ドアを開けなければ
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苦渋の表情を浮かべて躊躇するエジソンが目を向けるのは、やはりティアだ。そして、今度はティアはしっかりと彼に目を合わせ、そして頷く。それを見て、エジソンもまた意を決したように軽く頷き返して、
「仰るように、この潜水館は、旦那様が御一人で設計されたわけでは、ありません」
「まだそんな生ぬるい言い方するつもり?」
メアリがせせら笑う。
「はっきり言ったらいいじゃない、あの男は発明家じゃなくて、偶然金を持ってただけのただの夢想家だってさ」
「資金提供と、どこまでも潜水できる館というコンセプト……パパゲア氏が提供したのはそれだけ、ということですか」
記者の習性で僕が口を出すと、エジソンは目を見開いた後、首を横に弱弱しく振る。
「そういうわけ……ではないのですが――ああ、その」
「ともかく、あなたの役割を教えてください」
エジソンの言葉を遮ったのはディーコンだ。そんなタイプではないように見えたから奇妙に思える。顔色は悪いままだし。見れば、アオも不思議に思ったらしくディーコンの方を向いている。ただ、本当に彼を見ているかどうかははっきりしない。仮面だから。
「ええ、ともかく数年前から旦那様はこの潜水館のアイデアを実現させるために動きだし、一流の技師や魔術師を集められました。私もその時に集められました」
「じゃあ、あんたは元々執事なんかじゃなくて、いわゆるこの潜水館のための技術者だったってこと?」
「そういうことです……いえ、先ほどの言い方ですと誤解がございますな。まず、わたくしが旦那様に雇われました。そして、わたくしが他にどのような者たちを雇うか助言させていただいたという時系列です」
「まだるっこしいわよ、エジソ――いえ、先生」
薄笑いを浮かべたメアリが、
「あの男は、パパゲアは誰を雇ってもいいかすら分からなかった。完全な素人ね、そう、素人。だから仕方がない。で、まず自分でも知っているくらいに有名な人を大金で雇って、その人にどうしたらいいか委ねたのよ。だから、彼がこのプロジェクトのリーダーってこと」
「あっ、エジソンって、あのエジソン?」
突如としてライカが声をあげる。
「流体魔術専門のエジソン博士? 河川整備の法案審議の時、議会に証人として出席してもらった……ああ、やっぱりそうだわ、ほら、ディーコン」
「ほ、本当だ。エジソン博士、どうも、ご無沙汰しています……髪型も変えられておられるし、口髭を生やしておられるし……雰囲気自体もまるで違うので、全く分かりませんでした。面目ない」
エジソン博士。どこかで聞き覚えがある。流体魔術。そうだ、空気や水などを使った魔術についての研究の第一人者で、いくつかの記事でコメントを出していたりした。
「ご無沙汰しております、ライカ様、ディーコン様……このような生活になるまでは、とにかく髪もぼさぼさ、服装もだらしなかったので、お分かりになられないのも無理はございません。あの頃のことは思い出すと、いやはや、お恥ずかしい」
「失礼を承知で言えば、確かにあの頃の博士は専門のこと以外には何の関心もない典型的な専門バカだった印象ですけど……何があったの、先生?」
そう言って、ライカが首を傾げると、
「いや、研究に行き詰っていた時に、旦那様からお話をいただきまして……ただ旦那様としては、わたくしに頼り切りで潜水館をつくりあげたと思われるのには抵抗があったようで、わたくしはあまり表に出ないように要望がありまして。執事としてモネ家に勤めつつ、メアリ様の家庭教師をしつつ裏で潜水館をつくっていって欲しい、と」
信じられない条件だ。普通断りそうなものだが。
「常識外れに高い報酬を提示されまして。潜水館自体に興味はございましたし、それを予算を気にせずつくっていけるというのも魅力的でした。行き詰っていた気分転換にもなるかと、やってみたのですが」
そこでエジソンは苦笑する。
