推理(7)
どうして、この男がここにいるのか?
僕の疑問は僕だけものものではないらしく、
「……エーカー、どうしてだ?」
目を見開いているのはタリィも同じだ。
「どうして……っつわれても困るな。俺がここに戻ってきたのは、ヴァンの指示通りだからよ」
にっと笑って答えるエーカーの言葉に息を呑み、僕とタリィはほぼ同時にヴァンを向く。そして、それと同時に。
あれ?
僕は、ウィッチが動揺していないことに気付く。これは、どういうことだ? ひょっとして……。
「もちろん、タリィが俺たちを戻さない可能性もあった。ほとんどないと思ったけどな。塔を消したのは、塔のない寮に俺たちを戻す、その前準備であるはずだ。だが、その前にもう一人か二人殺す可能性もある。手を打っておくに越したことはない。だろう?」
ヴァンの問いかけにタリィは黙して語らない。
「だから一番山に慣れているエーカーに、さっきの推理の全てを話して、下山してもらったんだ」
「ちょっと、待ってくださいよ」
いくら何でもそれは筋が通らない。
「そもそも、下山ルートが分からないって話だったんじゃないですか? それに、そもそもさっきの話が本当だったとしたら、僕たちがいた寮自体、別の場所だった。下山することなんてできないはずなんじゃあ……?」
「確かに。が、さっきも言ったように偽の寮にいるという前提で考えると、寮の場所自体を推理することは難しくない」
ヴァンが目を合わせてエーカーに頷くと、エーカーも頷き返して背負っていたリュックから何かを取り出す。
何だ? 地図だ。この山周辺の地図。
無言で、エーカーは地図をテーブルに広げる。
「さっき言った条件からして、本物の霧中寮からそこまで離れていない場所にあり、なおかつ本来の道の周辺にはないはずだ。下山や登山の途中に偽の寮に迷い込まれたり発見されても困るからな。本物の霧中寮のように周辺に大した勾配や岩、木々があってもいけない。そして向きも重要だ。太陽の出没の方角が本物とずれていればすぐに場所が変わっていることに気付くだろうから。こう考えると、結構条件は厳しい。この山のことをよく知っているエーカーと相談しながら、大体の位置を割り出せた」
喋りながらヴァンは地図の一点を指でとんとんと叩く。
「ここだ。そして、一方その偽の寮から見えなくてはいけない塔の条件も厳しい。その寮以外、正規の道や麓から見えたらまずいわけだ。年に数回ある、霧が薄い日にも、だ。そうなると塔があるべき場所はこの辺り」
今度はヴァンはさっき叩いた点から少しだけ離れた点を叩く。
「さて、そうすると塔のある方向から割り出せば、正規の下山ルートにたどり着く大体の方角は割り出せる。もちろん、この山に慣れているエーカーからしても、それだけで下山できるかどうかは賭けになる。だから、目印を探したんだ。タリィからしても、当然だが自分が迷ってしまったら元も子もないから何らかの目印をつけていると思ったから、それを探したんだが」
霧の中で、地面に座り込んでいたヴァンを思い出す。そうか、あれは。
「で、目印みたいなものを見つけはしたんだが、どうもな。その目印の意味までは分からなかった。真っすぐ進めばいいのか、そこで曲がればいいのか。どうしようもないから、仕方なくそのまま決行だ。エーカーは『いけると思う』って言ってくれたしな」
「実際、このままじゃあ殺される可能性もあるって言われれりゃあ、それくらいなら多少リスクがあっても山を下りた方がいいだろ。それに、ヴァンの推理が当たっているなら、実際下山する自信はあったしよ。というか、そもそも、自分一人だけなら、最初から下山する自信はあったんだ。まあ、そもそも霧中寮とは別の場所にいると分かっていなかったわけだから、今思えばその自信に従ってたら遭難してただろうけどな」
