推理(5)
特に抵抗もなく、リックは連れられていった。
ダイニングからリックが消えて、数秒。部屋の外の僅かなざわめきも遠くなっていき、聞こえなくなる。
「ああ」
張り詰めていた緊張の糸が切れる。全精力を使い果たしたような気がする。
折れた手足がやけに痛む。
泥のように疲れて、俺はがっくりと肩と顔を落とす。
「あ、ちょっと」
慌てるキリオの声を聞きながら、俺はゆっくりと、額をテーブルに当てるように身を沈める。
もう、何も考えたくない。
そして、意識は朦朧とする。
どこからが現実でどこからが空想なのかも分からない、朧のような時間。
額に感じるテーブルの冷たさが心地いい。
その冷たさのせいか、何も考えないには都合のいい朦朧としていた意識が、少しだけ明瞭になる。体は相変わらず泥のようで、目を開ける気にすらならないが。
だから、向き合わざるを得なかった。
俺は、傷ついている。
「おい、大丈夫かよ、ずっと寝てるぞ、こいつ」
ボブの声がする。
「うーん、疲労が限界に達して眠っただけだと思うんだけど。やっぱり、とりあえずベッドに運んだ方がいいのかな」
キリオが困っている。
「けど、意識ないままベッドに運んだら骨折悪化するかもしれないからちょっと待ってみようって言ったのはお前だろ」
「そうだけどね。けど、こんなに意識を取り戻さないなんて」
「叩き起こしちまうか、こいつ。僕の鉄拳で」
「やめろ、ボブ」
声を出せるか試しにやってみたら、意外とできる。
「何だ、起きてるのか」
「ああ」
「心配して損した」
立ち上がる音。
「心配してくれたのか?」
「ふん、僕はリックを連行するのに同行する。お前は怪我人だ。ゆっくりしておけ。おい、キリオ、ケアは任せるからな」
足音が遠ざかる。
「キリオ」
俺は名前を呼ぶ。
「何?」
声は意外と近くでする。
「他の皆は?」
「さっきまで事情聴取とかあって、今は急いで荷造りとかしているみたいよ」
「そうか」
深く息を吐く。
「打ちひしがれているな」
ドアの開く音と共に声。
硬い声。レイだ。
「自分の正しさが人に恨まれたのが、そんなにダメージか?」
「ああ、いや、まあ、そうですね」
うまく誤魔化す力もなく、俺は認める。
「自分のやったことが、ある兄妹を追い詰めてた。それは、何と言うか、正直な話、嫌な気分です」
「正しさは人を救わないことの方が多い。俺の知る限りは」
椅子が引かれる音がして、レイが隣に座ったのが分かる。
「だから、法や倫理といったルールを破って、人を救ったジャンゴに嫉妬した、が。結局、俺にはジャンゴのマネはできない。これはもう、性分だ。お前もそうだろう、ヴァン」
「え?」
「お前の提唱する捜査方法は、合理的で正しい。だが、その合理的さが、正しさが人の役に立つから、お前はそれを主張しているんじゃあないだろう。ただ、好きだからだ」
「そうかも、しれません」
いや、確実にそうだ。
ミステリマニアをこじらせて、生まれ変わったというのに引きずっている。それだけの話なのかもしれない。
そして、それが現実に、人の人生を狂わせた。
「性分に反することを、無理にしようとしてもうまくいかない。最近は、そう思うようになった。ジャンゴはジャンゴ、俺は俺だ。俺のやり方で、できる範囲で人を救えればそれでいい。そう思っている。だから、お前もそう思え。お前の正しさはリックやリリーナを救わないかもしれないが、事件が効率的合理的に解決していくことで、その他大勢の人間を救う」
「どうかな」
思わず自嘲の笑みが口調に混ざる。
「目の前で、俺のせいで救われない兄妹を見た直後じゃあ、とてもそれは信じられませんね」
そこで一度言葉を切り、一番気になっていたことを訊く。
「リリーナは、どうなりますか?」
「ローズは死に、リックもこれで塀の中だろうから、調整役がいなくなったことになる。それに、元々再捜査の流れがあった上にこの事件だ。ワルズ事件の再捜査が徹底的に行われる流れは止められないだろう」
やっぱり、そうか。
「ところで、知っているか? 有名無実もいいところだが、ペース国には捜査について定めた法が元々ある。その中で、当然、捜査の過程で罪もない人間を傷つけるようなことがあってはならないとされている」
