地下の事件現場
まばらとはいえ、家々はある。大小さまざまな店もある。ここを使って欲しい、と言われたこの町――シンダイ唯一のホテルは、大きさは中程度で古びているとはいえ、なかなかちゃんとしているように見える。アオイの言ったように、そこまで田舎で何もないことを心配する必要はないようだ。
だが、こっちは別問題だ。
僕は体を震わせる。それなりに着込んでいるのに、体の芯から凍えそうだ。ホテルにとりあえず荷物を置いてから出てきたが、その荷物の中にある一番厚手のコートを取りに戻りたい衝動に駆られる。
「いやー、何度来ても、トゥース地方の冬は慣れないっすね」
横のアオイも眼鏡ごとがたがたと震えながら、案内してくれる。
「こっちです。いやあ、しかし、ある意味でラッキーでしたよ。ほら、その、この季節なら腐らないっすからね」
腐るって何が、とは確かめないままアオイの後ろをついていく。訊かないでも分かる。代わりに、
「ところで、事件の資料とかって……」
と催促する。
「ああ、まだ全く知らないんですっけ。まあ、民間人っすからね、一応。公式な捜査資料は無理っすよ。まあ、簡単な概要だけでも――」
そこでアオイの言葉が止まる。足も止めている。どうしたのかと顔を見ると、何かを見上げている。
視線の先を追えば、そこにあるのは巨大な屋敷だ。貴族の邸宅だろうか。なるほど豪華なものだ、とぱっと見には思えたが、よくよく見れば壁に蔦が這い、窓のガラスもいくつかは割れたまま、無数の日々に霜が染みついたような壁。廃墟だ。これは、かつての豪華な屋敷の、廃墟。
「これっす」
短く、アオイが言う。
「この廃墟が、事件現場ですか?」
おそらくそうだろうと確信したうえでの僕の質問は、
「ううーん」
と予想外の唸り声で返される。違ったのか?
「まずあそこ、廃墟ってわけじゃないんすよ。一応、使われてはいるんすよね。それから、事件現場かって言うと、うーん」
また唸ってから、
「ま、とにかく今からあそこに入りますんで、いいっすね」
アオイの歩みが再開される。
ほどなくして、二人の探偵士らしき男に警備されている入り口に着くと、その探偵士たちに会釈をしてから黒ずんでいる木製の扉を開けて、中へと入る。
僕も慌てて会釈をして、怪訝な顔をしている探偵士の横を通る。向こうが妙に思うのも分かる。事前に話が通っていたとしても僕は童顔だし、ヴァンの助手とは思われないだろう。まあ仕方ない。
扉をくぐると、寒さが少しはやわらぐ。とはいえ、やはり底冷えのするのは変わらない。
中は薄暗い。なるほど、確かに廃墟ではないらしくいくつかランプが灯っているが、その数は明らかに屋敷の広さに対して少なく、日常生活をおくるうえでは不自由なレベルの暗さだ。内部の床や壁も、掃除はされているらしいが、整備はされていない、とでも言おうか。清潔ではあるが、壁紙は剥がれているし、床はぎしぎしと耳障りに軋む。
「こっちっす」
と、アオイがその軋む廊下を進む。そして、着いていった先には、
「……え?」
床に、穴が開いている。また、その穴の傍には探偵士。
「どーもどーもご苦労様っす」
挨拶をしながらその穴に近づいたアオイは、
「ほら、これっすよ」
手招きするので、恐る恐る近づいた僕は穴を覗き込む。
「これは――」
奈落の底のような竪穴――ではなかった。それは床板を外し、下の地面を緩やかに斜めに掘り進めてあるらしい、トンネルだ。人一人が通るのがやっと、すれ違うのも難しいような、トンネル。それが、床に斜めに掘られている。
「事件現場は、この先っす」
なるほど、事件現場を尋ねた時に曖昧な反応をしていたのは、これか。ようやく納得する。
二人で、そのトンネルを降りていく。入り口からは想像できないほど、トンネルはしっかりしている。途中から、崩落しないようにきちんと周囲は固められ、柱などで強化されている。一定間隔で灯りもある。もちろん暗いが、足元が見えないほどではない。進めば進むほど、トンネルはむしろ広くなっているようだ。もう、十分にすれ違える程度の広さはある。
部屋を進むにつれて、傾いてたトンネルはどんどんと水平になっていく。もはや、ただ横に伸びているだけだ。
数十秒で、そこに辿り着く。トンネルの果て。いや、果てではないか。それは、壁だ。素人工事によるもののようで壁の設置は多少乱暴ではあるが、その周囲は漆喰か何かで執拗なくらいに塗り固められている。壁はレンガを積み上げてできているようだが、それだけではなく隙間からちらちらと銀樹らしき木製の骨組みも見える。頑丈さだけを考えてつくりだされた、分厚い壁。
そして、その壁の中央には魔術錠付きの金属製の扉。トンネルや壁とは不釣り合いに、ぴかぴかに輝いている。多分、これだけ業者に特注したのだろう。ただの金属とは思えない。色合いや、輝き方からして、おそらくこれは。
「ミスリルの合金製らしいっす。奮発して、一流の職人に依頼してつくってもらったらしいっすよ」
