推理(6)
エピローグもあります。
犯人、いやライカはまだ足が痛むのか、足首をストレッチしながら、
「それで?」
と、ヴァンに問いかけてくる。
「それでって言われても、大体終わりだよ、俺の言いたいことは」
「……ココア、あんたはどう思う?」
冷静なまま、ライカはヴァンから僕に顔を向けてくる。
「えっ、僕ですか……ええと、証拠がない、ですか?」
「そういうこと。証拠だけじゃなくて動機もない。昔ならともかく、今のあたしは議員よ。ティアにいくら金を積まれたって、そんなリスクのあることに協力するわけがない。パパゲア殺害の共犯者って時点で無理があるわ」
ディーコンの看病もあるから戻るわよ、と片足を引きながら背を向けるライカに、
「証拠がないっていうのは、さすがに楽観的すぎるぞ」
何故か、少し不機嫌な顔をしたヴァンが声をかける。
こんな顔のヴァンは初めて見る気がする。
「……どういう意味?」
「浮上した後、この館は徹底的に調べられる。俺とアオが来てる意味を考えてみろ。竜玉が聖遺物なのかそうじゃないのかも含めて、この事件は根掘り葉掘り捜査される。予想できるだろ?」
くるり、とライカは顔を向けてくるが、まだ表情は浮かんでいない。
「それで?」
「俺のさっきの推理は誰かに話すことになる。その推理に基づいて捜査が行われて――本当に、自分が犯行に関与している証拠が一つも出てこないと思っているのか?」
「……ヴァンの推理が正しかったとして」
あくまでも仮定の話よ、と念を押してからライカは、
「あたしがやったのはクロードの死体に罠を仕掛けただけってことになるわ。そして、その死体に仕掛けた罠……針も毒も、出どころの辿れないものを使っていたとしたら、どう? あたしが犯行に関与したって話は立証できない」
この期に及んで、ライカの表情、口調には一切の崩れがない。
「ヴァン、あんたがやったのは仮定に仮定を積み重ねて、色々あった不審な点に無理矢理説明を付けただけ。ただの夢物語よ」
「夢物語を語るのが名探偵の仕事なんだよ。それはさておき――お前が慎重なのはいいと思うが、ティアとクロードがお前ほど慎重だったって自信はあるのか? ティアとクロードの事件に関与した証拠は出てくる。で、ティアを調べれば、お前とのつながりを証明する文章なり資料なりは出てくると思うが、どうだ? 出てこない可能性に賭けてみるか?」
どんどんとヴァンの口調には苛立ちが強くなっている。
「あたしは今では議員よ。モネ家とつながりがあったからと言ってそこまで不思議な話じゃあない。それでは、何も証明できない。犯罪計画とあたしの名前が一緒に書いてあったらどうしようもないけれど、もし推理通りだったとして、さすがに直接的に犯行のことを示す文章を残すほどティアは馬鹿じゃあないでしょう」
「……まあ、そうだよな」
ヴァンは肩をすくめる。
「大人しく罪を認めた時のメリットがなけりゃ、そもそも選択肢になっていないよな」
「そうやって誘導して、言質を取るつもり?」
「まさか。ライカ、証拠だけじゃあなく、動機もない。そう言ったな」
「……ええ」
初めて、ライカの無表情な顔に何かの揺らぎが起こる。だがそれがどんな感情によるものかまでは判断できない。
「俺は動機もある程度予想できてる……このままだと、その動機も捜査に来た人間に伝えなきゃいけなくなる」
「どういう、意味?」
ライカの呼吸が乱れている。これまで、鉄のようだったライカが。
「動機だよ、動機……そう言えば、まだ事件の不可解な点は残ってたよね、ココア?」
「えっ」
いきなり振られて慌ててメモを開く。まだ、話に上がっていない疑問点……ああ。
「ディーコンさんが薬を盛られた件ですか?」
「うん。当然、ディーコンに薬を盛ったのは、もう、ライカとしか考えられない。ずっとこの閉鎖空間にいて、非常識な事件が起きて、全員精神的に追い詰めらていた。だから、精神の弱ったディーコンは何かを白状しそうになっていた。それを止めるために眠らせたんだ。そうだろ?」
「言っている意味が分からないわ」
「あ、そう? だったら、はっきり言うか。俺はディーコンがこの事件に関与しているとは思っていない。そこまで腹を決めていたなら、あの状況で白状しようかしまいか迷うはずがないからね。ディーコンは、事件が起こっていく中で、ひょっとしてこの事件の動機に自分が関わっているんじゃあないかと思い始めた。それで、そのことを皆に相談しようとしたんだよ。事件を止めるために」
「ヴァン……」
殺気を込めた視線がヴァンを射抜く。
だがヴァンは、それをまっすぐに不機嫌極まりない目つきで睨み返す。
「言うべきじゃあないこと、を言おうとした。言ったら破滅になるようなことだ。だから、言うかどうかで迷って、迷っているうちにお前に眠らされた。そういうことだろ?」
「いい加減、はっきり言ってみたらどう? 匂わせるようなことばかり言って……名探偵が笑わせる」
「笑ってもらっていいよ。ここまで犠牲者を出した名探偵なんて笑われて当然だろ。で、ライカ。お前は一介の剣士から議員になった。大したもんだよ。俺はお前の才覚を認める。ああ、認めるとも。だが、才覚だけでそうなれないことも知っている」
何だろう、一体、ヴァンは何が言いたい?
