ココアとアオイの状況整理
唐突にドアが開く。
「いやあ、お待たせしたっす。ホージョウの奴がなかなか頑固で……でもやっぱり、あの大会の後落ちぶれたホージョウはビンチョルのとこの組織に吸収されたので間違いないみたいっすね。典型的な小悪党で、中途半端に後ろ暗いことをしては稼いだ金をせっせとビンチョルや他の組織の幹部に上納しているみたいっす」
べらべらと喋りながらアオイが部屋に入ってくる。ご機嫌だ。ノックを忘れるほどに。
「まあ、あとはこれでウチの師匠――マサカドさんが入ってくれれば絶対にオチるっすよ。これでようやく念願の……ああ、いや、それはいいんすけど」
「なるほど」
ようやく、ずっと引っかかっていたことの一部が氷解する。
「そういうことですか。何がどうあれ、今では一介の元探偵に過ぎないヴァンさんを捜査に参加させるなんて、どう考えてもおかしいと思ってましたけど、元々あなたたちの狙いはそっちですか」
「うっ」
しまった、という顔を一応するアオイだが、そこまで深刻さはない。おそらく、いつばれてもいいと思っていたのだろう。
「ま、まあ、そういうことっすね。元々、あたしの師匠筋、元上司にあるマサカドさんってのが、ここ数年ずっと犯罪組織を追ってるんすよ。組織っていうのもはばかれるほど緩い連帯なんで、マサカドさんもずっと苦戦してたんすよね。末端捕まえてもトカゲのしっぽ切りで終わりだし。で、そこに」
「この事件が起こった。この事件の捜査にかこつけて、ホージョウ、それからビンチョルを捜査するために。元々、このホテルのこともご存知だったんですね」
「そうっすけど、ただもちろんマサカドさんもあたしも、殺人事件の捜査の方をおろそかにするつもりはないっすよ。ただ、先に全力で組織犯罪の方に取り組むだけで……」
「その間、ヴァンさんを捜査に協力させることで、有名な元探偵の捜査参加っていうのを目くらましに、殺人事件の捜査の方に力が入っていないことを誤魔化そうとする、と」
「多分。マサカドさんにはそれ以上に何か考えがあるのかもしれないけど、分からないっすね……あれ? 何ですか、それ?」
と、ようやく僕の持っている紙束に気付く。
そこで、事件の資料が届いたこと、そして勝手に少し読んでしまったことを謝り、さっき内容を読んだ中で気になった、というより衝撃を受けた点を簡単に説明する。
「ふう、む。なるほどっすね」
ご機嫌だった顔が真剣なものになり、アオイはすっかり考え込む。僕から資料を受け取り、黙ってぱらぱらとめくって熟読していく。
「どう思います?」
黙ってしまったアオイにそう声をかけると、しばらく唸った後で、
「やっぱり、胃の中に例の箱――というより、囲いにふたがついたもの、って言った方がいいんすかね、とにかくあれの鍵が入ってたっていうのが、意味が分からないっすね。他の情報に比べて、これがあまりにも意味不明っすよ。あの中に入っていたナイフもどきの意味も分からないし……あれは結局、魔術の補助を行う古くて安物のマジックアイテムだってこと以外、特に分かってないっすからね」
「猟奇的な意味合いで犯人が飲み込ませたっていうのは考えられます?」
「いやーありえないでしょ。やんないっすよ、普通」
半笑いでアオイが否定する。
「どうしてですか?」
「え? どうしてって……だって猟奇的な意味だったら、小さい鍵飲ませるなんて超地味なことしないっしょ。あのナイフもどきを直接喉に突っ込むとか、他にいくらでもあるじゃないっすか」
うえ。
気持ち悪いが、しかし確かにその通りだ。小さい鍵を飲み込ませるなんてよく考えてみれば猟奇的でも何でもない。
「うーん、しっかし、よく分からない事件っすねえ……せっかく例の組織のしっぽを捕まえられそうってことで、こっちが順調だとそっちは難航か。うまくいかないもんっすね」
同感だが、一方でさっき情報を整理した僕には別の感想もある。
今回の事件は誰が犯人であってもおかしくない事件だ。つまり、不可能犯罪ではない。それこそ、通り魔がイワンを殺し、死体を聖域に放り込んだのだとしても、無理ではない。やはり殺害現場が重要になるか。
「まあ、ここで話をしていてもしょうがないっすね。現場百遍、って言葉もありますし、またあの三人にも話を聞いておいた方がいいし、行きましょうか?」
もちろん、僕としてはそれを断る理由もない。
殺人事件の現場だ、という理由だけではない。元々ある陰鬱な雰囲気を感じるその屋敷を見上げる。何度見ても廃墟にしか見えない屋敷だ。生活感も人の気配もない。
さすがに殺人事件があったから一般の信者はまだいないのだろうが、あの三人は今日もこの建物の中にいるはずだ。いや、それだけではなく捜査のために多くの探偵士も。だというのに、まるで人の気配を感じないのは、この屋敷自体が人の気配を食っているのか。そもそも立地も悪い。町の中心部に近いというのに、あまりにも静かすぎる。今降っている粉雪の、その雪の降り積もる音も聞こえそうだ。
