過去1
洗練されていない、ただ単に高価な素材を組み合わせているだけの壁。
それを眺めながらヴァン・ホームズは何をするでもなく椅子に座っている。疲れた。ここ数日、いや数か月感じている疲れを両肩に背負い、座っている今この時だけは頭を空っぽにしてぼうっとしようとする。だが、性分なのか、どうしても考えてしまう。今の状況のことを。
世界魔術師大会。馬鹿らしい大会だ。各国の代表者を集めて魔術の優劣をつける。まず、魔術全般についての優劣をつけようというのが間違っている。そもそも、魔術のような用途や性質が多岐にわたるものの優劣をつけることが難しいうえに、各国の代表というのことは全員一流以上――つまり一通りのことはできる者を集めてそれをすることになる。はっきり言って、無理だ。
が、まあ、それは主催者側も重々承知の上だろう。大体、各国から代表者が一人ずつ、という条件の時点で本気でこのパンゲア大陸で最も優れた魔術師を選ぶつもりはないはずだ。結局のところ、この大会は単なる見世物に過ぎないのだろう。
「ほら」
声に顔を上げると、以前からの顔見知りでありこの大会の運営責任者――ウーヘイがコップを差し出している。かつては少年の様だった見た目も、今ではなかなかいい青年になっている。
「お疲れの様だ。お茶でも飲むといい」
「ああ、ありがと」
薬草のような香りのするお茶をうけとり、すする。ようやく少しほぐれる。
「忙しいところ、申し訳ない。が、今回の大会は我が国の改革の第一歩だ。ヴァンのような有名人に来てもらえると非常に助かるから、お願いしたんだ」
もう一つ、自分用に持っているコップのお茶をウーヘイは一口飲む。
「オーケーしたのはゲラルトさんでしょ、どうせ。ナムトとパイプつくっておきたいだろうからね」
「例の事件があって、ナムトはこれから変わっていかなければならない。閉鎖的な国として南にこもっているのはもう限界だ。そうやって変わっていくナムトといち早く繋がりたいのはどの国の指導者も一緒だろう。気の毒だからそう責めるな」
苦笑して、ウーヘイは一気にお茶を飲み干すと、
「さて、ここも異常なしだな」
この大会用に大急ぎでナムトが国力を挙げてつくったと言われる大会会場――その控室から出ていこうとする。
「他の選手のところを回るの?」
背中に問いかけると、
「警備隊長でもあるから、それが仕事さ。ああ、もう少しで選手を集めて事前の説明がある。それまでゆっくりしておいてくれ」
そう答えて手を挙げて出ていく。
一人残されたヴァンは、お茶をゆっくりすすりながらもの思いにふける。
大小様々な会議への出席や、こういうイベントへの参加。このままじゃあ身がもたない。白髪も一気に増えたし、痩せた。もうちょっとだ。もうちょっとで、落ち着くはず。そうしたら、もう自分の手は必要ないはずだ。他の優秀な人々がやってくれる段階に入る。そうなったら引退してやる。若くして隠居だ。まさか、隠居した自分が引っ張り出されるような事件がいくつも起こるなんてことはありえないだろうし。
そんなことを考えているうちにコップは空になり、
「ヴァン・ホームズ様。本部の方にお越しください」
とドアを開けて係員が呼びに来る。
「ああ、はいはい」
コップを横に置き、立ち上がると係員のところまで向かう。
係員はまだ若いのに少し猫背で、そのために貧相な印象を与えてくる男だった。
「ああ、こっちです」
へへへ、とあまりこの場に似つかわしくない卑屈な笑みを浮かべる係員。いや、卑屈というより、疲れてるのか。ヴァンと同様に目の前の係員も疲れていることに気付く。猫背なのもそのせいか。
国としてナムトが全力を注いでいるこの大会、関係者も全員へとへとであることには間違いない。ヴァンは多少目の前の係員に同情する。
係員の名札が目に入る。そこには「ショウトウ」と係員の名が書かれている。
本部に集まると、既にそこにはウーヘイ、そして各国の代表者とその関係者らしき姿がほとんど集まっている。
