ジエリコ混入事件一応のおしまい
今ではただの食堂か給湯室になり果てているとはいえ、研究室という名の通り、研究に使っていた様々な器具が部屋の中にはある。その器具を使って、薬品がどう僕たちの飲料に混入されていたのかを分析する。
結果はすぐに出る。水だ。部屋の隅にある大元の水のボトルに、薬品が混ぜられている。
「あとで、今日以外用の水のボトルにも混入されているかどうか確かめないといけない」
ルイルイが言う。確かに、それも必要か。あの倉庫2にはこれから2、3日分の水や食料、医薬品もろもろが小分けにされているんだったな。
「まあ、それは後でいいでしょ。さて、じゃあ、このボトルに薬が混入されたのがいつなのかって話だけど……」
「いつでもありうるだろうね。この水のボトルが前回の潜水館で運び込まれたのが三日前。それ以降、いつでもいれる機会はあった。置いてある倉庫に行って、薬を入れればそれでおしまいだ」
ディーコンが説明する。
「あるいは、更に前ってことも考えられるぜ。水がどこかしらでボトル詰めされる前だとか、潜水館に運び込まれる前だとか」
にやつく表情からして、そう言っている本人のエーカーすら、信じていないようだ。
「ジエリコって、水に溶かしたままずっと置いといても問題ないんですか?」
そもそもの疑問を僕が訊いてみると、
「さあ? 専門家でもないしなあ。誰か、分かる奴いるか?」
エーカーの質問に手を挙げる者はいない。
「……強いてわたくしから言えば、ずっと水に溶かしたまま常温で置いておくと、水が変質したりする可能性は、まあ、ないこともないでしょう、くらいでございます」
誰も喋らないので仕方なく、といった感じでエジソンが述べる。
「専門家でも、実際に実験しなければどれくらいジエリコが水に溶かした状態で『もつ』のかは分からないのではないか、と予想いたします」
「とはいえ、さすがに一日二日でダメになることはないだろうけどね。それ以上となると……どうだろ?」
ヴァンは首を捻ってから、
「現実的に考えると、やっぱり薬が混入されたのは、少なくとも潜水館に運び込まれて以降だ、と思った方がいい。それにしたって、さっきディーコンさんが言ったようにチャンスはいくらでもあった。ここまではいい?」
異論はない。
「で、だ。ただ、そのいくらでもチャンスがあるっていうのは、ある前提がある。つまり――」
ちら、とヴァンが目をやると、とたんにビンチョルは震えあがる。
「そこのビンチョルとニャンが混入事件の犯人ではない、という前提がね」
「ええ。逆に、ビンチョルとニャンには薬を混入するチャンスがないはずです」
イースターが張りつめた顔で補足する。
「彼らがやってきたのは昨日の荷物に紛れて。そして、それから彼らが予言機のある部屋に押し入って、それから倉庫に監禁される前の間、彼らはここに、研究室には入ることができない」
「荷物の積み下ろしから、予言機の部屋の押し入りまでの間、研究室には少なくとも私がずっといたから。逆に、私ならいつでも薬を混入できた」
ルイルイが引き取る。
「もちろん、タイミングによってはルイルイ様以外にも研究室にいました。わたくしや妻、ココア様にヴァン様、エーカー様、ディーコン様……つまりほとんどですね」
慌てた様子でエジソンがフォローする。
「ともかく」
とヴァンがまとめる。
「ビンチョルとニャンが薬を混入したと考えるのが難しいわけだ……ビンチョルはそこらへん、何か知らないの?」
「知らない。本当だ。薬の話なんて、何も聞いていない」
青白い顔でぼそぼそと喋るビンチョルは嘘をついているようには見えない。いや、そもそも、ニャンの共犯だということは分かっているのだから、ここでビンチョルが嘘をつく意味がないか。
「じゃあ、もう一人ニャンの共犯者がいて、そいつが薬を盛ったってわけね。だったらもう、話は決まりよ、決まり」
言い放つメアリの視線はまっすぐにタリィを向いている。
「それはそうだろうな。俺が疑われるに決まっている。ニャンの信奉者だった俺が」
陰鬱に言うタリィは動揺した様子はない。疑われることは分かっていたからなのか、それともニャンの死に対する衝撃でそれどころじゃあないのかは分からない。
「ただ、今はこうやって拘束された状態だが、これ以前も、拘束こそされていなかったが、常にイースターに監視される立場だったことは分かっているだろう?」
「ああ。確かに、犯罪者であるタリィは常に俺が監視していましたし、ましてや必要物資の置かれている倉庫への出入りなど許されるわけがない」
イースターが同意する。
ということは、薬の混入にはタリィは関わっていない、ということだろうか。
「ちょっと待ってくれ。話を整理したい」
ディーコンが頭を押さえている。
