そしてドアが開く
ゴーレムに命令をして、水没した廊下からキッチンへとドアを開けさせる。ゴーレムだから力はあるし、危険も少ない。とにかく、最終的にドアを壊してでもいいからこじあけろ、と命令すれば何とかなる。
言われてみれば当然の話だが、精神的に徐々に追い詰められていた僕たちには思いつかなかった。ゴーレムを使うという発想がなかった。
ともかく、満場一致でそのアイデアは可決された。のだが。
「――ドアを開けて西の廊下に進み、突き当りを右に回り、ドアに近づいたら左に曲がれ。水を無視して真っ直ぐ進んで、左側の一つ目の……ええい、駄目か、消去」
かちかちとゴーレムの目が赤く光ると同時に、さっきからずっと命令を吹き込んでいたエジソンがため息をつく。
西側のゴーレム待機所に待機していたゴーレムを呼び出して、とりあえずパーティールームに入れてからしばらく、エジソンは四苦八苦している。はたから見ていても、おかしくなりそうな作業だと分かる。
「そこまで細かく厳密に指示しないとダメなの? パーティーではスムーズに酒を持って歩いていたじゃない」
ライカが疑問を口にする。
「あれは、前もって非常に細かく命令を仕込んでいたからでございます。専門の技術者によって。わたくしはこれの専門ではございませんし、前もって予想されていたものではない全く新しい命令をしなければならない。骨が折れますな」
深いため息をつくエジソン。
その様子を見るともなしに見ていた僕たちだが、やがてようやく満足のいく指示が完了したらしく。
「それでは、頼むぞ」
エジソンの声と共に、ゴーレムが重い足取りでパーティールームを出ていく。
「……な、なあ」
それを見送りながら、遠慮がちにクロードが口を開く。
「これ、あのゴーレムがドアを開けた衝撃で、また更に浸水が起こるとか、この潜水館が壊れるとか、そういうことはないよな?」
「おそらくは」
「お、おそらくって、おい、エジソンさんよ、じゃあ、あれか、もしかしたら、ゴーレムがドアを開けようとしたせいでまた外のガラスがぶっ壊れて水が入ってくるなんてこと、あったりすんのかよ!」
クロードの叫びに、全員がぎょっとなる。だが、それは叫びそのものよりも、その内容の不穏さだ。
「……絶対にない、とは申せません」
学者らしくエジソンはそう答える。パニックになっているんだし、絶対に大丈夫だ、と言ってくれればいいのに。そう俯瞰して思う一方で、僕の心臓の鼓動は次第に強くなっていく。
ゴーレムが進む。もう見えないが、ゆっくりと暗く濡れた廊下を進んでいるはずだ。やがて、水をかき分け、ドアをこじ開ける。その時、僕たちが死ぬかもしれない。そんなことが、ありうるのか? 窓の外の光景が蘇る。向こうにある青く静かな湖底。
ぶるり、と体が震える。それは僕だけではないようで、その場の全員が全員、ぎくりと硬直した顔で互いを見合うことになる。
「まあ、ここにいれば安全だろ、ガラスから遠いしな、ここにいれば……」
自分に言い聞かせるようにクロードはぶつぶつと呟く。だが、すぐに、いらいらと歩き回り始めて、
「ああ、くそっ我慢できない……ちょ、ちょっとトイレに行ってくる」
そう言ってふらふらと外に出ていく。
よくこの状況下で行けるなと感心する。僕なんて、このパーティールームから出た途端に水に飲み込まれるイメージしか浮かんでいない、さっきから。
「……はああ、とりあえず、しばらく待ってから、確かめに行こう。しばらく、ここで待機だ」
ヴァンはそう言ってテーブルの近くから椅子を引きずり出し、そこに座ると背を丸める。
「……大丈夫ですよね?」
思わず訊いてみるが、
「俺に訊かれてもね」
と、当然の如くヴァンは言う。それはそうか。
「ここで死ぬわけにはいかないんだけどね。今、重要な法案が通るかどうかの瀬戸際なのよ」
近くにいたライカが爪を齧っている。
「へえ、熱い政治家なんだな。一体どんな法案だ?」
気を逸らすためか、深呼吸しながらヴァンはその話に入っていく。
「貴族と平民の差を是正するための法案ですよ。妻と一緒に、ずっと一連の法案を通すために議員を続けているようなものです」
答えたのはディーコンだ。
「へえ。じゃあ、俺みたいな貴族は敵なの?」
「そういうわけじゃあないけど……ほら、あたしもそうだし、ディーコンも冒険者出身で、いわゆる平民が何とか腕一本でのし上がって議員になった感があるからさ」
ライカは多少くすぐったそうに、
「だからほら、やっぱり、ねえ? 次の世代には、もうちょっと窮屈じゃない世界を残したいって――」
「ははあ」
思わずメモをしている僕に気付く。
「ちょっとあなた、何メモしてるの?」
「いや、非常にいいコメントだったんで……次はお二人、夫婦で世界を変えようとしている議員たち、いい記事になりそうですよー」
こんな状況でも、ついついそんなことを考えてしまう。職業病かも。
「――いい加減にしなさい!」
叫び声、びくりとしてそちらを見ると、ティアとメアリの母娘が掴み合っている。何してるんだ、こんな時に。
「おやめください!」
エジソンが必死で間に割って入ろうとしている。
