ええ、所詮、私はこんなところですよ」


 俺の念押しにリックは頷いて、大きく息をつく。


「何故じゃ、どうして」


 呆然と呟くハヤノシンとは対照的に、ハウザーが暗い目をしてリックを見る。


「引退、いや、引退の手段か。リリーナか?」


「端的に言えば」


 リックは悪びれることなく頷く。


「どういうこと? ねえ、ヴァンは動機見当ついてるの?」


「ん、ああ」


 キリオの声にどう答えるべきか迷っていると、


「言ってみてください。私も、あなたがどこまで把握しているのか興味があります」


 当人のリックがそう言う。


「じゃあ」


 と、俺は語ることにする。





「このタイミングで起こったということは、当然、羅針盤に関係する動機だと考えて間違いない。これは、皆さん同じだと思います」


 同意を求めるように見回し、


「では、羅針盤について今回起こった発端とは何か。ジャンゴさんが、羅針盤の信憑性を自ら放棄し、今までの実績を失う代わりに、穏やかに引退しようとした。そして、それにローズさんが協力した。これが全てです」


 そう、そしてそれに俺が巻き込まれた。


「このまま話が進めば、どういう結果になったのかを想定してみれば分かり易いと思います。シャーク国の判定官とペース国の判定官、つまりレイさんによって、羅針盤が偽物と判定される。そして今までの羅針盤を利用したキジーツシステムによる実績も、全て見直されることになる」


「そう聞くと、犯人として相応しいのはわしのようにも思えますなあ。そうなれば、わしの実績も消えますからのお」


 寂しげにハヤノシンが呟く。


「ただ、実績が完全に消えるかどうかは疑問です。何故なら、ここで今までジャンゴさんが解決してきた事件の全てが、羅針盤が信用できないイコール全て解決していない、という話にはならないからです。事件が本当に解決していたのか、それともジャンゴさんによって偽物の解決が導かれていたのか、相当の数の事件が掘り起こされ、再調査されることになります」


「だろうな。ただでさえ、今は色々な事件の再調査の流れになってるのによ」


 ボブが言う。


 が、俺はそれを知らない。


「そうなのか?」


「そうだよ。つうか、お前とレオのせいだろうが」


 ああ、そうか。

 俺とレオが、今までの捜査方法を否定して、新しい組織的、合理的な捜査を主張した。その流れで、今までの解決済みの事件も再調査の流れになっているわけか。

 知らなかった。


「ともかく、そうやって再調査が行われた場合、実はハヤノシンさんのようにジャンゴさんを利用して事件を解決して、その恩恵を得ている人にとって、今回の引退は致命傷とはなりません」


「確かに。再調査すれば、事件はやはり解決していたという結論が出るのがほとんどだろうからな。なにせ、羅針盤は本当は本物だったわけだ」


 言いながら、ウォッチの顔が少しずつ、歪んでいく。

 動機に思い至ったのかもしれない。


「そうです。ならば、一体何が問題なのか。再調査、そう、合理的に、組織的に、誰もが納得できるよう再捜査して結論を出すことになる。ことがことだけに、どの国も過剰なほど徹底的に再捜査するでしょう。その、再捜査自体が問題だとしたら」


 殻のようなものだと、リックは説明していた。

 リリーナの今の人格は、ワルズ事件によってぐちゃぐちゃにされた本来の人格に被せられた、殻だと。


「当然、ワルズ事件の再捜査となれば、唯一の生き残りであるリリーナから、あらゆる情報を引き出そうとするでしょう。多少乱暴でも。あの時はともかく、今は一応はコミュニケーションがとれますし」


 リックは穏やかに言う。


「じゃ、じゃが、リリーナ殿は、もうあんな風に日常生活をおくれとる。確かに、根掘り葉掘り訊かれるのはつらいじゃろうが、それで」


「壊れますよ、ハヤノシン様。リリーナは壊れます。ワルズ事件を、あの地獄を知らなくては分からない。あの事件の直後、今の殻を被せるまでのリリーナを知らなければ、彼女の体と心に刻まれた傷というのも生易しいあの破壊の跡を知らなければ、分からない」