「――一体、いつだ?」
タリィはいつしか落ち着いている。異常なほどに。落ち着いて、問いかける。
「一体、いつ、エーカーは山を下りた?」
「もちろん、エーカーが消えた時だよ。あの時、トイレに行くたびにエーカーに肩を借りてただろ? あれは、エーカーと相談してたんだよ。エーカー消失って予想外の事態にお前が動揺して、動揺しつつもそれを利用して無理にエーカー犯人説を咄嗟に口にした時だ」
「……エーカーが無理に下山する可能性は、実は最初から考えていた」
タリィはごくごく自然に、自分が犯人だという前提で喋り出している。
開き直った様子もなく、感情の乱れもなく。
それが、恐ろしい。
「だが、元々の寮の位置が移動している以上、無理に下山したところで迷い山中で死ぬことになる。そうなればエーカー犯人説を唱えればいい。そう思って、最初からある程度準備はしていた」
「ああ、それでか。咄嗟に考えたにしてはなかなかよくできていると思ったんだ。だから60点もやったのに」
何故だか少しヴァンはがっかりした様子をする。
「エーカーには突然山を下りてもらうことにしたんだ。準備したり、お前に知られたら邪魔されるか、最悪殺されるかとも思ってたからな。けど今思うと、下山しても犯人説唱えられるだけならあんな手の込んだ真似しなくてよかったか」
手の込んだこと。あの消失のことだろう。
「あの時、どうやってエーカーは消失した?」
「話に出てたじゃあないか。トイレに行くと言って、実際には途中の部屋にいたんだよ」
何でもないことのようにヴァンが言う。
「馬鹿な、途中の部屋は全て調べた」
「その時にはもう既に抜け出ていたよ。途中の部屋に隠れていて、お前がトイレを調べている間に抜け出てもらったんだ」
「抜け出るだと? だが、あの時、この寮を出るには、このリビングダイニングを――」
そうして、タリィの冷たい目がウィッチを見定める。
まさか。だが、そうでないとエーカーは下山できない。
「――ウィッチ、お前もか」
「悪く思わないでよね、タリィ。ヴァンさんから話を聞いて、エーカーを下山させるのに協力させてもらったの」
「そうそう。俺は、お前たちがトイレを探している間に、堂々とこのリビングダイニングを通って、ウィッチに目で挨拶をしてから下山したわけだ」
胸を張るエーカーをタリィは口を曲げるようして笑い、
「そういう時にもウィッチへの挨拶は忘れないんだな」
「あ? どういう意味だ? おい、ヴァン、俺が来る前に、何か俺について変な話でもしたのか?」
「全然してない」
平然とヴァンは白を切る。
でも、まあ、これについてはヴァンが正しいか。エーカーにとっては知らぬが仏だ。来る直前にされていた話を知ったらヴァンがぶん殴られても不思議じゃない。
それにしても、エーカーもかなり妙と言えば妙だ。同窓生が自分を殺そうとしていたとか、死んだら死んだで犯人にするつもりだったと聞かされているのに、平然とその同窓生と喋っている。どこかおかしい。あるいは、ヴァンが言うようにタフガイを演じているのか。
「だが、なるほど……それで分かった。エーカーがあのタイミングで、誰にも何も言わず消えたのは不思議だったが、なるほどな。そして、首尾よく下山したということか」
タリィは納得しているが、納得できない人間が一人いる。僕だ。
「ちょっと、ちょっと待ってください。ということは、今の話、犯人のタリィさん以外、全員に話してたってことですよね、ヴァンさん?」
「うん」
平然とした返事。
「うんじゃないですよ! どっ、どうして僕だけ何も知らないんですか!」
激情のあまり言葉がつかえてしまう。
「だってココア、芝居とか下手っぽいから」
あっけらかんとヴァンが言い放ち、そのあまりにも単純な理由に拍子抜けしてしまう。
そんな理由?