雪を踏みしめながら正面入り口に近づくと、やはり当然ながらそこにはちゃんと警備の探偵士の姿がある。当たり前なのだけれど、何故か僕は少しほっとして、アオイと一緒に頭を下げて中に入る。
屋内だというのに、下手をしたら外よりも寒々しく感じるような薄暗い空間。
「じゃあ、話をもう一度聞きに行くっすか?」
そう言って二階に上がろうとするアオイに、
「あ、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「はい?」
「先に、現場をもう一回調べてもいいですか?」
報告書に書いてあった、イワンの胃から鍵が発見された、という話がどうしても気になる。
「ああ、いいっすけど……じゃあどっちにしろ許可を取らないといけないっすよ」
「ああー……あの杯がご神体なんでしたっけ?」
「そうそう。もう、絶対にあれには手を触れるなとか、超うるさいんすから。もともと、あの場所に入ること自体、向こうが超強固に抵抗したんすからね」
「あ、そうなんですか」
あのソラという少女、そんな風には見えなかった。どこか超然としていてそんなことに拘る感じではなかった様子だったのに。意外だ。
その僕の感想が顔に出ていたらしく、
「ああ、あの教祖様じゃあなくて、その側近の二人っすよ、とにかくうるさいのは。特にあのハヅキって女ね。まったく、無口でこっちが質問してもぼそぼそとしか答えないくせに、やれ聖域に入るなだのご神体の歪杯には触れるなだの、主張する時はよく喋るし粘り強いんだから」
歩きながらもアオイの愚痴は止まらない。
「けど、殺人事件なんですよ? そんな話通らないんじゃないですか?」
「いやいやいや、他の国から来た人にはいまいちピンと来ていないかもしれないっすけど、元々我がイスウは宗教については尊重する風土ですし、それにこの『歪杯の会』は結構力を持っているっすからね。金も権力も。有力者を結構取り込んでるんすよ」
「そうなんですか?」
こんなさびれた場所を本部にしているくらいだから、何だかんだ言っても小規模なものだと勝手に思っていたから、かなり意外だ。
「ええ、近年急激に勢力を伸ばして――ああ、ちょっと」
と、そこで探偵士を見つけたアオイはぱたぱたと彼に走り寄って二言三言交わすと、
「ラッキーっす。今、教祖様――ソラさんは現場の方にいるらしいっす。その場で許可もらいましょうよ」
「ソラさんよりも他の二人の方がうるさいんじゃないですか? そっちの許可は――」
「だからっすよ。ソラさんの許可をもらいましたって言えば、後から文句も言いにくいでしょ」
あっちには事後承諾、ということか。確かに、そっちの方が話は簡単に済みそうだ。
トンネルを通り、例の聖域へと歩いていく。いかにも強固な金属製の扉をくぐり、例の聖域――死体の発見現場へとたどり着くと、そこには現場を調査中の二、三人の探偵士と、立ち尽くしているソラの姿がある。
彼女は一体何をしているのだろうか? 疑問に思う。
向こうもこちらの姿に気付いたようで、感情のない目を向けてくるので目礼する。アオイが近付く。
「いやあ、どうもっす。実は、また話を聞きたいことがあるんすけど、それとこの現場を調べさせてもらいたいんすけど」
「もうすでに調べているようですが」
ソラは、既にあちらこちらと調査するため床に這いつくばったり、メモに何か書き留めている探偵たちに目を送る。
「いやあ、まあ、そうなんすけど、ちょっとあたしたちも調べたいな、と。で、ほら、やっぱり調査しちゃいけない場所とかもあるでしょうし、一応許可を別個にね」
そこまでアオイが話すと、ソラは小さくため息をつく。
「ああ。歪杯。そう、一応ご神体なのでそれには触れないようにしてください。すぐ傍にあの奇妙なナイフのようなものが置いてあったらしいですから、その調査をしたい気持ちも分かりますが、決してあの杯自体には手を触れないように」
言いながら、ソラの口調は明らかに投げやりだ。
「……と、ハヅキが。そうして、実際にその約束が守られているかどうかを監視するのが私の役目」
ようやく、どうしてソラがこの場に立っているのかが分かった。だが。
「それって、ソラさんの役目じゃないような気が……」
思わず口を出すと、
「あの二人のうちどちらかを監視に立たせたら、探偵士と揉めるのは明らか。だから監視役を買って出た」
なるほど。
「じゃあ、調べさせてもらい――」
「少し、いい?」
と、ソラはじっと僕を見てきている。
「え? はい」
「ヴァンはいつ来るの?」
その言葉に僕とアオイは顔を見合わせる。
「彼が来たら、話したいことがある――私も衰えた。いえ、あの時点で衰えていたのか。もう既に、彼に出会っていなければいけないのに。ずれている。やれやれ」
僕には意味不明な言葉をつらつらと述べてから、ソラは気だるげに首を振る。
「どちらにしろ、もうすぐ終わる」
「終わる?」
どういう意味だろう?