事前に代表者の情報自体は入っている。実際に顔を合わせるのはこれが初めてだ。椅子に座り、ヴァンは集まっている代表者の面々と情報を照らし合わせていく。
人形のような少女。和服に似たあの服装からしてイスウの代表者。間違いない。ソラだ。『歪杯の会』とかいう宗教団体――元々はかなり小規模な、とある村の民間信仰レベルらしいが――そこの教祖的存在だと聞いた。単なる廃れる寸前のローカルな宗教団体が、近年一気に勢いづき、勢力を拡大しつつある。その理由は教祖である少女、ソラの魔術の才能だ。あまりにも圧倒的なその魔術の才能は、彼女の神秘性、そして宗教と結びつき、いつしか彼女の魔術の腕がそのまま宗教の正しさとイコールになっているかのような状況になっているらしい。自分もそうだが、彼女も厄介な状況になったものだなあ、と少し同情する。
ソラを挟んでいる二人は、ソラのお付きの少女、ハヅキと、あっちの青年は確かギンジョ―とかいう護衛の剣士だ。二人とも、歪杯を元々信仰していた村の出身で、ソラとは幼馴染同然だそうだ。そのため、会でも高位らしい。三人はじっと黙って、固まったように目線一つ動かさずに座っている。
それから、イスウからの参加者リストにはもう一人いたはずだ。探す。
いた。少し離れたところに、地味だがしかし金のかかっている服装をしている中年の男。あれがホージョウ。イスウの資産家。今回、ソラがこの大会に出場するのに必要な資金とコネクションを提供したスポンサーだ。この大会でソラが優勝すれば、会は拡大する。それを見越しての――いわば馬主みたいなものだろう。ホージョウはこういう場には慣れていないのか、居心地悪そうにもぞもぞとしている。
自分で言うのもなんだが、貴族で資産家で有名人でよかった。そういう余計な人間の世話にならなくて済む。
そして、開催国であるナムトの代表が一人で隅に座っている。老人ではあるが、並外れた長身。オーガーの血が非常に濃いという噂は正しいようだ。飾り気のない黒のだぼだぼのシャツとパンツ姿で分かりにくいが、そこから覗く腕、脚、首は太い。殴り合ったら簡単に負けてしまいそうだ。白髪をオールバックにした厳めしい顔をしているその老人の名はオーキ・ダムド。閉鎖的な国柄のためこれまで外には名は知られていなかったが、ナムトで魔術の名手として若い頃から名を轟かせ、国立学校の魔術の教授となり、そのまま魔術師の大家として国内で認められるに至った貴族だ。現在はナムト魔術局の局長をやっている。実績も地位も名誉も兼ね備えた、ナムト魔術界では間違いなく最大の大物だ。ナムトで開催される今大会での最有力候補だろう。その最有力候補は部屋の隅でずっと眠そうにしている。
そしてシャークの代表は自分。ヴァン・ホームズ。
あと一つ、ペースの代表の姿がまだない。関係者はいる。ビンチョルだ。ペース代表のスポンサー。髪跳ねのひどい、まだ若い小太りの男。ペースの金貸しらしい。一応経歴は資料に書いてあったが、胡散臭いことこの上ない。これまでやってきた事業の全てが曖昧だったり、法の隙間を突く一時的に儲かるだけのいかがわしい仕事だったりしている。つまり山師タイプなのだろう。さっきのホージョウと一緒だ。今回の大会でペース代表が優勝するのに金をかけているような感覚なのだろう。
ビンチョルは赤ら顔でさっきからひっきりなしに小瓶を呷っている。酒かもしれない。
ばん、と音がして扉が開くと、見目麗しい金髪碧眼の少年が入ってくる。少年。そう、まだ少年だ。青年というのには少し若すぎる。
「やあやあ、遅れたかな? そいつはすまない」
ちっとも悪いと思っていないのが分かる口調でそう言ってつかつかと椅子まで歩いて座る少年に、
「遅いぞ、イワン」
明らかに少し酔いが回っている口調でビンチョルが非難するが、少年は意にも介さない。
そう、その少年がペースの代表者。近年、ペース国内で天才少年として話題になっている炎と氷の魔術師、イワン・ディーだ。