青い狼(3)
「一階がいわゆる居住スペースになっているわ。一応、全員分の部屋はあるから安心して」
ローズの案内を受けつつ、鉄製の扉を潜ると、外観からの想像通りの、白く清潔な空間が広がっている。
その廊下に個室の扉が並んでいる様は、まさしく以前の世界の病院を連想させる。
「で、とりあえずこっちにどうぞ。こっちがダイニングなの」
ローズの後に続くと、扉が並ぶ廊下の突き当たりに、右方向に階段、左方向に個室のものとは違う大きな木製の扉がある。
扉を開くと、中はこれまでの病的なまでに白い空間とは打って変わって、木目調の壁と床と天井の、ほっとするような空間が広がっていた。
その中心に長テーブル、そしてそのテーブルを囲んで三人の男女が座っていた。
一人は、俺が青い狼の一員だと告発された場にいたあの少年。あれが無手のハウザーだ。
少年は相変わらず不機嫌そうに、椅子の上で片膝を立てて天井の片隅を睨みつけるようにして、入ってきた俺達を見ようともしなかった。
一人は、ペースの士官が好んで着る青と白を基調とした支給服に身を包んだ、長髪の美しい男だった。
目は鋭く冷たく、顔は美術品のように整っている。座っていても分かるくらいに背が高い。おそらく巨人族の血が反映されているのだろう。あまりにも非現実的な見た目のため、年齢がよく分からない。
その美しい男に寄り添うようにして座っている、こちらも男ほどではないが長身の女性。俺より少し年上といったところか。
赤い髪を長く伸ばした、艶めかしい大人の女性、という感じだが。
どうしてだろう、どこかで見覚えがある気がする。この顔立ち、それに黒いレザーのジャンパー、長手袋、ブーツ、ロングスカートという服装から受ける印象。
「あ」
だが俺が何か思い出すよりも早く、その女性が俺達を見つけて嬉しげに顔を綻ばせる。
「あなたたち、シャーク国の?」
「ええ、まあ」
俺が頷くと、
「じゃあ、ヴァンってどの人?」
「ヴァンは俺ですけど」
「君が、ああ、そっかあ」
笑顔で立ち上がると、女性は距離を一瞬で詰めて強引に俺の手を握った。皮手袋がひんやりと冷たい。
「どーもどーも、うちの妹がお世話になったみたいで」
「妹?」
一瞬のうちに、彼女の顔立ち、そして似たような服装をどこで見たのかが頭の中でつながる。
「あっ、ひょっとしてエニの?」
俺から出たその名前に、横のキリオがびくりと震える。
「そうそう、やっぱり分かる?」
「似てますしね。それに、服装が、ほら」
「ああ、これ? これは炎術師は皆似たような服装をするんだけどね」
くすくす笑いながら女性はロングスカートのすそを持ち上げて、
「あたしはネイツ。よろしく、ヴァン。それと妹がお世話になったわね」
「別に世話してないですよ」
「そう? それにしてはあの事件の後、あの子君の話ばっかりしてたけど」
「ところでネイツさんは、どうしてここに?」
横のキリオが明らかに不穏な空気を出しているので、俺は慌てて話を進める。
いつの間にか、現れた時と同じようにローズの姿はなくなっていた。
「護衛よ。これでも、腕利きの炎術師だから。ほら、あそこの美男子の」
「下らん」
彫像のような美しい男が、白く長い指をテーブルの上で組んで、その指を見たままで吐き捨てる。声も固く冷たく鋭く、そして美しい。
「美男子なぞと呼ぶな。俺を紹介するなら名前と職業でいい」
「はいはい、相変わらずお堅いわね。あの人はレイ・コルト。ペース国の聖遺物判定官よ」
聖遺物判定官。
かつてダンジョンの攻略が国を挙げての事業だった時には、どの国にも数十人は存在したとされる役職だと聞く。
ただ、今はもう新しく聖遺物が発見されることなど少ないから、各国に二、三人のはずだ。
その名の通り、聖遺物かどうかを判定するのが役割だ。それだけ聞くと技術職のようにも聞こえるが、実際には荒事が多い。
当然だ、ダンジョンで発見されたレアアイテムを判定して、もしもそれが聖遺物の場合、それは国によって保管されることになる。発見者である冒険者にはそれなりの報酬が渡されるが、聖遺物の価値とは比べものにならない。
だから、冒険者は口先で、賄賂で、そして何よりも力づくで、判定官に手に入れたものを聖遺物ではなく単なるアイテムとして判定させようとする。
逆に聖遺物判定官は、その全てをはねのけて公平に判定する力が必要になる。
戦闘力、精神力、知力が。