「まあ、我ながら酷いものでしてな……料理やら掃除やら、立ち振る舞いやら……家庭教師をしているメアリ様に、逆にスパルタで教え込まれたくらいでございます」
「執事としては無能よ、無能。あたしの部屋を掃除しようとしてぶっ壊した小物は十じゃ足りないわ」
この状況下でけたけたとメアリは笑う。
「それを数年続けた今では、何とか執事として形になってきているという次第でございまして」
「おい、おいおい、いい加減にしろよ、この状況で、何くっちゃべってやがる」
イラつきを隠さず、髪をかきむしりながら、クロードが噛みつく。
「おい、あんた、あんたが設計者なら、分かるだろ? 直るのかよ、結局、こいつは?」
「わたくしが全て設計したわけではございませんが、そうですな……確かに、半分以上は何らかの形でわたくしが関わっております。ですから、ある程度のことは分かります。ここからは現時点での推測になりますが、よろしいですか?」
誰からも異論は出ない。
多少言いづらそうに口ごもった後、エジソンは説明を再開する。
「この状況は、潜水館北西底部が湖底と激突して破損したために起こったものです。本来は湖底と接触する前に安全装置が働いて潜水が止まるはずだったのが止まらなかった。そう考えていたのですが……現時点でも全く潜水館が動いていないこと、隔離壁などは機能していることを考えると、どうやら違うのではないか、と」
「違うって、どういうことですか?」
僕の質問に対して、また、エジソンは躊躇する。苦しそうな顔をして、
「安全装置の不備のためではなく、そもそも潜水、浮上する動力自体に問題が発生したのではないかと思います。つまり、途中からこの館は潜水していたのではなく、ただただその重量のために水に沈んでいただけだということです。そうなると、湖底に激突するのも当然です」
ざわり、と空気が凍る。ということは、つまり。
「つまり、あれか、単にトラブルが起きて外壁がぶっ壊れて浸水してるって状態じゃあなくて、ここから浮上しようにも、その動力がおかしくなってるってことか?」
さっきまで比較的冷静だったヴァンの声が上擦っている。それはそうだ。こんな情報を聞いて、冷静でいられるわけがない。途端に、息苦しくなってくる気さえする。
「……逆に言うと、その動力さえ動けば、この状態からもさっさと浮上できるってことか?」
逆に、さっきまでパニック寸前だったクロードが幾分か冷静になっている。てっきり、半狂乱になっているかと思ったが。
「え、ええ。おそらくは」
「あんたがさっさと直せるのか?」
「いえ、それはトラブルの原因を特定しないことには、何とも。動力室に言って確認しなければなりません」
動力室?
「……見取り図を見た時に気になっていたんだ。この見取り図の中には話に聞いていた調査室がない。動力室も、同じようにない。この階にはない、と考えればいいのか?」
気を取り直したように冷静になったヴァンの質問に、
「はい。キッチンの隣にある空き部屋となっている場所、あの場所が本当は地下の調査室、そして上の階の動力室へと行き来できる階段のある場所です。潜水館の機密に近い場所ですので、見取り図には載せておりません」
「なるほどな。キッチンからしか行けない空き部屋ってことで、怪しいとは思っていたが……」
「じゃあ! じゃあよ、そこにあんたが行って……ああ、待てよ」
勢いづいていたクロードの声がどんどん力を無くしていく。
「あの、キッチンのドアは開かないんだったか。ああ! じゃあ、あれだ、東の廊下からぐるっと回っていけばいいだろ。向こう側のキッチンのドアは開くんじゃあないのか?」
一縷の希望を込めたような声でそう言うが、
「廊下のこの部分は完全に水没しておるはずです」
「なんだよ、息を止めりゃいいだろ!」
クロードはそうは言うが、あの暗い中、水に潜りながら廊下を進むなんて僕だったら絶対に御免だ。
「いえ、そういうことではなく……廊下からはキッチンへはドアを引く形になっています。おそらく、水圧によってドアを引き開けるにはとてつもない力が必要になるはずです」
