三日目 上演後
ペテン師は静かに眠りたい4 4/30発売です。宜しくお願い致します。
「なにこれ」
客席が明るくなっていき、ようやく第二部が終わったのが分かる。同時に横からヴァンのそんな声がする。
「謎が謎を呼びますね」
一応、そんな風に返してみる。
「いや、まあ、そりゃ、そうなんだけどさ、確かに謎が謎を呼んではいるが、どうなの、これ?」
ヴァンだけの感想ではないらしく、明るくなった客席のあちこちから議論しているのが聞こえる。まだ誰も席を立とうとしていない。そういう意味では、なるほど、確かにこれは今までにない劇としては成功しているのだろう。
「ムニルが殺されて、ルイルイも消えた。残ったのはハルルだけ。どう思います? てっきり、四人の中の誰かが犯人、みたいな話かと思っていたんですけど」
「んー? ああ、ハルル以外全員消えたから、その線はないだろうってこと? どうかなあ……例えば、最終的にハルルも消えるって展開もありうる」
「えっ、舞台上に誰もいなくなるってことですか?」
どういう意味だ?
「そうそう。『そして誰もいなくなった』だ。ああ、通じないか、忘れてくれ。あとは、バールストン先攻法――先に死んだ奴らの誰かは実は生きていて、そいつが真犯人だって可能性もある。まあ、あれじゃないか? 素直に考えれば、現時点で一番怪しいのはルイルイか。こいつだけ死体発見されてないし」
「ハルルが犯人っていうのは?」
「そりゃ変でしょ。全部ハルルの犯行なら、自分一人になったのに『どこに行ったの?』なんて演技をするわけが……あーでも」
そこでヴァンは忌々しそうに唇を歪め、頭をかく。
「一人になったとは限らないわけか」
「はえ? いやいや、どう見ても舞台上に一人だったじゃないですか。あれで実はもう一人いました、なんて、アンフェアでしょいくらなんでも」
「そこは、これまでの劇と現実との境目が曖昧だったっていうのが伏線になってくるんだよ。つまり、あの劇は『劇を演じている劇』で、俺たち観客がいるから、その観客に対して自分は犯人じゃないという演技をするために、舞台上に一人になってもルイルイを探す演技を……」
喋っている最中でヴァンはごろん、と脱力して背もたれに体重を預ける。
「やめた。バカバカしい。だから叙述トリックは嫌いなんだよ。こういうメタなの嫌い」
意味が分からないが、どことなく積年の怨念を漂わせている文句をヴァンが言う頃には、ぱらぱらと客席から立って劇場を出ていく観客の姿も出てくる。とはいえ、観客は歩きながらも夫婦や友人同士でまだ議論を戦わせている。
「こんなの考えだすとどこまでもいけるからなあ。メタレベルがどの段階なのかっていうのも考えなきゃいけないから嫌いなんだよ。劇中劇ならまだいいけど、劇中劇中劇とか、劇中劇中劇中劇とかもあり得ないことじゃない。そういうのとミステリを組み合わされると正直推理するのがバカバカしくなってくるからさあ……」
一人でぶつぶつと呟き続けているヴァンを引き戻すために、
「犯人が四人の中に絶対にいる、って保証はないんですよね? 事故だったりとか、あるいは劇に登場していない第三者が犯人だったりとか」
と声をかける。
はっとした様子でこちらを顔を向けてきたヴァンは、人差し指を突き出すとくるくると回し、
「有り得ないことはないけど、考えにくいな。まず事故だけど、それならあんなことにならない」
「ま、そうですよね。水中で黒焦げとか、剣ばかり展示されているような場所で絞殺とか――」
「そっちじゃなくてさ、劇中で登場人物は全員、殺されたことを前提に喋ってたじゃん。あれで実は事故でしたとか自殺でしたって真相なら、脚本がおかしい……」
唐突に黙ったヴァンは、回していた人差し指を止めて、ゆっくりとそれでこめかみをノックしだす。
「……あの、ヴァンさん?」
「……ココア、あの劇を見て、どう思った?」
「え? そりゃあ、謎めいた殺人劇だと思いましたけど」
