三日目 劇中1
さすがは歴史の町、というべきか、その劇場はかなり年季の入ったものだ。がたついた座席のシートは色褪せているし、全体的に照明は暗い。緞帳も端のあたりは擦り切れつつある。
だがそれが全体として、荘厳な雰囲気を醸し出し、これから見ることになる第二部への期待をかきたててくれているのも確かだ。
「楽しみですね、ヴァンさん」
あまりぎしぎしと音がしないように注意を払いつつ座り、既に横で席についているヴァンに語りかける。
「ああ」
ヴァンは昼の様子とはうってかわって、リラックスして席で伸びをしている。
「なんか、その様子だと、色々分かったんですか?」
周囲に聞こえないよう、少し声を潜める。
「ん? そうだな、いくつか疑惑はあるが……一番大きいのは、いくら疑惑を組み合わせようがこねくり回そうが、今の時点では何も分からないってことが分かった。というか納得できた」
「え? つまり、何も分かってないってこと……ですよね?」
「そうだよ。これまで何も分かっていないし、現時点でいくら悩んでいくら考えても、何も分かることがないっていうことも分かった。どうだ、大きな進歩だろう?」
「はあ」
はあ、としか言えない。
「とりあえず保留だ。今は劇を楽しむとしよう。何もなければそれでいい。劇の中の事件がいくら不思議だって、第三部まで全部観終われば解決するはずだろ? ほらほら、始まるぞ」
そう言われて慌てて視線を舞台に集中させる。ゆっくりと、緞帳が上がっていく。
無人の舞台。その中央には、例の絵。いや、また少し絵の内容が変わっている。黒に近い青。下になれば下になるほど黒は濃くなり、最下部はほとんどただの黒だ。その黒の中に浮かび上がるように、微かに、巨大な魚の影が見える。
「まいったわねえ」
間延びした声。それと共に、例の白一色の省略された服装のムニルが舞台端から現れる。
「別に一緒に死のうって約束したわけじゃあないけどさあ、まさかあんな形でぬけがけされるなんてねえ」
「彼女からしたらうんざりしたのかも」
冷たい声で、それに続いてルイルイが登場する。
「死ぬための旅のはずが、結局死なずにのろのろとまだこんな場所を彷徨っている。臆病者、と思われたとしても仕方はない」
「ルイルイ、それは違うわ」
そして最後にハルル。こうして三人は舞台の中央まで進み、そこで会話をする。
「あいつは自ら死んだんじゃなくて、殺されたのよ。でしょ? 死ぬ勇気があったら、殺されるんじゃなくてさっさと自殺してるわ。そういう意味では、あたしたちもあいつも同じ穴のムジナよ」
「まあーそれも分かるけどさー、ハルルちゃん、実際の話――このままだらだらと過ごして、マカロンちゃんみたいに殺されるのを待つっていうのも変でしょー?」
「そうね……それに相手が並大抵の奴なら、風の魔術で返り討ちにしちゃう可能性があるものね。覚悟が決まっていないとなかなか死ねないわ」
はあ、とため息をついたハルルを横目に、ルイルイは壁に寄りかかり、双子を冷たい目で見渡した後、
「それなら、覚悟を決める意味でも、質問していい? 団長、ムニル」
双子は顔を見合わせた後、二人そろって頷く。
「マカロンにも訊きたかったんだけど、その前に死んでしまったから。脚本を書いていたからか、どうしても気になるの。ねえ、二人はどうしてそんなに死にたいの?」
「まず自分から話すべきでしょ」
即座に返されるハルルの不機嫌な声に、
「私は失恋よ。ありきたりでしょう?」
そうルイルイが答え、それに対して双子は同時に飛び上がり、同時にげえ、と悲鳴を上げている。
「うっそでしょ、マジで……?」
「ええー、ルイルイちゃん、色恋沙汰で死ぬタイプだったのー?」
「うるさいわね、別にいいでしょ……さあ、こっちが話したんだから、そっちも教えてよ。双子が揃って死を選ぶなんて、面白い話が聞けそうじゃない」
「あー……そうね」
「どうしようか……ハルルちゃん」
「ま、別にこの期に及んで隠すような話でもいいし、別にいいでしょ、姉貴」
「そうねえ」