確かに、このレイ・コルトという男は強い。強く、固く、鋭く、冷たい。見ただけで分かる。
ふと、レイの組んでいる指のうち数本に、肌の白さから浮き上がるように目立つ赤い蚯蚓腫れのような傷痕があるのに気づく。
「ジャンゴにやられた痕だ」
俺の視線に気づいたレイが、相変わらず目を自らの組んだ指から離さずに言う。
「運よく、くっついた」
「うちのオヤジとレイさんは、昔からやり合ってたからなあ」
ハウザーも相変わらずに視線を天井の隅に向けたままで、しかし見た目よりは遥かに和やかに会話に入ってくる。
「昔から噂はあった。そして奴は調査を拒否した。争いもする」
そこで、ようやくレイは顔を上げて視線を俺達に向ける。
「だが、噂の真偽がようやく確かめられるわけだ。君達のおかげでな」
ようやく、噂というのが、ジャンゴの聖遺物の所持に関するものだと見当がつく。
「ところで」
ふっとレイの目が鋭さを増し、冷たく尖る。
「君が、青い狼の一員だというのは本当か?」
その目は、まっすぐに刺し貫かんばかりに俺を見ている。
瞬間、ここで適当な態度を取ったら、その瞬間殺されると気づいた。
考えるよりも先にそれを理解して、俺は反射的に魔術の準備をしながら、
「違いますよ」
と嘘偽りなく答える。
離れているのに、まるですぐ傍で目を覗きこまれているかのような感覚だった。レイが、俺を探っている。
「そうか」
沈黙の後にそれだけ返事をすると、それきり興味をなくしたようにレイは目を組まれた指に戻す。
「何だ、青い狼に因縁でもあるのか?」
やけに尊大な調子でボブが問いかける。
ペース国にシャーク国が舐められないためにも、ここで下手にでるわけにはいかないと思っているのかもしれない。
「因縁、そうだな」
レイの冷たい声が、もう一段階、凍えるように冷たくなる。
「俺は、騎士団の出身だ。五年前は、ペース国騎士団として、国内における青い狼の事件を担当することもあった」
そのレイの言葉を聞いた途端に、部屋の空気が一気に沈んだ。
さっきまで傲岸だったボブまでもが、気勢を削がれたようにうろたえる。
五年前。ペース国。青い狼。
このキーワードから連想されるものは一つしかない。
青い狼が起こした大規模な凶悪犯罪の中でも、一、二を争う有名で悲惨な事件。村一つが消滅した、「ワルズ事件」だ。
五年前、ペース国の辺境の村が、青い狼に蹂躙された。村は滅ぼされ、女子供に至るまで殺された。金目のものを奪うとか、身代金を取るとか、人身売買をするとか、そんなものですらない。ただ、殺すだけ。殺すために殺し尽くした事件だ。
その殺し方は凄まじく、異常を察した騎士団が向かった時には、村の家は焼かれ、井戸には毒が撒かれ、田畑には塩が混ぜられていたという。そして、明らかに長時間かけて、嬲りに嬲って殺されたと思われる村人の死体が無数に転がっていたという。
現場を見た騎士団や後に調査に来た探偵はもちろん、その詳細が書かれた報告書を読んだ士官の中でも精神を病んだ人間が出たという話だ。
急速に膨れ上がった青い狼の、その中でも殺しや暴力だけを好む連中だけが作った一派が起こした事件というのが真相だったらしい。
「ああ」
そこで思い出す。
「ワルズ事件を起こした一派を逮捕したのは、ジャンゴだって噂が流れていましたね」
事件を起こした一派は全員捕まった。その一派は誰もが青い狼全体からすれば下っ端で、結局青い狼全体の情報はそこから掴めなかったらしいが。
嘘か真かは分からないが、その一派を逮捕したのが私立探偵のジャンゴだという噂は当時から流れていたはずだ。
「そりゃ噂じゃねえよ、本当のことだ」
ハウザーがようやく俺を向く。
俺よりも一つか二つ下の少年に見えたが、よく見れば同い年、いや下手をしたら年上かもしれない。ただ、背が低くて童顔だから年下に見えただけらしい。
何か思い入れがあるのか、ハウザーは遠い目をしてその時のことを語る。そこで気づいたが、どうやら彼は目つきが悪いのが生まれつきらしい。回想している顔ですら誰かを睨んでいるかのようだ。
「元々、あの当時からうちのオヤジはずっと青い狼を追っていた。あの事件に関わるのも自然な話ではあったんだよな。で、いつものやり方で一派を捕えた。拷問と実験……じゃなかった、尋問を担当したのはローズだ」
「いつものやり方?」
その一言を、ボブがすかさず突っ込む。
「ああ、いや」
口が滑ったのを後悔するようにハウザーは顔を逸らす。