それに、とエジソンは続ける。
「おそらくキッチン内には浸水をしていないはず。その状態で浸水している廊下側からドアを開ければ、一気に水がキッチンに流れ込みます。構造上、キッチンの全て、そして動力室に繋がる階段のある空き部屋、これらが完全に水没するとまでは思いません。ですが」
「単純に危ないわね」
ライカが顔をしかめる。
「キッチンの中は食器棚が倒れているし、割れた食器やら調理器具やらが散乱しているわけでしょ。そこに水と一緒に流れ込む……ああやだやだ、想像したくない」
「そんなこと言ってる場合かよ! ああ、俺、氷の魔術なら自信があるんだ。水を凍らせてやるよ、それなら、なんとかなるんじゃないか?」
「水圧を甘く見てはいけませんな。多少凍らせて壁をつくったところで、やすやすと破壊されるでしょう。もちろん、廊下に浸水している水の大部分を凍らせるなどということができれば話は別ですが」
「多少は何とかなるだろ! そうだ、俺以外も全員で氷の魔術を――」
「それでも無理だね。俺の判断では。一応言っておくけど、俺は魔術の天才だから。名探偵でもあるけど」
「やかましいわね、ヴァン。あんた学生の時に比べて性格面倒になってない? ともかく、どうやったって危険ってことは――誰か捨て駒になるしかないわね」
ライカの不穏な言葉に、全員が顔を見合わせる。
「捨て駒、だと?」
喘ぐようにクロードが言葉を出す。
「そ。誰かが大怪我覚悟でドアを開ける。その後で、落ち着いてからエジソン博士に動力室に行ってもらう。それしかないでしょ。で、あたしはさっきからうるさくて元気なクロードに一票」
「じょ、冗談じゃなあい! 危険なんだろうが! 大怪我をしたらこの状況でどうやって治療できるんだよ」
「ああ、わたくしは元々医術者出身ですから、多少ならば治療の心得はあります」
意外なことに、エジソンが言う。
「何だ、と? 医者?」
ぎくり、とクロードが強張る。
「ええ。血流の魔術での操作から、流体魔術の研究に入ったものですから、医術に関してはそれなりに」
「ちょ、ちょっと待て! そもそもこの事故の責任はモネ家にある! モネ家の奴らが責任を取るのが筋だろ!」
その言葉にびくりとティアとメアリが身体を震わせる。
「ああ、ちょっといいですか? そもそも、女性には無理です。力が足りないはずです。物凄い力がいるはずでしょう、ドアを開けるのに」
ディーコンが女性二人を庇うように間に入る。
「だったら俺だって無理だよ! 男だったらできるってもんでもないだろ! それを言うならお前がやれよ」
今度はクロードがディーコンに食って掛かる。
「ちょっと、うちの夫に――」
「ああ、いいんだ、ライカ。俺が行きたいのもやまやまですが、あなたの方がいい。氷の魔術が得意なんでしょう? ひょっとしたら何とかなるかもしれない」
「ふざけんな! だったら、一番ふさわしい奴がいるじゃねえか!」
その言葉に全員の視線はヴァンを向く。いや、全員ではない。奇妙なことにさっきからずっと喋っていないアオだけは、この状況でも仮面をエジソンに向けている。
「……」
そして、当のヴァン自身は、空中を睨み付け、何事か考えている。
「お、おい、何とか言えよ……いや、言ってくださいよ、ヴァンさん。貴族って、こういう時に命を張って民を守るもんでしょ」
はは、とクロードが強張った顔で卑屈に笑うが、ヴァンは反応しない。
「……聞いてるんですかねえ、ヴァンさん! 多少怪我をするかもしれないけどこの状況で――」
もはや、最初にあった余裕のある色男といった雰囲気を完全に捨て去り、鬼気迫る状況でクロードは更にヴァンに迫る。
「ちょ、ちょっと」
さすがに僕が止めようと間に入ろうとした時に、
「エジソンさん、ちょっと訊きたいんだけど」
ヴァンが口を開く。
「はい?」
「ゴーレムについてだよ」
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