「ライカ、お前がそうなったきっかけは、あの事件だろう? 俺とお前が出会ったあの事件で口止め料としてきっかけをつかみ、そしてそこまでのし上がった。別に恥じるようなことじゃあない。褒めてるんだぜ、俺は。ところで、ライカ。お前の夫、ディーコンも冒険者出身だったよな? あいつは一体、どうやって冒険者から議員まで上り詰めたんだ?」
質問に対して、ライカは沈黙と殺気で答える。
横にいる僕の膝が恐ろしさで笑いそうになっているのに、ヴァンは不機嫌なままで真っすぐにそれに立ち向かう。
「ゲラルトさんが頑張っているとはいえ、まだまだ平民と貴族、貧民層と富裕層の溝は深い。冒険者から議員になる。一体、どうやって? さぞかし特別なコネと大量の金があったんだろうな?」
「黙れ……」
「普通に冒険していてそんなものが手に入るのか? 多分、一攫千金の大当たりを当てたんだろう。さて、一体どんな大当たりだ? ダンジョンを潜っている間に、お宝でも見つけたのか。最大級のお宝。一体何かな?」
「まさか」
無意識に呟く。
ダンジョンに眠る、最大級のお宝。それは。
「聖遺物、ですか?」
稀少なアイテム。国が管理する貴重品。所持数が国力に影響するとすら言われている絶大な力を持つもの。
「聖遺物を見つけ出し、それを国に報告。大事件だ。ニュースになる。大金ももらえるだろうし、一躍英雄になるだろうな。だけど、残念ながら俺はここ数十年で新しく聖遺物が発見されたって話は聞いたことがないし、ディーコンという冒険者の名前も今回初めて聞いた」
ヴァンの語りが進むにつれ、ライカの顔は青ざめていく。
「国に報告するんじゃあなく……闇に流した。どこかの大金持ちが、目の飛び出るほどの金額でそれを買い取ってくれたんだろう。そしてその金持ちとのコネクションもできる。金とコネ、それで奴は冒険者から議員になった。あんまりこんな言い方はしたくないが、上流階級の仲間入りをしたってわけだ」
「まさか、その、聖遺物って……」
国が持っているはずの聖遺物。それを、国ではない勢力が所有しているかもしれない。そんな話は、つい最近聞いたばかりだ。いや、それどころか、横の男、ヴァンはその調査をしにここに来たのだ。
「パパゲアがペースにいた頃に、竜玉を発見して、そしてパパゲアに売り渡したのは――ディーコンだな」
「聖遺物の売買……重罪になります。買った方も――売った方も」
「パパゲアは無邪気なアホだ。公になれば自分の方だって危うい。だから、その過去を使ってディーコンをどうこうしようとは思わなかっただろう。だけど、その情報がパパゲアからティアに入った。ティアは、邪気のあるアホだ」
脅迫されたんだな、とヴァンは吐き捨てる。
「それでこの計画に巻き込まれた……ただ、よく分からないこともある。どうしてディーコンではなくてお前の方が脅迫されたんだ? 本人を脅迫しそうなもんだが」
問いに対して、ライカは口を真っすぐに引き結ぶ。
「ディーコンは、まあ、話した感じ、優しいというか、気の弱いところがあるのかな。下手をしたら、全部ぶちまけるかと思って、お前の方を脅迫したのか? ディーコン、この館に来た時点で顔色悪かったしなあ。あれ、乗り物酔いじゃあなくて、過去の共犯者のパパゲアと会うことに緊張してたんだろ。パパゲアよりずっと肝が小さい」
「……それで? それが、どうしたっていうの? それも、やっぱりただの妄想でしょう?」
ようやくライカが言う。
「まあ、俺のただの推理だ。ただ、これも話すことになる。そうなったらどうなるか、だ。竜玉の来歴、ディーコンの過去、徹底的に調べられる。直接聖遺物が関わっているんだ。下手をしたら事件よりもずっと真剣に、大規模に調査されるかもしれない。さて、何も出ないと思うか?」