ちょうどタイミングよく、アオイはそう説明してから、その扉に鍵を突っ込む。がちり、と音がして、扉が開く。
「……え」
扉の先には、またトンネルが続いている。だが今度は、そのトンネルはすぐに終わる。果てがある。トンネルの終わりにあるのは、奇妙な箱だ。トンネルは土壁で終わっているが、その土壁に半分以上埋まっているような形で、金属製の箱がある。あれは、金庫だろうか。扉は前についている。
だが、問題はそこではない。
その壁から突き出るようになっている箱、そのすぐ横に、壁にもたれて倒れている男がいる。白金の髪と無精ひげ、やつれているのに腹だけ突き出てる。粗末な服装。死んでいる。見れば分かる。真っ白い顔には血の気はまったくないし、微動だにしていない。それに、そもそも。
「死因は、その首の――」
この寒さのためか、半分血が凍りかけてはいるが、それでもその男の首に深い傷があるのは分かる。だが、そこまで言って僕の言葉は止まる。
その死体の腹を見たからだ。脇腹からも、血が溢れ出て服を血で染めて、その血が半分凍っている。いや、よく見ればそれ以外にも、頭に傷がある。こちらは、何かを打ちつけられたような跡だ。
「まだ死因は不明っす。どれがそうなのか判断が難しくて。で、まあ、うちの医者の見立てでは、この死体を詳しく調べたところで、おそらく判断は難しいだろうってことで」
言いながら、死体の傍らの金属箱にかがみこむと、アオイはその扉を開ける。
「え、それ、鍵は?」
「なかったんでぶっ壊したんすよ。あの扉と違って、こっちは金属製ではあるけどちゃっちいっすから」
箱の中は、闇。覗き込んでもよく見えない。アオイがランプをかざして、ようやく中が見える。中にあったのは、妙な、器、だろうか。その器が、土に半分埋まっている。それを見て、これは箱というより、筒なのだとその時分かる。つまりこれは、土に半分埋まったその器を、外から隔離するために設置した金属の筒なのだ。その筒の前面が扉になっていて、そこを開けて中を覗き込んでいるのだ。
「ああ、その一番奥にあるのは杯っすよ。その杯、なるべく触らないようにって言われてるんで、気を付けてくださいね」
「言われているって……誰に?」
「うーん、まあ、あの人たちっすよ。ほら、その杯がご神体なんで」
「あの人たち? ご神体?」
まったく意味が分からない。
「まあ、とにかく、今は杯はいいんで、その横に転がっているの、見てください」
「え?」
見れば、確かに箱の隅に、何か転がっている。これは。
「ない、ふ?」
疑問形になってしまう。
だってそれは、古びたナイフのようにも見えるが、刃がない。いや、付け根のあたりから、どうやら砕けて消失してしまっているらしい。だがそれも、かなり昔のようだ。その砕けた跡は錆びでおおわれている。何だ、これ。ナイフの残骸、としか言いようがない。
「まさか、これで被害者が首を斬られたりとか腹を刺されたりしたんですか?」
刃がないのに、どうやって?
「いや、そんなわけないっすよ。まだ調査中ですけど、その壊れたナイフは、多分古い安ものの儀式用か何かだろうって話っす。冒険者がダンジョンで拾ってきた二束三文のマジックアイテムかもしれないって話っすけど」
「はあ……じゃあ、これがどうしたんですか?」
「いやね、もともとこの中に入ってたのは、ほら、そこの杯だけだったらしいんす。この事件が起こるまでは、そこのナイフはなかった。これは証言を聞く限り確かなんすよ」
ということは、事件に関係あるのは確実、か。
僕は片時も手を止めず、さっきからずっとメモし続けている。
「……あれ?」
とりあえず箱を覗き込むのをやめてもう一度被害者に目をやったところで、被害者のその肌がいくら何でも白すぎることに気付く。金色の髪もかなり色素が薄く、白に近い。
「あの、ひょっとして、この人って、イスウ人じゃなくて、ペース人ですか?」
個人差は大きいとはいえ、それぞれの国で大まかな容姿の特徴はある。どうも、この肌や髪の色素の薄さは、イスウではなくペースの特徴のようではある、が。
「ああ、そうっすよ」
あっさりとアオイは答える。
ここは国境付近。確かに、ペース人がいてもおかしくはないか。
「ただのペース人じゃないっすよ。なんとあの、イワン・ディーっす」
さも重大なことのように、アオイは声を潜めて、僕の表情を伺いながら言う、が。
「……あの、すいません。イワンって、誰ですか?」
まったく記憶にない。記者をやっているから、ペース国での有名人くらいなら名前は知っているはずなのだが。
「うええ!?」
のけぞってアオイは仰天する。
「ディーって姓があるってことは、貴族ですか?」
「な、何も知らないんすか。何も、ヴァンさんから聞いてないんですか?」
「……え?」
意味が、よく分からない。
「例の大会のペース国代表だった男、あの天才少年イワン・ディーですよ!」
だから、何のことなのだろうか。