「聖遺物を使ったシステムだ」
代わりに答えたのは冷たく鋭い声だ。レイが相変わらずの姿勢と目線のままで答えていた。
「だろう?」
「レイさん、それに俺が同意するわけがないでしょうよ」
ハウザーは面倒そうに肩を竦める。
そうか、レイ、というより国に対しては、聖遺物を持っているなんて言えるわけがないものな。
納得すると同時に、今まで抱いていた疑問が膨らみ、堪えられず質問する。
「聖遺物を使ったシステムって、どんなシステムなんですか? それが、聖遺物判定官がここにいる理由ですか?」
そうだ、そもそも聖遺物を所持しているという噂自体は聞いたことがあるが、それだけで判定官が、しかもペース国の判定官だけがこの場にいるとは思えない。
「む、それは」
レイは言い淀んだ後、俺達に目を向ける。
「ここで話すべきだと思うか?」
「え?」
その質問で、俺達ではなく俺達の後ろに立つ誰かにレイの目が向いているのだと気づいて、振り返る。
「うおっ」
ボブが思わず仰け反って驚く。
俺達の後ろ、ダイニングの入り口に、いつの間にかローズ、そして金髪ショートカットの可愛らしいメイドと、同じく金色の髪をオールバックにしたまだ若い執事が立っていた。
メイドと執事の手にはティーカップとポット、そしてミルクや角砂糖がある。
「全員揃ってからの方がいいでしょう、面倒がないし。それより、お茶でもどう?」
「はいはい、皆さん座ってくださいねー、今すぐおいしいお茶を淹れますから」
立っている俺とキリオ、ボブを座るように促しながら、フリルエプロンを翻してメイドがお茶の準備をしていく。
後を続くように、執事が無言でミルクや砂糖を置いていく。
妖精のように笑顔と共にテーブルを回っていくメイドに気圧されるようにして、俺達は席に着く。
ローズも、あの物騒な白衣のままで優雅に席に座る。
「そうそう、シャーク国組は初めてよね。紹介するわ、メイドのリリーナと、執事のリック」
「執事じゃありませんよ、私は助手です」
さも不愉快そうにリックが顔をしかめるが、声にはローズへの親しみが込められているように聞こえる。
「この格好はローズ様の趣味で着させられているだけで、あくまでも助手ですので、皆様お間違えなく」
と、丁寧な口調で優雅に頭を下げるリックの様は、完璧な執事そのものだ。
その様子を見て、けらけらと明るく笑うリリーナ。
「兄さん、もう諦めたら?」
「うるさいな、放っておけ」
煩わしげに唸るリック。
ああ、この二人は兄妹なのか。確かに顔立ちや線の細さが似ている気がする。もっとも、妹の方が明るいのに比べて、兄の方はかなり堅物っぽいが。
「お茶をいただこう」
見た目からは意外なことに、ミルクと砂糖を大量に入れたお茶を美味そうにレイが飲む。
「あー、もう、だから、そこまで入れたらお茶の香りが分からなくなるって言ってるのに」
リリーナが口を尖らせる。
「味覚が子どもなんだよ、レイさんは」
砂糖もミルクも入れずにお茶の香りを楽しんでいるハウザーが笑う。
「何とでも言え。個人の好みだ」
「ん、美味しいよ、これ、ヴァン」
適量の砂糖を入れたお茶を口にしたキリオがはしゃぐ。
「ふん、まあまあだな」
あのボブすら認めている。
「どれどれ、おお、これは」
俺もお茶を口にすると、その途端、花の香りが鼻に抜ける。その後、その香りが口内と喉で柔らかく膨らんでいく。
お茶には詳しくないが、これがかなり上等なものだということは分かる。
「これは美味しいな」
正直な感想を口から漏らすと、にっこりと笑ったリリーナが顔を覗き込んでくる。
「分かる? ええっと」
「ヴァン、ヴァン・ホームズだ」
「ヴァンさん、美味しいでしょ、そのお茶。あれでローズさんってお茶が趣味だから、いいお茶揃えてるのよ。で、そこにアタシの一流のお茶の淹れ方。もう美味しくないわけがないのよ」
「偉そうに。お茶の淹れ方を指導したのもあたしなのに」
ティーカップを片手に、優雅に苦笑するローズはなかなか絵になる。
こうして、多少のぎこちなさは拭えないものの、主にリリーナの明るさによって、ダイニングの空気は和やかで、明るいものになっていった。
その和やかさに飲み込まれまいと渋い顔をしているボブを見るまでもなく、俺にもこの空気が茶番であることくらいは理解している。
ただ、それを差し引いてもお茶が美味しいのは確かなので、ひとまずはこの場を楽しむことにする。