「つまり、タリィ以外に、俺たちの中にニャンの共犯者がいた、ということか?」
「そう考えるのが妥当だと思う」
イースターは同意するが、僕はちょっと引っかかる。
何に引っかかっているのか自分で考えてみて、すぐに気付く。動機だ。共犯の動機ではない。そうではなくて、つまり。
「ちょっと待ってください。そもそも、どうしてジエリコは混入されたんですか?」
僕の疑問に答えられる者はいない。全員黙ってしまったので続ける。
「ニャンの共犯者がジエリコを混入したっていう論は、ジエリコの混入がニャンの犯罪計画の一部だっていう前提があってのものですよね? でも、ジエリコを混入したからなんだっていうんですか?」
「眠らせようとしたんじゃない?」
自信なさげにメアリが言うが、
「あの薬はそれほど強力なものではないんでしょう? あくまで睡眠導入剤に過ぎない。だから、あれを飲ませたら全員眠ってしまってその隙に何かする、なんて計画は立てられないはずです」
「爆睡した奴がよく言うな、とは思うけど基本的には同意だぜ」
エーカーは頷いてから、
「つまり、どういうことになるんだ?」
「……そうですね。結局、ジエリコ混入の意味が分からない以上、パターンが4つに分かれると思います」
自分でもメモに整理しながら僕は説明する。
「まず大きく分けて、ジエリコ混入がニャンの犯罪計画に①関係あるか、②ないか。ある場合は、①の1、ニャンが何らかのトリックを使ってジエリコを混入したパターンと、①の2、この中にいる誰かが共犯者で混入したパターンに分かれます。関係なかった場合、②の1、ニャンとは無関係に何らかの目的のために誰かが混入したパターンと、②の2、ニャンと関係した理由で混入したパターンに分かれます」
「ちょっと待ってほしい。他はいいが、②の2の、混入がニャンの計画とは関係していないのにニャンと関係した理由で混入したというのは――」
言っている途中でイースターはそれが何を意味しているのか分かったらしく、言葉を止める。
僕は頷いて、
「つまり、ニャンの殺害のためにジエリコ混入が必要だったというパターンです――どうしてなのかは、全く分かりませんが」
ジエリコを混入することでニャンを殺害することとつながる、その仕組みが今のところ推測すらできない。ただ、ありえない話ではないはずだ。
「ねえ、もう一度言うけど、ニャンを殺した人は名乗り出ない?」
ヴァンが突如として言う。
「あいつ犯罪者だし、そのままにしといたら何をするか分からなかったし、正当防衛みたいなもんだ。前にも話したけどそもそもドラゴンイーターなんて胡乱な存在だし、法的にも倫理的にも罪にはならないと思うよ。どう?」
しばらく全員黙って待つが、誰からも声は出ない。
「……ふーん、そっか。そうなると、ジエリコ混入もそうだし、そもそもニャン殺害も、いまいち動機が分からないな……『狂人の論理』パターンかな」
ぶつぶつと呟くヴァンの言葉は、半分くらいは理解できる。確かに、まともな理由で殺したのなら、今この場で名乗り出てもいいはずだ。いや、まともな理由でなくとも、罪になりそうもないのだからここで名乗り出ていいはずだ。なのに、どうして?
「とりあえず、ジエリコ混入事件だけを考えてもどうしようもないね。この話はいったん置いといた方がいいんじゃない?」
ヴァンの提案ももっともだ。そういうわけで、最後にルイルイの言っていた、倉庫のチェックをしてこの話は終わりにすることになる。全員で倉庫2に移動する。
なるべく横のニャンの死体を見ないように気を付けつつ、チェックをしていく。
倉庫の中にあった明日や明後日分のラベルが貼ってある水や食料には、ジエリコは混入されていなかった。また、そこに用意されているジエリコも特に減ったりはしていない。
「新しいジエリコが来たら、古い分のジエリコってどうなるの?」
ヴァンの質問に、そのあたりの管理をしているルイルイが、
「間違いなく、廃棄処分になる。倉庫1の方に私が持っていってまとめて置いているわ。一応は薬品だから、勝手に廃棄したジエリコを使用する人間がいないように、毎日数もチェックしている」
「ふうーん……ジエリコって、当たり前だけど、外でも手に入るんだよね?」
「当然でしょう。外の方が手に入れやすいですよ。それほど強い薬ではないから、簡単に手に入る」
一時期、あの事件のせいで不眠症になっていたからお世話になりましたよ、とディーコンが語る。
「だったら、外からジエリコが持ち込まれたと考えてもいいわけか」
言いながら、ヴァンは首を捻っている。何か引っかかっているのだろうか。
とりあえず全員で研究室に戻り、混入事件についてはいったんこれで終わる。話は次に進むことになる。本題とも言える、ニャン殺害へと。