「少しでもタリィに疑われたくなかったんだ。なにせ、こっちとしてはタリィに無事、元の霧中寮に運んでもらわないといけないからな。寝ている間、タリィに命を預ける形になる。もしもタリィが怪しんでいたら、俺たちを全員殺して終わりになりかねない。エーカー消失ってアクシデントが起こって神経質になっているだろうしね」
「ヴァン、お前がわざとらしく睡眠薬のことを話していたのも、それか」
「もちろん。あんなに調子が悪くなってるのに、またよく分からない薬を盛られるのはごめんだし、正直そっちだって嫌だろ? 面倒になったら俺は殺しておくって話になるかもしれない。だから、自分からぐっすり寝て運ばれてやろうと思ったんだよ。ああ、もちろん、俺以外の全員にも薬は盛ったんだろ? 別に難しいことじゃあない」
「妙だな、お前の話には矛盾がある。第一目標はこれ以上犠牲者を出さないこと、だったはずだ。俺が犯人だと確信していたなら、元の場所に戻してもらうためとはいえ、どうして俺に全員の命を預ける? 元の寮に戻った時には次の犠牲者が出ている、という形も考えられたはずだ」
自分が犯人だとするストーリーについて、冷静すぎるほど冷静にタリィが反論するが、
「確かにな。ただ、さっき言ったようにココアは観客役だ。そしてウィッチは貴重な証言者だ。あのランプに抜け穴らしき仕掛けがしてあった、という証言をしてくれる、エーカー犯人説には必要な証言者だよ。殺される可能性は低い。だから一番危険なのは俺だ。そして俺は」
ヴァンは突然手を差し出すと、それを握る。つぎにぱっと手を開くと、空だったはずのそこには見覚えのある丸薬がある。エーカーからもらっていた、睡眠薬だ。
「手先が器用でおまけにココアと違って演技もうまい。更にずっと調子が悪く寝ていたおかげで大して眠くなかった。だから、薬を飲んだふりや眠気に襲われるふり、そして完璧に眠りに落ちるふりもできる。寝首をかこうとしてきた相手を魔術で返り討ちにすることも、な」
「――殺すことはない。ヴァン、お前もココアと同じ重要な観客役だ。まあ、いい。それで?」
「それで? もうあまり話すことはない、タリィ。朝起きて、俺は元の寮に戻ったと確信した。確信したのは暖炉だ」
丸薬をテーブルに置き、親指でヴァンは暖炉の中を指し示す。
「まだ暖炉の中が燻っていたのに、部屋はやけに寒かった。あれは、俺たちを運び入れてから、偽装のために薪を燃やしだしたからだ。それに、ほら」
ヴァンはポケットから黒く焦げたものを取り出す。暖炉の中、薪を拾っていた。あれだ。そのカーブを指でなぞり、
「これは、枝じゃあない。木材だ。キャンバスを燃やしたからその破片とも見えるが、ほら、ここ、カーブを描いているだろ。綺麗なカーブだ。つまり、これ、円の一部なんだ。分かるだろ? 荷車の車輪だ。もう荷車を使うつもりはないから、ついでに解体して薪替わりに燃やしたんだろ? だから、俺は確信した。もう戻ってきたってな。念のために地下のアトリエを確かめたら、あの偽の寮に仕掛けのあった部分が破壊されていた。あれは、仕掛けを隠すために破壊したんじゃあない。こっちの寮には仕掛けがないことを隠すために破壊したんだ、お前がな」
ただこんなつもりじゃなかった、とヴァンは肩をすくめる。
「エーカーには、下山してから、あったことと俺の推理を探偵士に伝えてもらって、とにかく大急ぎで霧中寮まで駆け付けてもらうように伝えていた。俺の計算だと、じゃあこれから下山するかというところでエーカーが連れてきた探偵士たちや兵士に囲まれる。で、お前が逃げられなくなったところで、さて謎解き、ってつもりだったんだが、ココアがさ、俺が犯人だとか言い出すから」
顔が熱くなる。おそらく真っ赤に染まってしまっているだろう。
今思えばかなり突拍子もない説を言い出したものだと思うが、あの時はそう思ったのだから仕方ない。
「まあ、何とか間に合った。エーカー、ちゃんと兵士やら探偵士やらいるんだろ?」
「ああ、もう、この寮の周りを囲んでるぜ」
「逃げ場はない、ということか」
落ち着き払って、タリィは天井を見上げる。
諦めているようにも、抗っているようにも見えない。これまでのどの態度とも違う。自然体というか、まるで音楽でも聴いているかのような態度。
「だが、証拠は? かつての古き良き時代ならならお前の推理だけで俺を有罪にできたのかもしれないが、今では証拠がなければ罪は確定しない。そういう風に変えたのはお前だ、ヴァン」
反論というより世間話のような口調で、天井に顔を向けたままでそう言うタリィに、
「お前が直接殺しをした証拠は、さっき言ったように今の時点ではない。が、重要なのはさっき言ったように、俺とエーカーは既に偽の寮と塔の位置を大体は割り出しているってことだ。そこを探偵士に調査してもらうことは十分できるさ。証拠隠滅で破壊していたとしても、痕跡まで全部は消し去っていないだろう。俺の推理の裏付けをまずはそのあたりからとっていくことになるだろうな。それがうまくいけば、お前は過去から徹底的に調べられる。半年かけて偽の霧中寮をつくったんだろう? いくら秘密裏にやったとしてもボロが出ないとは思えないな。徹底的に黙秘すればクロイツの殺害については多少厄介かもしれないが、塔の出現と消失にお前が関わっていたとしたら状況証拠で殺人の方も言い逃れは難しいだろ」
「……思ったのとは違う終わりだ。だが、これも悪くない」
「タリィ」
そのタリィに、ウィッチが立ち上がり一歩近づく。
「どうして、こんなことを?」
その当然の問いかけに、タリィは目だけをゆっくりとウィッチに向けて、
「……さて、どうしてかな。ヴァン、お前はどうだ? 動機は、推理できたか?」
そのウィッチに目を向けたままのヴァンへの問いかけに、
「動機か。あまり興味はないし、真面目に推理はしてないよ。最初はクロイツと何かあったのかとも思ったが、何度も言うようにそれにしてはこの事件は『不思議すぎる』んだよ。演出過多だ。単に、自分が犯人だとばれないための工作じゃあないだろう?」
「まあ、な」
ゆっくりと、タリィは目を閉じる。
「だとすれば、お前の芸術観だとか美意識に関係ある動機なのかもしれない。だが、残念ながら俺はそういうのに欠片も興味がないんだ。ゼロなんだよ。はっきり言って、変人が意味不明な理由で妙なことをしつつ人を殺した。この事件はただそれだけだ、俺にとっては」
「……なるほど」
挑発的な物言いに対して、タリィは目を開けることなく愉快そうに笑う。
「ただ一つ、気になるとすれば、この事件の後、お前がどうするつもりだったのか、だ」
後?