「そんな法律はどの国にだって一応あるでしょう。シャーク国にだってある。けど、元々捜査が個人作業なこともあって、守られるどころか意識させるようなことすらないような法律だし、ましてや今回は国の威信がかかってる。何の意味もないでしょう」
それが当然の流れだし、慣例だ。だから、俺もその変革に苦労しているし、中々実を結んでいない。
「だろうな、だが、法律があるのは確かだ。そして、それが守られるのは正しいことだ、だろう?」
「え?」
いつの間にか、俺は顔を上げて、目を開いていた。
立ち上がったレイが、ダイニングから出て行こうとしている。
「性分にも合っているし、人も救えるかもしれない。自己満足くらいにはなる。だろう?」
振り返りもせずに、レイは出て行く。
「やれやれ、ですのお」
入れ替わりするように、ハヤノシン、そして続くようにしてネイツとウォッチが入ってくる。
俺は呆然として咄嗟に対応できない。
「とんでもないことになりました。ヴァン殿も災難でしたのお」
「これでお別れだが、最後に挨拶だけでもと思ってな」
ウォッチが長身をきっちり折るようにして一礼する。
「どしてネイツさんが一緒なのよ?」
キリオが不思議そうな声を上げる。
「ふふん、まあ、レイの護衛はお役御免だし、それにこのクソ爺が泣いて頼むもんだから。もう一度、影をやるのも悪くないかなってね」
悪戯っぽい目でネイツがハヤノシンを見る。
「泣いてはいませんがなあ」
がりがりと白髪頭をかいて、
「それでは、これでお暇します」
「ちょ、ちょっと」
俺は慌てて止める。
「ど、どうして、ハヤノシンさんとネイツさんが。だって、二人は」
そうだ。
ハヤノシンがウォッチの殺害を命じたことに激怒して、影を抜けたのがネイツだったんじゃないのか?
「まあ、色々ありましたな。しかし、それを言うなら、わしとウォッチにだって色々とありました。正直なところ、一時はお互いの命を狙い合っておったくらいですからの」
「ああ」
短く答えたウォッチは、目を自分の足元に向ける。
「わしは、ヴァン殿のような才気はありませぬ。じゃが、生まれ持った家柄、そこからくる権力、そういう力は持っております。力を持つものは、決断しなければなりませぬ。まあ、わしも不才ながらいくつかそういう決断をしてきて、今ではそのいくつかを後悔しております」
穏やかなハヤノシンの目が、暗い光を帯びる。
「が、後悔しながらも決断し続け、前に進まなければならないのも、まあ、力を持つものの役目でしてな。ウォッチはそれを理解してわしに協力してくれておりますし、ネイツもわしが頭を下げたら分かってくれたと、そういうことですじゃ」
「マネ、できそうもないですね。尊敬しますよ」
心から言うと、
「年の功ですじゃ。それに、ヴァン殿も、もう決断をしております。その決断の結果、誰かが救われ、あの兄妹が救われなかった。しかし、重要なのはそれではなく、それをどう受け止め、これからどうするかですじゃ。期待しておりますぞ。ヴァン殿に、できればジャンゴ殿の代わりを務めて欲しいですからのお」
「こいつは私立探偵じゃないわよ。無理でしょ」
ネイツに突っ込まれ、ハヤノシンは苦笑しながら退場する。続いて、ネイツ、ウォッチも。
「そうだ、ヴァン」
最後に、ウォッチが振り返る。
「ん?」
「ここだけの話だが、ハヤノシンは、できる限りのパイプを使って、ローズの研究をペースとイスウ、共同で再開するつもりらしい。医療用に限ってという話でな」
「じゃあ……」
「あまり期待しすぎるなよ。だが、リリーナの治療は続けることになる。実験という意味合いもこめてな」
「ありがとう、ございます」
「お前に礼を言われる意味が分からない」
そう言って、最後まで笑うこともなく、ウォッチは出て行った。
「よかったわね」
キリオに言われて、俺は自分の視界が僅かに滲んでいることに気付く。
「他力本願だけど、けど、ああ、本当に、よかった」
「うん」
「俺、泣いてたりするか?」
「ないない。でも、目が潤んではいるかな」
「そうか。ああ、ここでずっと座ってる場合じゃないな。とりあえず、休むなら部屋に戻ってベッドで寝るべきだ」
「そうそう。肩貸すわよ」
「悪い、悪いな」
俺はキリオに縋るようにして何とか立ち上がる。
犯人を告発する前までは、気力と杖だけで立って歩いていたが、今ではとても無理だ。
二人で、ゆっくりと俺の部屋まで進む。
そこで、
「ちょっと、うちのベッドで変なことする気じゃないですよね、あははっ」