「だよな、そうだよな。そう、それでいい。それでいい……」
一度目を閉じてから、ヴァンはすぐに何かを振り切るように顔を軽く振りつつ目を開け、
「そういうわけだ。だから、第三者という線もない。謎めいた殺人劇――ミステリーが主題だとするなら、第三部で突然に出てきた奴が犯人だなんて許されるわけがない。よほどのアホが脚本を書いていない限りな。あるいは、この劇の主題が別物、たとえば不条理劇か何かならそれでもいいだろうが――もしそうなのだとしたらここでああでもないこうでもないと推理や議論をしていること自体全部無駄だ」
要するに、推理したり議論したりして結論が出るものではない、ということか。
「さあて、帰ろう。帰って寝よう――ん?」
と、立ち上がって出口に向けて一歩踏み出したヴァンの足が止まる。
「どうし」
ました? と続けようとして僕も振り返りそれが目に入る。
劇場の出口、そこに台、そしてその上に紙の束のようなものが置かれている。紙はもちろん、台自体が上演前、つまりこの劇場に入ってきた時にはあんなものはなかった。
退場する客はその台の前で一瞬立ち止まり、議論をやめて互いに顔を見合わせ、その紙の束のようなものから一人一枚ずつ取っていく。
なんだ、あれ?
僕もヴァンと顔を見合わせた後、二人そろって、何となく警戒してそろりそろりと劇場出口へと近づく。
近づくにつれて、何の変哲もない台の上に置かれているそれが、同じものが印刷された紙が数十枚積まれているのだと分かる。
紙は、特徴のない白いもので、その中央に何か一言だけ書かれている。
僕とヴァンは台の前で立ち止まり、それぞれ一枚ずつ取り、その紙に目を落とした後で、ほとんど同時に互いの顔を見る。
「……これって」
「もちろん、これも劇の演出の一部なんだろうな」
そう言ってから、ヴァンは丁寧にその紙を折りたたむとポケットに入れ、
「言っただろ、考えるのはやめたって。とりあえず、もういい。俺は帰って寝るよ」
そのまま片手を挙げてから劇場を出ていく。
僕はまだ動けない。ヴァン以外の客もどんどんと劇場を出ていく中、僕はその場に立ち止まったまま、また自分の手元にあるその紙の文面を見つめる。
その紙の文面は、特に謎めいたものではない。むしろ、ありきたりなものだ。だが、やはり三部に分かれた劇の第二部の時点でこんな紙を配布するとは聞いたことがないし、何よりも。
「……何の関係があるっていうんだろ」
思わず独りごちる。
その紙にはこうある。
「二日後の第三部、月華劇団による『怪盗セイバー』の結末を、お楽しみに!」
その内容の異様さに気をひかれるあまり、そういえばこれまで誰もあの劇のタイトルを知らなかった。今更、こんなタイミングで、こんな方法でタイトルを明かすとは。しかし、それにしても。怪盗セイバー?
困惑しながら、僕もそうするしかないので、劇場を出てホテルの部屋に戻る。
ベッドの上に倒れこみ、天井を見上げながら、ふと気づく。
そういえば、怪盗セイバーの話、劇中に一度だけ出ていた。あの時は、現実にもセイバーの話をしていたので劇と現実がこの部分でもリンクするのかと思っただけだったが、セイバーがタイトルにもなっているということは、あれは――。
だが眠気で考えがまとまらない。劇の謎だけじゃあない。明日は最終目的地、芸術の都として名高いロウトンだ。美術館の類は無数にある。どこを巡るかも決めておかなければ。
そう思いながらも、僕は意識を手放す。疲れているのだろう。
そして夢を見る。夢の中ではルイルイがいて、ムニルがいて、ハルルがいて、マカロンがいる。あの四人が全員揃っている。僕と合わせて五人。そして、五人でロウトンの美術館を巡る。夢の中では劇と違って彼女たちは誰も死にたがってはおらず、誰も殺されることなく、ただただ楽しく絵や彫刻を鑑賞して終わる。そんな夢だ。
もちろん、夢の中に怪盗セイバーは登場しなかった。