「事件が公になれば、塔が出たり消えたりを信じる人間は少ない。解明のために山を徹底的に調べられるかもしれない。位置を割り出していなければ見つからない可能性もあるが、見つかる可能性だってそこまで低いわけじゃあない。そうしたら、爆破したとしても塔のあった痕跡は分かるだろうし、偽の寮も発見される。そうなれば、結局お前は疑われる。違うか?」
「かも、しれないな」
目を閉じた笑顔のまま、タリィは答える。
「そう考えると、あまり解決する意味はなかったんだ。この事件が不思議なのは、期間限定だよ。だから、被害がこれ以上出ることさえ防げば、どうせ解決はする。そういう意味で、あまりやる気はなかったんだが、これも流れだ、仕方ない」
ようやく、名探偵であるはずのヴァンが終始やる気がなさそうだった意味が分かる。そういうことか。
「どうやってこの事件は完成だ? ひょっとして、お前が死んで終わりか? だったらやめておけよ、タリィ」
「――どうしてだ?」
「後味が悪い。俺もココアも、お前の友達二人も。一人死んでるんだ。これ以上殺すなよ」
それだけ言うと、ヴァンは立ち上がる。もう興味はない、とばかりにそのまますたすたとエーカーの横を通り過ぎ、出口へと向かう。
「ヴァン」
目を開けず、天井に顔を向けたままのタリィは声をかける。
だが、ヴァンは振り返らず立ち止まらない。
「予感がする。俺は天才だからな。この予感は当たるだろう。また会うことになる、お前とは」
それはつまり、自ら命を絶たないという宣言だ。
「お前とは二度と会わないだろ。お前は天才なんかじゃない。言っただろ、ただの変人だ。じゃあな」
振り向かず足を止めず、ただ吐き捨てたヴァンが寮から出ていく。
それと入れ違いになるように、数人の黒い服を着た男と武装した男が入って来る。探偵士と、ペースの兵士だ。
「――タリィ」
名前を呼んで何かを言いかけたウィッチは、それを止めてやはり黙る。彼女の目の前で、目を閉じたままのタリィは兵士たちに両腕を掴まれて連行されていく。
「おい、人殺し」
その代わりをするように、エーカーが寮を連れ出されるタリィの背中に声をかける。
「これが、この一連が作品のつもりか? だとしたら、全然面白くねえぞ、タリィ。凡人には分からない作品か? これを芸術だと思わなきゃ才能がないんだっつうなら、そんな才能はいらねえよ。今だから言うが、俺にはニャンの作品も全然面白いとは思えなかったんだ。今回のはそれよりひどい」
その声にタリィは答えることなく、大勢の男に囲まれて寮を出ていく。
探偵士らしき男の一人がウィッチに近づく。
「皆さんからもお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
その問いかけを横目に、僕は大きく息を吐く。終わった。事件が終わった。
実感はないが、理解して安堵のあまり気が遠くなりかける。
生きて、戻れたのだ。
芸術家の同窓会の記事など、もうどうでもいい。
僕は無意識に握ってぐしゃぐしゃになっていたメモ帳をポケットから取り出す。僕の恥となる間違った推理も含めて、全てを書き留めたメモ帳。
……いい記事が書けそうだ。
エピローグも一緒に投稿しますね。