 最後には、まるで魔術を使うために呪文でも唱えるようにリックは言う。


「そうだろうな」


 ぽつりと、ウォッチが死人のような目をして同意する。


「あれの生き残りが、あれを思い出してまともでいられるはずがない」


「実質的には、偽物の羅針盤を処分して、本物の羅針盤を発見させれば、それでお前の目的は達成させられたんじゃないのか? どうして、ここまで面倒なことをして、ジャンゴとローズを殺した?」


 責めるというよりもまるで懺悔する表情でレイが訊く。


「羅針盤が本物でも、それを使って捜査する側が信用できないとなれば結果は同じです。ですので、ジャンゴ様が偽物の羅針盤を使ってヴァン様を告発した、という事実自体を消し去らねばなりませんでした。ですので、本物の羅針盤に変わらずヴァン様を指してもらうことで、偽物の羅針盤が存在したという事実自体を隠蔽するしかなかったのです。そしてもちろん、その事実を知るジャンゴ様本人とローズ様も、消してしまうしかありませんでした」


 穏やかだったリックの顔が、そこで一瞬だけ歪む。痛みを感じているのか。


「それなりに長い付き合いだった二人を殺すのに、躊躇しなかったのかよ?」


 ボブが言うと、


「所詮、私は忠義が似合うような上等な人間ではなかったということです。自分の、ただ一人残った家族を守るために足掻くだけの、小さな人間です」


「嘘だろ」


 そこで、ハウザーがいつもの不機嫌な顔で部屋の片隅を睨みながら口を開く。


「本当は、リリーナを守りたいって、そりゃ理由の半分だったんじゃねえか? お前、本当は傷ついたんじゃねえのかよ」


 また、リックの顔が歪む。だが無言。


「信頼してた、一緒にリリーナを癒していこうと思ってた仲間のオヤジさんとローズが、そんなリリーナに対して無神経な方法で引退しようとしていることに気付いて、お前は傷ついて、つらかったんじゃねえのかよ。だから、殺したんじゃねえのか」


「どうでしょうね」


 もうリックの顔は平静なものに戻っている。


「ヴァンを犯人に仕立て上げようとしたのもそうだ。お前が、納得できなかったんじゃねえのか。ヴァンが起こした時代の波が、間接的にお前の妹を傷つけようとしているのが。リック、お前、感情に突き動かされて今回の事件起こしたんじゃねえのか。だから、こんな穴だらけの犯行を」


「ひとつ」


 言い寄ろうとするハウザーを遮って、リックが俺に顔を向ける。


「ひとつだけ、確かなことがあります。それは、今回の事件で私がヴァン様の、いえ、合理的な捜査、推理、思考法とやらのお手並みを拝見しようとしたことです」


「そう、か」


 俺は、ようやく最後のピースがはまった気がする。

 確かに色々な理由があるとはいえ、それでも今回の事件はあまりにも妙なところで凝り過ぎている気がしていた。もっとシンプルな犯行にできたような気が。

 俺に、いや、俺が掲げている捜査方法、推理方法に、挑んでいたのか。


「そして、負けた。言い訳の余地なく、私は負けました。それが、全てです」


 そして、リックは立ち上がる。


「さて、行きましょうか」


 にっこりと、リックは微笑んでから、全員一人一人に深く礼をする。


「あ、お、おい、誰か来い!」


 そのリックの様子に気圧されるように誰もが黙っていたが、やがて気を取り直したボブがダイニングの外に顔を出し、兵士を呼ぶ。


 シャーク国から派遣された兵士が近づいてくる足音を聞きながら、俺はもう一度リックを見る。


 リックも俺を見て、また微笑む。


 リックのこんな微笑みを、初めてみたな。

 そんなことに俺は気づく。

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