噛みつきそうな目つきでヴァンが吠える。
がくり、とライカの肩が落ちると同時に、何かが切れたように彼女の気配が弱弱しいものになる。
「……どちらにしろ、全て終わりよ」
「そうでもない。ライカ、ここで全部認めて、浮上したら自首して積極的に捜査に協力しろ。それで、ディーコンの件だけ全力で誤魔化せ。動機も捏造するか黙秘しろ。俺も、ディーコンの過去については何の推測も口にしない」
げえ。
とてつもなく聞いたらやばいことを耳にしている感じがする。聞かなかったことにしたい。これ、僕も共犯にならない?
「……どうして?」
「俺は事件を終わらせたいだけだ。名探偵はそのためにいる。とにかく、そうしろ。妻が殺人犯ってことでディーコンも大ダメージを受けるだろうが、耐え忍んでいれば、いつか再浮上できる日も来るだろ。この館と同じだ」
「――ふう」
ライカは、近くにあるテーブルに飛び乗って腰かける。さっきよりもとても小さく見える。
「どうして、こんな時に……」
「法案が通るか通らないかの、瀬戸際だったか?」
「そうよ」
吹っ切れたような顔をして、ライカが言う。
そう言えば、そんなことも言っていた。夫妻で法案を通すために躍起になっていると。
「あたしもディーコンも、他の冒険者や剣士と同じように、元々は食いつめものでね。生きていくためには、自分の命をチップにして日々小銭を稼ぐ仕事をするしかなかった――周りの奴らも、同じような境遇の奴らばかりだったわ」
「昔は、今よりもひどかったからな」
ヴァンは控えめに相槌を打つ。だが、不機嫌さは変わっていない。
「あたしや夫みたいに一人前の剣士や冒険者になるまで生き延びることができればいい方で、大抵はそうなる前に死んでいった。たくさん見てきたわ。まだ子どもなのに、布と棒きれだけでモンスターと戦って死ぬ冒険者。罠にかかって生きたまま焼かれる少女。片足を失ってこれからの人生に絶望して自ら命を絶つ少年。数えきれないくらい、たくさん」
許せない、とライカは呪詛を吐き出す。
「それを許せない。未だにね。だから議員になって、あんな子どもたちがいなくなるように世の中を変えてやるつもりだった。同じ志を持った議員と出会ったのは奇跡みたいなものね。男と女だし、自然に結婚して、二人で変えてやるって必死で政治の世界で生き抜いて、そうして、ようやく法案が通るかもしれない。幼くして死んでいく子どもたちが減るかもしれない。そう思ったのに」
そこで、パパゲアから潜水館の招待状が来た。そして、ティアからの脅迫状も。
「ディーコンに充てた脅迫状を、彼より先にあたしが見た。そうして、あたしが握りつぶして、あの女と会いに行った。それだけのことよ」
「ディーコンは何も知らなかったわけか」
「何か勘付いていたかもしれないけどね。知られない方がいいと思ってあたしは徹底的に隠してた。ヴァンの言い草じゃないけど、あいつ、冒険者だったくせに神経細いから」
上を向き、魂ごと吐き出すようなため息をついてから、ライカはぽつりと言う。
「何とか、法案の話が終わってからにならないか時期をずらそうとしたんだけど……駄目だったわね。結局このタイミングでティアが決行するって言い出して、手伝えって。正直、その前にさっさとぶち殺してやろうかと迷ってた。でも……あいつの計画では、あたしはあくまでも念のため、もしもの時の協力者でいいって話だったわ」
だから、何もしないで、知らない振り見ない振りをしていれば全部終わるかもしれない。そう思っていた。いや、祈っていたのだと吐き捨てる。
