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探偵の到着

 尻を置いている石段から、冷気が背骨へと染み込んできている。凍えそうだ。

だが、立ち上がるだけの気力がない。そう、僕は落ち込んでいる。

落ち込んで、例の屋敷の門の近くにある石段、そこへ、霜が降っているのを払う力もなく、そのまま座り込んでいる。

さっきの光景。床に人形のように倒れてぴくりとも動かないソラの姿。ずっと止まらないハヅキの絶叫。目にも耳にも張り付いていて、消えてくれない。


「……どうして」


 ヴァンと付き合うようになって、殺人事件には何度も巻き込まれた。

 目の前で人が死んでいたのも、初めてではない。だというのに、どうして今回に限って、こんなに責任を感じるのか。罪悪感。むざむざと、僕が死なせてしまった。その感想がぬぐえない。


 まかされていた、からだろう。そう結論が出る。

 ヴァンに、この事件をまかされていた。ヴァンがこの場に来ることができるまで、僕がまかされていた。それなのに、新たな犠牲者を出してしまった。

 それが、罪悪感となっている。

 最後に、ソラと話していたこともしこりとなって残っている。彼女は、ヴァンが来たら、話したいことがあると言っていた。僕はそれを無理に聞き出すこともないと思っていた。そうして、彼女はヴァンが来る前に殺された。これは、僕の責任だ。たとえ誰に否定されようとも、そう考えることを止められない。


「大丈夫っすか」


 捜査がひと段落ついたのだろう、アオイが屋敷から出てくる。


「ああ、アオイさん」


「まあ、ちょっと刺激の強い光景でしたよね。なんたってあれは――」


 言いながらアオイは紙資料を取り出す。元々の余白にも何やらびっしりと書き込まれている。


「一応、現時点で分かったことをまとめてあるっす。マサカドさんからは許可をもらってますから、今この場で伝えましょうか?」


「ああ、頼みます」


 やはり立ち上がる力がなく、のろのろとメモを取り出す。


「イワンの殺人事件の影響で、毎朝の集会は中止になっていました。だから、この本部にはソラ、ハヅキ、ギンジョ―以外には誰もいませんでした」


「捜査している探偵は?」


「あ、もちろんそれはいたっすよ、そりゃ。ただし、夜は屋敷の中でも死体の発見現場――あの聖域っすか、あの周辺の警備してただけっすね。それから、屋敷周辺の見回り、警備をしていた探偵士も2、3人はいましたけど……」


「例の死体発見現場以外なら、侵入はたやすい、そういうことですね」


「そうっすね、面目ないっすけど、まさかまた殺人が起こるなんて想定してなかったっすからね。ともかく、そういう状況で、昨夜は何事もなく、聖域に入ることもできなかったため三人はソラの部屋で簡易的に祈りを捧げたらしいっす。日課の儀式っすね。本来は聖域でご神体の杯に向けてやるらしいんすけど。で、その後、ハヅキとギンジョ―はそれぞれ自室に戻る、と。そして翌日、ソラを起こすことを日課としていたハヅキがソラの部屋に行ったところ」


「あの状況だった、と」


 気が滅入ってくる。


「第一発見者のハヅキが半狂乱になっているんで、そのハヅキの叫びを聞いて飛び込んできたギンジョ―の証言からですが、おおむねこういう流れっすね。で、ソラですけど、流れ出た血が半分凍りかけている状態っすけど、それでも大まかには死亡推定時刻は割り出せたっす。まあ、深夜っすね、結局のところ。だからあの三人が解散してすぐ、とか、あるいはハヅキが起こしに来る直前、ってことはないってことっす」


「……それだけじゃないでしょう?」


 いまだに瞼に張り付いて剥がれない光景。


「まあ、そうっすね」


 アオイも顔をしかめて言い淀んだ後、


「ソラは真正面から刃物で心臓を一突き。まあ、かなり手馴れているって印象っすね。よほどの手練れか、もしくはソラがよっぽど心を許して油断していたか。で、その後、犯人は、どういうことか分からないっすけど」


一度言葉を切り、


「――ソラの指を全て切断しているっす」


 そう、あの光景は夢に見そうだ。

 凍りかけた血の池に沈む少女。その両手には、指が一本もない。冗談のような光景。


「うぷ」


 吐き気がする。気分が悪いこと、この上ない。

 あの、どこか超然とした雰囲気の少女。その、ソラの顔が苦痛に歪み、血にまみれていた。あれを、忘れることなど。


「大丈夫っすか?」


 心配そうなアオイに、片手を挙げて大丈夫だとサインを送り、僕はメモをとる手をとめない。止めるわけにはいかない。ふがいない僕には、それしかできない。


「まだ、ハヅキは?」


「ええ、ずっと絶叫を続けたと思ったら、そのままぶっ倒れて……まだ眠ったままっすよ。だから、話を詳しく聞くとしたら、ギンジョ―だけっすね」


「アオイさん、その」


 ずっと座ったままというのもさすがに気がひけるので、よろめきながらも立ち上がる。少しだけ気力も回復した。


「実際、どう思います? ギンジョ―は――」


「言いたいことは分かるっすよ。確かに、いくらギンジョ―に話を聞いても意味はない気はするっすね。怪しい人間がいたとか、何か気が付いたことがあれば最初の証言で言ってるでしょうし、もしも敢えて言わないことがあるなら、これからどれだけしつこく訊いても言わないでしょうしねえ」


「状況から見れば、ギンジョ―、それからハヅキが犯人だとしてもおかしくないですからね」


「ん、まあ、そうっすけど……ただ、はっきり言ってしまえばイワンの時に比べて今回の殺人は特に謎はないっすからねえ。いや、誰がやったのか、とか、どうして指を、とかはもちろんあるっすけど」


 状況が不可解なわけではないのだ、とアオイは言う。


「だから、ギンジョ―、ハヅキが犯人でもソラを殺せるっすけど、それを言ったら誰でも殺せるんすよね、この殺人に限れば。この屋敷で殺されたからこの屋敷の中にいた人間が怪しいって、そんな話でもない気がするんすよね」


 まあ、確かに。それは僕もそう思う。そもそも、今回の殺人がイワンの殺人と無関係だと考えるのが無理がある。となれば、偶然や衝動的にソラが殺されたとは思いにくい。殺害現場に近い場所にいたから犯人に近い、と単純には考えにくい。


「……ソラが殺されただけで、何も新たに分かったことはない、ということですよね」


 はあ、と深い深いため息が出てしまう。鈍色の空を見上げる。さっきからずっと寒い寒いと思っていたが、寒いはずだ。粉雪が降ってきている。


 これから、どうすればよいのだろう。途方に暮れる。


「とりあえず、ハヅキの回復を待った方がいいっすかねえ」


 アオイの声も、どこか遠い。


 一体、僕はどうすれば。

 答えはない。ただ、粉雪が空から舞い降りるのを眺める。





「結局、予言は外れか」


 声。


 微かな予感と共に、曇天を見上げていた首をゆっくりと戻す。


 黒尽くめの恰好、陰惨な表情、疲れ果てたような雰囲気、どこをとってもポジティブな要素のない、だけど今の僕にとってはまるで救世主のように見える姿が、そこにある。


「あー、もう、遅いっすよ」


 横から聞こえる、文句を言うアオイの声が、急に近くなる。


 名探偵、ヴァン・ホームズがやってきた。

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