「そう、全てが終わる――ああ、あの歪杯の囲いの蓋のことですけれど、壊れたまま」
「えっ、ええ、あ、はいはい」
突然実務的な話になって虚を突かれたのか、アオイはどきまぎと返す。
「あれは、いつになれば直していただけます?」
そう言えば、あれを鍵がかかっていたからといって壊したのはアオイだって話だったな。
「あっ、あー、すいません。そうっすね。この場所の出入口の扉は特注ですからすぐには難しいっすけど、この蓋なら、多分すぐに直せるっすから……ああー、でも、一応捜査が終わるまでは勘弁してもらえないっすか?」
「ええ、構いません。ただ、早く蓋を直して、歪杯をしっかりと閉じ込めたいので」
閉じ込める、とは奇妙な言い方だ。守るのなら意味は分かるが、閉じ込める?
「いずれにしろ――全て終わりでいい。もう二度と、この囲いが開かれることはない」
「ええっと、どういう意味ですか?」
「つまりそれは、この事件と共にこの会も終わるということ、そして私も」
「歪杯の会を解散するってことっすか?」
さすがにアオイも驚いている。
「私はそのつもり。ただ、絶対に反対して譲らない人間も二、三人いるだろうけれど」
「あー……」
僕とアオイは目を合わせて同時に軽く頷く。おそらく、頭の中に浮かんでいる人物は一緒だろう。ギンジョ―にハヅキ。
「喋りすぎた。それでは、どうぞ」
そう言ったきり、ソラは黙ってしまう。とりあえず許可は得たので、なるべくご神体には触らず、その周辺、そして聖域内を調査する。
一時間近く経過して、結論は出る。
当然と言えば当然だが、複数の探偵士を使って調査された後だ。報告書に記されていた以上の、新しい事実は出てはこない。
そしてそれはその後に行った関係者への事情聴取でも同じ。ギンジョ―、ハヅキ、ソラに事件についての質問を繰り返したが、誰も新しい事実など教えてくれなかった。
つまりは、手詰まり。
だがアオイは気が急いている様子もない。彼女は、というよりイスウ当局はおそらく、今力を入れているのは例の犯罪組織の摘発なのだろう。もう、そのことを隠そうとしていない。
そして、そちらの捜査が進めばこの殺人事件の方にも進展がある、と楽観的な見方をしているらしい。
「いや、うちの元上司――だからマサカドさんっすね、その人も同じように考えてるんすよ」
僕としてもそう考えてどん、と構えていたいところだが、やはり無理だ。この事件が組織犯罪と関係あるとは、どうも思えない。いや、全体的に、この事件には不純物が多い気がする。十年前の事件、犯罪組織、そして宗教。どれが関係していてどれが関係していないのか、それを見定められない。かといって、全てを追うことも難しい。
なるほど、そう考えてみると、アオイたちの犯罪組織の捜査のみにとりあえず集中するというのは、この殺人事件の捜査という観点から見てもそこまで的外れではないのかもしれない。そう思いなおすが、しかしやはりもどかしい思いは変わらない。
だが、いくらもどかしがろうとも、何もできない。
「結局、ヴァンさんを待つしかないかあ」
その日、ホテルの自室に戻ってから、無力感と共にばたんとベッドに寝転んで嘆く。
僕にできることは、ヴァンが来た時のためになるべく詳しく、そして整理して情報をメモしておくだけだ。
もう、捜査はこれ以上進展しない。だとすれば、ヴァンが到着して名探偵らしく何かをしてもらうしかない。やれやれ。本当にやれやれだ。
どこまでも深くなる無力感と共に、僕は眠りに落ちる。
僕の予想は裏切られる。
翌日、ヴァンの到着の前に、捜査は進展する。いや、強制的に進展させられる。
何故なら、事件の方が進展してしまったからだ。
ソラの死体が発見されたのだ。