ちょうど、俺の部屋から出てきたリリーナと鉢合わせした。
無邪気に笑うリリーナに、俺は固まる。
「冗談言ってないで、リリーナちゃん手伝ってくれない? ヴァンが意外と重いのよ」
キリオが自然にそう返すと、
「はい、分かりましたよー。ちょうどベッドメイキングが終わったところなのでご安心を」
おどけた口調で言って、リリーナが近寄ってくる。
無邪気な少女、そのものだった。
呆然としているうちに、俺はキリオとリリーナによってベッドに寝かされる。
「さあて、これでよしっ」
ぱんぱん、と手を叩き部屋を出て行こうとするリリーナを、
「ちょ、ちょっと待ってくれ、リリーナさん」
ようやく動くようになった口で俺は必死に止める。
「その……」
だが、何を言えばいいのか。いや、何も言うべきではないのか。
「ああ、兄さんのこと、ですか?」
何か言う前に、リリーナから言われる。
「よく分からないけど、兄さん、遠くに行っちゃったんですよね」
寂しそうな顔を、リリーナは確かにする。
「あたし、馬鹿だし、ちょっとおかしいから、あまり物事をちゃんと考えられないし、考えたらすぐに頭痛くなったり疲れちゃったりして、あと細かいところ覚えてなかったり。でも、分かってることはありますよ。兄さんが、これまでずっとあたしを守ってくれてたってこと」
そして、リリーナは笑う。
「ハウザーが言ってたんです。いつか、兄さん戻ってくるって。だから、ここで待てばいいって。ローズ様とジャンゴ様も遠くに旅に出ちゃったけど、でも大丈夫です。そのうち代わりのお医者さんが来るらしいし」
「ここで、この研究所で、待つ、のか?」
「うん、だって、あたしの家だもの」
ああ、そうか。
この少女には、ここ以外に行く場所が、ないのか。
「というわけで、お仕事行ってきまーす。兄さんいないから、料理とかも覚えなくちゃ」
くるりとスカートを翻して、リリーナは出て行く。
「キリオ」
「え?」
「リリーナの仕事ぶりでも見ててくれ」
「でも、ヴァンが心配だし……」
「大丈夫。ベッドでゆっくり休むだけだ。だから、頼む」
俺がじっと目を見ると、キリオは軽く頷いて、
「ガールズトークでもしてくるわ」
部屋を出て行って、ドアをしっかりと閉めてくれる。
ありがたい。
そうして、一人になった部屋で、俺は目を閉じて、祈る。
お願いします、神様。あの少女を助けて下さい。救ってください。
「神様……」
「神に祈るな。俺に頼め」
声。
驚いて目を開ければ、いつの間にか部屋のドアに背中を預けるようにして、ハウザーが立っている。
「目を覚ましたって聞いてな、一応、うちの内輪揉めに巻き込んだのを、代表して謝っておこうと思ってよ」
不機嫌そうな顔は相変わらずだが、いつもにも増して目つきが悪い気がする。
「ああ、そうか」
「まあな」
「リリーナは」
「あん?」
「ずっと、ここにいるのか?」
「しょうがねえだろ、他に適当な場所知らねえし」
肩をすくめて、
「この場所の維持費とあいつ一人を養うくらい、何とかなるだろ。俺がオヤジさんの跡を継いで、探偵を続けりゃな」
「続けるのか?」
「ああ、二代目ジャンゴだ。おかしいか?」
「いや」
ちょっと想像はできないが。
「頑張ってくれ」
「まだまだ、青い狼を潰すために、非合法な捜査や拷問紛いのことでもしなけりゃいけないのは事実だ。だから、それをする私立探偵の需要はあるし、外道の真似事でもそれで救われる人間だっているだろ」
ハウザーは頭をかく。
「だったら続けるぜ、俺は。それで金を稼いで、ペース国やイスウ国、シャーク国の犬にでもなって、生き延びてやる。最初はオヤジさんの真似事しても誰も俺なんかにゃ見向きもしないかもしれないが、それでもやってやる。リックが戻るまで、俺がリリーナを食わせて、治療を続けさせないとな」
「優しいな」
思わず言う。
ようやく分かった。こいつの目つきがいつもより悪いのは、気合が入っているからか。
「あ? お前、気付いてなかったのか? 事件についちゃあんなに鋭かったのに」
目を丸くして、ハウザーは素っ頓狂な声を出す。
「え?」
意味が分からない。
「だからよ」
目つきの悪い少年は顔を部屋の外に出し、様子を窺った後、俺のすぐ傍に寄って、耳元で囁く。
少し照れくさそうな声で、
「要するに、俺は惚れてるんだよ」