一方、床に尻餅をついたような恰好で無様に座り込んでいるのがアオだ。ひょっとして、さっきの叫びで驚いて腰でも抜けたのか? どうも、姿勢からして完全にそんな感じだ。
「何度でも言ってやるわよ、あんたが仕込んだんでしょ、これは全部、そう。そうでしょ、お母様?」
ひくひくと笑顔とも思えない笑顔を浮かべながら叫ぶように言うメアリに、
「妄想もいい加減にしなさい、モネ家として恥ずかしい!」
「あんたとあの男の存在の方が恥ずかしいわよ、恥ずかしい。とにかく、あんたが何もしていないなら、どうしてあの男が、あたしの愛しいお父様がこの場にいないわけ?」
「このっ――」
ティアが手を振り上げて叩こうとするのを、エジソンが必死で取り押さえる。
というか、そうだ。忘れていた。その他の状況があまりにも動いていたからすっかり皆の頭から抜けていたが、パパゲアは未だに行方不明で、あの部屋は開いていないのだ。
「パパゲアの部屋のドアも、ゴーレムにぶっ壊してもらいます?」
僕が恐る恐る提案するが、
「いえ、基本的にどのドアもしっかりと防音機能がある頑丈なものになっております。鍵がかかっているのを無理に破壊するのはゴーレムの怪力でも無理かと」
必死にティアを取り押さえながら、律儀にエジソンが返答する。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ」
よろよろと立ち上がったアオが、エジソンに協力して二人の揉め事を止めようとする。ちなみに、ディーコンとライカは後ろで黙ってかなり冷淡な目で争う母娘を見ているだけだ。
「うるさいわね、関係ないでしょ。というか、大体あなたも妙よね、妙。怪しい」
メアリの照準がアオに向く。
「え? どこが?」
「どう見たって怪しいでしょ。こんな状況でも仮面被ってるなんて」
非の打ちどころのない正論だ。横でヴァンもうんうんと頷いている。
「これは……趣味です」
「なら外せよ、今ここでさあ」
メアリがすごむ。少女が精いっぱいすごんでいる感があって少し微笑ましい。
「いや……注目されると恥ずかしいんで」
「いやいや、そんなことを言ってる場合じゃないでしょ」
いつしか、今度はティアとアオのそのやりとりがパーティールームの注目を集めていく。
「本当に、こんな注目された状態で顔を晒すのは……いや、趣味って言ったのは嘘です。本当は、極度の恥ずかしがり屋だからなんです」
「いいから仮面外せって」
「嫌だ」
「それが通ると思ってるの?」
「ああ、もう、分かりました、分かりましたよ……ちょっと、こっち来てください」
そう言って部屋の隅へと移動するアオに、怪訝な顔をしながらもメアリがついていく。
「こっち側回ってください、こっち側。他の人は絶対に見ちゃだめですよ」
と、アオは僕たちに背を向けて、メアリを部屋の角へと誘導する。
「いや、悪かったわよ。別に、こんなことしてまで見たくはないんだけど」
多少引きながらもメアリは一応、言われた通りに動く。
「――これです」
と、アオはかぱりと仮面を外して、素顔を晒す。もちろん、僕たちからは見えない。メアリだけに見せている。
「……普通じゃん」
幾分かがっかりした声でメアリが言う。
「はい、終わり。ああ、恥ずかしい恥ずかしい」
すぐにアオは仮面を被り直すと、足早に隅からこちらまで戻ってくる。遅れてメアリも。
妙なやりとりだったが、そのおかげでティアは気勢が削がれたようで、エジソンに押さえられなくとももう暴れる様子はなくなっていた。
「最悪だ」
と吐き捨てながら、クロードがドアを開けて戻ってくる。見ると、ずぶ濡れというわけではないが、服が一部濡れている。
「どうされたのですか、クロード様?」
「転んだ」
エジソンの問いに端的に答えるクロード。まあ、水に濡れていてつるつる滑る床なんだ。そりゃあ、転ぶだろう。それだけの話だ。
「くそ、全く」
濡れた服が肌に張り付くのが嫌なのか、それを指で摘まみながらクロードはまだ文句を呟きながら、
「……それで、また何も起こってないよな?」
「多分」
僕は答えるが、自信はない。何が起こってもいいように全員この部屋に閉じこもっているが、逆に言うとしっかりと防音されている部屋にいる以上、外で何かが起こっても気づかない可能性もあるわけだ。
「おそらく、ドアが開き水が流れ込めば多少の振動くらいは伝わってくるでしょうからな。それはまだありません。クロード様こそ、こちらに戻ってくる前に廊下で何か聞かれたりは?」
「水の滴る音くらいしか聞こえなかったよ。大体、この状況で廊下にのんびりいるわけないだろ。急いで戻ってきたんだ」
そりゃそうか。怖いものな。そして、慌てすぎて思い切りずっこけたわけだ。
「くそっ、あの融通が利かない人形、うまくドアを開けられるんだろうな?」
「必死で命令を細かく組みましたから、おそらく大丈夫だとは――」
不安で苛立っている様子のクロードを宥めようとしたエジソンの言葉は、ずし、という部屋全体の振動によって止まる。全員の顔が見合わされる。
「……多分、今、ドアが開いた、な」
ヴァンが、全員の頭に浮かんでいた言葉を口にする。