二人で相談した後、ハルルはルイルイに向き直り、
「簡単に言うと、月華劇団って借金まみれなのよ」
「え?」
今度はルイルイが戸惑う番だ。
「ちょっと待ってよ、団長。月華劇団は、始まって以来の最高潮じゃない。スポンサーたくさんついて、一体どうしてそんなことに……」
「脚本家と役者のおかげで、どんどん劇団は人気になっていった。それはいいんだけどね……ねえ、ルイルイ、あんたにだって、引き抜きの話、来てたんでしょ?」
その問いかけに、ぐう、とルイルイは彼女らしくもない呻きを漏らし、目を見開く。
「こっちは団長よ。バカにしないで、それくらいこっちだって把握してる。大体、どれくらいの待遇を約束されているかもね。劇団人気は役者の人気。他の大手の劇団から、あたしと姉貴を除いたうちの人気の役者全員に引き抜きがかかってた。で、それに対抗するためにどんどんこっちも月俸をあげていっちゃってさあ」
肩をすくめるハルルの口調は、やがて疲れ果てたものへと変わっていく。
「うちは本当に役者バカとバカ役者しかいないから、目先のいい条件にほいほい釣られる奴も多いでしょ。正直、釣られた後で、やっぱりうちがよかったと思って戻ってきてくれる可能性はかなり高いと思う。つくってる劇のレベルで言えば、どんな大手にも負けない最高峰だって思ってるからね。けど、多分、うちみたいな小さな劇団だと、そうやって人気の役者をどんどん引き抜かれちゃったら、その引き抜かれた奴らが戻ってくるまでもたないわけ。で、まあ、そうやって色々やってたら、いつの間にか借金まみれになってね。いっとくけど、そもそもあたしだって金勘定が得意なわけじゃないのよ? 没落貴族なんだから、むしろ不得意な方よ。ただ、あたし以外がそれ以上に金勘定が不得意ってだけで。とにかく、もうここ一年、ずっとそれに悩んでてね、とうとうにっちもさっちもいかなくなったのよ」
「……団長が死を選んだ理由は分かった。けれど、それならムニルはどうして――」
「あたしはねー……」
「姉貴が、あたし抜きで生きていけると思う? 今回の旅にだって、何の荷物も持たずに来たような奴よ」
「ああ」
あっさりとルイルイは納得する。
ハルルはそこで体を観客席に向けて、大きく両手を広げる。
「最後くらいぱあっとやって死んでしまおうと思ってるところに、マカロンとあんたも死にたがってるって話を聞いて、今回の旅をマカロンと一緒に企画したのよ。まったく、最後まで細かいところはあたしが企画しなきゃいけなかったんだから、つくづく嫌になるわ……ああ、そういえば、マカロンの死にたい理由は聞いてなかったわね」
「それ、あたしは知ってるわよー」
と、唐突にムニルが言うと、一瞬間が空く。
「……え? 姉貴、知ってるの? この世の何も知らないであろう姉貴が?」
「嘘でしょ。よりにもよって、マカロンは何を考えてムニルにだけ教えたの?」
二人はかなり失礼に驚く。
「あのねえ」
腰に手を当てて頬を膨らませるムニルだが、ふっと視線を二人から逸らし、
「うわっ、あれ何?」
と舞台端に向けて指をさす。
「姉貴、それよりさっさとマカロンの――あっ」
文句を言いながらもその指の方向を向いたハルルは目を見張る。
「あれ……湖? いや、中に湖あるわけないわよね。泉?」
「いや」
ルイルイは目を細めて、
「ただの泉じゃないわ。中心にあるのは石造りの――あれは――ああ、凄い、あれ、噴水じゃない?」
「うん? ああ、本当だ。中央部で、水が噴き上げられてる。へえ、凄いわね。こんなものが中にあるなんて、珍しいわよね?」
「私は聞いたことがないわ」
「わあー」
指さしていていた方向へと走り出そうとするムニルだが、すんでのところで後ろからハルルに襟首を掴まれ、ぐえ、とのけぞって止まる。
「ったく、目を離すとすぐにそんな――あそこに飛び込むつもりだったでしょ? 深かったらどうすんのよ、姉貴」
「ぐえええー」
「別にいいじゃない、死ぬだけなんだから」
その双子を眺めて、呆れたため息をつくルイルイ。
そして、舞台は暗転する。