「ところが、館はこの惨状。おまけにあのお嬢様――メアリが絶対に扉を開けないとか宣言したから、ティアはあたしに殺せって言い出した……ああ、確かにティアはあんたの言う通りそこまで頭はよくないわね。ティアは、わたしが同じ人殺しをするなら、メアリよりも自分を殺した方が都合がいいことに気付いていなかった。どうせ、あたしも始末するつもりだろうっていうのはすぐに分かったから、さっさと殺すことに決めたわ……補足としてはそれくらい。他は、全部あんたの言った通りよ。さすがね、名探偵」
「名探偵は人を三人も死なせないだろ」
舌打ちしてから、ヴァンはライカを睨みつける。
「ひとつ聞きたい」
「何かしら?」
「お前の言うように、さっさとティアを消せば済む話だった。それが、お前がティアの話に乗る振りをしたから、自体はここまで悪化したんだ……ライカ、お前、本当はこうなることを望んでいたんじゃあないのか?」
ライカは黙って、ただヴァンを見ている。
「金に物を言わせる夢想家、財産を乗っ取ろうとする資産家の妻、その不倫相手で共犯者の商人……どれも、お前にとっては憎悪の対象だったんじゃあないか? だから、全員死ねばいいと思っていた」
「言ったでしょう、あたしは見てきた。大勢の子どもたちが、無為に無残に死んでいくのを。その犠牲の裏で肥え太っていた連中がいる。あたしはそいつらを許す気にはならない。いえ、あたしではなく、死んでいったあの子たちが許すはずがない。この館で死んでいったのは、そいつらの象徴だった。それは、否定はしない」
「死んでいった子どもたちの無念のため、か? 下らん。お前までカルコサ気どりか。死者の復讐か。全くもって下らない……もう話すこともない。もうすぐ館は浮上する。その前にディーコンを叩き起こすなり書置きを残すなりして、自首した後のことを準備しとくんだな」
強い口調でそう言ってから、ヴァンは大きな足音を立ててパーティールームを出ていく。
小さくなって呆然としているライカを残して。
「あっ、ちょ、ちょっと」
慌てて僕はヴァンを追う。
自分の部屋までどすどすと乱暴な足取りで歩ていくヴァンに追いつき、
「あ、あのお」
「何だ?」
「そのお、何をそんなに怒っているんですか?」
とついに聞いてしまう。
「……そりゃあ、知り合いが犯人だったら機嫌も悪くなる。別に仲が良かったわけでもないけどな」
そう言ってから、ふっとヴァンは顔から力を抜き、
「疲れた。浮上までの間、寝る」
と、ドアを開けて部屋の中に入る。
ベッドに飛び乗ると、そのまま眠り始めるので僕は面食らう。
「えっ、でも、いいんですか、ライカ?」
「俺を殺しに来るか? 今更、それをやってもどうにもならないことくらいあいつは分かってる。大体、俺は天才魔術師だぞ。最近忘れられてるけど」
「でも……」
僕が自分のベッドに腰を下ろして、なおも言おうとすると、
「この館では逃げ出しようもない。そうだろ?」
「……それでも、ですね。僕たちの手の届かないところに、逃げるかもしれませんよ?」
意味は、通じるだろうか?
「そうしたいならそうすりゃいいよ」
目を閉じたまま、ヴァンがそう言う。どうやら意味が通じた上で言っているらしい。おそろしい。
「そんな」
と抗議しようとしたところで、
「あいつ、最後まで――」
「え?」
「いや、こんな事件が起こる前でもよかったし、事件の中でも、いまさっきだってよかったのに」
まったく、と口を歪ませながら、
「最後まで俺に助けを求めなかったな。ココア、俺はそんなに頼りないか?」
ようやく、僕はヴァンの不機嫌の理由を知る。
「……助けたかったんですね、ヴァンさん」
「知るか。寝る」
と言って、ヴァンは本当に寝息を立て始める。
エピローグもあります。